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感想:『新本格魔法少女りすか3』

2009年07月29日 22時04分07秒 | 本と雑誌
新本格魔法少女りすか3 (講談社ノベルス)新本格魔法少女りすか3 (講談社ノベルス)
価格:¥ 840(税込)
発売日:2007-03-23


「鍵となる存在!!」「部外者以外立入禁止!!」「夢では会わない!!」の3編所収。
水倉鍵にいいようにあしらわれる一冊。水倉鍵を立てるためと言えるかもしれないが、主人公供犠創貴が精彩を欠いてしまい、エンターテイメントとしての魅力乏しい一冊となってしまった。
もともと、りすかもツナギも駒に過ぎず、駒としての活躍の場もほとんど描かれなかった。その意味でも欲求不満の残る一冊だ。最終巻に向けて「タメ」を作っているにしてももう少しどうにかできないものか。西尾維新らしいパワーや勢いもガス欠気味に映る。最終巻は未刊行なので、出たら買うことも選択肢にあるが、この巻の出来からするとちょっと迷うところだ。


感想:『少女七竈と七人の可愛そうな大人』

2009年07月29日 21時50分42秒 | 本と雑誌
少女七竈と七人の可愛そうな大人少女七竈と七人の可愛そうな大人
価格:¥ 1,470(税込)
発売日:2006-07


桜庭一樹2冊目。

少女小説。一般誌連載作だが印象はそう。地方都市を舞台に少女の成長を描く。
地方都市であることが物語の根本に繋がっている。『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』 もまた地方都市性が散見されたが、それ以上に大きなウェイトを占めている。
その感想でも述べたように、地方都市型の物語は好きではない。というよりも、もしも日本が都会型と地方都市型に分断されるのであれば、地方都市型は理解の外にあると言えるかもしれない。別に都会で生活しているから洗練されるということもなく、多種多様なごった煮に過ぎない都会が当たり前であり、それを十分に相対化できてないせいだろう。まあ大阪を地方都市と括ることもできるかもしれないが、桜庭一樹の描く地方都市とは一線を劃しているのは間違いない。

舞台は旭川。7話(章)構成だが、それとは別に2つのエピソードが含まれる。冒頭の「辻斬りのように」は作品全体の基調として深く影響を及ぼす話であり、大きなインパクトのある話だ。こうした構成は『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』 と同様で、構成力の巧みさが感じられる。
川村優奈の女の論理は理解はできないが興味深い。終盤「五月雨のような」で彼女の心情が理解しやすい形で提示される。十の事柄を十よりも少なく描くのが文学的だとしたら、この作品はそうではない。十で描いていてエンターテイメント的と評すべきだろう。文学であることになんら価値を見出せないので、あくまで手法の問題に過ぎない。

『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』で主人公の兄の変化をファンタジーと感じたように、この作品でも桂雪風にファンタジー性を感じる。女性たちが生々しいのに対して、男性はファンタジーのように感じるのは『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』同様だ。まだ2作しか読んでいないが、桜庭一樹の欠点かもれしない。女性の描き方が上手いがゆえに男性が描かれてないように見えてしまうのだ。

作者の上手さとしてもうひとつ。淫乱を「いんらん」と平仮名表記している。作家なら当然とはいえ、表記への気配りは作品世界の空気に大きな影響を及ぼす。「いんらん」と描くことで、少女小説風の雰囲気を生み出すことに成功した。
一方、「かんばせ」という表現が多用されている。顔の意だが、浅学なのでよく知らない言葉だ。地方によって一般的なのかもしれないが、七竈と雪風が使う分には違和感がなかったが、みすずが使った時に少し不思議な感じがした。美形であるがゆえに周囲から浮いている二人がその原因である顔立ちについて指す言葉として使っているのかと思っていたから。単に旭川では一般に使われているという意図で使われているのか、作品からだけでは腑に落ちない表現だった。

直木賞受賞作『私の男』は図書館で予約中。まだ時間が掛かりそうだが、他の作品を片端から読んでいきたいと思っている。