教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

日本の半導体はなぜダメなのか?(中巻)

2010-03-12 00:01:02 | 経済/経済/社会
(・・・前回からのつづき)



2000年代の半ば、そしてまた新たな説が現れた。

当時アメリカでは、ITバブルをやったこともあって、かなり多くの企業が立ち上がった。
中でも急成長して今でも生き残っている、または瀕死の重傷から立ち直って高収益を上げている、そんな企業の多くには共通点があった。
自前では半導体の製造設備を持っていないことだった。
自分は設計に特化していることだった。
ファブレスの勃興である。

日本の大手メーカーはそのファブレスという商売の対極に位置していた。
自前で半導体の設計ツール群まで構築し、半導体を設計し、半導体を製造し、その半導体をのせる最終製品まで作る。
これでは自前で何でもかんでも世界トップレベルでなければ生き残れない。

対してファブレスは半導体を設計することに特化している。
欧米では設計ツールに特化した会社やファブレスが強く、そして製造特化(ファウンダリと言う)は台湾が強く、日本はどれもそこそこ止まり。
だから勝てないのだ。

・・・というのが4つめの説だ。

これを改善する手は1つしかない。
大手メーカーを解体するのだ。

例えば半導体の製造工場だけを別会社にし、半導体の設計部門だけを別会社のファブレスにし、本体は最終製品だけに注力する。
そして各々の大手メーカーから分離した製造工場を1つに統合して巨大な製造専門の会社にする。
そうすれば勝てる。

そう言われていた。
たしかにそういう話し合いは政府主導でも行われていた。
そういった想定上の会社のことを、日の丸半導体工場だとか日の丸半導体会社だとか日の丸ファウンダリだとか呼んでいた。

しかし実現の度合いは芳しくなかった。
あえて言えばエルピーダが出来たくらいのものだ。

理由はいくつもあろう。
中でも、各々が企業秘密のプロセスルールで作っているものを人のプロセスルールに合わせて作れるようにラインを改造しなおすのは無理だという事が主たる原因の1つにあるように思う。
だから、会社が合併したところで、単に財務的に合併しただけに過ぎず、製造現場では合併によるスケールメリットが出るわけでも何でもなかったのだ。

どことは言わないが某会社がその例だろう。
未だに合併前の各々のスジでやっていると聞く。
今度もう1社合流することになるが、それでもやっぱり合併前の3社各々のスジでやっていくことになるだろう。

これでは何で統合したんだと言われるのがオチではなかろうか。

あと、日本はファブレスの立ち上げも芳しくない。
ファウンダリを立ち上げるには100億円くらいあったところで話にならん。
しかしファブレスなら恐らく数億円くらいで何とかなる。
だからファブレスのほうがベンチャーに向いている。

ベンチャーに向いているとはいえ、社長個人のサイフから数億円を出すのは無理というものだ。
どっかのベンチャーに興味がある投資家から金をかき集めるしかない。
そういう文化が日本には根付いていないし、技術屋の起業精神もまた根付いていない。

日本発のファブレスで上場までこぎつけたザイン(6769)やメガチップス(6875)は実に良くやっているが、そういうものは日本では特殊事例なのだ。



2000年代の終わり頃、最近また新たな説が現れた。

その説によれば、同じ条件で同じ物を作っても日本では勝てないと説く。
なぜなら、日本の企業は品質にこだわりすぎるからだ。

例えばの話、中国製の餃子は安い。
しかし、たまにアタリを引くかもしれないという品質上の問題をかかえている。
日本製を買えば安全で高品質だが、その代わり何倍も高い。

これは何を意味するかというと、品質とコストはトレードオフにあるということだ。

日本の半導体メーカーは、高品質を要求する日本のセットメーカーに叩かれて鍛えられた。
おかげで品質は良い。
(常に非常にすばらしいとまでは言いたくないが・・・)

しかしそれは日本人の要求である。
世界の人々はそこまでの品質を要求しない。
品質は多少悪くてもいいからもっと安いものをよこせと言う。

日本は品質こそ命だと考え、それを重点的に改善してきた。
しかしその反面、品質を落として安く作るための技術は二の次にされてきた。
だから日本では売れても、世界で通用するものは作れない。

・・・というのが5つめの説だ。

この説はまだどうしろとまでは言っていない。
あえて探しても、破壊的創造を!だとか、ワールドワイド視点を!だとか、抽象的なことしか言っていない。

だから正しいかどうかの検証はこれから始まるところでしかない。
しかし今までも常にそうであったように、新たな説は常にもっともらしく聞こえるのだ。



この5つめの説について私見を語りたい。
ようやくこっからが本題である。



(次回へつづく・・・)