誰でも過去の自分を振り返ることがあると思うのだが、そういう場合、過去の自分の言動が「まるで別人」であるかのように思えるときがあると思う。
私も例外ではなく、自分の変貌ぶりに愕然とすることがしばしばある。
過去のブログやメールなどを見ると、当時の出来事などについてその時点で自分が考えたり感じたりしたことが分かるのだが、例えば、以下の記事などは、とても今の自分からは出て来ないものである。
(1)更生不能な人間
「無期懲役の囚人でも「数年で仮出所できる」制度がやはりおかしいのだと思う。つい最近も、(もっともこれは窃盗程度の軽微な犯罪の事例だが)仮釈放され保護観察中に幼児を殺傷した事件(氏家被告)があり、しかも同被告は、法廷で証人に殴りかかるという前代未聞の事件すら引き起こしている。
・・・さしあたり、死刑廃止は待った方がよいのではないか? 」
・・・さしあたり、死刑廃止は待った方がよいのではないか? 」
現在の私見は、死刑は「即時廃止」というもので、その主な理由は、① 「身体刑を禁止しておきながら死刑を存置するという矛盾」 (身体刑(2))、② (次々に判明している)「誤判」による被害の防止、である。
(2)この3冊
「「日本文学文庫本ベスト3を挙げよ」と問われれば、(もちろん順位などなく)
いずれも講談社文芸文庫で、
「金色の死」(谷崎潤一郎)
「水晶幻想/禽獣」(川端康成)
「中世/剣」(三島由紀夫)
を選ぶ。」
いずれも講談社文芸文庫で、
「金色の死」(谷崎潤一郎)
「水晶幻想/禽獣」(川端康成)
「中世/剣」(三島由紀夫)
を選ぶ。」
これも今では信じられない選択で、「金色の死」は「没落現象回避型」の不健全な思考の代表例だし(25年前(10))、「抒情歌」の「日本的死生観」は日本社会の宿痾のようなものだし(カイシャ人類学(8))、「剣」に至っては「自己人身供犠」を称賛するかのような小説(不健全な自我の拡張(9))だからである。
・・・まあ、こういっておきながら、10年後には反対のことを言いだすのかもしれないが。
もっとも、自分の考えなどが変わることは、決して不合理なことではない。
何しろ、あのニーチェ先生も、若い頃はワーグナーを絶賛していたのだから。