気まぐれ徒然かすみ草ex

京都に生きて短歌と遊ぶ  近藤かすみの短歌日記
あけぼのの鮭缶ひとつある家に帰らむ鮭の顔ひだり向く 

発寒河畔 明石雅子 六花書林

2022-07-28 15:05:12 | 歌集
やはらかき雪のくびれにさす茜 中洲ふたわけにして川の流るる

あふむきに泳ぎゆくときつるくさのつるの捩れのゆるびゆくなり

独り暮らしの怖さはそこにあるものが何日間もそこにあること

すぐそばに死があるゆゑに距離おきて話せ食せといふ 令和三年

三密といふ何やら甘ゆき言の葉のほそほそ飛び交うマスクの中より

来る人と逝きたるひととすれちがふ発寒河畔の風ひかる橋

少しづつしぼむわたしの紙風船 今も昔も言葉とは 剣

ひと様のことと思ひてゐたる死がふと立ち上がり目の前にある

みんなみの血が指の先までめぐるゆゑわたしは今日も眠れぬ一樹

ふくろふはねむたき尊者の貌をして今のまんまでよからうといふ

(明石雅子 発寒河畔 六花書林)

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短歌人所属の明石雅子の第二歌集。第一歌集『骨笛』上梓より三十年以上が過ぎたという。
歌集名の発寒川のほとりに長く暮らした歳月。「さくら鳥の来るところ」という副題がついている。残り少ないであろうこれからの日々を思い、気持ちを宥めるような歌に魅力を感じた。短歌という文芸に関わることで、豊かさを思うこともあれば、その逆もある。「うつし身は聖母ならねど 文芸のとりこなるゆゑ疎まれてゐる」という歌もあった。

樟の窓 大辻隆弘 ふらんす堂

2022-07-21 17:58:13 | 歌集
 一月五日 岡井隆の誕生日
亡きひとの生誕の日を嘉(よみ)せむはさびし遙かに川明かりして

 三月六日 軽装の歌集ばかり流行る
てのひらの丘をページに圧し当てて今日届きたる歌集を開く

 四月二十五日 ワクチン不足
神託のごとくにも聞こゆこの秋に来む飛ぶ鳥のアストラゼネカ

 七月一日 短歌日記折り返し
さやさやと浮かむ夕合歓これの生(よ)の復路半ばのあたり気だるし

 七月十二日 偶成
追憶は細部に及び火のなかに籐ほどけつつ燃えてゆく椅子

 八月六日 秋隣
思つたより夏はみじかく餡蜜の半透明に沈んだ小豆

 八月十四日 Z00m選考会
大いなる手があらはれて緘黙の声のミュートを解(ほど)かむとせり

 八月十八日 休暇明け
葉の影が幹の裏よりまはり来て樟(くす)の木は夏の午後となりたり

 九月二十日 敬老の日
鍵束の鍵かろらかに触れあひて涼しく朝に韻(ひび)くその音

 十二月二十三日 述懐
おもほゆれば歌にかかはる友のほか友と呼ぶべきひとりだになし

(大辻隆弘 樟の窓 ふらんす堂)

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大辻隆弘の第九歌集。2021年を通して一日一首をふらんす堂のホームページに掲載し、一冊の歌集となった。ここに十首を選ぶことは難しいけれど、好みの歌を取りあげる。どのページを開いても大辻さんがいる。見るもの聞くもの触るもののすべてが短歌となって出てくるという短歌製造マシンである大辻隆弘の向こうにはアララギの長い分厚い歴史がある。なお、大辻の辻の之繞の点は一つ。

象の眼 奥村晃作 六花書林

2022-07-02 10:32:47 | 歌集
萩原君が作ってくれたメール歌会今も月一の歌会は続く

〈象の眼〉と妻が言いたり〈象の眼〉は疲れ切ったる時のわれの眼

左から右の果てまで行き着きし岡井隆は巨きうたびと

技巧的表し方が好きでない真っすぐに詠むオクムラ短歌

ぬばたまの夜が明けぬれば今日もまたウィズコロナの工夫の暮らし

千円を入れると釣りがレシートが出て支払は機器が受け持つ

目の玉を手術されつつ目の玉は手術の一部始終を見てた

「オイシイヨ、早くお食べ」という如く千両の実は剝き出しに付く

老歌人オクムラは歌に忙しく今日また風呂に浸かるヒマは無く

犬は皆ヒモを付けられ道を行く猫はヒト見てとっさに逃げる

(奥村晃作 象の眼 六花書林)

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奥村晃作の十八番目の歌集。2019年7月から2022年3月までの598首が収められる。時期的に丁度、コロナ禍をどう生きたかの記録ともなっている。思ったことをそのまま定型に納めた歌に納得し、楽しみながら読んだ。何かと格好をつけがちな歌人の中で異色の存在。86歳。カタカナ表記が独特で愉快だ。まっすぐに進むしかないオクムラ自身の性格と短歌が結合して独自の世界を表現している。