山本馬骨:たそがれジジイの呟きブログ

タイトルを変更して、これからは自分勝手なジジイの独り言を書くことにしました。

天命に従う

2019-11-10 03:15:18 | 宵宵妄話

ここ十年ほど、毎年健康診断でPSAの検査をして貰っているのだが、年々その数値が上昇して、今年はとうとう10.3となった。この数値は癌となる確率が60%を超えているという。昨年は念のため生体検査をして貰ったのだが、結果は異状なしとのことだった。今年は診断の前にMRIによる造形剤を入れての検査を受けたのだが、結果は癌の影は見出せなかったという。再度生検をしますかという医師の話には即座に「ノ―」と返答した。1日半入院のあの検査はもうコリゴリである。なにしろ下半身の部位を扱われるので何が何だか判らず、退院してみればしばらくは血の小便が続いて、何とも不愉快極まりない検査なのである。この経験から、次に入院するのは癌が見つかったときにそれを取り除いて貰う時だと決めている。

自分の親兄弟で、癌になったという話はまだ聞いていない。両親は既に他界しているけど、二人とも癌との係わりはなかった。弟や妹からの話も聞いていない。してみると、もし近々癌が見つかったとしたら、我が家系では自分が先駆者となるのであろうか。長男であり間もなく傘寿を迎える歳回りだから、先鞭をつけるのも、ま、いいか、などと思っている。  

癌については、もう何人もの哀しい顛末を見て来ている。もし自分がその立場になったらどうするかを考えたことも何度もあった。しかし、幸いなことに今までそれに近づくような健康上の問題は起こらなかった。それがここ数年でどうやらそれらしき病魔が近づいているようである。不気味といえば不気味だが、この頃は居直るかの様にいざという時の覚悟が固まって来ている。

医療の進歩は、かなりのスピードで人命を救ってくれているようで、最近は癌といってもいきなり絶望感を抱くようなことは少なくなった。仮にステージ4と宣告されても、直ぐにあの世に行くということではなくなっているようだ。ま、例外はどこにでもあるから、安易な安堵感は役には立たないのだと思うけど、簡単には死なないのだと思うと、少しホッとする部分はあるのだと思う。

まだもう少しこの世でやり残していることがある。どんなに長い時間生きたとしても、完ぺきにやり終えるなどという人生はあり得ないだろうから、ま、今すぐあの世に旅立っても、あと10年生きていても、それほど大きな差はないのかもしれない。それなのにもう少し生きていたいと願うのは、人間の欲というものなのであろう。この欲がある間は、やり残しというのは問題なのだと思う。自分にはまだこの欲が残っていると思っている。

しかし、欲を張ることはほどほどにしたいと思っている。人生というのは有限であり、いつかどこかで終りがやって来るものだ。だから、それがやって来た時には、素直に認めなければならない。どんなに欲を張ってもそれに逆らうことはできない。それは天の定めたものなのである。天命には素直に従うしかない。

この頃は人生の終わりのことを考えるようになった。80歳を一区切りとして、24時間の人生時計を動かして来たつもりでいる。人生80年の1年は、時計表示では18分となる。18分を80回繰り返して80年となるのだ。この時計では、自分の人生はあと20分足らずで24時のゴールを迎えることになる。しかし、未だ少しは生きて行けるような気がする。そこから先は余慶の時間だと思っている。この余慶の時間を迎えたなら、その先は欲を張らないで小欲を満たしつつ天命に従うしかない。それは最早自分の中では不動の覚悟となりつつある。