山本馬骨:たそがれジジイの呟きブログ

タイトルを変更して、これからは自分勝手なジジイの独り言を書くことにしました。

シティブランド ナンバーワンに住む

2017-12-26 04:59:05 | 宵宵妄話

 全国の自治体に対して、住みやすさについて幾つかの条件を設定して、それがどの程度満たされているのかを調査したデータがあり、先日今年の結果が公表された。自分が知る限りでは、この種の調査は二つあって、その一つは東洋経済オンラインが毎年行っている「住みよさランキング」であり、もう一つは日経BP社の「シティブランドランキング」である。

 これらの調査の価値がどれほどのものであるのかは知らないけど、自分が住む守谷市は、全国一の知名度の低い茨城県にあっては、このところ県内では常に第1位を維持している。東洋経済オンラインの昨年の調査結果では全国第10位にあり、かつての全国第1位には及ばないものの、茨城県内では第2位のつくば市(全国12位)をほんの少し上回っている。また、日経BPの調査では、なんと驚くことに同点で三市が1位となった中の一つに入っているのだ。これはこの町に引越して来てから13年目を迎える自分たち家族にとって、思いもかけない出来事であり、よくもまあここを選んで住んだものだと驚くばかりである。

 もう一つ驚いたのは、日経BPの調査で今回第1位になった三つの都市である、武蔵野市、大野城市と守谷市が揃ってナンバーワンとなったのだが、これら全都市がいずれも過去に自分たちが住んでいた所なのである。武蔵野市は所帯を持って住んだ最初の町であり、今でも本籍を置いている。又大野城市は福岡への転勤となった時に最初に住んだ所であり、子ども達の第二のふるさととも言える場所なのだ。期せずしてこの三場所が、揃って調査の第1位となっていることに不思議を覚えずにはいられない。

 結論的言えば、自分たちは住みやすさに恵まれた場所に住んで来たし、今もその中に居るということになるのだろう。しかし、良く考えると、このランク付けはそれらの都市の現状であって、自分たちが過去に住んでいた時の状態ではない。武蔵野市は約50年前だし、大野城市も30数年前のことであるから、その時点で調査が行われていたとしたら、同じ結果になっているとは思われない。そのようなことを思いながら、過去を思い出してみた。

 武蔵野市は今でも本籍を置いているくらいだから、思い出が深い場所だ。緑が多く、都心への交通も至便で、買い物にも楽しみの多い街だった。先日戸籍謄本のことで久しぶりに市役所を訪れたのだが、駅前付近はさすがに昔の面影は薄れていたけど、駅から市役所まで歩いて見て、全体の街の雰囲気は50年前とそれほど変わっているとは思えなかった。個別に見てみれば恐らく大きく変わっているに違いないのだろうけど、全体としての雰囲気は昔を匂わせていた。

 大野城市は大宰府政庁のあった大宰府市に近く、古代に白村江の戦いに敗れた日本国(往時は倭国)が、朝鮮の新羅と唐の連合軍の来襲に備えて造った水城の跡が残る所である。30数年前の大野城市は、福岡市の衛星都市として開発が進められていて、至る所から遺跡の破片などが出土していたのを思い出す。自分たちが住んでいたのも山林の台地を開発した場所だったが、その後開発はさらに進んで、何年か前に現地を訪ねた時は、その当時更に奥の方の山林だった場所が立派な住宅地となっていて、往時を思い出すのが難しかった。現在は、もう一通り開発が終了して、道路の整備なども終わって、落ち着いた住宅街の多い街となっているのであろう。住んでいた頃には、犬を飼い、庭で鶏も飼ったりしていて、子どもたちの遊び相手となっていたのを思い出す。まだ自然のたくさん残る街だった。今はそれが少し減ってその分暮らしの利便性が高まったということなのであろう。

 武蔵野市も大野城市も良き思い出の多い街だったし、それはこの後も変わらないのだと思う。そして、現在住んでいる守谷市は、恐らくここで人生のゴールを迎えることになる場所だと思っている。住んでいる現在、この町が全国一のシティブランドを持っているなどとは到底思えないのだが、さりとて特に不満があるわけでもない。長いこと引っ越しばかりの暮らしをしており、それがようやく終止符を打って、ここに定着して13年を経過している。所帯を持って以来一カ所にこれほど長く住んでいたことは無いので、この記録はこの後も伸び続けるのであろう。

 最早この歳になると何処に住むかなどということは考えても仕方がないことだ。世間の評価が高かろうと低かろうと、住めば都なのであり、それを味わうしかない。幸い今のところは全国有数の住みよい場所に住んでいられるのだから、文句をつけるなんて言語道断ということなのであろう。年の瀬の自治会の忘年会でいい気分で酒に酔って、その酔い心地が長く続いてくれればありがたいと思っている。


ショパンとモーツアルトが好き

2017-12-22 00:18:00 | つぶやき

 誰にでも好きな音楽というものがあるのだと思います。それがどのようなものであっても、その人の心が元気になり生きる力を強めてくれるのであれば、ジャンルなどに関係なくそれは音楽として素晴らしい恵なのだと思います。

 私の場合は、子どもの頃から様々な音楽に係わりを持った中で、今現在最も頼りにしている音楽と言えば、それはクラシックの領域であるモーツアルトとショパンの作品になると思います。歌謡曲やポピュラーや民謡などにも関心はありますが、一番の力となるのは、やはりクラシックのこの二人の音楽です。

 今これを書きながら聴いているのは、モーツアルトのフルート協奏曲ですが、モーツアルトの作品の中ではこの曲が一番好きです。一息ついて安堵感を味わいたい時には、この曲を聞くことにしています。すると心が安らぎ、何だか擦り減っていた心の部分が修復される感じがして、何とも言えない気分となります。

 ショパンの作品といえばピアノの魔術師と言われるほどにピアノの音の玉を操るメロディが素晴らしいのですが、その中で瞑想が欲しい時に聴くのがノクターンという作品です。時々目をつぶったりしながら、1時間ほどこれを聴いていると、何だか物哀しい雰囲気の中に自分の来し方の様々な出来事の情景などが浮かんできて、やがてそれが鎮まり、心が癒されるのを感じるのです。

 この二つの作品は、歳をとって来て、その数が増すにつれて益々聴く喜びを感ずるようになって来ています。モーツアルトの細く長い絹糸をあやなすような音の流れは、心のどのような繊細な箇所にも優しい癒しと元気を与えてくれますし、又ショパンの珠玉とも思われる音の玉の転がりは、来し方の心の傷を均(なら)してくれるのです。

 今年も残り少なくなりました。いろいろな出来事があり、心が乱れる時もありました。残りの時間があとどれくらい用意されているのかが少し気になる時もありますが、この二つの曲に支えられて、これからも自分の人生は何だか大丈夫のような気がしています。大丈夫というのは、まあ、うろたえないで逝けるということかもしれません。


重ね着を

2017-12-12 10:15:39 | ジジババ世代の話

 歳をとると寒さが苦手となる。今年の冬ははなり寒くなりそうだとの予報があるようだ。ラニーニャ現象というのが起こり始めているらしい。エルニーニョ現象の方は、どうなっているのかさっぱりわからない。いずれにしてもこの二つの現象が異常気象を引き起こす元凶となっているのは明らからしい。この冬に何が起こるのか判らないけど、やたらに雪などが降ったり、底冷えがきつくなったりして老人を苦しめるようなことはやめて貰いたいと願っている。

 タイトルに重ね着と書いたが、自分は着るものを何枚も重ねるのはあまり好きでない。秋が深まり寒さが近寄るのを感じ出す頃になっても、下着の上に少し厚手のシャツを1枚着るだけで、寒さを感じる時はその上にセーターを着るくらいで過ごしている。外出の際は薄いウインドブレーカーを羽織るだけで、ジャンバーなどは滅多に着ない。ズボンの下は、一年中ステテコなどで通しており、股引のようなものとは無縁である。ま、若者の中にはもっと薄着の人も多いのではないかと思う。

 ところで、何年か前に中学校の同窓会があり、鬼怒川温泉の宿で10数人が会したのだが、同室に5人ほどが一緒に寝た際に、まだ10月だというのに自分以外の殆どがラクダの股引や上着に包(くる)まっているのを見て驚いたことがある。老人になるとそれほど寒さに敏感になるのか、それとも田舎出身の生活習慣で、年寄りは温かく身を装うものと信じ込んでしまっているからなのかと、自分との落差に驚いたのだった。

 真老の世代となっても、自分のこのペースを守りたいと思っているのだが、この頃は上半身よりも下半身の方が少し頼りなくなりだしているのを実感している。下半身などというと誤解を招きそうだが、自分の言う下半身とは、膝と足裏のことである。膝は若いころ随分といじめているので、要注意なのだ。それでこの頃は膝から下を包(くる)むサポーターを常用することにしている。又足裏は全体重を支えるなどして、身体の中で最も虐げられて過ごして来た箇所なので、これを労わろうとかんがえ、靴下を2枚重ねて履くことにしている。一枚は絹入り(と書いてある)5本指の靴下、もう一枚は厚手の温かい靴下である。この二つの手当ては効果的で、今のところ毎朝の歩きも順調に楽しむことが出来ている。

 しかし、まあ、今年はも一枚着るものを増やさなければならない時が増えそうな予感がしている。無理して我慢をしていると思わぬ災厄に見舞われるかもしれない。最早そのような世代に居るのだというのを、日々思い知らされているこの頃である。

  重ね着を も一つ増やす 喜寿の秋   馬骨

 


トランプ氏の思い上がり

2017-12-10 04:25:43 | ジジババ世代の話

 私は人の思い上がりほど怖いことは無いと思っている。思い上がりとは、己の存在を履き違えた自信過剰ともいうべき振る舞いをいうのだと思う。この思い上がりは、結局は破滅や滅亡につながって行くのを歴史の数々が証明している。日本の歴史の、例えば戦国の世から安定社会への移行で見れば、織田信長→豊臣秀吉→徳川家康という三人のトップ為政者が挙げられるが、織田も豊臣もその滅亡の原因は思い上がりにあったと言えるのではないか。徳川家康という人物だけは思い上がることを抑えきったからこそ、天下を握り安定させることができたのだと思う。しかし、それも一時のことで、300年もの間に何人かの思い上がりの為政者を輩出している内に、徳川もやがては消え去ることとなったように思う。

 このような歴史に名を残した人物によらず、現世の身のまわりにも思い上がりが原因で破滅したり嫌われたりしている人物は無数に存在する。人が思い上がったために失敗する話は尽きることが無い。そう、人間というのは思い上がるという本性を持っている存在なのだ。誰でも思い上がりたいという欲望を持っている。つまり、自己顕示欲という奴だ。自己顕示というのは、自己実現という人間の持つ基本的欲求が満たされたと思い込んでいるレベルに達した時、他者に対して発揮される振る舞いの一つだと言っていい。見せつけることによって、他者を支配できると錯覚するのであろう。これは賢者の振る舞いでは断じてない。

 昔、学生時代の恩師に「人間というのは、上手くいっていると思っている時が一番危険なのだ」と教わったのを思い出す。その時は意味が良く解らなかったのだが、今にして思えば思い上がりを戒めることの大切さを教えて頂いたのだと思う。世に出て以降の我が身の振る舞いを思い起こせば、何と思い上がったことの多いことか。辛うじてそれに気づいて修正できたのは幸いだったと思う。

 この思い上がりというのは、個人レベルだけならその個人に撥ね返るだけの問題だから、それで済むのだけど、組織のトップに位置する人物の場合は、その組織全体に影響を与えるので、これは大問題である。とりわけて一国の頂点に立つ人物の場合は、その国全体、否、世界全体に影響を及ぼすことになり、これは重大である。

 今の世の中、世界を見ると為政者の中で、思い上がりという点で最も憂うべき人物が二人いる。アメリカという大国を率いるトランプ氏とその大国に核をもって噛みついている北朝鮮の金氏である。この二人の確執は世界を破滅させるほど恐ろしい。二人の内どちらがより恐ろしいかといえば、トランプ氏の方であろう。この人物に日本国の為政者は言いなりべったりの状態なのだから、これもまた恐ろしいこと限りない。

 トランプ氏の意思決定は奇行と言っていいレベルのように思う。アメリカファーストということばの中身も知らずに、これに釣られてこのような人物を選んだアメリカ国民は、この奇行にいつまで耐えられるのか。今回のエルサレム問題は、中東のカオス状況に新たな火種をわざわざ持ちこんだのである。背景にアメリカ事情があったとしても、世界中を惑乱させるという振る舞いは、思い上がり以外の何ものでもない。テロは許さないなどと言いながら、新たなテロの増幅を図っているとしか思えない。

 このあと一体どのような世の中が到来するのか。科学文明の超スピードの発達と、それを破滅的行為にしか使おうとしない人間が増殖する中で、人類はどこへ何を目指して生きて行くのだろうか。人類全体が思い上がってしまっているというのであれば、人類に未来は無いのではないか。老人の嘆きはゴマメの歯ぎしりよりも無力ということなのであろう。


師走となった

2017-12-03 09:42:24 | つぶやき

 長いことブログの投稿を中断させてしまった。先月の頭から先週の日曜までの3週間ほど、車での旅に出ていたのである。北陸から日本海側の道を通って、出雲大社まで行き、米子の知人夫妻にあって旧交を温め、そのあと山陽側の倉敷在住の知人夫妻にお会いして一緒にウォーキングや吉備路探訪に係わる墳丘墓についての講演を聞いて学ぶなどの時間を過ごし、その後はくるま旅の大先輩の知人ご夫妻を播磨自然高原の別荘にお訪ねして、大自然の中での晩秋の一日を十二分に堪能するご歓待を頂戴し、そのあと大阪を走りぬけて和歌山の有田から奈良県北部の古い歴史の残るエリアを通って伊勢に抜け、最後は伊勢神宮に参拝して家に戻るという行程だった。戻って後片付けにドタバタしている内に早や師走となった次第。

 師走というのは、不断落ち着き払っている先生でさえも走りまわるというほどの心落ち着かない、一年の区切りとしての年末を迎える月だということだけど、今は昔と違って、先生は年がら年じゅうPTAや悪ガキ達にいじめられ続けて大忙しだし、12月はクリスマスセールなどの外来イベントが飽きもせずに喧騒を繰り返しているだけの、上っ面の忙しさばかりで、じっくりと今年を振り返り、来る年への思いを強めるといった時間を忘れているのが世の実態のように思える。これは老人特有の僻んだ感慨なのかもしれない。

 この月の15日が来ると、自分は確実に一つ歳をとって真老(75~85歳)が深まることになる。今回の旅では真老を卒業して、深老の域に入られている大先輩にお会いしたのだが、その生き方において学ぶことが多かった。自分は老計や死計というのは、日々を活き活きと心豊かに生きるということにあると考えているのだが、大先輩はそのことを如実に実践されておられるのである。考えているだけで、実行・実践の足りない自分に比して、大先輩の暮らしぶりは大自然の中であるがままに大自然を楽しみ、知恵を絞りながら住まいを改善し、多くの知人との輪を広げられている。

 伺った話の中で、「自分はもう死を恐れなくなった。一日一日を精いっぱい楽しみながら過ごすことが何よりも大事だと考えている」という感慨を述べられたことばが印象に残る。死にまとわりつかれ、それを必死に振り解こうと病に囚われ、囚われ続ける人の何と多いことか。それに比べて大先輩の生きざまの見事さは、何度かの大病や事故による大怪我を克服された後の現在の生き方そのものであり、死を恐れないということばには、生きることの価値を知った人の万感の重さが秘められているように感じた。

 今自分も又人生の師走という時期に来ている感じがする。大先輩の生き方に倣い、目指して、これから先の人生を心豊かに生きて行きたいと思っている。