駒場アゴラ劇場でチェルフィッチュの「目的地」を観た。
おもしろかった。今までで一番おもしろく観れた。受け手、おいらの感受性がやっと追いつけました。より一層、役者への負荷が強まってるのかしらと思う。こんど12月にうちの芝居に出てくれる女優が、というかトトが、はっきりと、以前よりずっと本当に(以前だってやばい素晴らしかったのに)、「フツー」を体現してて、あたしゃ驚倒しました。やばい。今日も朝からせっせと続きを書いていたけど、こんな台本じゃだめだ。役者の無限をもっと引き出したい。
演劇の言葉、という問題を創り手である以上、俺も考えてる。チェルの言葉に出会ったあと、息の根を止められた実感が半分ぐらいわき、まだ自分の文体も獲得してないのに右往左往して困っていたが、ちゃんと自分のやりたいことに自分の足場があった。いまだ模倣っ気はあるにせよ。言葉の出どころに絶望しなくていい。考え続けなくちゃいけないけど。からだについても考えなくっちゃなぁ。
終演後、帰り間際、太一さんと抱き合ってしまい、嬉しかった。暖かかった。芝居の最中生き物のように動く太一さんの手首に釘付けだった。
おもしろかった。今までで一番おもしろく観れた。受け手、おいらの感受性がやっと追いつけました。より一層、役者への負荷が強まってるのかしらと思う。こんど12月にうちの芝居に出てくれる女優が、というかトトが、はっきりと、以前よりずっと本当に(以前だってやばい素晴らしかったのに)、「フツー」を体現してて、あたしゃ驚倒しました。やばい。今日も朝からせっせと続きを書いていたけど、こんな台本じゃだめだ。役者の無限をもっと引き出したい。
演劇の言葉、という問題を創り手である以上、俺も考えてる。チェルの言葉に出会ったあと、息の根を止められた実感が半分ぐらいわき、まだ自分の文体も獲得してないのに右往左往して困っていたが、ちゃんと自分のやりたいことに自分の足場があった。いまだ模倣っ気はあるにせよ。言葉の出どころに絶望しなくていい。考え続けなくちゃいけないけど。からだについても考えなくっちゃなぁ。
終演後、帰り間際、太一さんと抱き合ってしまい、嬉しかった。暖かかった。芝居の最中生き物のように動く太一さんの手首に釘付けだった。