気まぐれ徒然かすみ草ex

京都に生きて短歌と遊ぶ  近藤かすみの短歌日記
あけぼのの鮭缶ひとつある家に帰らむ鮭の顔ひだり向く 

ビギナーズラック 阿波野巧也 左右社

2020-07-30 14:01:08 | 歌集
冬と春まじわりあって少しずつ暮らしのなかで捨ててゆく紙

きみが青いリュックを抱いて眠りゆく電車でぼくは海を見ている

遠くに近くにかすかに揺れるはるじおん いろんな顔をぼくに見せてよ

噴水をかたむけながら吹いている風、なんどでもぼくはまちがう

秋の光をそこにとどめて傘立てのビニール傘をひかる雨つぶ

まわらない寿司まわる寿司まわしてもまわらなくても変わらない寿司

帰省した部屋のソファーでねむるとき匂いはしてももういない犬

下の方だけの葉桜 中の上ぐらいのワイシャツを買いたいな

風水をつよく信じるひとのことすこし信じる 青草を踏む

きみの書くきみの名前は書き順がすこしちがっている秋の花

(阿波野巧也 ビギナーズラック 左右社)

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第一歌集。表紙が愉快だ。鴨川の河原。赤いスカートの女性の後ろを、ポケットに手を突っ込んで歩く(おそらくは)阿波野くん。川を流れるのは回転すし。皿に二個ずつ載っている。口語青春短歌の最前線。同人誌「羽根と根」所属。

玄牝 高木佳子 砂子屋書房

2020-07-26 23:49:36 | 歌集
舗道(いしみち)はしまし光を折らしめて影を濃くするけふの暑さに

除くことはできぬしづかな諦めが昼闇としてそろりと覆ふ

それぞれの重みに砂は耐へかねて己をすこしくぼませてゐる

幼年の祈りたやすく右の手は左の手に来て陽へのおいのり

真実といふはあやふし山梔子は山梔子の花と識るとき匂ふ

このくにと叫ばるるときわが痛む罅荒れはあり このくにとは何

木犀の花殻つよく匂ひけり樹を離れてをのちの時間を

紙白く桃を包めばつつまれて桃はこの世にあらざるごとし

齧り終へし林檎の芯がエンタシスの柱の象に見えてくるとき

土を搔き土を悼みてひと日づつこの地を生きむとする人がゐる

柳清香といあつてはいひしポマードを父も使ひしと話せば匂ふ

(高木佳子 玄牝 砂子屋書房)
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第三歌集。高木佳子さんの歌は格調高い。旧かな文語で、しっかりと詠われている。読むのに体力が要るが、手ごたえは強い。わたしは高木さんの歌を「震災読み」していた時期があった。この歌集では震災色を消そうと相当考えられたのかと感じた。

ジューンベリー 小川佳世子 砂子屋書房

2020-07-24 19:18:42 | 歌集
食べ物をためるところが無くなって一本の線私の腹は

錠剤を押し出す力の弱ければはるかな岸の鹿を恋うなり

順番に間を置き咲いてゆく百合を湛えて黙る青磁の花瓶

鉄条網みたいに伸びる枝の先新芽はやわく空に身を置く

川に出る視界は広がり山近くああ晩年を生きているなり

もうもとのからだのかたちに戻れない 夏が雨滴にかわって落ちた

青空にジューンベリーの花の白 今までのすべて号泣したい

ていねいに慈しみ合って生きましょう見えなくなった岸辺の縁も

点滴の針はなかなか入らへん身体は雨を待っているのに

八月のカレンダーもうまっすぐに貼れない母の右腕の痣

(小川佳世子 ジューンベリー 砂子屋書房)

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未来短歌会の小川佳世子さんとは、長いおつきあいだ。ひたむきでまっすぐな目の澄んだ人だ。歌集には、病気の歌が多くて切なくなる。京都弁の歌も面白い。しかし、京都と一口に言っても、小川さんの住む右京区とわたしの住む左京区では違う。フランス装の瀟洒な本を手に取りながら、さまざまなことを考えた。

3299日目 東日本大震災から九年を詠む 塔短歌会・東北

2020-07-21 00:53:20 | 歌集
桜咲きマスクで白い顔ばかり去年(こぞ)と変わらぬ風景のなか
(歌川功)

震災を生きてヘリコプターにまで乗った祖母も死したり雪曇りの日
茎のみが残された菊 墓に来て鹿はおいしい花だけ食べる
(逢坂みずき)

不明者の数ほど雛(ひひな)かざられて私はここよと笑まひてをりぬ
(大橋智惠子)

十年の節目にとっておけというネタがあり来年も生きている
雪の降らない冬と思えば三月の雪は降りはじめる僕のなか
(近江瞬)

死者の目に最も美しく映れ花のなだりの細(くは)しき角度
祭壇のなだらかな丘 打ち寄する波の白きのやうにも見えて
(梶原さい子)

墓石がいくつも捨てられ苔が生え橋のたもとも川も暮れたり
(小林真代)

絆と言ってた春もあったが、吐き出した二酸化炭素がマスクにこもる
歌ったり誓ったり手をつないだりしないと被写体として駄目ですか
海水を吸った遺体の冷たさを覚えるこの手にまだ血が通う
(佐藤涼子)

国難が九年続いて僕はまだ備蓄を崩し、足したりしてる
(田中濯)

なにもかも震災のせいにできた頃を思うカルピス湯で薄めつつ
自転車ば買えと母が振り込んでくれたお金で『梨の花』買う
(田宮智美)

この感じ、社会が消えてゆくような、いまだ社会は動いているけど
桜祭りのぼんぼり灯されぬ春がまた来て桜のみ咲く川べりの道
(花山周子)

北へ行くにつれて座席は空いてゆきほんとに自由になる自由席
ひどいことになっちゃったねと言うひとが指さす大地に生えている草
(平出奔)

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震災後十年目。十冊目の冊子。「短歌以外の<表現>」についてのエッセイが併せて載せられている。


にず 田宮智美 現代短歌社

2020-07-20 01:21:21 | 歌集
溺れたり流されたりもできなくてわたしはわたしのままの水底

でも君の最後の相思相愛の相手はわたしのままだ 潮騒

こけしこけしこけしが欲しい胴をにぎり頭をなでて可愛がりたい

虹、虹と幾たび言えど通じぬを「にず」でようやく伝わる、祖母に

晴れた日は晴子、雪降りなら雪子 生まぬ子の名を考えており

一人なり。テレビの中の被災者はみんな誰かと支え合ってて

待っているような待たれているような春の日われは半跏思惟像

わたくしの名に九つの窓があり結露しているその磨りガラス

ゆるし方ばかりが上手になってゆく心に最上川が流れる

ヒメジョオン摘む人の誰もいなければ胸の高さに咲く線路脇

(田宮智美 にず 現代短歌社)

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塔短歌会所属。第一歌集。本を受け取ったとき「にず」って何?と思った。印象に残るよい題。父母や周囲の人の期待する人生とは、ずれてしまったことを必要以上に気にしているようにも見えるがどうなのだろう。祖母の存在が温かい。そんな読み方は浅いのだろうか。