山本馬骨:たそがれジジイの呟きブログ

タイトルを変更して、これからは自分勝手なジジイの独り言を書くことにしました。

たそがれジジイの情熱

2019-04-15 04:39:53 | 宵宵妄話

 この歳になってもはや情熱を燃やすことなどあるまいと思っていたのだが、今はまんざらそうでもなさそうだという気分になっている。2月の終り頃、突然4月からの自治会会長とやらを引き受けさせられた。自分が残っている僅かな情熱を燃やすために向かうのは、くるま旅とその紀行の記録をエッセーとして残すことくらいしかないと思っていたのだが、嫌々ながら引受けたこの仕事が存外面白い。どうしてなのか我ながら不思議に思うのだが、その原因の一つが、前任の方たちがあまりにも見事にその仕事をおざなりにしていてくれたというのがあるようだ。それともう一つは現役時代の仕事が、この地域社会のコミュニティづくりにも多少応用できるかもしれないという面白さに気づいたことがあるような気がする。つまり、ほぼ無為とも思われる自治会の役員の仕事を知って、怒りを覚えるほどに叩き直してみようという気持ちとその実現のために現役時代の知識や手法がもう一度試せるかもしれないという楽しみとが妙にバランスがとれて自分の中に広がったからなのである。

 初めに地域社会だのコミュニティだのというものがとどのつまり何なのかを徹底的に考えてみた。コミュニティというのは元のコンセプトはコモン(=共通・共有)という意味なのだろうから、これはコミュニケーションという人間の優れた能力をベースにした地域社会のあり方そのものを意味するのではないか。つまり、簡単に言えば、その地域に住む人たちが刻み積み上げて来た歴史そのものを言うのではないか。そう思った。

 我が自治会は誕生してからまだ30年も経っていない僅かな歴史しかない。しかも、この頃になってほぼ空き地が埋まり出したという新興住宅地であるから、入居者の時期も区々であり、その歴史も浅くバラバラなのである。手っ取り早くいえば、まだコミュニティなどと言えるレベルに達していない状態なのだ。別の言い方をすれば、これから本物のコミュニティというのをつくってゆくという位置に就いたばかりなのである。

 そのように考えると、一体どうすればいいのか。あれこれと考えてみた。この時気づいたのがコモン(=common)というキーワードである。そうなのだ、自治会活動の中でコモンの部分をどんどん増やしてゆけばいいのだ。その核となるのは恐らく「情報」ということになるのだと思う。今の世はこの情報という奴が過多になり過ぎて乱れ溢れているので、これをどう整理して地域社会のコモンとしてゆくかは難しい。何しろ情報といえば直ぐにプライバシーなどという、やや歪んだ個人主義の蔓延した世の中なので、その選択が難しい。絆だの助け合いだのと言いながら、一方で他人に干渉されたくない係わりたくないという人種も増えているので、どうバランスをとって進めて行くか難しい。そしてそこが面白い。

 難しいことは簡単なことから始めて行くしかない。とにかく先ずは自治会役員サイドが持っている情報を会員の皆さんに知らせるのを徹底することにした。自治会に入っているのだが、一体会長やその他の役員の人たちはどんな仕事をどのようにやっているのかさっぱり分からないというのが、今までの現状なのである。いずれは誰でも役員の仕事が順巡りで回って来るのだが、自分のように1ヶ月ほどの直前になってなどということになったら、この自治会の殆どの人が戸惑い、迷惑感を覚えるに違いない。だから、これは必要最小限の情報として伝えなければならない。そう考えたのである。

 で、その伝え方だが、今の世ならばSNS等を用いれば手っとり早いのだろうけど、ネットなどの扱いには無縁の高齢者等もおられるので、この方法は今のレベルでは難しい。そうすると紙の活用しかない。先ずは今までも細々と発行されていた会報を活用することにした。今まで年に10回程度の発行だったものを、月2回に増やし、更に今までは回覧だったものを全会員に配付することにした。これにより年24回の発行となり、今までよりは関心が高まるに違いない。それにもう一つ掲示板を活用することにした。先ずはこのような古くからの常套的なツールを徹底的に活用することが肝要と考えた。これに費やす老人のエネルギーはかなり厳しいものとなるのかもしれないけど、慣れれば何とかなるだろうと思っている。

 しかし、紙の文化に飽き出している今の世の中では、果たしてこれらを読んで貰えるのか、見て貰えるのか定かではない。全く読まずにゴミ箱にポイ!という人もいるのかもしれない。仮に半数の人がそのような無関心だったとしても、継続は力と信じて続けることにしている。一人でも関心を持つ人が増えてくれれば、それでいいのだと思うしかない。

 そのようなありふれたツールの他に、先ずは自分自身がこの自治会の実際の姿を確認することが必要不可欠と考え、毎朝、時には夕刻、町内を見て回ることにした。一回りすると約3,000歩となり30分弱の時間となる。自分は毎日1万5千歩ほど歩いているので、その内の2割ほどを町内パトロールに振り向けるだけである。毎日ゴミ置き場や照明や各家々の有り様を見ていると、自然と町内の様子が分かるようになり、これがなかなか面白い。これを1年続けたら、恐らく町内の隅々まで何かが浮かび上がり見えてくるような気がして、面白いのだ。気づいたことを伝えることで、会員の一人にでも共感を覚えてもらえたらそれだけでもやりがいがあるというものだ。

要するに自治会の会長などというものは、市の行政当局との折衝という名の使い走りであり、町内の全世帯の小間使いのようなものなのだ。それに徹すればいいだけの話なのである。今までは名誉会長のつもりで、何の責任も感じないで過ごされた方もおられたようなのだが、自分は先ずは使い走りと小間使い役に徹することを心に決めて、この1年間を楽しもうと思っている。くるま旅をしばらく休むのは残念だけど、楽しみが増えるのであれば、我慢も仕方がない。そう思っているこの頃である。