ふみさんの日々雑感

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植朗子著「鬼滅の刃夜話」を読んで

2022-02-10 13:10:26 | 映画・ドラマ・小説・マンガ

本屋さんで、「鬼滅の刃夜話」を見て買ってきた。

作者が植朗子さんなので、期待を持って読んだ

鬼滅隊や鬼たち一人一人を掘り下げて書かれている。

夢中でストーリーを追うだけのように読み進めた私には、読み落としていた所も記憶に残っていない所もある。

あらためて、そうかそうだったのかと思い出し、そのたびにマンガ本を手に取った。

読みながら、テレビで流れたアニメや、劇場版のアニメのシーンが、鮮やかに蘇る。

まだアニメにはなっていなくても、自分の頭の中では、私なりのアニメが流れている。

作者が書いていたが、全てに矛盾が感じられず、最初にあれッと思った事象も、後でちゃんと回収されている、と。

そして読み終わって、まるで実際にあった歴史の解説本を読んでいるように感じた。

NHKの戦国時代や江戸時代、平家や源氏物語の、それぞれに出て来る人物たちの、その人物像や生い立ちや生き様などの諸々の解説本を読んでいるようだった。

23巻の漫画本を、これだけ読み込んで書いた植さんに感動するとともに、もう一度読み返してみようかなと思った。

遊郭編の最終話が、この日曜日に放送される。

第10話「絶対諦めない」は、凄かった。

もう、息するのも忘れるくらいに。終わった後、心臓がドキドキしていた。

娘が、録画をご飯食べながら見たので、娘が寝てから電気を消してもう一度観た、と言っていた。

私も、電気を消してもう一度、観た。娘の家のように大きな画面だったらもっと迫力があっただろうなと、想いながら。

今、思い出してもドキドキする。

また、初期の頃、このマンガが批判されていた事があったと、初めて知った。

年端もいかない子供たちが、あまりにもたくさん亡くなっているからだ。そして、それを特攻隊の美化のように受け止める人もいたのだと。何でそういうふうに結び付けるのか理解できない。

これは少年マンガである。大人のマンガではないのだから、少年少女たちが主人公になるのは当たり前だし、そういうマンガはいっぱいある。

今と違って、平均寿命の短かった昔は、貧しい家の子は14,5才なら、立派に働いていた。炭治郎だって一家の大黒柱として炭を売っていたではないか。

戦後、貧しかったあの頃、私が小学生だったころ、朝、新聞配達をしてから学校に来ていた男の子もいた。

こういう物語は、彼ら彼女らが若いからこそ、観ている読んでいるこっちも感動し涙するのだ。

テレビアニメの遊郭編を非難する人達がいた。子供に見せるのかと。

これは大人のマンガではなく、少年マンガなのに。

私は遊郭編に感動している。早く次が見たい。でも、終わってしまうのが寂しい。

いつか、遊郭編を編集して劇場で上映してほしい。あの大きなスクリーンで素晴らしい音響の元で観たい。

そして、最初のアニメから、劇場編で、遊郭編で、全てを通して、歌が素晴らしい。

10話のエンディングの、まるで劇場アニメの終わりのような、絵と音楽に心が震えた。

鱗滝は、戦いに苦しむ竈門兄弟を心の中でずっと励まし続けた。負けるな炭治郎、負けるな禰豆子、絶対に負けるな、と。

「勝て」、ではなく「負けるな」と。

普通は絶対に勝てと言うけど、負けるなという鱗滝さん。

勝て、勝つだとピリオドを思うが、負けるなというと、何か未来があるような気がする。

励まし方でも、言葉ひとつで随分違うんだなと思った。

植さんが、炭治郎を含めて、異能の持ち主と書いているが、私には、これだけの物語を紡いだ吾峠呼世晴先生の方が、異能の持ち主に思える。

今度は、じっくりともう一度、鬼滅のマンガを読んでみようかなと思う。

 

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北京オリンピック開会式

2022-02-05 13:00:30 | Weblog

北京オリンピックの開会式を見た。

夏の北京オリンピックの開会式が、余りにも 〝ザ・中国” ”素晴らしい歴史もある、そして今の中国の技術はどうだ” と、突っ込み所ありの退屈な開会式だったので、凄く興味もって見た。

半年前の東京オリンピックの開会式が、あまりにも酷かったので比べてみたいと。

一言で言えば、中国色のあまり感じられない、素敵な冬のオリンピック開会式だった。日本の方が中途半端な日本色だった。

そして、子供たちは未来、世界は子どもたちが中心、と思える演出に思えた。

よちよち歩きの幼児たちが、氷の上でスケート靴を履き、あるいは雪の上で小さなスキーやスノーボードに乗り、立っては転び、足を出しては尻もちをつき、そのモコモコに着ぶくれてぬいぐるみのような姿が可愛い。

最初に出て来た真っ赤なモコモコの小さな女の子が、小さなスノーボードに乗っただけで転び、その傍でワンちゃんが心配そうに見ている絵が晴天のゲレンデで愛らしい。

そして、子供たちは成長し、だんだん、少しずついろいろな競技が出来るようになって行く。

最後にあの赤い服の女の子が、何日後か分からないが、小さなスノーボードに横向きに乗りちゃんと滑ってる。ワンちゃんが追いかけて行く。

50人くらい?の少年少女たちがギリシャ語で歌うシーンで、皆で歌いながら一斉に右に左に揺れるシーンで、前列の男の子が一人、真っすぐに前を向いて歌っている。あらあら、大丈夫? 可愛いけど、後でしかられなければいいがと。

映像が美しかった。

今の中国の現実とは真逆の風景映像かもしれないが、せめてオリンピックの時だけは、歌われた「イマジン」の世界のように、と思う。

日本だって、これぐらいのシンプルで分かりやすくて、素晴らしいクオリティの開会式を演出出来ただろうにと、凄く残念に思った。

そして、開会式のクライマックスの聖火は、ビックリした。こういう聖火もあるのかと、感激した。

中国に対しては、いろいろあるが、純粋にこの開会式を称えたいと思う。これぞ冬の開会式と思った。

そして、中国映画は見た事ないが、このチャン監督の映画を観てみたいと思った。

でも、東京パラリンピックの開会式は良かった。

閉会式はもっと最高に良かったと思った。

自分の為に、メダルの為に、記録の為に、国の為にと闘った全ての人達が、その緊張を解き、祭りは終わったんだよ、皆で別れる時が来たんだよ、だから大いに楽しもうよ、踊ろうよ、歌おうよ、と。

祭の後の寂しさを感じさせられたような閉会式だった。

東京オリンピックは、本当にマイナスな出来事が何年前もから一杯あった。でも、私にはパラリンピックの閉会式の、あのオモチャ箱をひっくり返したような、これぞ日本という楽しい演出に救われた。

 

 

 

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南山のダイヤモンド富士

2022-02-02 20:54:33 | 南ちゃんと南山

2月1日に南山でダイヤモンド富士が見れるので、南ちゃんの仲間で集まる事にした。

まだまだ、日が高いうちに一の森に行った。

天気が良くて、寒くなるからと厚着して行ったら、坂道を登ったら暑かった。

以前は、このダイヤモンド富士の頃に、南ちゃんの仲間で南山の一の森に集まって見学した。

熱々おでんを食べながら、お酒を飲める人は飲みながら。

通りすがりの人も一緒に見学したっけ。

いつ頃からかやらなくなった。

でも、今年は誰からともなく、「ダイヤモンド富士を観よう」という事になった。

ダイヤモンド富士の前に食べようという事で、早くから卓上コンロで温めた熱々のおでんや、持ち寄りのツマミも並べて。

男性達は、持って来たお酒を飲む。

12~3人集まったかな。

隣のエリアの義塾の人達も集まっていた。

食べるものを食べてスタンバイ。

完璧な富士山ではないが、それでもこんもりと雲をまとって富士山の存在を示している。

太陽は左側から、横切るように富士山の真上に来た。

わんちゃんも一緒。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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