外苑茶房

神宮外苑エリアの空気を共有し、早稲田スポーツを勝手に応援するブログです。

1982年秋の優勝

2010-05-26 17:55:01 | 大学野球
スーパーコンピュータ開発に絡む省益を求める文科省の官僚、そこに群がる文教族の政治家とスパコン関連業界という利権のトライアングルを「スパコン族」と呼ぶそうです。

ジャーナリストの上杉隆さんが、スパコン族に絡む騒動について、鋭い指摘をされています。
記事へのリンク

昨年11月、ノーベル賞受賞者による事業仕分け批判について、何とも言えない胡散臭さを感じた私は、その事をブログに書きました。
過去記事へのリンク

今回の上杉さんの記事を読んで、我が意を得たりというか、やはりそうだったかという印象です。
スパコン族は、科学者の仮面で公平性を装うので、本当に姑息でタチの悪い集団だと思いますね。

さて、今年の早稲田は、なかなか点の取れない試合が続くも、投手の踏ん張りによって接戦を勝ち抜いて、いよいよ早慶決戦に臨もうとしています。

これまでの戦いぶりが1982年秋に優勝した時のチームに似ているという声を耳にしましたので、その年の早稲田を振り返ってみたいと思います。

確かに1982年の早稲田は、左腕の木暮投手(桐生。冒頭の写真)と岩下(早実)の左右エースを軸とする、粘り強い好チームでした。

1木暮(桐生)、岩下(早実)、足立(松商学園)
2佐藤(早実)、泉(前橋工業)
3木村(天理)、横山(静岡)
4安部(小倉)
5山川(高松商業)、荒木(早実)
6広岡(姫路東)
7山岡靖(早実)
8湯川(宇治)、阿久根(早実)
9鈴木(静岡)、八染(桐生)、野呂(早実)
新人監督:山内政治(彦根東)

東大に連勝してスタートした早稲田。
次の立教戦は、左腕・野口(米子東)にやられて一回戦を落としてしまうも二回戦・三回戦を連勝、続く明治戦も初戦を落とすもルーキー山川のサヨナラ適時打などで二回戦から連勝し、いよいよ法政戦となりました。

しかし法政は、その年の春のリーグ戦と大学選手権で優勝したばかり。
「プロ入りするかって?当然でしょ」みたいな不敵な雰囲気を漂わせる選手がゴロゴロしているチームで、正直なところ、早稲田が勝てると思っているファンはいなかったと思います。

1田中富(南宇和)、和田(日大藤沢)、樽井(浜松商業)
2木戸(PL学園)
3小早川(PL学園)
4山中(中京)
5銚子(市立銚子)
6神長(作新学院)
7西田(PL学園)
8伊吹(高知)、田辺(法政二)
9手嶋(報徳学園)

しかし早稲田は、一回戦に木暮と田中富、二回戦も岩下と和田のエース対決を二連勝して、優勝をかけた早慶戦になりました。
(写真は、勝利を決めた瞬間の岩下投手のガッツポーズ)


早慶戦では、一回戦を阿久根外野手(早実)の逆転タイムリーで先勝して、この時点でリーグ優勝が決定。
当時の慶応の布陣です
1荻田(一関一高)、志村(岡崎)
2斎藤(秋田)、寺尾(野沢北)
3仲澤(桐蔭学園)
4茂木(栃木)
5礒部(浦和)
6上田(八幡浜)
7五反(創価)
8三木(土佐)
9佐藤(中津北)


続く二回戦は内野守備の乱れから逆転負けを喫したものの、打撃戦となった三回戦では、広岡・山岡・荒木の1イニング3本塁打などによって11対8で慶応を下し、勝ち点5の完全優勝を達成しました。

優勝パレードへの参加者は1万人を超えたと報じられました。
不正入試問題で傷ついた早稲田の誇りを、見事に取り戻してくれる優勝であったといえるでしょう。

写真は広岡達朗さんの甥っ子、広岡資生遊撃手(姫路東)。
見事に首位打者を獲得しました。


こうやってみると、1982年の早稲田は、プロ入りするようなスター選手は誰一人いなかったにも関わらず、各自が役割を果たして激戦を勝ち抜いた立派なチームだったなあと、改めて感じました。

また、左右エースが大車輪の活躍、劣勢を跳ね返しての逆転勝ちの連続、新人・山川と足立がラッキーボーイ的存在となる活躍等々、勝利の要素が揃っていましたね。

今季の早稲田は、1982年よりも役者が揃っているのですから、もっとやれるはずです。

1982年度の先輩たちをお手本にして、斎藤主将ら四年生投手三人衆の大車輪の活躍、劣勢となった場合でも食らいつく打線の粘り、そして下級生たちの溌剌としたプレーを期待いたします。
また、核弾頭・渡辺くんには、ぜひ首位打者を獲得してもらいましょう。
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2 Comments

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野球は9回二死から (早稲田スポーツファン)
2010-05-27 07:14:42
1982年秋の優勝シーンは9回二死から生まれました
2-4とリードを許し9回早稲田の攻撃
慶應の投手は志村
二死後荒木、佐藤が四球を選び木暮の代打に阿久根を起用した
阿久根は不調のため先発を外れていた
慶應は投手を志村から鴛海に交代
阿久根はセンターオーバーの二塁打を放ち二者を迎え入れ3-4と逆転した
9回裏の慶應の攻撃を杉山-岩下のリレーでかわし勝利し7シーズンぶりの優勝をした
返信する
野球は9回二死から(訂正) (早稲田スポーツファン)
2010-05-27 13:33:35
得点経過に誤りがありましたので訂正します
正しくは

8回終了時
W2-3K
阿久根のタイムリーで
  w4-3K
でした 
返信する

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