教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

バケモノで幽霊で女の子

2010-03-19 00:01:14 | オタネタ全般
幽霊にまつわる作品は、ず~っと昔から常に一定数の供給がある。
それは神話の時代にまでさかのぼることのできるものだ。

これらの幽霊にまつわる作品群、実はある種の定番となるストーリー作りの手法が確立されているような気がする。
その手法を少しばかり分析してみる。



[起]
まず幽霊の女の子がでてくる。
これは実にかわいらしい。
(主役が女の場合にはその逆パターンになる)

[承]
そして何だかんだの紆余曲折を経て、二人はイチャラブまがいな関係におちいる。
幽霊だと既にバレているケースも少なからずある。

[転1]
ひょんな事件がおこる。
主人公が古めかしい何物かのアイテムを発見したとか。
新たな人物が現れて、実はそいつには霊感があるのだとか。

[転2]
それによって幽霊の女の子の正体が暴かれる。
たいていの場合にはおぞましい存在として描かれる。
ゾンビーっぽい腐った体だとか、血だらけの体だとか、そんなヤツ。

[結]
幽霊を退治する、または幽霊から逃げ延びる。
やっぱりバケモノはバケモノだよね。
命をとられる前にこっちに戻ってこれてよかったね。
めでたしめでたし。



さて。
こうやってあらすじ化したとき、これを改めて見てどう思うだろうか?

主人公は幽霊が魅力的な異性の外見をしているから好きになっただけじゃないか。
主人公は外見が醜くなったら、とたんにバケモノ扱いを始めるのか。

わたしは常にそういう疑問を抱く。
それは必ずしもわたしだけではなかろう。

最近読んだ作品の1つを挙げてみよう。
「黄昏乙女×アムネジア」の2巻とか。

話の途中までこのテンプレ的なストーリーになりかけていて、ちょっとガッカリしかけた。
しかし、そこは作者の腕の見せ所。
結果的にそうはならず、じつに巧い魅せかたに持っていった。
ガッカリしかけたのは杞憂に終わったことが嬉しかった。
これは買って損はないぞ。



この作品のテンプレ的なストーリーになりかけていた中盤のころ。
わたしは主人公を見て次のように思った。

おまえは幽霊の夕子さんを、ツラがかわいくておっぱいがデカいから好きになったのか?
違うだろ?

わたしはアイマスの千早を、ツラがかわいくておっぱいが慎ましいから好きになったのか?
もちろんそれだけではない!
(・・・いやまあ、いますぐ全否定するのは躊躇するどさ(笑))

これは別に幽霊のことに限るわけではない。

たとえば、彼氏彼女が病気や事故でツラがひどいことになったとか。
たとえば、結婚相手は10年たったらウエストが2倍になっていたとか。

自分自身が幽霊に遭遇してしかも恋仲になるなど天文学的確率でありえない。
だが、これらのことは十分ありうることなのだ。

あなたは結婚相手が10年たってウエストが2倍になったバケモノと化したら見限るのか。
そうではなかろう。
それは幽霊にしたって同じことではないのか。



わたしは思う。

幽霊の恋人がバケモノに見えたらとたんにバケモノ扱いするのはどうなのかと。
バケモノだっていいじゃないかと。

バケモノに見えた恋人に
「それでも俺はおまえが好きだ!」
と言ってやれるほどの心はないのかと。

幽霊の恋人がバケモノだと分かったら、その人とは違う苦しみを分かち合って生きようと、なぜそう言わないのかと。
自分もバケモノの道に分け入り、そして2人で苦しみを分かち合って生きようと、なぜそう言わないのかと。

「俺はおまえに食われても一向にかまわん!」
と、なぜ言えないのかと。



わたしはバケモノの夕子さんを抱きしめてやりたい。
それが好きだということだ。
それができない者は、たとえ主人公であろうとも「夕子さんは俺の嫁」と語る資格はない。

人は見た目が全てではない。
しかし幽霊問題については人は見た目が全てである。
だからこそ、わたしは安易にとってつけたように作った幽霊物語はこれっぽっちも好きになれないのだ。