Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

戦争映画

2006年05月28日 14時21分44秒 | Weblog
 池袋新文芸座で「史上最大の作戦」を観る。観客はまずまずの入りで、年配の方が多い。やはり第二次大戦の記憶は悪夢だろうが、その反面、懐かしいものでもあるようだ。寺山修司もいうとおり、「戦争に行った男はそのことしか語らなくなる」。バーディーが金融機関の融資担当をしていたときも、ある会社の会長が、大戦中ミャンマーを徒歩で横断したときの話を一時間ばかり聴いていたことがある。
 さて、「血のオマハ」とは、同じくノルマンディー上陸作戦を舞台にした「プライベート・ライアン」で米軍第一師団が上陸したノルマンディーのあるビーチでの惨劇をいう。この映画の最初の30分は気分が悪くなるほどリアルである。私はこの映画を立川のシネコンで観たのだが、吐き気を覚えたほどである。何しろ、ドイツ軍が上陸しようとする米軍に向かって集中砲火を食らわせる場面が大音響で響き、飛び出した内臓をつかむ米兵などのシーンが大スクリーンに映し出される。これは絶対に映画館で観るべきである。
 ・・・要するに、「史上最大の作戦」と「プライベート・ライアン」とはセットで観るべきだね。「エクソシスト」と「エミリー・ローズ」みたいに。
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弁護士過疎(その2)

2006年05月26日 19時12分25秒 | Weblog
 「一隅を照らす」・・・バーディーの大好きな言葉である。この言葉を座右の銘にしようと思ったのは、サラリーマン時代、はじめて会社を辞めようと思った際に、最初の上司が、なぜ自分がこの会社で働いているのかについて、「一隅を照らす」ためであると衷心から語ってくださったからである。
 だが、本当のところは、小学生時代に読んだ「次郎物語」の中に、(記憶は定かではないが)主人公の恋人が「自分を必要としてくれる人がいる限り、どんな田舎にでもいって、仕事をする」と言い残して主人公のもとを去るくだりがあり、そのイメージが残っているからではないかと思う。実際、次郎物語の作者下村湖人の座右の銘である「白鳥蘆花に入る」は、「本当の良い行いは、それをした人の名を残さない」という意味であり、ひいては、「無名にして地域社会の一隅を照らす人であれ」という彼の理念を映したものなのである。
 そういえば、公設事務所が人員を募集しているところは、網走をはじめ僻地がほとんどである(当然といば当然である)。東京で派手に活躍するいわゆる渉外弁護士などとは比ぶべくもない。だが、「一隅を照らす」という意味では、すばらしい仕事が待っているのではないか。
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悪魔祓い

2006年05月17日 21時35分50秒 | Weblog
 「エミリー・ローズ」・・・いわゆるエクソシストものの映画であるが、実話をもとにしているだけあって怖さ満点である。
 バーディーはサラリーマン時代、会社帰りによく映画を見に行っていた。六本木のシネ・ヴィヴァンや渋谷のユーロスペースなどが主なところだが、それと並んでよく通っていたのが池袋の文芸座(現在の新文芸座の前身)である。800円で公開から半年~1年たったハリウッド映画などが見れるというので重宝していた。木製の椅子が硬いのだが、それもいい雰囲気をかもし出していたものである。ところが、その後文芸座は経営不振のため(確かに客が多いとは言いがたかった)廃業し、再び「新文芸座」として復活する。今度はファンの支持も厚く客入りは上々のようである。
 そういえば、昔よく行っていた同じく池袋のACT2もなくなっている、それどころか、検索するとシネ・ヴィヴァンもとっくの昔になくなっていたようである。・・・あー、もう気力がなえました。「新シネ・ヴィヴァン」できないかな。
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弁護士過疎(その1)

2006年05月12日 19時32分08秒 | Weblog
 「公設事務所」・・・一般人には聞きなれない言葉であるが、ひらたく言うと、日弁連による弁護士過疎地域対策として設けられる法律事務所のことである。「公設」とあるものの、これは日弁連による資金・ノウハウの援助を受けた個人の私設法律事務所のことを指す。これは現在全国に約60箇所存在する。
 弁護士の偏在が指摘されて久しい。いまでも全登録弁護士の約半数が東京に集中している。こんな業界はさすがに異常である。医者では考えられないことではなかろうか。大企業が集中する東京がやはり需要も多いということもあるが、田舎暮らしの嫌いな弁護士が多いというのも事実のようである。
 ところが、地方での弁護士の需要は、相続・離婚やクレジット・サラ金などの分野を中心に増加傾向にある。他方、司法試験合格者数の増加もあって、大都市の弁護士需要は飽和しつつあるようである。そうすると、東京や大阪で就職できなかった(あるいは仕事が減った、開業できない)弁護士は、勢い地方に向かうことになる。そんな中で魅力的なのが、上記の「公設事務所」なのである。

                                                          (つづく)
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出世競争

2006年05月10日 19時28分01秒 | Weblog
 「出世競争」・・・バーディーとはもはや無縁の言葉だが、大半のサラリーマンにとっては決して軽く扱うことのできない言葉だろう。
 私の旧友のなかには官僚や役所への出向者が少なくないのだが、彼らの間で人事が話題にならない日はないと言ってよい。マックス・ウェーバーもいうとおり、「官僚のインセンティブは出世」なのである。ここまで極端ではなくとも、一般企業においても、自分が同期のうちでどういうポジションにあるかが気にならない人は少ないだろう。やはり低い評価を与えられることはいやなものである。
 ところが問題は、このような評価(人事考課)というものが、必ずしも公平で納得のいくものとは限らないことである。私も会社に入るまでは、社会人としての評価は、仕事が出来るかどうか、要するに実績で決まると思っていた。ところが、やがて必ずしもそうではないことに気づいた。ノルマを大幅に下回ったのに栄転する人もいれば、ちょっと目標を下回っただけで大左遷の憂き目にあう人もいる。仕事をしなくても、実力者と仲がよければ順調にのしあがっていく。・・・かつての雪印の経営陣も同じであった。役員はほとんどが社長の麻雀仲間だったらしい。
 そういえば、裁判官や検察官も、一般人にはよくわからないものの、出生競争はかなり激しいのではないかと思われる。・・・私が弁護士一筋を希望しているのも、上や横を見ることなく、まっすぐに進んでいきたいからである。だが、弁護士こそ、個今後は「市場」での更に厳しい「生存」競争に晒されるのである。見方を変えれば、裁判所や検察のように、ある程度閉鎖的な社会の内部での「出世」競争の方が、よっぽどマシなのかもしれない。
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東京への再順応

2006年05月07日 14時09分51秒 | Weblog
 和光での生活が始まり、早いもので3週間が経過。平日は池袋に出る余裕もない日々が続いている。
 バーディーは大学時代とサラリーマン時代あわせて8年間東京で生活しており、東京は第二の故郷といってよいはずなのであるが、今になって東京への再順応に困難を感じている。とにかく人が多いだけでストレスがたまるし、景色も殺風景である。地方出身で東京に出てきた人の中には、ふと、「俺(わたし))は無理してるな~」と感じて田舎に帰ってしまう人も多いらしい。私はそうではなくて、会社の都合で地方に転勤を余儀なくされたのだが、それでも、そんな人たちの気持ちがよくわかる。
 東京の弁護士も、競争が激しく転業を考えている人もいる。修習生にとっても、東京での就職は厳しいし、仮に就職できたとしても独立できるかどうかは不安である。そういえば、某予備校の名物講師:Sさんも、東京の事務所を辞めて実家のある福島に移った。
 金融機関も事情は同じ(であった)。東京での生活は魅力的だが、仕事は厳しい。むしろ、地方で実績を上げるほうが比較的容易だし、やっていて面白い。・・・私も今のところ、東京での就職はあきらめている。
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段田 男

2006年05月05日 18時26分14秒 | Weblog
 “ダンダ・ダン”---それにしても、すさまじい名前である。往年の演歌歌手かつ一発屋の名前のようなのだが、記憶の中では侍ジャイアンツの番場蛮と混同してしまった。一発屋の記憶とはこんなものか。
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幸福ってなんだっけ?

2006年05月04日 23時59分39秒 | Weblog
 「自分がもし22歳に戻れたら、何でもできる!」
これがここ3週間でバーディーが発した最大の失言である。同じクラスの修習生に22歳の若手が数名いるのだが、酒の勢いもあって、その人たちの目の前で思わず叫んだのがこのセリフである。
 そう、私は、大学時代に司法試験を受験しなかったことを今になって悔やんでいるのである。こんなに楽しい生活が待っていたとは思ってもみなかった、というのが実感である。
 今まで自分より若い人たちをみても、全くうらやましいと感じることのなかった私が、このところ毎日のようにうらやましさと自分に対するもどかしさとを感じている。迷うことなく法曹の道を歩んでいる人たちを間近にみての感想であった。
 ・・・ところが、ここで私の考えは反転する。何度も道に迷い、希望する職にも就けず、当初期待したものは何も得られなかったが、かといって、その間、私が不幸だったわけでは決してないのである。
 人生はこんなものではないか?30歳になって、若い頃に抱いていた夢をそのまま実現できた人がそんなにいるものだろうか?・・・こんな風に考えてくると、自分の人生もまんざらではなかったーーー「毎日が二度と戻らないような日々をおくってきた」のは確かだからである。
 ・・・こんなことばかり考えるのは、ちょっと疲れたからなのか。ということで寝よっと。
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