山本馬骨:たそがれジジイの呟きブログ

タイトルを変更して、これからは自分勝手なジジイの独り言を書くことにしました。

魅力度ランキングの愚

2021-10-23 09:07:55 | 宵宵妄話

  言っても仕方がないことなのだが、今年も自治体の魅力度ランキングなどというバカバカしいけど、ついつられて面白半分に覗いてしまいたくなるような調査が発表された。マスコミの類はこの種の興味本位のネタには形振り構わず世間にバラ撒くことに力を注いでいる。

今回は群馬県の知事が怒り心頭に発して裁判沙汰も辞さないと声を上げたとのニュースがあった。当然だと思った。然し最下位に戻った茨城県やその他下位が常連の知事は略無言である。あまりにバカバカしいので何を言う気にもならないのかもしれない。それを敢えてもの申した群馬県知事には、エールの拍手を送りたい。

自治体の魅力などというものは、総合評価など出来るわけがない。一応もっともらしくいくつかの項目をとりあげて、何人か多数レベルを対象にした調査手法を用いて数値化したものを、さも尤もらしくセンセーショナルに発表しているのだろうけど、これは一つの世間騙しの手法に過ぎない。

そもそも魅力などというものは、個人の好みであって、それらを総合化するなど出来るものではない。何を以て魅力とするかは、個人の考えによるものであり、その捉え方は千差万別である。少し考えれば誰だって直ぐにわかることなのだが、面白半分の好奇心が働いてつい釣り込まれてしまうのだと思う。

自治体の魅力度などではなく、単なる物見遊山の項目別人気度などというのなら、ある程度理解できるのだが、そうではなくて自治体全体の総合評価として発表しているのだから、まやかしもここまで来ると、度を越していると言わざるを得ない。

自分はくるま旅で全国各地を何度も訪れているけど、この調査の上位と発表された自治体が、それほど優れた魅力を持っているとは思えず、又下位の常連自治体が魅力がないなどとは到底思えないのである。魅力というのは、個人の目的や好みによるものであって、その明細などは本人しか解らないのである。

世の中にはこの種の調査が幾つもあって、時々話題となることがあるけど、その信憑性は疑ってかかる必要があると思う。もっとも、たいていの場合、多くの人びとは端からそんなことは信じておらず、直ぐに忘れてしまうのだと思う。退屈しのぎにちょいと覗きこんで、へえそうなの?どうでもいいけど。と思う程度なのだ。だから敢えてとやかく言うほどのことでもないのかもしれない。

自分は魅力度最下位常連の茨城県に住んでいるけど、この県で生まれ育ち、成人後は人生の半分ほどを他の自治体で暮らしたのだが、何処へ行ってもその土地にはそれなりの魅力があり、そんなものを比べて上下や優劣を云々するなど全くナンセンスだと思う。茨城県には通産40年近く住んでいるけど、少しも飽きないし、飽きたら旅に出ればいいだけの話だ。

とかく、人は何もの何ごとでも比べたがる。そこから生まれるものはロクなものではない。何かを比べて興味心を煽るような話には要注意だと思う。そんなことを改めて思った。


春が来た

2021-02-24 05:27:25 | 宵宵妄話

 

 立春→雨水と過ぎて、三寒四温も少し温の方が膨らみだしたようです。コロナの方は相変わらず感染するところでは感染し続けているようです。とにかく我が身は我自身で守るしかありません。

外出自粛の毎日ですが、それでも基礎体力を衰えさせるのは防ぐべきだと、毎日、凡そ2時間の早朝散歩だけは続けています。

歩きながら季節の景色を感じて慰められることが多いのですが、1週間ほど前からマンサクの花が咲きだしました。何とも言えない風情のある花です。そこで拙い句作二つ。

 碧空にマンサク咲いて春動く  馬骨

 マンサクの花咲きて老人の皺に春  馬骨


キジバトの都会進出に思う

2020-09-19 10:23:43 | 宵宵妄話

 この頃というか、いや30年ほど前の頃から何だか少し変だなと気づき、感じていることがあります。ヤマバト(=山鳩=キジバト)の生態が変わったという話なのです。

「山の子ども」という歌をご存知でしょうか。昭和の戦後間もない頃の小学校の唱歌の一つだったと思います。自分はその頃小学校の3、4年生くらいで、山村に住んでいたので、この唱歌に共感を覚えながら歌っていたのを思い出します。歌詞の一番は、

 「山の林で 山鳩が 山の子どもを呼んでいる

  ホ~、ホ~ グミは青いよ まだ青い まだ青い」

だったと、今でもしっかり記憶しています。

この歌を歌いながら、山鳩というのはどんな鳩なのかな?と想ったものでした。というのも確かに「デデッポ~」という鳴き声は、時々通学の途中の山林の中から聞こえて来るのですが、その姿を見たことがなかったからなのです。その後その姿を見かける機会があり、確かに浅草などのお寺の鳩とは違った奴なんだと思うようになりました。そして山鳩の正式の名はキジバトというのだと知りました。小学校の高学年になった頃の話です。

 さて、その頃は山に棲んでいて滅多に人前に姿を見せなかったキジバトたちを、この頃は人の住む町の中のどこにでも普通に見かけることが出来ます。自分の住む守谷市などでは、樹木が多い所為なのかその数は多くて、街路樹の中や電柱の電線に止まって、もの憂げにデデッポッポ~と鳴いているのを見かけない日はありません。また、散策路に降りて来て、人が通っても驚かず、逃げもせずに懸命に何かを啄んでいるのを見るのが普通となっています。

 10年ほど前のことですが、我が家の庭木(=ヤブニッケイ)に巣を作ろうとキジバトのつがいが押し掛けて来たことがあります。偶々、時あたかも鳥インフルエンザが話題となっていて、そのことを恐れた家内と倅は、絶対に巣はダメというので、追い払うのに苦労したという事件がありました。自分は雛の巣立ちまでを見るのもいいなと思っていたのですが、二人の強硬な反対で、叶わぬ夢となりました。巣作りを止めさせた後も、そのつがいは何度もやって来て、近くの電線に止まって庭木の方を恨めしそうに見ているので、何だか相当に酷いことをしてしまったなと気が滅入ったのを思い出します。

 山の中で、吞気そうに「デデッポ~」と鳴いていて、めったに人には近付かなかった筈のあのヤマバトたちが、何故、何時から、これほど人の住む混雑の街中に住まいを変更したのか、真に不思議です。もしかしたら、もう山にはヤマバトというのは棲んでいないのかも。とすれば、あの懐かしい「山の子ども」の唱歌も幻となってしまうのかと思ったりします。我が80年の人生の中では、昭和は遥か遠くに消え去ってしまった、という思いを強くするこの頃なのです。

 ところで、キジバトたちが山村や田舎ではなく、雀たちと同じように密集して人の住むエリアに進出して定着するようになったのはなぜなのか?改めて大いなる不思議です。山の環境が変わって棲みづらくなったのか。餌の確保が難しくなったのか。それとも密かに人恋しさのような習性があって、農山村に人が少なくなったので寂しくなったのか。これはキジバトたちに訊いてみなければ分かりませんが、やはり不思議です。

TVで都会に暮らすハヤブサのことが放送されているのを観たことがありますが、野鳥たちの暮らしのあり方も人間の暮らしの変化と無関係ではないのかもしれません。キジバトだけではなく、メジロなども身近に普通に見かけるようになっていますし、ムクドリなどは大都市の東京の中では、カラス以上に困りものとなっています。鳥たちの暮らしを急変させるほどに人間の暮らしが変化しているのかも知れません。

それにしても、早朝の散歩では至る所でキジバトのあのもの憂い「デデッポ~ポ~」という、いかにもその不満や悩みを訴えかけるような鳴き声を聴いていると、何だかそれが人間がつくった今の世界を、もの哀しくコメントされているような気分となります。彼らはわざわざ山から下りて来て、汚れた空気の都会の中で、何を訴えているのか。明るい気分になれないのは、やはり昭和生まれの老人の老化が進んだ証なのでしょうか。コロナ禍が収まらない中で、あれこれと不安な思いを巡らすこの頃です。


昼夜逆転のくらし

2020-05-15 22:47:20 | 宵宵妄話

 私の暮らし方といえば、現在は昼夜逆転である。昼夜逆転の暮らし方は、サラリーマン時代の後半ごろから始めた。リタイアして、くるま旅をするようになってからは、日の出と共に起き出し、日が沈めば眠りに就くという、縄文時代のようなパターンとなった。勿論形通りではなく、旅の間の起床は日の出2時間以上前となっているし、寝るのも夕食後だから、日が沈んでから2時間くらいは経っていると思う。

 サラリーマン時代は、事務作業よりも考える仕事が増え出した頃から、真夜中の方が効率が良いということに気づいた。昼間は雑用(勿論これは不可欠なのだが)が多くて、物事を深く考えにくいのである。自分はいわゆる事務屋だったので、仕事は職場だけでやるものという発想は全くなく、常時24時間で対処するものだと思っていた。思考というのは思考し続けることによって目的が達せられる、という強い信念があったからである。職場にいる時間だけ仕事のことを考え、勤務を終えたらそこで仕切りを下して、あとはプライベートの時間。それが普通なのだと思うけど、自分の場合は、帰宅しても、場を切替えても思考はついて回るのである。帰宅して夕食を済ませて寝床に入り、0時ごろに起き出してから朝まで本当の仕事に取組むという暮らしのパターンを作るまでに半年くらいかかったような気がする。慣れて来ると、丑三つ時(2時~2時半ごろ)は至福の時だということが解った。睡眠時間は4時間もあれば十分だったと思う。

 ま、リタイアしてからはくるま旅が中心の暮らしとなったのだが、旅から戻ると、いつの間にか元の昼夜逆転の暮らしに戻ってしまうのである。自分にはどうやら丑三つ時中毒症のようなものが取付いているのかもしれない。

 さて、現在の暮らしぶりといえば、コロナ禍で外出自粛の非常事態下では、旅に出かけるなどとんでもないことになっているので、とにかく家の中に籠っていなければならない。家内からあなたはマグロ人間だと揶揄されるように、自分は動くことが好きというか、日中はとにかく動きたいのである。生きている間は、動物の特権である動くという行動を存分に楽しみたいのだ。それなのに、旅はおろか日中の外出さえも自粛しなければならないというのだから、マグロ人間にとっては、真に困惑限りない厳しい現況にある。

 で、ただ今は日中の時間は朝に賭けている。動くことの全ては、早朝の歩きに集中することにしている。何故朝なのかといえば、朝の時間帯は人が少ない。三密などという空間からは遥かに遠い宇宙くらい離れている。4時半に家を出発して帰宅するのは8時少し前くらいか。たっぷり3時間は歩く。時速5kmとして15kmだが、この頃は老人並になっているから13kmくらいの歩きだろうか。勿論マスクなどはしない。折角の朝の美味しい空気を濾過するなんてとんでもないこと。前日の喧騒に染まった空気が浄化されて鎮まっている朝は、マスクなど無縁の世界なのだ。コロナ君たちが入り込む余地などないに違いない。

 家に戻ると、これで今日は終わったという気分になる。歩きの間に気づいたICレコーダーやデジカメのデータを振り返り見ながら、気が向いたらメモをしたりして、その内に眠気がやって来るので、寝床に横たわる。その後の日中では、必要最小限の買い物を思いついた時には、マスクをして出掛けて最短時間で済ませて家に戻り、あとはグータラに夜を迎える。

 自分が生き返るのは0時を過ぎてからだ。日記を書き終えてから、仕事に取り掛かる。仕事というのは、現在取り組んでいるのが、一昨年の北海道生誕150年の来し方を訪ねる旅の記録の整理である。111日で1万1千キロの旅の記録データは膨大で、2年越しの整理がまだ終わっていない。179ある市町村の殆どを巡って集めたデータは、半端ではなく、どうまとめるかを思いつくまでに2年もかかってしまった。思いついたのはつい最近なのだ。エッセーを書いてまとめることにした。テーマを拾い上げてみたら、150ほどになった。これを全部書くとなると相当に時間がかかりそうだ。生きている間に終わりそうもない。北海道にばかり係わっているわけにはゆかないという気持ちもある。この2年間で北海道のことは旅の航跡を何度もなぞって来ているので、心の中では書かなくてもいいぞと囁くものがある。それを押しのけようとしているのは、老人の頑固な見栄なのかもしれない。

 あれこれ思いを巡らしている間は、北海道の中にいるのである。つまり、今のところ自分の正気の時間は丑三つ時を中心とした夜の中にあり、この時間帯が最も充実しているのだ。気がつくと4時が過ぎており、外の明るさに気づく。そこで北海道の旅から離れることになる。

 昼夜逆転の暮らしを始めてからは体調も安定して来ているように思う。定着してしまった糖尿君との付き合いも順調だし、風邪をひいて寝込むなどということもない。体調を図るバロメーターだと思っている「快食・快眠・快便」も何の悩みもなく上手くいっている。老化の兆候は、あれこれ血液データなどで指摘されているけど、気にしないことにしている。その様なことでいちいち惑わされると余計病に近づくことになる。かといって無視したりバカにしたりはしない。何ごともほどほどに付き合えばいいと思っている。傘寿になっているのは自覚しているけど、自分がかなりの老いぼれなのだと思ったことは一度もない。死ぬまでは少年のように生きたいというのが今の願望である。これからも気ままに昼夜逆転の暮らしを続けたいと思っている。


歩く楽しみで新型コロナウイルスに対峙する

2020-04-23 02:58:56 | 宵宵妄話

 新型コロナウイルス禍で動きがとれない中、唯一の楽しみは早朝の歩きとなっている。自分の歩きは、昔は歩くのではなく走りだった。それが歩きに変わったのは40歳半ばに膝を痛めて走れなくなり、その後50歳の初め頃に糖尿病を宣告されてからは、もう走るのは諦めることにして、とにかく歩くことに努めることにした。糖尿病には運動療法が不可欠であり、これを何とか我が身に定着させようと考えたのである。

 何しろ現役時代だったから、歩く時間をつくるのが大変だった。休日の歩きだけでは不足するし、何よりも運動は毎日継続することが大事なのだ。それで、朝夕の通勤時間を歩きに使うことにした。当時川崎市の南武線、中の島駅近くに住んでいて、職場は都心や都下の小平市への通勤だったのだが、いずれの勤務先でもバスや電車の下車場所(バス停・駅)を一つ手前で降りて、そこから歩くことから始めた。その道に慣れて来ると、更にもう一つ手前で降りて歩くというふうにして、その度に家を出る時刻が早くなっていった。

 例えば、都心の大手町へ通う時は、小田急線で通っていたのだが、歩く距離が最長の頃は、毎朝代々木上原駅で下車し、そこから代々木公園を横切り、日替わりで都心を縦横に横断し、大手町の勤務先に出勤していた。毎日少しずつコースを変えて、2時間以上歩いていると、東京の街の様子が何となく見えるようになったのを覚えている。

また、小平市にある勤務先へは、最初は南武線経由で中央線の武蔵小金井駅で下車し、バスで花小金井にある事務所近くで降りて通勤していたが、やがてバスを無くして武蔵小金井駅から歩くようになり、しばらくして国分寺、西国分、府中本町駅から歩くようになり、とうとう2度ほど、川崎の住まいから20kmほど離れた事務所まで、直接歩いて行ったことがある。その時は4時間近く歩いただろうか。

 このようなことを、当時は誰にも話したことは無かった。朝からそんなに歩いたりしたら、肝心の仕事の方はどうなのか。まさか居眠りばかりしているわけにもゆくまい、と思われるのだろうが、決してそのようなことは無かった。何故なら、歩きの時間というのは存外、考える時間となるのである。仕事に関する課題の多くは、歩きの間に思いを巡らすことができ、それを日中整理すれば却って仕事が進んだのである。

 又、歩きの時間には考えるだけではなく、様々な楽しみを加えようと、いろいろなことにチャレンジした。先ずは小型高性能のラジオを購入し、それを活用することから始めた。事務所に着く頃には、今日現在の日本の動きや事件をかなり詳しくものにすることが出来たし、音楽も大いに楽しめた。ニュースは同じことを何回も繰り返すので、記憶が強まるのである。又当時流行り出したウオークマンを購入して、これは音楽ではなく各界の著名人の講演や講座などの録音テープを聴いたり、時には自分自身で作成した自分の声のテープを聴いたりして、飽きることは無かった。或いは、今でも大事な趣味の一つである野草の観察も、この時の歩きの中で道端の草の名を全部覚えてやろうと思いついたことから始まっている。

 この歩きの楽しみは無限であり、30年以上自分の暮らしの中に定着している。糖尿病を宣告されてからは、毎日どれくらい歩いたかの万歩計の記録を残すようにしており、多い年では650万歩を超えた時もあり、現在でも少ない年でも500万歩を超えている。因みに旅に出かけられなかった昨年(2019)は、約640万歩の実績だった。

万歩計にはかなりの誤差が付きまとうので、その数から測った距離はまともに信頼はできないけど、自分の実感としては毎日少なくとも平均7~8kmくらいは歩いており、これを年間で積算すると昨年の場合は、2,700km以上歩いているのではないかと思っている。記録するのは面倒に見えるけど、毎日パソコンにデータを打ち込む時に、その日の出来事を一言付け加えておけば、例えば10年前のその日に何があったかを知ることも簡単であり、自分にとっては過去を振り返る際の簡便で貴重なデータとなっている。

 さてさて、この話を好きなだけ書くことになると、とんでもないボリュームとなってしまう。今日のメインは、新型コロナウイルスへの対応策としての歩きについての話である。

 非常事態宣言が出されて、不要不急の外出は控えるようにとのことだが、自分としてはこの朝の歩きを止めることはできない。何故ならこれを止めて、家の中に籠っていれば安全かと言えば、却って危険だと思っているからなのだ。というのも、この悪意に満ちたウイルスへの対処方法の基本は、自分の身を自分で守るということであり、何よりも医療機関などを当てにしないことだと思っている。つまり、ウイルスの入り込む余地の無いような強い身体を保持続けることであり、その基盤となるのが運動なのだ。籠ってTVなどを見ながら、あれこれ勝手なコメントなどばかりしていて、身体を動かさない状態では、老人の体力は低下し、免疫機能も低下するばかりであろう。動物である人間には、動くこと、運動は生きてゆくために不可欠なのだと思う。

 とはいうものの、今のこの時期、日中に歩きを敢行するというのは無謀というものだろう。何事も過信というのは人生の大きな罠となる。人々が活動をする時間帯は避けなければならない。

ということで、今は毎朝5時少し前に家を出る。早朝に歩くのは、いつもの習慣なのだが、この時間帯は殆ど人に会うことは無く、車も殆ど走っていない。加えて、あまり車や人が通らない樹木などの多い道を選んでいるので、コロナへの感染度もほぼ0に近いのではないかと思う。時々人に遭っても、離れて挨拶を交わすくらいで、早朝に風邪気味の人がわざわざ散歩することもないだろうし、逆に元気な人でなければ散歩などしないに違いない。だから、マスクなどしなくても心配する必要はないと思っている。

 15年前に守谷市に引越してからは、歩くための基本コースとして3つを用意しているのだが、コロナ禍の前は各コースとも2時間程度の歩きで、万歩計は1万5千歩ほどだったのだが、現在はそれよりも1時間ほど増やしており、帰宅すると万歩計は2万歩前後となっている。このように変更したのは、朝の内にこれだけ歩いておけば、1日の運動量としては十分であり、それ以外は必要な買いもの等以外の外出はしないようにするためである。又、外出するときは嫌いなマスクだけど、必ず使用することにしている。マスクは在庫が無いので、家内の手づくりの物を使っているが、これはかなり高性能なのではないかと思っている。マスクは自分のためというよりも不特定多数の出会う人たちのために着けるのだと思っている。

 早朝の空気は浄化されており、実に美味い。道端には数多くの野草たちが花を咲かせ、農家や民家の庭先には様々な樹木たちが花を咲かせている。まさに百花斉放の感がある。今は、桜は終わったけれど、まだまだ春の花の最盛期なのだ。それらを見ながら歩いていると、新型コロナウイルスなどの入り込む余地などどこにもないように思えてくる。人間同士が悪魔のウイルスに踊らされて、疑心暗鬼を膨らませるばかりなのに比べて、身近な自然の生きものたちの春の謳歌は、自分の心の乱れを浄化してくれて、真にありがたい。この歩きを止めるわけにはゆかない。

 新型コロナウイルスとやらが白旗を上げるまでは、かなりの長期戦となるのだと思うけど、旅のことは諦めることにしても、これからはこの歩きを継続して、真老期に出くわしてしまった、この世の大事件の成り行きをしかと見届けることにしたい。