気まぐれ徒然かすみ草ex

京都に生きて短歌と遊ぶ  近藤かすみの短歌日記
あけぼのの鮭缶ひとつある家に帰らむ鮭の顔ひだり向く 

赫き花 落合けい子

2014-12-15 23:29:27 | 歌集
つきあひの大事な大事な村ゆゑのこの家(や)のけふの寂しき葬り

髪の毛の切れる心地ぞ月しろく首括らるる雄鶏のこゑ

パルナスのお菓子の歌は少しだけ少女のわれを切なくさせき

春泥に足踏み入れてすぎるとき好きに生きよと泥のこゑする

五万個の核繁りゐる乾坤の一点絞り白鷺の消ゆ

かなしみは薄くなりつつ遠き日のカバヤ文庫の『シンデレラひめ』

秋されば一気に赫し曼珠沙華ゆふぐれどきを鞭打つごとし

無い物を数へるよりも有る物を数へよと飛ぶ浅黄斑の

船乗りのころの夫の使ひゐし三角定規のなかの小さき丸

をりをりにごりやくりやくごりやくと唸りて動く古きプリンター

(落合けい子 赫き花 現代短歌社)

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塔短歌会所属、鱧と水仙の同人である落合けい子の第四歌集『赫き花』を読む。

落合さんは、姫路市夢前(ゆめさき)町にお住まい。素敵な地名なので、名前だけは記憶にあった。歌集を読んでいて、その土地が土着的な古い体質の場所のような気がしてきた。
一首目、二首目からそういう印象を受けた。二首目は、雄鶏が首を括られる場面。話しには聞くが、私自身は店でパックされた鶏肉しか買ったことがないので、わからない。髪の毛の切れる心地、月しろく、の表現から、ぞわぞわした不穏な空気を感じた。言葉の力だと思う。
三首目のパルナスはなつかしい。夏休みになると、午前中に子供向けのテレビ番組があり、途中に入るCMはパルナスのものだった。落合さんや私の年代で、関西に住んでいた人はたいてい知っているのではないだろうか。パルナスの歌は短調でもの悲しい感じだった。遠いロシアには、きっとおいしいお菓子があるのだろうと、憧れを持って聴いたものだ。六首目のカバヤ文庫。これはさすがに私は知らないが、坪内稔典先生は、カバヤ文庫に非常に詳しいらしい。これも昭和のある時期に子ども時代を過ごした人間には、たまらなく懐かしいアイテムだろう。『シンデレラひめ』の「ひめ」のひらがなが子供向けであることを正確に表している。芸が細かい。
四首目。春泥という言葉の持つ独特のイメージが立ち上がる。ぬくぬくとしているけれど、触れば手や足が汚れる。しかし感覚的に魅力がある。下句が特にいい。
五首目。スケールの大きな歌。下句で白鷺という一点に収斂されて美しい。
七首目。秋の夕べの暮れの早さは、曼珠沙華が鞭うったから、という発想に納得させられる。曼珠沙華の花弁の細さも鞭を連想させる。
八首目の上句の前向きさが好ましい。浅黄斑と関係があるかどうか知らないが、作者が上句のような気持ちになったとき、浅黄斑が飛ぶのを見たのだろう。
九首目。作者のだんなさまは船乗りをされていたようだ。結句が字余りになっているが、その穴から過去を覗いているようで面白い。
十首目は、「ごりやくりやくごりやく」が、リズムよく面白い。これもオノマトペの一種なのだろうか。呪文なのだろうか。古きプリンターと響きあっている。

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