教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

車は4人乗りという呪縛

2010-03-02 00:00:15 | 科学
一般的な自動車は前後に座席のある4人乗りがキホンである。

しかし、わたしはそれが気に入らない。
わたしは2人乗りか2+2人乗りの車しか買う気がしないのだ。



とりあえず注記。

知っている人にはアタリマエと思うが、4人乗りと2+2人乗りは別物である。
4人乗りとは、快適に4人が乗れる事をさす。
2+2人乗りとは、快適に乗れるのは2人までで、申しわけ程度に後部座席はついているから窮屈なのをガマンすればあと2人乗ることは不可能ではないという事をさす。
2+2人乗りとは4人乗りに近いものと思うと間違いで、キホン的には2人乗りまがいのものと思っていたほうが正しい。



わたしは一人暮らしをしている。
したがってほぼ全ての用途で1人しか乗っていない。
稀に他の人を乗せることもあるが、それでも2人がいいとこ。
4人乗せたいと思うような事は年に1回も発生しない。
だから4人乗りは激しくオーバースペックなのだ。

4人乗り云々に限らず、オーバースペックはどんなものでも他の性能を犠牲にする。
たとえば4人乗りにすることで、その分だけ全長は伸びざるを得ない。
応力がかかった時の変位が増えるので相対的に車体剛性が落ちる。
重量が増すのでエンジン出力をより要求するようになり、燃費も悪化し、コーナリング性能も悪化する。
当然コストアップの要因にもなる。

いいことは1つしかない。
居住空間がムダに広いことだけだ。

まだスポーツカーであれば話は別だ。
オーバースペックな車体性能を楽しむためにできている。
スポーツカー乗りはその楽しさを理解した上で、かつ乗用車としては過剰性能なことも理解した上で、あえてそれを買うのだ。

4人乗り云々にしてもスポーツカーだけは事情が違う。
例えばレガシーやランエボでショートホイールベースの2人乗りというコンセプトがありかというと、それは無い気がする。
コスモにしてもそうで、アメリカンフルサイズのスポーツカーを作るというコンセプトありきで、場所があまったからオマケで2+2の後部座席もつけてみたとしか思えないような設計になっている。

しかし一般の車はそうではない。
4人乗せるために4人乗りになっているからだ。



これに対する反論には定番がある。
「家族を乗せるから」

「荷物を載せるから」
だ。
これは一見もっともそうに聞こえる。

しかし!

夫婦2人だけの世帯において、2台の合計で10人も乗れるようなスペースが本当に必要なのか。
年に1回あるかどうかな頻度の荷物の積載を想定して、2台ともに荷物スペースを確保する必要があるのか。
片方はミニバンで、片方は2人乗りで、それで十分だとなぜ気付かないのか。

夫婦2人だけの世帯を考えてみよう。
相手方は既にミニバンに乗っていたとしよう。
しかしそういう場合でも、一般的には相手方は亭主の車にも荷物を載せられる車をなぜか要求する。
そして一般的にはこの要求はかなり強硬だ。
乗せるあてのない家族と載せるあてのない荷物のための準備としてそういった要求をするほうがムリがあると感じる。
実際その要求をしぶしぶのんで結婚してスポーツカーを降りたという例には事欠かない。

少なくともわたしだったら、ありうる状況を想定して持ってこいと言い、それが妥当であると判断できなければその要求は呑まない。
それでも強硬に出たら
「俺はこの車に乗るから、おまえいらない」
と言うだろう。
両者で完全に意見が一致する必要はないと思うが、相手がそう思うに足ると判断できるだけの妥当な説明もできないようでは話にならん。
そして今まで妥当な説明など1度も見たこともない。



4人乗りの車は社会全体にとってムダである。
全長が伸びるから道路でも駐車場でも場所をとる。
車重もエンジン出力も増すからエネルギーコストがかかる。
材費もその分だけよけいにかかる。
にもかかわらずほとんどの車は1人しか乗っていない。

わたしは市販の乗用車の3割くらいは2人乗りに切り替えられるはずだと思っている。
スーパーのレジ袋1枚分だけ地球環境に貢献したといって悦に浸る前に、その車でスーパーに行った時点で後部座席の空気を運ぶための燃費としてスーパーのレジ袋1枚分は軽く使ってしまっているのだ。
自己満足でエコを語るまえに、そういった根本的なところから改善したほうがいい。