Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

翻訳劇と生きたセリフ

2023年10月21日 06時30分00秒 | Weblog

終わりよければすべてよしAll's Well That Ends Well


 "シェイクスピア、ダークコメディ交互上演 "ということで、通し券を買ったが、先に観たのは「終わりよければすべてよし」である。
 シェイクスピアに限らず、外国の戯曲の上演には大きな難関がある。
 それは、言うまでもなく、「翻訳」の問題である。
 本公演の台本は、小田島雄志先生の翻訳に基づいている。
 今もなおシェイクスピア翻訳の第一人者であり、かなり読みやすい訳ではあるものの、40年ほど経ってみると、やはり「古い」という印象を拭えない。
 設定が「外国の時代劇」みたいなものなので、セリフが堅苦しくても多少は許されるが、口語表現としてほぼ絶対に使用されない言葉が出て来ると、いっぺんに興ざめとなってしまう。
 その例を、「終わりよければすべてよし」(白水Uブックス)の前半と後半からいくつか引用してみる。
① ラフュー「・・・医学の力で死と対抗できるものなら、永久に生きておいでになるほどの技量をおもちだったとか。」(p9)
② ラフュー「忠勤を励めば必ず最高の報いがありましょう。」(p12)
③ 王「元気でな、諸卿、・・・」(p42)
④ 貴族2「伯爵は、・・・その娘の操を奪って欲情を満たそうとしている。」(p131)
⑤ ヘレナ「あなたの方が私より先に拝謁なさるでしょうから、・・・」

 小田島先生の翻訳はだいぶんマシな方だが、それでも、会話にはほぼ100%出てこない単語がいくつも出現し、そのたびに「あー、これって、外国語を学者が訳したやつね」という印象を抱く人は多いだろう。
 私見では、
① 「技量」→「腕前」
② 「忠勤を励めば」→「まじめに働けば」
③ 「諸卿」→「皆の者」
④ 「娘の操を奪って欲情を満たそう」→「娘の処女を奪って性欲を満たそう」
⑤ 「拝謁」→「王様にお目にかかる」
といった風に、会話表現として不自然でないものに置き換える工夫が必要だと思う。
 そうすれば、「生きたセリフ」に生まれ変わると思うのである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

固定楽想・固定観念・反復強迫

2023年10月20日 06時30分00秒 | Weblog
リリ・ブーランジェ/春の朝に
(リリ・ブーランジェ生誕130年)
サン=サーンス/ヴァイオリン協奏曲第3番*
ベルリオーズ/幻想交響曲

  指揮者のクロエ・デュフレーヌはこれが日本デビューだというが、見た感じではかなり男性的で力強い指揮である(ちなみに脚を開いた姿勢でタクトを振るスタイル)。
 前半のコンチェルトでは、中野りなさんが演奏する1716年製のストラディヴァリウスが良く響いていた(2004年生まれというからまだ十代である)。
 さて、メインディッシュの「幻想交響曲」だが、公演パンフレットを見ていてちょっと驚いたことがある。
 公演パンフレットには、Webで公開されている楽曲解説(日本語部分のみ)には載っていない、Robert Markowさんによる英文の解説が搭載されているのだ。
 そこには、この曲の誕生にまつわる生々しい逸話などに続いて、モチーフとなっている”idée fixe”(固定楽想) についての解説がある。

This idée fixe (a term borrowed not from music, but from the then-new science of psychology)・・・・

とあるから、これは、当時の心理学における新しい概念:「固定観念」を借用したものらしい。
 だが、「固定楽想」である「恋人」の旋律の使い方を見ると、これはむしろ「反復強迫」の意味に近いように思える。
  つまり、かつて自分を袖にした「恋人」から受けたトラウマが、芸術家を駆動しているというわけである。
 こう解すると、芸術家が「恋人」を殺害する理由が分かるように思う。
 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サウスポー

2023年10月19日 06時30分00秒 | Weblog
ブラームスピアノ・ソナタ第1番 ハ長調 op.1
J.S.バッハ(ブラームス編)シャコンヌ BWV1004
シューベルト/リストさすらい人
水車職人と小川(歌曲集「美しき水車小屋の娘」から)
春への想い
街(歌曲集「白鳥の歌」から)
海辺で(歌曲集「白鳥の歌」から)シューベルト幻想曲 ハ長調 D760「さすらい人」
アンコール
サン=サーンス(ニーナ・シモン編):オペラ「サムソンとデリラ」から デリラのアリア「あなたの声に私の心は開く」
ストラヴィンスキー(アゴスティ編):バレエ「火の鳥」から フィナーレ
シューベルト/リスト:万霊節の日のための連祷 S.562-1
リスト:「超絶技巧練習曲集」から 第12番「雪かき」 

  私が勝手に”鼻歌派ピアニスト”(自演自賛)に分類しているカントロフの2023年日本ツアー最終日。
 目を疑ったのは、2曲目の「左手のためのシャコンヌ」で、カントロフの左手が両手に近いくらいの活躍を見せた。
 本人いわく「左利き」とのこと。
 今日は上機嫌だったようで、アンコールが4曲もあったが、圧巻は「火の鳥」フィナーレで、ピアノが猛獣のように暴れていた。
 この、「ピアノが暴れる」という現象は、ライブでしか体験出来ないものだ。
 と言いながら、やっぱりCDも買ってしまうのであった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

互酬性?

2023年10月18日 06時30分00秒 | Weblog
 (réciprocité(レシプロシテ)について) 「「互酬性」という訳語を見かけるが、安定した対価性や利益交換を想起させるのでミスリーディングである。主体間の関係に一定の安定をもたらすかのような誤解を与える。事実これを社会編成や制度の基礎と見る社会科学理論がある。しかしéchange という概念とともに、システムではなく問題状況をさしあたり指示する語である。」(p8の注8)

 レシプロシテは、主体間の関係に一定の安定をもたらすのではなく、むしろ関係を不安定にする可能性を有している。
 そのことは、例えば、次の2つの例を見ると分かる。

 「「古舘伊知郎さんが、テレビ各局のプロデューサーが銀座のクラブの請求書もジャニーズ事務所に送っていたぐらいだとぶちまけたこと。これが本当かどうか、テレビ局は調査してしかるべきなのに動きが鈍い。ジャニーズ問題の報道に躍起になっていますがブーメランにならなければいいですね」 
 銀座のクラブの請求書まではいかずとも、番組スタッフはジャニーズのライブや舞台のチケットの取りまとめ役になっていた。ファンクラブでも当たらないプラチナチケットが簡単に手に入るという便宜。テレビ局は上層部から現場スタッフまでジャニーズの蜜を享受していたのだ。

 テレビ局は、J社からいわば「口止め料」をもらっていたという見方が出来るだろう。
 裏を返せば、「口止め料」がもらえないのであれば「暴露するぞ」ということになる。
 「沈黙」と現在の「バッシング」は、レシプロシテの作用というわけである。

 「かつて、検察と政権との関係はかなり対決的だった。ロッキード事件にしても、特捜部が自民党政権の「暗部」に切り込む形の事件であった。しかし、その後、ある時期から両者が繋がり、検察が政権の意向を忖度して動くようになったようにも思える。
 前出の三井環氏によれば、検察が裏金問題を封じ込めるために、当時の自民党政権に大きな借りを作ったからだという。」(p255)

 法務・検察は、自民党の巨悪に切り込まない代わりに、自民党から「裏金問題」を表に出さないでもらっているという説である。
 これも絵に描いたようなレシプロシテの発現である。
 だが、これが双方集団に対して、J社とテレビ局がまさにそうであるような、”いつでも裏切り/裏切られる”という、不安定な状況を生み出しているのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地下適応(2)

2023年10月17日 06時30分00秒 | Weblog
 「イスラム組織ハマスが7日の大規模攻撃で狙ったのは、イスラエルだけではない。この地域では、米国がイスラエルとサウジアラビアの関係正常化を後押しするなど新たな安全保障秩序の構築に向けた動きが活発化しており、ハマスにはパレスチナ国家樹立への希望を脅かしかねないこうした動きにくさびを打ち込む狙いがあったとみられる。ハマスを支援するイランも、警戒感を強めていた。
 「一方で、サウジとイスラエルは国交正常化に近づきつつあることをそれぞれ示唆。消息筋はこれまでに、サウジ側は米国との防衛条約締結に強い決意を持っており、パレスチナ人に有利な譲歩を引き出すために正常化の合意を遅らせることはないと、ロイターに述べていた。

 ハマスの狙いが、イスラエルとサウジとの国交正常化を妨害することにある点は、衆目の一致するところだった。 
 サウジ当局もこれを理解しており、当初は「正常化の合意を遅らせることはない」と述べていたようだ。
 ところが、・・・・・・。

 「両国の交渉に詳しい情報筋によれば、「サウジアラビアは正常化をめぐる協議を中断する決定を下し、米国政府側に伝えた」という。
 「一方、サウジアラビア外務省は13日、衝突発生以降、最も強い言葉でイスラエルを非難する声明を出した。「パレスチナ人をガザから強制的に退避させるという(イスラエル側の)要請は断じて認められない。ガザで無防備な市民を標的にし続けていることを非難する」としている。

 サウジにとって「ガザからの退避強制」は看過できないことであり、このためにイスラエルとの協議を中断せざるを得ない状況となったようである。
 こうしてみると、今のところ、ハマスの狙い通りの流れとなっている。
 しかも、ハマスは、地上戦に対しても準備万端だという指摘がある。
 
 「イスラエルの安全保障関係者の1人は、ロイターに「作戦目的はハマスの軍事能力と装備一式を破壊することにあり、長い時間が必要になる」と説明。標的の大半は地下にあり、まずは地上の敵を一掃しないと地下壕にたどり着けないと付け加えた。

 ハマスは、地下適応を進めてきたらしい。
 そうすると、今後は地下での激しい戦闘も予想される。
 報復の連鎖を止めるため、日本の技術力を活かして、地中海にパレスチナ人が住むための人工島を建設出来ないものだろうか?
 犠牲になった方々に合掌。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界初

2023年10月16日 06時30分00秒 | Weblog
 「「空中結像技術(AIRR)」はVRゴーグルなしで仮想現実空間を再現する最新技術。
このAIRRや様々な最先端技術を駆使して舞台上で表現するのはSF漫画の金字塔「攻殻機動隊」。
 アニメ、小説、ハリウッド映画、ゲームなどジャンルを超えてリメイクされ続けている伝説的作品を、能という日本古来の世界観で新解釈。
 世界初とも言える技術と日本の伝統芸能の高次元なレベルでの融合。
 各分野のトップランナー達が揃い、能舞台とAIRRが生み出す唯一無二の体験を創り出す。

 世阿弥の「夢幻能」と、「空中結像技術」と呼ばれる最新技術を融合させた、新しい芸能・芸術作品。
 「攻殻機動隊」を素材にしたのは、従来の「夢幻能」が過去の人物・事象を描いていたところを転換し、あえて未来の世界を対象としたということのようである(このチョイスについて、亀井広忠さんは、「素子さんが他と融合する場面はまさに『井筒』だな」と評している。)。
 「ゆめ・まぼろし」が「空中結像」として立ち現れるのは新鮮であり、これは成功しているというほかない。
 これは「葵上」なんかピッタリじゃなかろうかと思っていたら、既に制作されていた!


 「オーロラ姫の誕生日。婚約者候補の王子たちの中にデジレの姿を見つけた姫は、森で会った時とは別人のような彼に戸惑う。カラボスに操られている王子は危険な魅力で姫を惑わし、死へ導いてしまう。やがて呪いが解け、自らの行いを悔やむ王子。姫を助ける術はあるのか、果たして……。

 世界初演の熊川版「眠れる森の美女」。
 斬新なのは、王子が姫を殺してしまう(!)ところ。
 それにしても、オーロラ姫:岩井優花さんは初々しく、かつ上手い。
 ダンス・演技・表情全てが、これまで観た中で最高という気がする。
 舞台・衣装も新しく、けばけばしさのない清潔感のある仕上げで好印象。
 これならまた観たいという気がする。
 ・・・ところで、「魔法や薬の影響で責任能力を喪失した登場人物が、悪者に操作されて殺人などの犯罪を実行する」という”間接正犯”形式のストーリーは、ワーグナーが大の得意とするところである。
 今回の「眠り」は、「熊川ディレクターの『ワーグナー化』」を示す作品と言えるのではないだろうか?
 来年辺りは、「指環」がバレエ化されているかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

師弟関係(2)

2023年10月15日 06時30分00秒 | Weblog
 「「誰が最も喜んでいると思うか」との問いには「まずは隣にいる方(杉本八段)」と顔をほころばせ、内閣総理大臣顕彰の決定には「驚きの気持ちとともに、大変光栄なことと受け止めている」と述べた。

 親よりもまず師匠を挙げたところに強い印象を受ける。
 というのも、かつてと違って、いまどきの将棋界の師弟関係は結構ドライだからである。
 ちなみに、大山十五世名人の場合、師弟関係よりも、兄弟子である升田氏との関係が決定的だったようだ。
 私の推測では、今の若い棋士にとっては、同門の兄弟子との関係よりも、研究会における先輩との関係の方が重要なのではないかと思う。

 「升田少年が大阪の木見先生に弟子入りしたのは、十五の年でした。「名人に香車を引いて勝つまでは帰りません」とお母さんの物さしの裏に書き残して家を出たそうです。それから三年おくれて、十三歳の大山少年が同じ木見門に入門した。このとき、先輩の升田が大山に試験将棋を指しましたが、三番とも升田が勝ちました。
 棋士は入門しても、先生から手をとって教えられることはなく、たがいに研究し合って強くなります。升田は新弟子の大山に毎日のように、けいこをつけましたので、大山はぐんぐん強くなりました。が、強くなると二人は昇段を争う仲となりました。兄弟弟子といっても、段が上になるためには、たがいに負けられないのです。
 升田は子どものころは剣道家になるのが志望で、将棋さしになるつもりはありませんでした。兄さんが将棋が好きで無理やり相手をさせられているうちに、いつの間にか強くなってしまったそうです。大山は近所の床屋で、おとなたちが指しているのを見て将棋をおぼえました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

面白い将棋

2023年10月14日 06時30分00秒 | Weblog
 「まずは実力をつけること。その上で面白い将棋を指したいという気持ちがあるので、そこを目指していきたいです。

 何と謙虚で、しっかりした受け答えであることか!
 「面白い将棋」という言葉で真っ先に思い浮かぶ棋士は、やはり、次々と新しい戦法を生み出した升田幸三さんである。
 個人的には、内藤國雄さんも、「どの戦法が飛び出すか分からない」ので注目していた。
 同じ「くにお」だが、米長邦雄さんの将棋も個性があって面白かった。
 内藤さんは「自在流」、米長さんは「泥沼流」と呼ばれていたのが懐かしい。
 こういう風に見てくると、「面白い」かどうかは、まずは「戦法」で決まると思う(もちろん、個々の局面における「手」も重要だが、これは二の次だろう)。
 そこで、藤井さんの戦法(2022年4~12月の先手番。後手番では戦法を選べないことが多い。)を分析してみると、22局中、角換わりが11局、相い掛かりと横歩取り(内藤さんの得意戦法)がそれぞれ4局、四間飛車(藤井さんは居飛車側)、向かい飛車(藤井さんは居飛車側)、雁木がそれぞれ1局であった。
 角換わりと横歩取りは、序盤の研究で勝敗が決まることもあり、素人から見ると難解であるし、どちらかと言えば、大半の人にとっては「面白くない」。
 対して、大駒が活躍する振り飛車系の将棋は乱戦に移行することも多く、見ていて「面白い」。
 そこで、私個人は、居飛車党だが角換わりや横歩取りを好まない棋士、あるいは振り飛車党の棋士との対局に注目することとしたい。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

刺客候補

2023年10月13日 06時30分00秒 | Weblog

 優勢に進めていた永瀬さんが終盤で間違え、大逆転負けをくらった一局。
 敗着は、123手目の5三馬(2:35付近)。
 ここで4二金としていれば、永瀬さんが勝っていた。
 第三局もそうだが、永瀬さんが研究の成果を活かして序盤で優勢を築きながら、中・終盤で間違えて、勝てる将棋を2局落としたのが痛い。
 これにより、藤井さんが前人未到の八冠を達成した。
 とはいえ、依然として永瀬さんは十分強い。
 それもそのはず、彼は、藤井さんと長年VS(1対1の研究会)を行っており、研究パートナーである(この点は余りテレビなどでは指摘されないようだ)。
 つまり、藤井さんを知り尽くした人間なのである。
 なので、今後の「刺客候補」としては、真っ先に永瀬さんを挙げるべきだろう。
 もう一人「刺客候補」を挙げるとすれば、かつての「藤井キラー」、豊島将之九段ということになるだろうか?
 藤井さんの研究に付いていけるのは、もはやこの二人くらいしかいなさそうである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

内側を削る(5)

2023年10月12日 06時30分00秒 | Weblog
 「こうした中で、世界中に分散されている生産拠点を自国内に回帰させたり、友好関係にある近隣の国に移転させたりする動きが起こっています。たとえば米国であれば、米国内及びカナダ、メキシコに生産拠点をシフトさせるような動きが見られます。
 この流れは、「Deglobalization (脱グローバル化)」と呼ばれ、実はパンでデミック以前からその兆しが見られ、研究者や実務家のあいだで注目されていました。」(P146)
 「日本の遅れは、労働供給の減少にともなう賃金調整についても懸念されるところです。米国等では賃金上昇というかたちで移行がすでに始まっているのに対して、日本ではいまのところ賃金調整は始まっていません。日本の現状からすると、人手不足で賃金が上がるのは夢物語という声も少なくありません。」(p156)

 この本を読んでいて、「賃金が上がる/上がらない」という表現に違和感を抱いた。
 正確には、「経営者が賃金を『上げない』」と表現すべきだからである。
 渡辺先生は、消費者に対して行っているアンケ―ト調査(p182~)を、どうして経営者に対して行わなかったのだろうか?
 経営者に対して、「今よりも10%需要が増えた場合、賃金は上げますか」「『上げない』と答えた方について、その理由を教えてください」などと聞いてみるとよいのではないだろうか?
 この点、木庭顕先生は、日本における「内側を削る」思考・行動は、1930年代以降の「信用崩壊」によって説明すべきものと指摘している(内側を削る(4))。
 だが、この現象は、(経済学を代表とする)実証主義の手法ではなかなか分析出来ないものだし、現に学問的に明らかにした研究は見当たらないようだ。
 だが、「賃金を上げない」人たち、つまり経営者のメンタリティを分析することによって、いくらかは実態が明らかになるかもしれない。
 その一つのヒントが、「大野耐一の鬼十訓」である。
   "君はコストだ。まずムダを削れ。それなくして能力は展開できない。"
という言葉は、「内側を削る」思考・行動の代表例である。
 そして、この路線を行く限り、「脱グローバル化」が成功に結び付くことは期待できないだろう。 
 なぜなら、この場合も国内や近隣の労働者たちを”削る”結果になるからである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする