山本馬骨:たそがれジジイの呟きブログ

タイトルを変更して、これからは自分勝手なジジイの独り言を書くことにしました。

桜咲きそして散る

2020-03-31 05:02:51 | つぶやき

 この頃の桜は開花が早い。例年の町内会の花見の集いは4月の第1日曜日が恒例だったのだが、ここ数年この時期には花は終わって、葉桜にも届かない半端な状態での花見となっていた。これじゃあ、このイベントの時期を見直さなければならない、と話題となっていたのだが、今年は新型コロナウイルスとやらとの、とんでもない侵略者との全面戦争が始まって、花見どころの騒ぎではなくなってしまった。

 今日のニュースでは、お笑いタレントの志村けん氏がこのコロナウイルスにやられて亡くなられたという。70歳と言えば、自分などより一世代若い人なのに、よほどに芸熱心で心身の疲れが溜まっているところを悪魔の菌に侵入されてしまったのであろう。東村山に何年間か住んだことのある自分には、何となく親近感を覚える人物ではあった。ご冥福を祈るばかりである。

 今年の桜は、ことのほか早く咲き始めた。まだ3月が終わらないのに、昨日は何と雪が降り注いで、満開の桜は一挙に花を散らせてしまっている。人間たちの惹き起す騒動の犠牲になっているかのようだ。見残しの後悔いがないようにと、市内の数カ所の花のある場所を毎早朝に歩き回って、それなりにその風情を味わって来たのだが、今年は何だか物悲しい気分になってしまう花見だった。 

 この歳になって、桜を見ながらしみじみと思うのは、良寛さまのあの句である。

「散る桜、残るさくらも散るさくら」

生あるものはいつか必ずこの世から消え去る運命にあるということを、この句は優しく、しかも鋭く教えてくれている。そしてそれ故に生きていること、咲いている時間こそが大事なのだということをも語っているかのようだ。齢八十の真老ともなると、残るさくらの心境がぐっと身にこたえて迫って来る。

 もう既に何人かの知人が散って行った。今のところ、自分は残っている花びらの一つに過ぎないのだけど、散るまでの間はしゃんとした花びらでありたいと、それでも思っているところである

これは日本花の会結城農場(茨城県結城市)にある360数品種の一つ、ここで創り出された[舞姫」という名の新しいさくらの花。散るにはまだまだたっぷりの時間があるようだ。