青森の話の続きです。
仙台に戻る日に若干の時間があったので、
青森ベイエリアを少し歩いてみた。
子供時代には、魚釣りや裸の河童姿で海岸沿いでよく遊んでいた。
今ベイエリアはきれいに整備され、
観光物産館アスパムの近辺は板の遊歩道が作られ、
散策にはもってこいの環境となっている。
青森駅近くの岸壁には、
今は動くことがない青函連絡船「八甲田丸」が係留され,
青函航路の歴史の証人として港に浮かんでいる。
あの洞爺丸台風では多くの連絡船が転覆、沈没し
犠牲者も海難史上大変な数の人々がなくなっている。
この教訓から貨車を積み込む下部甲板に波除の隔壁が設けられるなど
改良がくわえられ、安全上はだいぶ考えられた構造となった。
しかし、時代の変化は青函トンネルの開業、
青函航路の廃止の道をたどり今では思い出の中での話になっている。
青森駅の跨線橋通路には現役時代の八甲田丸の白黒写真も展示され、
そこからは観光船八甲田丸の黄色の船体をも見ることができるようになっている。
時代は少しずつ変わり、
その思い出も消えつつあるなあと実感し新青森に向けて電車に乗り込んだ。
仙台に戻る日に若干の時間があったので、
青森ベイエリアを少し歩いてみた。
子供時代には、魚釣りや裸の河童姿で海岸沿いでよく遊んでいた。
今ベイエリアはきれいに整備され、
観光物産館アスパムの近辺は板の遊歩道が作られ、
散策にはもってこいの環境となっている。
青森駅近くの岸壁には、
今は動くことがない青函連絡船「八甲田丸」が係留され,
青函航路の歴史の証人として港に浮かんでいる。
あの洞爺丸台風では多くの連絡船が転覆、沈没し
犠牲者も海難史上大変な数の人々がなくなっている。
この教訓から貨車を積み込む下部甲板に波除の隔壁が設けられるなど
改良がくわえられ、安全上はだいぶ考えられた構造となった。
しかし、時代の変化は青函トンネルの開業、
青函航路の廃止の道をたどり今では思い出の中での話になっている。
青森駅の跨線橋通路には現役時代の八甲田丸の白黒写真も展示され、
そこからは観光船八甲田丸の黄色の船体をも見ることができるようになっている。
時代は少しずつ変わり、
その思い出も消えつつあるなあと実感し新青森に向けて電車に乗り込んだ。