先日の土曜日、備前鰆祭(びぜんさわらまつり)というイベントがありました。
夜、花火を上げるとの事で、見に行ってきました。
会場のほとんどの人が まだ長袖。ちょっと早い花火大会ですが、浴衣の人もいました。
三方を山に囲まれた入り江の海上から打ち上げます。
尺玉なんぞ上がった時には、腹まで響く大音量です。
赤・青・紫・黄・・・
この花火の色は、火の中に含まれるものによって色がつきます。
理科の教科書に炎色反応の写真が載っていましたっけ。
化合物に含まれている物で、リチウムは赤色、カリウムは紫色、 銅は青緑色、
カルシウムはだいだい色、 バリウムは黄緑色の炎が表れます。
備前焼では、青備前という景色(焼色)があります。全体が、淡い青~ほとんど黒までの 様々な発色です。その青備前を焼くために、最高温度に達した後、【 塩 】を入れる場合があります。
塩が火に入ると、釉薬の霧を生み出します。これを 窯の中に充満させ器胎につけます。
この時、炎の色は黄色。花火でも黄色は 【塩化ナトリウム】です。
そういえば、ガスコンロの上で味噌汁が吹きこぼれると、火が黄色になりますね。これは味噌の塩分に反応しているからです。
味噌汁も花火も窯焚きも同じ原理でちょっと面白い。
もっとも、窯の中に 塩を入れると塩素ガスが出るので、面白がってばかりでは いられませんが……
麦秋。
金色の平原となった風に揺れる麦畑。
写真の場所は、『寒風(さぶかぜ)』という場所。岡山県の南部の旧 牛窓町。
ここは、備前焼の母体となった須恵器の窯跡が多く点在しています。
時代が下がって、窯業の中心は次第に北上し、旧 長船町の須恵、やがて、備前市浦伊部、熊山へと移動していきます。
そのスタート地点がこの『寒風古窯址』。今、備前焼作家は鉄分の少ない土を求めて
寒風の土を使う事があります。長い歴史の変遷の中で、グルッと一巡りして帰ってきた感じ。
やがて琥珀色のビールへと変わる麦。
この下の粘土で作るジョッキで呑むのも何かの『えにし』か
寒風産の粘土とビール。これが本当の『大地の恵み』
歴史の流れの中で生きている実感がわきます。
5月もぼちぼち終わりに近づいてきました。
路地モノのイチゴが盛りを過ぎつつある状況です。
近所の方から 「イチゴ狩りに来ませんか」とのお誘い。
「待ってましたっ!」であるが、話を聞くと、イチゴが青いうちは、虫が食べて、赤くなると、タヌキが食べるそうな。
その間隙をぬって、コチラがいただくという手筈。
タイミングが難しいのね……。
とりあえず、今あるものをお裾分けいただいて、美味しくいただきました。
ウチの子はイチゴに関しては こだわりがあり、「軸を取って、舌の上にその面を置いて噛め、」とのたまう。
とがったほうから食べると酸味が強くなるので、それは間違った食べ方だと力説する。
まっ、そんなもんかね。
しかし、そんな事いう子は、今、幼稚園児である。
いやはや、末にはどうなりますやら。
本日、ロクロをやめて、夕刻より草刈り。
今年、初の草刈りとなった。
半年以上の空白期間があって、無事にエンジンがかかれば良いのだが…
コレがゴネた日にゃあ、分解して掃除して…と大変な事になる。
夕方に チョイチョイと草刈りなんて不可!
『 今日という日をどんよりとした気分で終えるか 』
『 充実感をもって晩酌ができるか 』 の運命の分かれ道。
いざ、勝負!
「うまく かかりますように」と内心祈りながら ヒモを引っ張る。
しばらく調子が取れなかったが、何とかゴネることなくスタート。
ちょっと嬉しい。晩酌確保。
拙宅の敷地は法面(のりめん)が約100m近い。
高低差 0から3mまで。
慣れないと 難しかったが、最近は、ちょっと楽。
一気にやってしまう。
購入した時の土地は、耕作放棄後10年以上の荒地で、一面に女竹、ススキ、セイタカアワダチソウ……と、草刈りするには、強敵ぞろい。
そこで買ったのが 大きめのエンジン排気量33ccの草刈機。コレにチョイ径が大きく、潅木OKのチップソーを付けて立ち向かった。ハイパワーなセッティングである。
標準的なエンジンは25cc。コレと33ccとでは、エンジン音がまったく違う。
元トロンボーン吹きとしては、周りの人が甲高い音でブン回している中で、自分だけが より太く低い音である事に快感をおぼえる。2サイクル単気筒エンジンのシンプルなサウンド。イケてるぜ。
それでも 時代が進むと、よりハイスペックなモノが出るのは世の常。
小生の師匠が4サイクルエンジンの35ccを購入。うらやましいが、師匠であれば詮方なしである。(音が静かで 物足りないナ……と、強がりを言ってみる)
燃費がよく、混合燃料を作らなくても良いので、楽チン。
しかし、こんな事に思いを巡らすのも田舎暮らしを始めてからのこと。
少なくとも、神戸、大阪がホームグラウンドだった頃は、草刈機なんて 見たこともなかったのだから!!
刈った草は燃やして、カミさんが肥料に使うという
『都合のいい時だけエコ』 の ロハスな気分で本日終了。
まもなく公開の映画『ダウ゛ィンチ・コード』。
世界同時公開ということで、多くがまだ謎に包まれた映画。
公開前からガイド本やら関連書やらで盛り上がっています。
思えば、コノ手の宗教がらみの本は、読む側の素養によって面白みがかなり左右されるテーマ。
『フーコーの振り子』『薔薇の名前』とベストセラーになりましたが、小生の理解では、「そのホンの入り口程度なのだ」と歯がゆい思いをしたものです。
大抵は最初の方は、わけが判らず、投げ出しそうになる自分と戦いながら、とりあえず字を拾うという感じ。それを過ぎると、一気に腑に落ちるというパターンに陥っています。
クライマックスが大きければ報われた上に、知識てんこもりで、満足もあります。
意外に、アレッ?という結末では……。まぁ、読んでいるコチラの問題でもありますか。
『ダヴィンチ・コード』は、最初っからグングンと惹きつけるエンターテイメント性が高い作。例によって、コチラはキリスト教について さほども知識がないので、「へぇ~」という程度が精一杯。
象徴、図像、記号、暗号、歴史、思想については色々と思うところ有り。
心理学を勉強していた頃の記憶がよみがえります。
そしてやはり、この手の宗教がらみの事は、物議が かもされているようですね。
メル・ギブソンの『パッション』では記憶に新しいところですが、今回の映画は、事故がありませんように……
さて備前焼における『象徴』といえば、茶道具などで、チラホラと散見します。
たたき模様、櫛目、ヘラ目etc……。要は、鑑賞のツボというか、ポイントですね。
これらが、まとまって『場の意味』を成すのが日本人の美意識。
ただ、『木を見て森を見ず』というツボに はまりやすいのも確か。
早合点には、注意、注意。
明日から、しばらく雨。
窯場の後ろが、造成の際に削った部分で、雨が降ると 山肌を伝って水があつまる。
今回の雨は長引きそうだったので、ちょっと側溝を掘りなおし。
焼物に 『緋色』を発色させる為には、窖窯(あながま)は連房式登り窯に比べて、
地面の湿気が必要です。
その為、盛土ではなく 山を削って斜面を作った次第。側溝は、地面を掘っただけで、セメントなし。
ただ、湿気が多すぎると駄目なので、その頃合いがムズカシイ。
湿気を抜く為には、透水管を通したりと色々ありますが、窯を作ってからでは、間に合わない方法もあり、何をどの程度する必要があるのか。見極めがムズカシイ。
造成後、半年ほど様子を見ていましたが、現在の感じでは、やや湿気が多いか?
「手持ちの原土との相性でいえば、大丈夫かな?」という感じがしないでもない。
窯は、一度作ると動かせないので 一種の賭けになります。
原土を買うのも賭け。築窯も賭け。
日常がギャンブルだと、わざわざパチンコも競馬も行く必要がない生活。
あまり、雨が降らない事を祈るばかりです。
伊部駅の岡山県備前陶芸美術館に行ってきました。
会場では、以前知り合った古物商の方、焼物屋の方々が大勢いらっしゃいました。
直接、手に触れることができるコーナーがあり、その時間を狙っていきました。
展示品はすべて、京都の桃山時代の発掘品です。
手に触れることができる物も同様です。
織部、黒織部、鳴海織部、黒楽、志野、瀬戸、備前、唐津……
中でも茶碗はやはり感動モノでした。黒楽の漆黒とマットな釉調の質感も印象的。
面白かったのは、灯明皿と蝙蝠(こうもり)形の蓋。
夜に使う道具のデザインが、吉祥文のコウモリとは、洒落が効いています。
作りっぱなしのままの茶入の蓋もライブ感がありました。
じっくりと撫で回して、最終的に使ってみたいと思ったは、織部の黒茶碗、志野の向付。
志野のぽってりとした白に、ほんのり桜色の『サワラの刺身』が 映えるだろうなぁ。
変形の形に小粋な絵が描かれていて、垂涎モノです。
時代を経ても ホンモノはチープにならない事を再確認しました。
小生が10代の終わりに、『四国漫遊貧乏一人旅』をしていた時のこと。
高知の通りすがりの呑み屋。
ガラス戸越しに見えるカウンターが 無垢ではないが小ぎれいで、お客さんの様子からして お高くない雰囲気のお店。なんとなく直感で 『ここにしよう』と決めた。
暖簾をくぐる。チョイ強面の大将と目が合ってしまった。ちょっとビビル。失敗か?
何をおいても 本場の『カツオのたたき』と思い、注文。
すると、大将いわく、「じゃ、準備はいいか?」
何の準備か分からないまま 雰囲気に押されて反射的に「うん」。
また、失敗か?
大将、右手に塩を相撲取りのように持って、左手にはカツオ。
やおら、カツオに塩をすり込み、店の隅でワラに火をつける。
ワラの焼ける香りが、ふわーと漂ったか、と思うと、ザーッ と火へつっこみ、冷やすことなく熱いまま、まな板の上へ。ガッツリと分厚く切る。結構、ワイルドな仕事ぶり。
新たまねぎの上にドッカリと据えて、寝かさない。
大将は、ドカっと出すと、ギロリとにらんで「さ。早よ食べっ!」
これ、『カツオのたたき』かぁ?
薬味は、タマネギ程度、ポン酢なし。カルパッチョみたいに寝かさない。叩かない。
だまされてないか? またまた失敗か?
くだんのカツオを見ると、湯気の中で、塩の粒々がキラキラと脂とコゲ目に はさまれて、溶けかかりながら光っている。
ほおばる程 でっっかい塊を急いで口に押し込む。
まだ、あたたかい……。
ワラの香りが鼻から抜け、カツオのストレートな骨太の味が……。
そこに、塩が 味の輪郭をクッキリとダイナミックにふちどる!
うまい!ウマイ!美味い!旨い!
これが、本場の『 カツオの塩たたき 』
鮮烈にして、パワフル!
粗野ではあるが、決して下品ではない。舌の上の微妙さなんて問題外。
胃の底から、ガツンと揺さぶられた衝撃のカツオ。いまだに 食べたカツオの中でザ・ベスト。
もちろん、酒がすすんだ事は言わずもがな。
高知の夜は 長かった。
お酒は ハタチになってから。です。
もうすぐ、会期が終わってしまいますが、備前の伊部駅の隣の美術館で、『つちの中の京都』という展覧会をしています。
見に行きました。
京都の市街地の工事の際に発掘調査された出土品のみの展示会です。
『 出土品 』の展示会?
土がこびりついて、小汚い破片ばっかりの展示会なんて……と、気持ちのどこかで思っていました。
エレベーターを降りて、展示室に入る まっ正面。ガンガンのスポットライトを浴び、中央の大きなガラスケースの中に、発掘品の破片がうず高く積み上がっています。
ちょっとしたオブジェのようで、破片の発色の組み合わせがキレイ。思わず、ガラスに張り付いて ピタッと かぶりつき。ほどなく、断面の土の表情を目で追っている自分に気づく。
『 焼締め屋 』の性か。
すべて、桃山時代のもので、初見のものばかり。
ザッと見渡しただけでも、期待度が にわかにグンと高まる。
展示品は破片をつなぎ合わせて、キレイに洗ってあり、鑑賞に堪えうる修復済み。
織部の緑釉が剥げているものの 伝世品と遜色なく拝見できる完成度。
備前焼に関しては、当時から やはり田舎のテイストを 求められていた事を再認識。
織部、志野に関しては、織部好みの茶碗など、さすがに桃山時代の味わい。
黒織部の茶碗が多く見られましたが、当時の趣味かと。
薄明かり茶室の中では、備前は闇に溶け込んでしまい、白黒のはっきりとした織部は、茶室の中で際立ち、アバンギャルドな精神に沿うものだったのでしょう。
食器に関しては、鉢は志野、向付は織部という具合。
いずれも現在のポーションから見ると かなり小さめ。
この頃の日本人は体格的には大きかったので、茶道での美意識の問題かと思いました。
作られた時期がはっきりとしているだけに、なかなか面白い展覧会でした。
地方の資料館などで見られる物と 似たような出土品ながら、展示の仕方、整理の仕方で見ごたえある展覧会になっていたと思います。
生き生きとした窯業地の活力 と 人の交流のダイナミックさを感じました。
土、日は 実際に触れることができるコーナーもあるので、もう一回行かないと……。価値あります。
つちの中の京都
会期/平成18年4月18日(火)~5月14日(日)
会場/岡山県備前陶芸美術館
本日より、広島で、グループ展です。
広島では初めての展覧会です。
備前焼俊英作家展 (澁田寿昭・安田龍彦・渡邊琢磨)
◆ そごう広島店 本館8階 美術画廊 ◆
5/9(火) ~ 15(月)まで、
窖窯(あながま)の先輩方とともに 、展覧いたします。
小生は、『 青備前 』を中心に展示しています。
片口、酒器、皿、などの食器、花入、水盤、手のひらサイズのちいさな花器。
食器・花器・茶器などの120余点ほどの展示となります。
ご高覧いただけましたら 幸いです。