山本馬骨:たそがれジジイの呟きブログ

タイトルを変更して、これからは自分勝手なジジイの独り言を書くことにしました。

キジバトの都会進出に思う

2020-09-19 10:23:43 | 宵宵妄話

 この頃というか、いや30年ほど前の頃から何だか少し変だなと気づき、感じていることがあります。ヤマバト(=山鳩=キジバト)の生態が変わったという話なのです。

「山の子ども」という歌をご存知でしょうか。昭和の戦後間もない頃の小学校の唱歌の一つだったと思います。自分はその頃小学校の3、4年生くらいで、山村に住んでいたので、この唱歌に共感を覚えながら歌っていたのを思い出します。歌詞の一番は、

 「山の林で 山鳩が 山の子どもを呼んでいる

  ホ~、ホ~ グミは青いよ まだ青い まだ青い」

だったと、今でもしっかり記憶しています。

この歌を歌いながら、山鳩というのはどんな鳩なのかな?と想ったものでした。というのも確かに「デデッポ~」という鳴き声は、時々通学の途中の山林の中から聞こえて来るのですが、その姿を見たことがなかったからなのです。その後その姿を見かける機会があり、確かに浅草などのお寺の鳩とは違った奴なんだと思うようになりました。そして山鳩の正式の名はキジバトというのだと知りました。小学校の高学年になった頃の話です。

 さて、その頃は山に棲んでいて滅多に人前に姿を見せなかったキジバトたちを、この頃は人の住む町の中のどこにでも普通に見かけることが出来ます。自分の住む守谷市などでは、樹木が多い所為なのかその数は多くて、街路樹の中や電柱の電線に止まって、もの憂げにデデッポッポ~と鳴いているのを見かけない日はありません。また、散策路に降りて来て、人が通っても驚かず、逃げもせずに懸命に何かを啄んでいるのを見るのが普通となっています。

 10年ほど前のことですが、我が家の庭木(=ヤブニッケイ)に巣を作ろうとキジバトのつがいが押し掛けて来たことがあります。偶々、時あたかも鳥インフルエンザが話題となっていて、そのことを恐れた家内と倅は、絶対に巣はダメというので、追い払うのに苦労したという事件がありました。自分は雛の巣立ちまでを見るのもいいなと思っていたのですが、二人の強硬な反対で、叶わぬ夢となりました。巣作りを止めさせた後も、そのつがいは何度もやって来て、近くの電線に止まって庭木の方を恨めしそうに見ているので、何だか相当に酷いことをしてしまったなと気が滅入ったのを思い出します。

 山の中で、吞気そうに「デデッポ~」と鳴いていて、めったに人には近付かなかった筈のあのヤマバトたちが、何故、何時から、これほど人の住む混雑の街中に住まいを変更したのか、真に不思議です。もしかしたら、もう山にはヤマバトというのは棲んでいないのかも。とすれば、あの懐かしい「山の子ども」の唱歌も幻となってしまうのかと思ったりします。我が80年の人生の中では、昭和は遥か遠くに消え去ってしまった、という思いを強くするこの頃なのです。

 ところで、キジバトたちが山村や田舎ではなく、雀たちと同じように密集して人の住むエリアに進出して定着するようになったのはなぜなのか?改めて大いなる不思議です。山の環境が変わって棲みづらくなったのか。餌の確保が難しくなったのか。それとも密かに人恋しさのような習性があって、農山村に人が少なくなったので寂しくなったのか。これはキジバトたちに訊いてみなければ分かりませんが、やはり不思議です。

TVで都会に暮らすハヤブサのことが放送されているのを観たことがありますが、野鳥たちの暮らしのあり方も人間の暮らしの変化と無関係ではないのかもしれません。キジバトだけではなく、メジロなども身近に普通に見かけるようになっていますし、ムクドリなどは大都市の東京の中では、カラス以上に困りものとなっています。鳥たちの暮らしを急変させるほどに人間の暮らしが変化しているのかも知れません。

それにしても、早朝の散歩では至る所でキジバトのあのもの憂い「デデッポ~ポ~」という、いかにもその不満や悩みを訴えかけるような鳴き声を聴いていると、何だかそれが人間がつくった今の世界を、もの哀しくコメントされているような気分となります。彼らはわざわざ山から下りて来て、汚れた空気の都会の中で、何を訴えているのか。明るい気分になれないのは、やはり昭和生まれの老人の老化が進んだ証なのでしょうか。コロナ禍が収まらない中で、あれこれと不安な思いを巡らすこの頃です。


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