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「砂糖」の楼閣――感想:戯言シリーズ&『ネコソギラジカル』(ネタバレ含む)

2009年07月27日 23時55分00秒 | 本と雑誌
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ネコソギラジカル (中) 赤き征裁VS.橙なる種 (講談社ノベルス)ネコソギラジカル (中) 赤き征裁VS.橙なる種 (講談社ノベルス)
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ネコソギラジカル(下)青色サヴァンと戯言遣い (講談社ノベルス)ネコソギラジカル(下)青色サヴァンと戯言遣い (講談社ノベルス)
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ハーレム系成長奇談になってしまった。
元はもちろんミステリの枠の上に描かれていた物語。枠だけ借りてという印象ではあったが、その枠を壊した先にあったのは、なんてことないハーレム系。老若男女とまでは言わないまでも、登場するキャラクターは全て主人公を向いている。
ライトノベル的というシステムの必然なのかもしれないが、ハーレム系の主人公の悩みなんて贅沢すぎてどうでもよくなる。ライトノベル的なのでハーレム系でもセクハラレベルまでのお約束。

文体・掛け合い・言葉遊びは面白い。それは繰り返し述べている。キャッチフレーズのみで成り立つキャラクターたちもまた相変わらずで、キャラクター小説でありながら、主人公と人類最強・哀川潤以外はどうでもいい存在となっている。キャラクター小説のキャラクターは記号的であるのはもちろんだが、同時にお約束の記号性を付随する必要がある。データベース的なパターンから成り立つキャラクター性がキャラクター小説の基本だが、西尾維新の場合これまで読んだ中ではそうしたパターンを踏襲したキャラクターが作られていない。
ゼロ年代的エンターテイメントにおけるデータベース上のキャラクターではなく、あくまでもオリジナルなのだが、それはキャッチフレーズ的に過ぎず、キャラクターに厚みもなければ個性も乏しい。この作品におけるキャラクターは、データベース的記号でなくキャッチフレーズ的記号。それは「萌え」を基盤としていないと言い換えられる。欠落しているとまでは言わないが、このシリーズにおいては「萌え」を狙ったキャラクターの立て方はしていない。

戯言シリーズ全9冊をおよそ半月で一気に読了させるくらいには面白い。主人公には最後まで共感できなかったが、それは大きな欠陥ではない。ミステリ上の仕掛けや伏線の張り方などは決して上手いとは言えないが、ストーリーテラーとしての力量は感じられた。
大枠としては、少年が大人になる通過儀礼。世界と折り合いを付けていくそんな展開は嫌いじゃない。いや、大好きな部類だ。
しかし。
ガキっぽさも嫌いだったが、成長しても主人公に共感できない。甘くはないが甘えている少年から甘さが増量された大人になっただけに見えてしまうからだ。

カタルシスをあえて避けたようなスタイルであり、文系的というよりも理系的なスタイルの作品。屁理屈を含む理屈がダラダラと語られる。戯言という免罪符を添えて。理系的バカマンガの系譜のような切り口は斬新だった。だが、主人公の完全な一人称で語られる物語と戯言は、共感とはほど遠いものだった。
巻を追うごとに甘さが鼻につくようになり、残虐さやあっけない人の死との乖離がそれに拍車をかけた。

無駄に死にそうになり、無駄に不幸ぶる。最後まで通して読んでも、主人公がそうする背景にたどり着けなかった。無為式と呼ばれても化物のように扱われても主人公の不幸には届かない。ただ甘えているだけにしか見えない。
そして、結末。
正直、このハッピーエンドには失望した。今回すべて図書館から借りたため、金を返せとは言えないが、読んだ時間を返せと言いたくなるほどに。せめて、最後の一行に、1巻目『クビキリサイクル』冒頭に見た夢オチくらいは入れて欲しかった。
ハッピーエンドにするには血が流れ過ぎ、人が死に過ぎた。これらをチャラにできるほど主人公が何かを成し遂げたと思えない。もちろん努力と結末を釣り合わせる必要はないが、必然が感じられないのも確か。
甘えと甘さのコンビネーションの結末がこの大甘なハッピーエンドというのでは期待を裏切られた感がある。一見甘さと無縁のような作品だし、シリーズ序盤は甘さが抑えられていただけになお更だ。

パワーと勢いは高いレベルを保ち、エンターテイメントとして良質であることは否定しない。この戯言シリーズがゼロ年代を代表するエンターテイメントであることも間違いないだろう。
それは一方で、ゼロ年代に突出した作品がないことの裏返しでもある。ゼロ年代を代表するエンターテイメントとして思い浮かぶものは、この戯言シリーズも含めて非常に小粒な印象を拭えない。
『Fate/stay night』や『涼宮ハルヒの憂鬱』などエンターテイメントとしてパワーや勢いの優れた作品は少なくない。万人受けするということ自体が不可能な時代になっているのも事実だ。だが、時代を切り開くような圧倒的な存在感を示す作品が見当たらないことに残念に思う。

ハッピーエンドというよりラッキーエンド。物語の必然がたどり着いた結末ではなく、強引に予定調和の世界を持ってきたようなものだ。破綻は内在していた。特に『クビシメロマンチスト』でいーちゃんが巫女子を殺したことは、その後の彼の全ての言葉を戯言にしてしまった。それでいて殺せないなんて虫が良すぎる。殺すななんて何様なんだ。殺された者たちの思いなんてどうでもいいが、いーちゃんに限らず殺したことへの落とし前をどうつけるか、その視点がほとんど無かったことは最後まで違和感として強く残った。
他の欠点の数々はさほど大きな問題だと思っていない。プラスで補える程度のマイナス。だが、『ネコソギラジカル(下)青色サヴァンと戯言遣い』は一冊丸々書き直して欲しいと思わせる内容だった。全てのプラスを吹き飛ばすほどのマイナス。エンターテイメントは、エンターテイメントによっては、結末なんてなくてもいいと思っているが、まさにそう思わせる一冊となってしまった。
巻を追うごとにそれが甘い砂糖でできた楼閣だと気付く。その甘さは私の趣味じゃない。