気まぐれ徒然かすみ草ex

京都に生きて短歌と遊ぶ  近藤かすみの短歌日記
あけぼのの鮭缶ひとつある家に帰らむ鮭の顔ひだり向く 

時をとぶ町 小谷博泰 飯塚書店

2020-08-27 00:07:38 | 歌集
平和というおとぎ話がもう十年続いてくれろと線香をつぐ

あのままであの家に暮らす僕がいてやあこんにちはと僕に手を振る

わしは君だ七十年たったら来なさいと小さな僕に手をふっていた

死は遠くかがやくものか街のはて海のむこうに島かすみいて

くるまから液体酸素のボンベ降ろす男がひとり晩秋の街

大阪ならきっとわろうてもらえるか東京なら皆席立って去る

食パンの残りをちぎって撒いてやる我のひもじいたましいたちに

ゆっくりと日は傾いて見上げればこずえにあの世の鳥なきさわぐ

あの部屋ではアンドロイドがお掃除用ロボット使って掃除している

老人がベンチにすわって本を読む近くて遠いひとつの景色

(小谷博泰 時をとぶ町 飯塚書店)

***********************************

『河口域の精霊たち』に続く第十四歌集。作者のわきにはいつももう一人の作者がいて、
おしゃべりをしながら生きているようだ。むつかしいことは何もなく、するすると読める一冊。

最後の夏 関谷啓子 本阿弥書店

2020-08-22 12:37:06 | 歌集
やわらかきガーゼの肌着洗いおりみずからの手を洗うごとくに

枇杷いろの灯りともしてバスが来る どこか遠くへ行きそうなバス

お人形みんな寝かせてみずからも眠くなりたる幼子を見つ

たそがれの沼のようなる桜木に呑みこまれたり一羽の鳥は

「里の秋」唄えばいつも涙出るわれの身体のいずこに浸みし

父が書きしバスの時刻が黒板にのこされしまま数年が過ぐ

良い歌をすこしだけ作って暮らしたい今日は桜のふぶき見あげて

忘られているときもっとも自由なり夏蠟梅の花もおわりて

鈴の音を鳴らしてトイレにゆく母を思えり廊下のながさ思えり

移動図書館「そよかぜ号」が目の前にしばし止まれり信号の間を

(関谷啓子 最後の夏 本阿弥書店)

***************************

短歌人の先輩であり友人の第六歌集。歌にも作者にも清潔感がある。ご両親を見送り、実家を処分する一方、孫の世話にたびたび呼ばれる。そんな暮らしを歌が支えている。


光るグリッド 大森千里 青磁社

2020-08-18 01:26:32 | 歌集
この春が最後かも知れぬひとのためお膳につける蕗の薹ふたつ

生ハムを一枚一枚めくっては盛りつけている静かな怒り

声あげて笑わぬ夫と子のために今夜もつけるひょっとこの面

私にもこんなパワーが欲しいのよ 乾燥わかめ三倍となる

木綿派と絹派に分かれる冷奴冷蔵室で二列に並ぶ

扇風機右に左に首振ればおくれて動く猫の黒目よ

ためらわず生八ッ橋はふたつ取り三十五キロの壁を超えたり

霙ふる四角い空を積みあげてジャングルジムは広場に立てり

人の死に慣れてしまってわたくしの右手左手てきぱき動く

信号が赤から青に変わるときわずかに跳ねるわたしの踵

(大森千里 光るグリッド 青磁社)
****************************
第一歌集。感性が若い。看護師、主婦、母親の顔のほかにマラソンランナーであり、水泳も得意らしい。今では、生、老、病、死の「生」以外は家庭と離れたところでなされる事となってしまったが、作者は職業として向き合う。その姿勢が妻、母としての生き方を分厚くしている。家族のために生きるのではなく、家族とともに生きる。「ひとかけの氷」「釦をさがす」の三十首が圧巻。