山本馬骨:たそがれジジイの呟きブログ

タイトルを変更して、これからは自分勝手なジジイの独り言を書くことにしました。

孫の朝顔

2020-07-11 03:27:34 | ジジババ世代の話

自分には、同じ屋根の下に住む二人の孫がいる。上の子は男児で小学校一年生、下の子は女児で幼稚園年中組。二人ともかわゆい。特別に可愛い~。これはもう理屈抜きだ。二人とも毎日大へん忙しそうで、一日の中で会う時間が殆どないのが残念だ。自分たちは2階に住んでいるので、階下から毎日学校や幼稚園に出かける前の大騒ぎが聞こえてくる。今のところ妹の方が何事にも優勢でありたいとチャレンジしているようで、常に兄を凌ぐ大きな声で意見を主張している。「お兄ちゃん」などという意識はないようで、ライバルとして兄の名前を呼び捨てにしている。何時になったら、この呼び捨てが変化するのか楽しみにしているのだけど、さて、その時が来るのか、それまで生きていられるのか、あまり自信はない。

兄の方は今年一年生になった。ジサマから見るとやっと小学生になってくれたという気持ちなのだ。二親とも結婚が遅かったので、子が生まれるのが遅いのは自然の摂理ではある。しかしジサマの年齢では、早や成人を迎えた孫がいるというのが普通なので、やっと小学校という思いには格別のものがある。

その一年生の孫は、何ということなのか、新型コロナ禍のとばっちりを受けて、四月はたった半日ほどの変則的な入学式を済ませた後はず~っと休みで登校なし。二ヶ月も休んだ後ようやく学校へ行けるようになった。新しい世界に飛び込むための準備や心構えをそれなりにつくって来ていただろうに、真に気の毒である。出端を挫かれるというのはまさにこのようなことをいうのであろう。

しかし、本人は至って気にもしていないようで、淡々と日々を送っていたようだ。休校の期間中の宿題なのか、学校から朝顔の種と育苗専用の鉢が配られたようで、どうやらそれを育てることになっているらしい。最初見たこともない鉢が置いてあるので、これは何なんだと思っていたら、間もなく種が芽を出しそれが朝顔なのだと知った次第。本人は時々水やりを忘れたりしているようなので、こっそり水をかけてやったりしている内に、芽を出した苗はぐんぐん伸びて、七月の初め頃の朝大輪の赤紫の花を咲かせた。

開花した時の孫の顔を見ることが出来なかったのが残念だけど、あとで訊いてみるとあまり感動しているようには見えず、少しがっかりした。淡々と育てていたら、淡々と花が咲いて、それだけのことというようなまるで悟りの心境のようだった。勿論悟りなどとは無縁で、ただあまり興味関心は持たなかったということに過ぎないのであろう。まだまだ生命(いのち)を育てることの気づきには遠い感覚のようだ。

ま、今のところはそれでよろしい。草花よりは先ずは団体社会の中での遊びと学びのあり方を知り、一人でも多くの友だちをつくるように頑張ってほしい。その後の朝顔のメンテナンスは、このジサマに任せておけ。

     

孫が育てた朝顔。今日は5輪もの花が咲いた。ジサマはしっかり見ているよ。


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