ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

Mario del Monacoが歌う 「今宵は山が美しい」(このブログの主題歌です)

2012年03月04日 | 歌曲

Mario del Monaco sings "Tu ca nun chiange"


わがブログ「ベッラ・カンタービレ」の主題歌です。(勝手に決めたのです)
歌うのはわがマエストロ、今は亡きマリオ・デル・モナコの若き日。

ここで久しぶりのティータイムをどうぞ。

「今宵は山が美しい」という歌いはじめです。
(日本では「泣かないお前」という題です)

 このひとつ前のエントリーで、漂泊の旅人さまの「歴史に思う」のエントリーに貼りつけたのは、コレッリの歌です。絵画を好まれ、ご自身でも絵筆をとられる漂泊の旅人さま用に、ゴッホの絵のある動画を選びました。
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「歴史問題に思う」~漂泊の旅人さまのエッセイから

2012年03月04日 | 漂泊の旅人さま

私が今のように歴史問題に興味を抱くようになったのは一人の元軍人との知己であった。

その元軍人はもちろん相当な老齢であったが気概は極めて旺盛で、いかにも軍人あがりといった風貌であった。



彼は戦時、上海だか蘇州だかの憲兵の尉官でかなりのエリートで、参謀本部の中枢にまで出入りしていたとのことだった。



それ故に知り得た情報では当時の日本軍は統制が行き届き不謹慎な兵隊は一人だにいなかったと口角泡を飛ばし熱く語ったものだった。

その彼が後年、命を賭して取り組んでいたのが「新しい歴史教科書をつくる会」だった。
正しい歴史を未来に伝えなければの使命感に燃えたのも必然だったのかもしれない。



私達が住む岡山県は昔は江田三郎や日教組の槙枝委員長などの左翼の大物の出身地だ。
最近ではそんな大物の足元にも及ばないが菅直人も岡山県の出身だ。
また、鳩山由紀夫の曾祖父岡山県出身との事…ことほと左様に左翼勢力が幅をきかす土壌、風土であった。



そんな環境のなか、老躯の彼は正しい歴史認識を広めるために心血を注いでいたのだった。



そんな彼の姿に影響されてか、私も歴史問題に触れる機会がふえ、さらに当時外国へ度々旅行に行き、外から日本をみる機会が多かった事もあって日本の近代の歴史への興味が膨らんでいった。





私の母は戦時中、代用教員をしていた。

戦後、 多くの教師がそうであったように母もまた、左翼思想にかぶれ熱烈な社会党支持者となっていた。

選挙ともなれば熱病のように運動に没頭したものだった。



私が小学生の頃のある時、選挙遊説の途中、江田三郎が我が家に立ち寄った事があった。

母はその事を大層名誉なことと思ったのだろう…後年にもしばしば、自慢気に人に話していた事をほのかに覚えている。



その様な家庭環境に育った私は当然ながら左翼主義思想に知らず知らず洗脳されていったのは無理からぬ事だった。



成長するに及んで、学生時代には当時の若者のご多分に漏れず、人気の学生運動に身を投じ一端の闘士を気取ったものだった。





そんな私が子ども時代からの呪縛から解き放たれ、現在の自由主義思想に転換できたのも、老憲兵大尉のお陰であった。





そんな彼が人生の後期、多くの時間と情熱をかけて取り組んでいた「新しい歴史教科書をつくる会」が活動を始めて今年で15周年に当たるという事だ。

憲兵大尉は今はもう他界されている。老人となってから、活動のため、パソコンを始め、パソコンを操り、南京大虐殺の話を熱く私に語りかけていただいた姿が今も瞼の裏に焼きついている。



彼や彼と同じ情熱で活動してきた愛国者の成果の15年の月日が河村市長の発言も妄言とはならない世論を作り上げてきたと言えるのではないでしょうか?!

しかし、昔日の日本人の矜持は未だ、日本人の心の中に蘇生しているとは言い切れない。

東京裁判史観やコミンテルン史観の洗脳に毒された人たちがまだ多く生き残っている。



この化石の様な人々が呪縛から解き放たれて普通の日本人になるまでにはまだまだ多くの時間が必要だ!

                      (以上、iza「漂泊の旅人」さまのブログから転載)


☆ メカ音痴の私が何を思ってか、ブログを書き始めてしばらくした時、偶然にヤフーブログの漂泊の旅人さまの以前のブログ
  を見つけ、毎日拝見していてついに、ついに震える手でコメントを書いたことを思い出す。
  時々、激しい言葉で政治への怒りを語られる時も、その怒りの大きさで、政治がどれほどとんでもないことになっているか、
  私はだんだんわかってきたのだった。
  そして漂泊の旅人さまのブログは、一日に数回書かれていて、一日も休まれなかった。
  心臓に持病があって、と以前のヤフーのブログに書かれていたことが、そのブログを閉じられた時も、ずっと気になった。
  二度と読むことはないのだろうか、と思っていたところに半年後、iza で「漂泊の旅人」としてブログを書いていると、連絡
  がコメントされていて、私は大喜びでizaの手続きをし、幼稚な内容のコメントを連発し、ご迷惑をおかけしていた。

  はやくお父さまを亡くされた漂泊の旅人さまは、お母様をよく助けられ、またご自身の健康も心筋梗塞というご病気に苦しまれながらも、その手術がいつ実施されたかもわからないほど、毎日ブログをお書きになった。
私は、「漂泊の旅人さまをお守りください」と近所の神社に参拝し、祈った。国士を必ず護って下さるという神社だから。
(もちろん、sengoku38氏こと一色さんや、「円卓」のみなさまのことも、尖閣・北方領土・竹島のことも。そしてロシアが攻めてきたら神功皇后ご自身がご出陣して頂けることも・・・本気で祈った。その時、頭の中に流れてきた「今宵は山が美しい」という曲が、このブログに何度も出てきたが、ついに「主題歌」にしてしまった・・・。
そのわけは・・・3つの鈴を鳴らした時、聴こえてきた和音がこの曲だったのだ。


今日のエントリーに漂泊の旅人さまが、今まで保守として命をかけて書いてこられた経緯がよく描かれ、感動してしまった。
お仕事で何度も海外に行かれ、特に中韓を実際にすみずみまでご覧になったことなど、普通の新聞では書かれていないことも知ることができた。 私は「東郷ターン」というのも知らなかった。それをコメントで教えて下さった・・・。
Kenさまと違い、困った音楽家の私であった。いっぱい感謝をこめて・・・ベッラより


漂泊の旅人さまから・・・・・
 
To bellaさん
南京大虐殺について、その方は終始一貫、絶対になかったと言っておられました。
なかったことを証明することは不可能に近い。
昔の記憶をたどりながら資料を収集された書斎の中でいろんな本を読ませていただいたものです。

私の虐殺なかった論はこの方の姿勢・・というか心意気からから教わったものです。


Franco CORELLI. Tu, ca nun chiagne! Ernesto de Curtis.


コメント (6)
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