Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

誰かに似ている

2021年10月31日 06時30分17秒 | Weblog
エフゲニー・キーシン ピアノ・リサイタル

 3年ぶりの来日。
 今回のツアーは、今年7月に98歳で亡くなった彼の唯一のピアノの師:アンナ・パヴロヴナ・カントール女史に捧げられている。
 幼少時に「天才」と呼ばれたピアニストは、年を取ると平凡な演奏を行うようになることも多いが、この人は全く違う。
 最近3回の来日公演について言えば、年を重ねるごとに上手くなっている印象である。
 2018年の来日公演では、リストのコンチェルト1番をズービン・メータの指揮で演奏していたが、演奏終了直後、メータが「ブラヴォ!」と叫んでいた。
 今回のパフォーマンスはそれ以上に素晴らしく、スタンディング・オベーションがやまない。
 演奏技術だけでなく身体的にも脂の乗り切った彼の姿を見ていて、ふと、「誰かに似て来たな」と感じた。
 そう、最近の写真を見ると分かるように、(とりわけ横顔が)バッハに似てきたのである。
 「天才少年」は、50歳を迎えて、なんとバッハに変身したのだろうか?
 
 
 
 
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モニターの対象

2021年10月30日 06時30分20秒 | Weblog
担保物権法 -- 現代民法3 第4版
 「複雑難解な担保物権法を,首尾一貫した明晰な筆致で解説。制度・条文の構造および趣旨を,最新の実務もふまえて明快に解き明かす。学習から実務まで,担保物権法をまなぶすべての人へおくる,信頼の基本書。

 仕事で譲渡担保の案件を扱うため、最新の基本書を買ってみようと思って裁判所の書店で探してみたところ、学生時代・受験時代を通じて使っていた高木多喜男先生の基本書が見当たらない。
 そこで、一番新しそうだった道垣内先生の本を買ってみたところ、初っ端から気になる記述に出くわした。

一般債権者であれば、債務者の全体資産を常に監視していなければならないのに対し、担保権者は、担保財産の価額が被担保債権額を上回る限り、全体についてのモニタリングを行う必要がなく、当該担保財産についてのみ審査・管理を行えば足りる、というわけである。」
しかし、モニタリングを可能にすること、また、モニタリングを効率化することは、担保物件を通じてのみ可能なのか、という問題が出てくる。」(p5)

 私見では、この記述は余りに抽象的過ぎるし、日本の金融の実態には妥当しないように思う。
 とりわけ気になるのは、「何をモニターするのか?」という問題(モニターの対象)がスルーされているのではないかという点である。
 分かりやすい例として、ある銀行が、会社に運転資金を融資する際、社長の自宅に抵当権を設定するケースを見てみよう。
 この場合、当該担保財産=社長の自宅についてのみ審査・管理をするというのは、余りにもナンセンスである。
 銀行は、貸付時には、担保物件の査定だけではなく、会社の経営者/経営陣の人となりや行動パターン(業界用語では「仕ぶり」)、事業内容・業界事情、需要動向、収支・財政状態などを全体的に精査する(場合によっては帳簿を実際に確認する)。
 事業収益から貸付金を返済してもらおうという発想に立っているからだ。
 これに対し、最初から倒産を想定し、「担保物件の換価で全額回収出来るから大丈夫」、つまり「担保貸し」を容認するような銀行はおそらく殆どないはずだ。
 なぜなら、管理・回収業務は煩瑣な手続になりやすく、銀行がそのための人員を多く抱えることは不経済だからである(というよりは、これでOKというのなら審査業務はほぼ不要といっても過言ではない。)。
 それゆえ、多くの銀行は、「事業を首尾よく運営し、きちんと返済してくれるか」を見極めるべく、「ヒト」(経営者/経営陣)を最重視し、その次に、事業基盤(需要動向)と財政的な持久力(要は、容易に倒産しない体制)を審査ポイントにしている。
 つまり、実務において、真っ先にモニターすべきは、「ヒト」(経営者/経営陣)というのが鉄則であり、担保財産のみをモニターするというのは合理的でないのである。
 
 
 
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人間関係を読む

2021年10月29日 06時30分18秒 | Weblog
戸田恵梨香、“精神的な不調”報道のウラで親友・水川あさみとの間にできていた距離(週刊女性)
戸田恵梨香&水川あさみ…そして上野樹里 用意周到「抗議声明」で業界に風穴! 法的措置も辞さず(東スポWeb)

 2人の女優の交友関係に関する週刊誌報道について、これがおそらく名誉毀損に当たるという理由で法的措置が検討されている。
 私は、この記事を読んで、金融機関に勤めていた頃のことを思い出した。
 かつて、どの金融機関も、日常的な事務を担当しているのは一般職の女性たちだった。
 そして、女性たちの人間関係は複雑(時には怪奇)で、これを十分理解していないと、総合職の職員はとんだ失敗をやらかすことになる。
 端的に言えば、仲の悪い人どうしを組ませて仕事をしてもらうというのはタブー中のタブーであり、自らの失点、信用失墜につながる。
 業務だけではなく、例えば、会社の慰安旅行、テニスやスキーなどのスポーツ同好会の合宿の「部屋割り」を行う総合職の職員は、先輩職員から情報を収集して、仲の悪い人たちが相部屋にならないよう細心の注意を払わなければならない。
 芸能界も、「共演NG」などという言葉があるように、タレント同士の人間関係には最新の注意を払う必要がある業界なのだろうが、これを公の記事にしてしまうのはいかがなものか?
 訴訟を提起されてしまうと、週刊誌側は「公益性」などという主張が出来ず、不利な立場に陥ってしまうのではないかと思われる。
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天職ジャーナリスト?

2021年10月28日 06時30分00秒 | Weblog
徳富蘇峰 終戦後日記 『頑蘇夢物語』
 「蘇峰は日露戦争と比較し、「この戦争」には「戦争に一貫したる意思の無きこと」「全く統帥力無きこと」が明白であるとし、「我が大東亜戦争は、誰が主宰したか。それは申すまでもなく、大元帥陛下であることは多言を俟たぬ。しかも恐れながら今上陛下の御親裁と明治天皇の御親裁とは、名においては一であるが、実においては全く別物である」と痛烈に批判。そして単刀直入に「極めて端的に申し上げれば、今上陛下は戦争の上に超然としていましたことが、明治天皇の御実践遊ばされた御先例と異なりたる道を御執り遊ばされたることが、この戦争の中心点を欠いたる主なる原因であった」と結論づけたのである。昭和天皇在位中には公開を憚られた内容が、戦後60年以上を経て明らかにされ、敗戦をめぐる議論を巻き起こした注目の書を改めて世に問う。

 天狗病でも取り上げたが、戦前戦中に活躍した戦後はA級戦犯容疑者に指名された徳富蘇峰の日記。
 この人の生涯には、近代日本の悲劇が集約されていると思う。
 この人は、もともと同志社で新島襄から洗礼を受けるほどキリスト教に傾倒していたが、その後方向転換。
 欧米列強に対抗すべく、天皇をキリスト教の「神」に相当するものとして位置づけようと考え、ジャーナリスト・著述家としてこの思想を一般に流布させようとする。
 ところが、上に引用したところからも分かるように、この計画はとん挫した。
 最後は、遺言により霊南坂教会で葬儀が行われたというから、再びキリスト教に帰依したようである(加藤周一の最晩年に似ている)。
 やはり、自分が信じてもいない思想を流布させようとするのは矛盾というほかなく、彼はジャーナリストには向いていなかったということなのかもしれない。
 
 
 
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天職批評家

2021年10月27日 06時30分52秒 | Weblog
加藤周一のカトリック洗礼
 「加藤周一の書いたものからは、およそ想像もつかないことだったが、確かに洗礼を受けたと言う事実から推察するに、老境の思想の変化があったのかも知れない、と考えたりもした。
 思想的整合性の点からは、加藤は不可知論で徹底していたのではなかったか。

 「鷲巣に対してそのような自己の精神性(の不変)を説明した上で、あえて死(葬儀)への準備として「宗教」の選択を語る。
「葬儀は死んだ人のためのものではなく、生きている人のためのものである。妹たちも困るだろうから、カトリックでいい」
 カトリックの「選択」は加藤が「様々な宗教の選択肢」を考えたからではないだろう。
葬儀を営む家族(妹)を配慮した結果なのだ。


 本ブログでも頻繁に取り上げる加藤周一氏の晩年について取り上げてみた。
(私などは、親近感の余り「シューイチ」と呼んでしまいそうで危ない。)
 彼がマルキシズムにシンパシーを抱いていたことは知られており、そのことは彼が書いたものをいくつか読めばすぐ分かる。
 だが、彼は何と、死の直前にカトリックに入信して洗礼を受けていたのである。
 これについて、思想的な不整合を指摘する声はおそらく多いだろう。
 まあ、彼はマルクス主義者ではないそうなので、マルキシズムとの矛盾の点は措くとしても、不可知論とカトリシズムとはどう考えても矛盾する。
 こうしたところを見ると、やはり彼を「思想家」と呼ぶのはためらわれる。
 天職参謀の舛添氏と似ていて、「天職批評家」の人だったのかもしれない。
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国による虐待

2021年10月26日 06時30分26秒 | Weblog
ミュージカル『オリバー!』公式トレーラーが公開 特別番組&期間限定イベントも決定
 「チャールズ・ディケンズの長編小説「オリバー・ツイスト」を原作として、ライオネル・バートが生み出した名作ミュージカル『オリバー!』。トニー賞、そしてオリヴィエ賞に輝いた本作品は、その映画版がアカデミー賞最優秀作品賞を獲得した数少ないミュージカルのひとつであり、俳優たちや観客から広く支持を集めてきた傑作ミュージカルである。今回、31年ぶりに新演出版として、市村正親、武田真治、濱田めぐみ、ソニンら実力派の日本人キャストがその才能を余すところなく発揮し、上演を行っている。

(以下、若干ネタバレにご注意)
「レ・ミゼラブル」などもそうだが、原作が余りにも長大なため、ミュージカルや映画を観て「クリアーした」気分を味わおうとする人は一定数いることだろう。
 私もその一人で、たまたま友人から誘われたのでこのミュージカルを観た。
 もちろん、原作「オリバー・ツイスト」は読んでいない、というよりも、ディケンズの作品は高校時代に「二都物語」を読んだだけである。
 さて、舞台はヴィクトリア朝時代のイングランド、ある救貧院で子供たちが食事をするシーンから始まる。
 彼らはみな孤児であり、行きついた先が国の運営する救貧院だった。
 だが、当時のイギリスでは、「貧しいのは努力が足りないせいで、なまけ者だからだ」という考え方が一般的で、成長期の子供であっても、救貧院(当然、税金で運営されている)では燕麦(オートミール)のおかゆを1杯しか与えられなかった。
 当然お腹がすくわけで、オリバーは「お代わりをください」と言ったのだが、これが施設の管理人を激怒させ、なんとオリバーは3ポンドで葬儀屋に売られてしまう。
 これは、まぎれもない国(公務員)による児童虐待及び人身売買なのだが、これが罪に問われない国家・社会は恐ろしい。
 翻って我が国の現在をみるに、外国人に対して、国が似たようなことを行っているのではないかというので、近時問題となっているわけである。
 原作の小説(翻訳)は、光文社版で864ページあるようだが、仕事の一環ということで読んでみようという気になった。
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象徴を追い求めて

2021年10月25日 06時30分44秒 | Weblog
生き延びるためのラカン 第3回 「それが欲しい理由」が言える?(斎藤環)
 「他者の欲望の根源にファルスがある。
 ファルスは、他者の欲望の象徴である。
 ちなみにファルスってのは「ペニス」のことです。いやいや、今はなんだかわかんなくてもOK!ここはまあ流し読みしておいてくれればいい。
 それにしても、なんかやたら、欲望とか他者とかいう言い回しが出てくるね。で、種を明かすと、ここで言うところの「他者」っていうのが、ほぼイコール、「言葉」のことなんだ。


 最近、行きつけの飲食店の社長から面白い話を聞いた。
 社長は、都内有数のある高級住宅地で店舗を営業していたが、客単価が余りに低いので、3年ほど前に店を閉めたという。
 社長によると、この高級住宅地には、超富裕層はごく少数で、多数を占めるのは、「やっとマイホームを手に入れたものの、住宅ローンと子供を有名私立小学校に入れることでいっぱいいっぱいの人たち」なのだそうである。
 後者の場合、ディナーで来店しても、夫はビール、妻は「水」(!)を注文するのが殆どなので、利益が出ないらしい。
 しかも、パートやアルバイトをすると近所の人から「●●さんのご主人は稼ぎが良くないみたいよ」などと噂されるので、パートやアルバイトはあきらめて専業主婦をしていないといけないそうである。
 「高級住宅街に住むセレブ」「子供は有名私立校から一流企業に就職」などといった「他者の欲望の象徴(ファルス)」を追求する余り、倹約生活を余儀なくされているわけである。
 だが、倹約くらいならまだいい方で、自分や家族がセレブ生活を続けるために借金をしたり(近年の弁護士不祥事の大半はこれが原因)、ついには犯罪に走る人たち(やりかねない人たち(2))もいる。
 こういう現象をみてくると、他者の欲望あるいはその象徴を追い求める生き方に、いつかストップをかけなければいけないと思うのである。
 
 
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花の命(3)

2021年10月24日 06時30分58秒 | Weblog
振付家・指導者 牧阿佐美さん死去 87歳 日本バレエ界を先導
 「振付家、指導者として日本のバレエ界を先導し、新国立劇場の舞踊芸術監督も務めた文化功労者の牧阿佐美(まき・あさみ、本名・福田阿佐美=ふくだ・あさみ)さんが20日、大腸がんのため死去した。87歳。

 第一線で指導しておられる印象から、こんなにご高齢だったのかと驚く。
 自身のバレエ団はもとより、新国立劇場バレエ団を育て上げた最大の功労者は、この方であると言っても過言ではない。
 新国立劇場のバレエ研修所長でもあり、カリキュラムの中に茶道などを取り入れたのもこの方の意向らしい(一部には批判もあるだろうが、精神性を重視する姿勢は正しいと思う。)。
 ちなみに、牧さん改訂振付の「ライモンダ」のグラン・アダージョは、スヴェトラーナ・ザハーロワの大のお気に入りで、自分のガラ公演では毎回のように踊っているそうである(とはいえ、チケットが取れないので、私は観たことがない。)。
 「花の命」はもっと長くあって欲しいと思うのだが・・・。
 合掌。
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清貧芸術家

2021年10月23日 06時30分13秒 | Weblog
著名ピアニストを買春で摘発 「共同富裕」エンタメ界に逆風―中国
 「中国北京市の公安当局は21日、著名ピアニストの李雲迪(ユンディ・リ)容疑者(39)を買春容疑で拘束したと発表した。本人は容疑を認めているという。

 これはビックリ。
 ユンディ・リと言えば、尖閣諸島問題の直後は中国政府の指導に従って来日を中止するなど(ユンディ・リの来日リサイタル中止 中国政府の指導受け)、中国共産党に対して比較的従順な人物と思われていたので、摘発されたのは意外という気がする。
 ショパン・コンクール直後というタイミングを考えると、やはり「共同富裕」のためのみせしめという感が強い。
 今の中国では、芸術家は富裕であってはならず、「清貧」でなければならないようだ。
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業後のビールは誰と飲む?

2021年10月22日 06時30分36秒 | Weblog
見るだけで楽しく学べる「暮らし」と「文化」 ドイツのことば図鑑
 「Feierabendbier 仕事終わりの一杯
 「とはいえ、ドイツでは仕事終わりに職場の同僚と飲んで帰ることはあまり多くありません。仕事とプライベートをしっかりと分けている人が多く、残業も少ないため、仕事が終われば趣味の時間に充てたり、家族と過ごしたりするのが一般的です。」(p17)

 面白くてなかなか閉じるのが難しい本である。
 例えば、ドイツでは、Feireabendbier(ファイアーアーベントビア)、すなわち「仕事終わりのビール」を職場の同僚と共にすることはあまりないというのが興味深い。
 私見だが、これは、教育と労働法制、さらにいえばその根底にある基本法の思想が社会に根付いているためではないかと思う。
 旧西ドイツの憲法学者は、ナチス時代の反省から、「自由の敵」の発生を未然に防止するシステムの構築に意を用いた。
 ナチスの再現は何としても防がなければならないが、そのためには、「社会が国家を食い破る」メカニズムをどこかで潰しておく必要がある。
 というわけで、基本法を出発点として、学校教育においては「自己決定できる個人」を育成する仕組み、また、経済社会においては種々の労働法制等が整備された。
 後者について言うと、労働時間規制が分かりやすいが、大きな目的は「公私の分離」にあると思われる。
 要するに、会社は、構成員のプライベートな領域を侵蝕してはならないのである。
 個人が、仕事においてもプライベートにおいても一つの集団に属していると、「血と土」の思考・行動原理がその集団を汚染してしまった場合、ナチスのような「社会が国家を食い破る」現象が再発する恐れがあるためである。
 対して、日本をみると、「仕事終わりの同僚との一杯」は日常茶飯事であり、職場結婚も非常に多い(私の元勤務先では、おそらく3分の2が職場結婚であった)。
 これは、旧西ドイツの憲法学者からみると、危険な状態ということが出来るのかもしれない。
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