備前焼のやきもん屋は、多くの場合、自分で粘土を作ります。備前焼は釉薬を掛けないで、割木焼成をする事によって模様を作ります。粘土の種類、精製方法によって、その景色(模様)はもちろん、味わいが異なります。その土の味わい(土味)の違いが、やきもん屋のこだわりです。……という訳で、自分で原土から粘土を作る事になります。
さて、写真の原土は酸化焼成の場合に、ヒダスキ、緋色の発色が良くなります。
小生の場合、この土の精製は、2パターンあります。
ひとつは、余り細かく砕かないで、原土のもつ雰囲気を残す方法。これは、焼き上がると、煙草のパイプに見られる『杢目』のようなニュアンスになります。マーブル調の練り込みの感じです。
もうひとつの方法は、細かく砕いて、篩(ふるい)に通します。きめ細かい土に、緋色や火の走りなど焼成の雰囲気が写し取られます。
同じ原土から作った粘土でも、精製方法によって異なる表現が可能です。これらの特性を勘案して、どの粘土で、何を作るかということが決まり、おのずと窯詰めの場所も決定されます。長期的な計画性が必要。
最終的なイメージがあってこそ、土づくり、窯詰め、窯焚きの一連の作業ができるという事になります。
しかしながら一方では、ロクロや窯焚きなど、ライブな仕事が多いという事も確か。
子供(幼稚園児)と歩く道々。
裏山のクヌギの枝に、『カラスの巣』を発見。
父 「あの巣を作った鳥は、だ~れだ?」
子 「カラスっ!(即答!)」
父 「正解! どーして、わかったの?」
子 「からっぽの巣だから~~」
父 「・・・ \(◎o◎)/!!」
関西人DNAの発現か。……にしては、ベタすぎる。イヤ、幼稚園児ならこんなものか。
一瞬迷った。「突っ込むべきか、誉めるべきか…。」
ボケの才能を伸ばす為に誉めましたが……。我が子だけに難しかった。
拙宅から吉井川を南に下った河口近くに西大寺というところがあります。
その西大寺の観音院で『西大寺会陽(えよう)』(はだかまつり)がありました。
フンドシ一丁の『はだか』と呼ばれるお兄さんたちが、真夜中の狭い境内にひしめき合います。その頭上に、照明を消して真っ暗にした境内に『宝木(しんぎ)』を投げ入れます。そして、奪い合い。宝木を手にした人が今年一年の福男とされます。かなり激しいバトルで、一人当たりの面積は一合枡ほどになるとか。もう、こうなると上下左右あらゆる方向から押されまくり。過去には死者も出ています。備前焼業界でも若い衆が出たりしています。
さて、その祭りが終わると2週間ほど、『あとの祭り』で市が立ちます。植木市が有名。
今回は、細君念願の『枝垂れ梅』を見に行きました。昨日の雨で洗われたお堂は、ポカポカ陽気に包まれていました。ガーデニングママちゃんや、薀蓄おじさんを掻き分けつつ、会場を見てまわり……。今年の成果は、予定通り『枝垂れ梅』が一本。今は小さな苗木だけれど、花見ができるほど大きくなるのが待ち遠しい。楽しみ。
岡山では、『はだか祭り』が終わると春が来るといわれています。
そういえば、ベラタもそろそろ出回る頃だな。
我が家から、山道をたどる事、5分程。
細い道の先は、急に視界が開け、池が現れます。「下の池」と「上の池」と言われているため池。農業用水として使われています。
時々、犬を連れて「上の池」まで足を伸ばします。水鳥の狩猟犬が池にダイブすれば、雰囲気の良いところですが、残念ながら、我が家の犬はシャンプーもキライな駄目なヤツ。なかなか、絵に描いたようにはいきません。
それでも、鼻を鳴らしながら歩く犬を見ていると、やはり、それなりの形です。時々、佇んで耳を澄ましたり、急に、藪に頭を突っ込んだりと忙しそうです。
池に着くと、小生も、しばし休憩。
冬の池はあくまでも澄んでいる。そして、空は頭上にあるのと同じく、足元にもある。時折、静寂な水面に、小鳥の声が響くだけ……。
水面の雲を見たり、木々のざわめきを感じたりして、忙しがっている体内時計をリセット。
これから新緑の頃までが、裏山歩きには良い頃です。
左馬の印。この印(ハンコ)は、自分で作ったもので、『馬』の象形文字を反転させています。小品はこのサイズの印を使い、大きなものは、直接、手で書き込みます。(予定)
左馬は、新築した窯の始めての窯焚き、すなわち『初窯』の作品だけにつけられます。福を招く縁起物として「左馬の……」と称して、つけられるものです。
【左馬】のいわれと理由は、小生のHP の『NOTEBOOK』のコンテンツを見ていただくとして……。
自分の人生の中で、たくさんの数が出ないモノ。チョット改まった気分になります。
道路から離れていて、見晴らしが利く広い谷あい。そこにある田んぼ。冬場は何もない田んぼに、ひとすじの道ができています。造成したのは、シカ。
コースが決まっていて、時折、夜中に見かけます。少々近づいても逃げません。顔をこちらに向けて、ジッとつぶらな瞳で見つめられます。でも、体の向きは逃げる体勢。月夜の晩に見ると、東山魁夷の馬のように、そこだけ静謐で繊細な『陰影』を感じます。動くものが動かないでいる一瞬の静寂。……かと思うと、急に跳ねる様にして駆けて、軽々と斜面を超えていき、すぐに見失います。
やはり野生動物。心から通じあおうとする事は拒否されています。というよりも、お仲間を食ったことがバレてるかな。
家の周囲を見ると、タヌキの道。モグラの穴。イノシシのヌタ場……と、生活の痕跡を見る事ができます。
これから暖かくなってくると、一気にいろんなものが、うごめき出します。
いきなり、血のしたたる写真にて失礼をば。
シカのおみあし。隆々たるコレをゴロン~と頂きました。
毎年、ウチの子が「美味しい!」と一気にバクバクとやってしまい、料理した小生がほとんど食べられない。そこで、お願い(…というより、おねだり)して、またまた頂いたのでした。
さて解体。骨付きの解体は初めて。皮は、はがしてキレイにしてある。まず、筋肉の塊に沿って分解して、ブロックにする。あとは筋をとるのだけれど、これが厄介。やり方を知らずにやるので、試行錯誤。
最初は鯵の皮をはがすように薄くひっぱって……。なかなかラチがあかん。それに、これだけたっぷりの量。チマチマやっとれん!それに、我が家の番犬が口を開けて見ている。
……と、なると……。筋を含めて、およそ鰤の皮ほどの厚みで削いでいく。引っ張りながら、ザァーと流れるようにナイフを滑らせていくと、意外とスンナリと削いでいける。あぁ、こうやるのかも。……ともかく、仕分け終了。意外とロスも無く、上出来~か。
肉は、脂肪がない真っ赤な赤身。走るアスリートのキンニク。食べる為には、ちょっと脂を加えた方が味が良いかも。
初日は、鹿鍋(シカのすき焼き)。次の日は、シカの煮込みシチュー。そして、今晩あたりは、ステーキ&ルイベ(シカ刺し)かな。残りは来客のときにルイベで出そう。
うひゃひゃひゃ……これで、お楽しみが増えた。
寒波襲来。やっと冬が本格化したか……。
キンキンと音がしそうなその寒い夜。ほぼ満月の月が天空にある。月光に冬枯れの森が青く浮かび上がって見える。
この寒月に思い出した歌。
ねがはくは花の下にて春死なん
その如月の望月のころ
出家した漂白流浪の歌人。西行さんの歌。2月の満月に桜の話。この方は、無類の桜好きというよりも、むしろ執着だな。
まぁ小生にしても、桜には想うところもある。1年のうちのホンの10日間ほどのドラマに……。蕾から散るまでのその僅かな期間に、桜への想いは常に変化する。しかし、遠くに、車窓に、眺めるだけのうちに花は散る。その散り行く様を見ると、理由なく 何故か心苦しくなってくる。「今年もまた散ってゆく」と……。一気呵成な盛り、しかし短命で、唐突な終焉。いわれのない切実さ。無常ということ。
そして、西行さんは……
春風の花を散らすと見る夢は
さめても胸のさわぐなりけり
夢と現(うつつ)の境界をなくして、自身の心を行き来させるという境地。小生はまだそこまでは至らない。なので、今は具体的なコチラが性にあっている。
ひさかたの光のどけき春の日に
しづ心なく花の散るらむ (紀 友則)
この寒さに 急に春が恋しくなって桜を思う。
寒月に春を待つ夜更け。
小春日和と寒い日を繰り返している。
「過ごしやすい~」と「これでいいのかな?」という感じを身にしみる暑さ寒さで気まぐれに思う。
毎年恒例のことではあるけれど、サルがお越しになられた。ご近所の畑の大根を襲撃。毎年の事だけにサルへの税金みたいなものか?(違うな…)
我が家は昨年1月1日に干し柿を盗られた。しかも全部。
この畑のオーナーは、人間には「好きなだけ持って帰られーよ」と言って下さる。が、サルには滅法キビシイ。爆竹等々にてお引取りをねがうものの、当のサルはまるっきり無視。近所周りの番犬たちも何故かおとなしい。
サルは、実際に出くわすと結構怖い。可愛らしく思えるのは、絶対的距離と安全保証されたサル山とテレビの中だけだと、ここに住んで知った。
野生動物たちにとって、今年のお天気加減はどうなのだろうか。良いのか悪いのか……。クマは冬眠できたのだろうか。