山本馬骨:たそがれジジイの呟きブログ

タイトルを変更して、これからは自分勝手なジジイの独り言を書くことにしました。

たそがれを引き留める

2021-09-19 04:15:23 | ジジババ世代の話

 最近思うことがある。このブログのタイトルに「たそがれ」とジジイを形容したのだが、よく考えてみれば、傘寿の自分は、もうとっくに「たそがれ」を過ぎていて、もはや「くらやみ」の中にいるのではないか? そう思うようになった。

 しかし、「くらやみジジイ」では、何も見えないことになってしまって具合が悪い。何故なら、暗闇というのはこの世ではなくあの世のことになってしまうからだ。だけど、現実にはこの身はまだ生きているのだから、ブログのタイトルを変更するわけにもゆかない。それで、いろいろ考えた結果、生きている間は、しばらく「たそがれ」を引き留め、その中で過ごすことにした。従って、このブログのタイトルも変更せずそのまま用いることにしたい。そう決めた。

 とかく、老人はヒマなのだ。ヒマというのは要するに何もやることがないということである。なので、時々このような埒もないことに気づくのである。ところで、たそがれを引き留めるというのは、どういうことなのだろうか。勿論、大自然の万世の動きを止めることなどできる筈がない。一日の動き、朝→昼→夜の変化は、物理的に、人間のどんな力をもってしても変えることも止めることも不可能だ。

 だけど、その変化の中で生きている人間は、心の中でそれが可能なのだ。たそがれを引き留めておくことなど、それほど難しいことではないように思う。要するに健康を保持し生きていればそれが可能なのだ。生きていても、健康でなければたそがれはたちまち暗闇に変わる。老人というのは、人生の中ではそのようなポジションに居る。だから、たそがれを引き留めるキーは健康の保持にかかっている。

 このようなことに気づき、思ったのは、傘寿になる直前にガンという病に取りつかれたからである。自分も人並みにガンになるのだなと思った。幸い(?)部位は前立腺ということで、今の世ではそれほど深刻に考えることもないようなのだが、これが何かのきっかけでどのように暴れ出すかは、誰にも解らない。油断禁物、病は決して軽視はできない。何といっても自分は今、糖尿君と仲良くしながら、たそがれの中にいるのである。

 それで思ったのは、たそがれを、取り敢えず卒寿まで引き延ばそうということ。つまり、目前のこの病を克服し、何とか健康年齢を保って、90歳までは生きてみようということ。只今その病の治療に取り掛かっているのだが、これを克服できたその後をどう生きて行くか、そのための健康保持に何をどうするのか、只今思案中である。

 老人はヒマなので思案の時間はたっぷりある。問題は、思案し尽くしても、その後行動に結びつくか。何しろ健康というのは、実践行動があって初めて実現可能なのだから、このことは胆に命じておく必要がある。ということで、まずはたそがれを引き留めるなどという大言壮語を放っておくことにした次第。


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