ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

献血が出来なかった

2006-05-30 21:01:50 | Weblog
阪神大地震の時に献血してから、毎年献血を続けてきた。途中、2回ほど貧血気味で採血出来なかった時があったが、ずっと健康で献血を続けて来られた。毎年、今頃会社のそばの郵便局に献血車が来るのである。

でも、今回は採血出来なかった。今年のお正月後にカンボジアのアンコールワットに行ったのが、採血出来なかった理由である。マラリアの流行地との事で、一年間は献血が出来ないということだ。

知らなかった。イギリス旅行者はBSE問題で採血出来ないのは知っていたが。来年まで献血が出来ないのは、ちょっと残念。

注射はだいッ嫌いだが、献血は嫌いではない。特に会社の昼休みに行くので、堂々とベットで昼寝(?)が出来る。お茶やクッキーでオヤツの時間にもなる。“看護婦キティちゃん”のクリヤファイルももらえた。

これからは海外旅行にイロイロ行きたいので、献血が出来なくなるかも知れない。でも、事前の問診表で正直に書かなかったり、うっかりして書かなかったりした場合、採血された血液はどうなるのだろう。

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あの胸にもう一度

2006-05-28 20:40:02 | 映画・ドラマ・小説・マンガ
新聞を読んでいたら、懐かしい言葉が飛び込んで来た。青春時代に見たアラン・ドロン主役の映画の題名だ。ベッカム様やヨン様のように、当時の女性の憧れの王子様だった。美しくカッコいい本当の正統派の“美青年”だった。夢の世界の、そして銀幕の世界の王子様だった。

新聞に「初恋」という映画の宣伝が載っていた。あの“三億円事件”の犯人が女子高生だったというのである。そして、作家の高山文彦氏・映画評論家の四方田犬彦氏・映画監督の森達也氏があの時代の事を書いていた。60年代の頃の事を。

ずっと読んでいて、とっても懐かしかった。私にもそんな頃があったのだと。今は死語になってしまった感があるが、不良という人種がいた時代。皆、人生に、仲間に、大人に、世の中の不条理に、そして倦怠感にギラギラと生きていた時代。今の50代・60代のおじさんやおばさんが異性と歌い踊り、夜の公園を恋を語りながら手を繋ぎ、そぞろ歩いた時代。そして、携帯もメールもないから手紙を書き、会いたくて、声を聞きたくて恋焦がれて長い夜を過ごした時代。

四方田犬彦氏の欄に次の文章があった。

“まだヘルメットを被らずともオートバイに乗れた時代のことである。フランスはまだ手の届かない、遠いところにあったが、私のまわりでは誰もが「あの胸にもう一度」というフランス映画に憧れていた。そこでは、当時ミック・ジャガーの恋人だったマリアンヌ・フェイスフルが、黒い皮ジャンの下に何もつけず、長い髪を靡かせながら単車を乗り回して、夕暮れのパリを飛ばしていた。”

そう、いまでも覚えている。アラン・ドロンに会う為に髪の長い美しい女性が、素肌で黒の皮ジャンに腕をとおして、ツツツーーとファスナーを上げる。そして、美しく形のきれいな胸がスー――と隠れていく。髪を一振りしてバイクにまたがり、心を高ぶらせて走り去る・・・。映画の内容はほとんど忘れたが、最後のそのシーンだけは今でも覚えている。

男性が、美しい女性が自分の胸に飛び込んでくる事を夢想したように、私はその女性になって、好きな人の胸に飛び込んでいく事を空想していた。

今の映画は題名がほとんど、そのままをカタカナ表記している。でも、本当に映画が若者の生活だった頃は題名がステキだった。題名を聞くだけで、映画のワンシーンが浮かんでくる。でも、今の映画は2~3年経つと、どんな映画だったか題名を聞いてピンと来ない事がある。

アラン・ドロンの映画の「地下室のメロディー」と聞くとすぐに、プールにゆっくりとお札が浮かびあがり水の表面にたくさん広がって行くシーンを思いだす。昔の人は本当に映画に素晴らしい題名をつけたものだと尊敬する。

この「初恋」という映画、見てみようかな。

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久しぶりの西が丘

2006-05-27 21:40:19 | FC東京とサッカー
雨の中、友達に誘われて西が丘にベルディと湘南の試合を見に行った。FC東京のユース出身の尾亦くんを見に行った。彼が東京を離れた時は寂しかった。

U-20の予選で西が丘に三試合を見に行った事がある。たまたま三試合目の時、尾亦くんが私達の前で友達と応援していた。「あら、どうしてここにいるの?。試合にでているのじゃないの?」と友達とヒソヒソ話した。可愛かった。

あの時、対戦あいてのモンゴルのサポーターがほとんどいなくて、試合も日本代表の一方的な展開だったので、日本のサポーターが何人かモンゴルのゴール裏に応援の手助けに行ったのは面白かった。

その時のメンバー表を見ていたら、今野・馬場ユータ・ノリオ・徳永、尾亦くんも入れたら5人も東京のメンバーがいる!その時のコンちゃんの印象派ないな・・・。でも、5人とも全然変わっていない。ユータは可愛いし、オマちゃんは美形だし、ノリオは・・・。

私だけでなく、オマちゃんに対する思い入れが強い人が東京には多いのか、この雨の中を東京の人が結構来ていた。歩いていたら、何人かの知り合いに声をかけられた。「あらら、来てたのね」と笑いあった。

試合は2-0でベルディの勝ち。スコア程にベルディの方が内容が勝っていたとは思わない。どちらかといえば、湘南の方が攻めていたように思う。シンプルにゴール前までいってクロスを上げていた。ベルディよりも湘南の方が本当に良くボールを追い掛け回していたが、どうしてもゴールネットを揺すれなかった。ただ、後半、永井秀樹くんが入ってきたら流れが変わり、ツキはベルディに行った。

そういえば、藤田泰成くんがベルディにレンタルに行っているけど、スタメンで出ていたけど、どうしてもオマちゃんばかり目で追ってしまう。泰成くんは東京に来たけど、結局あまり試合に出れなかったから、どうしてもウチの選手だという気持ちが薄すぎる。

西が丘は本当にいい!なによりも、サッカー専用なのでピッチに近いのが見ていて楽しい。東京の試合をここで見たい。でも、とてもサポーターが入りきれない。でも、やっぱりここで見たいな・・・。トイレもきれいになっていたし。

週末はスタジアムで東京のサッカーの試合を見るという習慣が断ち切られて寂しい。来月はワールドカップを楽しもうかな。
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W杯、日本代表頑張れ!

2006-05-26 20:36:30 | FC東京とサッカー
とうとう日本代表がドイツに旅立った。頑張って欲しい。会社でも、少しずつ話題になり始めた。

日韓W杯の時は、会社で本当に盛り上がった。普段、サッカーのサの字も言わないし、知らない年配者までもが「今日はどこの試合だ」とか「日本は勝てるだろうか」とか言いながら、仕事後に会議室でTV観戦していた。私も事務所の隅の壁に、さりげなく日本代表のマフラー等を飾り、目一杯楽しんだ。

今回は、予選リーグから決勝までの日本時間入りの予定表を作り、壁に貼った。他の部署の人が来ると、「これは分かりやすい」と言ってコピーして持って行く。毎日の夜中の3試合を、どれを見ようか頭を悩ませている。全てを見たいが、それでは会社で仕事が出来ない。昼休みは昼寝かな。

蛍光ペンで塗られた三本の線で、くっきりと浮き出た日本戦。今からドキドキしている。

監督がジーコとして立ち上がったときから、私達、仲間の中では大なり小なり不満だらけだった。この四年間、いつもイライラする事のほうが多かったが、もうここに来たからには頑張って結果を残して欲しい。

私の大好きなFC東京のドイちゃん。ぜひ試合に出てほしいな。そして鬼神のように立ちはだかる姿を見たい。ゴールに向かってくる敵FWに、するどい眼光で吼えてほしい。

ドイちゃんが、背番号12と聞いた時うれしかった。23人の中で誰よりも、サポーター番号の“12”が相応しいと思う。モニの分も私達の分も“頑張れ!ドイちゃん”

23人の日本の選手達、涙をのんだあなた達の仲間の為にも“素晴らしいゲームを!”
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ニオイバンマツリが咲いた

2006-05-25 22:22:48 | Weblog
この花の名前が分からなかったが、やっと分かった。

何年も前に、挿し木した鉢をいただいた。会社へ行く途中の民家の軒先にこの時期、毎年咲いていた。紫色に咲き始め、そのうちに白色に変化する。花が咲き始めると独特の香りがする。

毎年「何という花だろう」と気になっていた。ある時、その家の年配の女性が花の手入れをしていたので声をかけた。「何という花ですか?」と言ったら「よかったら、あげましょう。沢山挿し木してあるから」

私も、挿し木をして姉や友達にあげて喜ばれた。早速、姉達に名前をメールした。

今年も又挿し木をして欲しい人がいたら、あげようと思う。でも、お花をもらった民家はもうない。そこは新しいビルになり、お花の鉢が並んでいた1階はカフェバーになった。あの年配の女性は元気にしているかしら。
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七色の虹が出た

2006-05-24 23:05:46 | Weblog
日曜日に午後激しい夕立があった。夕方、ちょっと雲が切れて太陽が顔を出した。「虹が出るよ」と東の空を見たら、雨雲にくっきりと美しく虹が立っていた。そして、その外側にもう一つ薄く二つ目の虹がかかっていた。

虹を見るのは久しぶりだ。子供が小さくて、私も専業主婦として子供と一緒に遊んでいた時、よく虹を見た。夕立の後、子供達と一緒によく空を見上げて虹を待った。三重の虹を見た時は、子供達と歓声を上げた。

虹が出たといっては外へ飛び出し、夕日がきれいといっては外に飛び出し、風が強く吹いているからと外へ飛び出し、雪が降ってきたからと外に飛び出した。まだ子供が学校に行ってない小さい頃を思い出すと、外で遊んでいた事しか浮かばない。あの頃、周りに沢山の子供達がいた。私にとっても、子供達にとっても幸せな時代だったなと、思う。特に、子供達に残酷な事件が多い今の時代と比べて。

今日も仕事中に激しい夕立があった。そして、つかの間、太陽が顔を出したので私は外に飛び出した。そして、東の空を見た。「あ!虹が出ている」。すぐに事務所に戻り、同僚に「虹が出たよ」と教えた。

同僚と外に並んで虹を見た。通る人が「何だろうと」私達の見つめる方を見るが誰も立ち止まらない。私は「虹だよ。虹が出てるよ」と思うのだが、人は興味が無いみたい。それを不思議に思う私の方が不思議なのか。

私達は虹を七色と思っているが、今日の新聞に外国ではそうではないと書いてあった。四色とか五色とか・・・。青と藍色の区別は日本人以外には無いみたいだし。日本には数えきれない程の色の名前がある。今度、調べてみよう。

虹を見ながら、子供達にとって幸せな世の中であってくれたらと、強く思う。
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稲城の大規模宅地開発について

2006-05-22 21:34:55 | Weblog
全国紙に稲城市の里山の宅地開発が載っていた。それを見ると南山の3/4もの里山が開発されてしまう。上空からの写真で見ると、残るのは読売ゴルフ場と駅近くのわずかだけ。殆どの山が消えてしまう。

私達がはっきりと知った時点で、もう全ては決まっている。どうしょうも無いみたい。

その里山はすべてが個人の所有で税金の重さに耐え兼ねてという事らしい。何とかならないものかと思うのだが・・・。オオタカが生息していると言われていたが、それはどうなったのだろう。

貴重な里山は三千戸の住宅地として生まれ変わるらしい。今、稲城市はあちこちでマンションが建てられているが、まだまだ住宅は必要なのだろうか。これから、どんどん人口が減って行く時代になったのに、まだまだ作らなければならないのだろうか。

稲城の市民憲章の一部に「太陽と緑をたいせつにし、土の香りのあるまちをつくりましょう」とある。知り合いが稲城駅に降りて、ビックリする緑の量が何年か後にはなくなってしまう。

静かな環境に魅せられて終の棲家として、ここに移り住んだ。まさか、まさか、このやさしい姿の里山が無くなってしまうなんて思いもしなかった。家の前の道路が目の前の山で終わりになっている割には広いので、マンションを買う前に市役所で聞いた。「この道は山を開発して読売ランドの方に通ずるのですか」と。「いいえ、開発の予定はありません。道路は行き止まりのままです」と言われたので、安心したが。

いつ出来上がるのかは分からないが、やり始めたからには「売れませんでした。失敗でした」とならないようにお願いしたい。一度壊したものは元には戻らないのだから。
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FC東京、福岡に引分け・・・

2006-05-21 17:51:46 | FC東京とサッカー
ナビスコはついに一勝もしないで終わってしまった。ゴールは一回しかネットを揺らせられなかった。この得点力の無さはどうなのだろう。

今日、応援に行った人達はどんなにイライラした事だろう。ちょっと上向いて来たかなと思っても、なかなか思うように行かない。

今日の試合は映像で見れなかったので、ゲーム内容は分からないが、同じ引分けでも0-0は寂しい。この中断期間で得点力を上げる事が出来るのだろうか。失点してもすぐに得点出来るチームなら、失点は怖くない。でも、今のウチのチームの力では、まず失点をしない事の方に気持ちが行ってしまう。

ずっと負け試合ばかり見ている為か、リーグ戦順位では中位の9位にいるのが不思議な気がする。浦和戦も、もし勝っていれば暫定だけど、7位くらいに行っていた。ナビスコの負け試合ばかりを集中して見せられているせいか、ものすごく弱いと感じてしまう。

中断期間にミニキャンプでもして、得点するにはどうしたらいいのか徹底的に練習してほしい。あのロナウジーニョも言っていた。「反復練習あるのみ」と。彼は誰よりも沢山ボールと戯れているそうだ。釜本さんも、朝から暗くなるまでシュート練習をしていたそうだ。

どんなにシュートしても、ゴールネットを揺らさなければ、それも相手よりも多く入れなければ勝てない。プロの選手にこんな事を言うのも何だけど、シュートは枠に!チャンスは躊躇しないで、打て!
勝つ事しか考えるな!そして、相手より走れ!

選手の皆様、リーグ再開の福岡戦は休みを取って応援に行きます。ぜひ、練習の成果を見せて下さい。応援に福岡まで行った私を“勝組”にして下さい。





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昨日のFC東京と浦和戦

2006-05-18 21:20:24 | FC東京とサッカー
雨の味スタ。定年で家にいる夫が早く行って屋根の下の席を取ってくれるので、久しぶりにゆったりと向かった。駅に降りると、やっぱり警官・パトカーが多かった。浦和戦はいつもそう。、浦和サポーターは、今のウチなんて今問題にしていないかも。

今日は友達は一人しか来なかった。でも、来てよかった。久しぶりに皆、戦っていたと思う。小沢くんが良かった。ショパンのアップテンポの「子犬のワルツ」を“見て”いるようだった。見ていて楽しい。

やっぱり金沢さん。安心して任せられる。ただ、徳くん、判断遅すぎ。もっと労を惜しまず走って。そして、シンプルにダイレクトパスかクロスをいれて。FWが何回も相手DFの裏に走りたがっていた。でも、ボールが来なかったり、遅かったり。友達と「やっぱり、カジくんの方が日本代表だね」と話した。

浦和のゴール裏は相変わらず、最初から最後まで一糸乱れず“ホーム状態”を作っていた。でも、昨日はウチの応援はすごく良かったと思う。いつものようにリーダーに合わせて応援するのではなく、自然発生的に声を出していた。それに合わせて周りからも声や手拍子が起きていた。私達のバックスタンドでも、必死に手を叩き声を出していた人達が多くいた。もちろん、私も。太鼓がないので、ゴール裏とバックスタンドは微妙にずれたが、それもそれないりにいいと思った。

こんなに選手が頑張っている。私達も後押ししなくては。それに、こういう応援風景もいいなと思った。イケイケの人達には悪いけど、俺の・私の東京の為にと一人一人が心から思いを精一杯に出しているのに感動した。最後は太鼓も聞こえるようになった。彼らも動いたのね。

J2の時のアウエでもそうだった。太鼓も主要なゴール裏の人もいない時、その辺にいる人達で声と手拍子だけで、応援した事もあった。人数が少ないから、歌では声が届かないので、単純なコールだけだったけど。

「一ヶ月以上も東京の試合が見れないのは寂しいね。どんなにダメダメでも、グタグタでも、やっぱり終末はスタジアムで東京のゲームが見たい」と、友達と話しながら帰った。

日曜日は応援に行けないけど、頑張れ!勝って締めくくろう。
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国を愛する心について

2006-05-17 00:01:31 | Weblog
最近、愛国心の論議が盛んだ。政府、高官、財界人、イロイロな立場の国や企業のトップの人達が愛国心教育を取り入れる事を熱心に取り上げている。

政治家や高級官僚達が唱える、愛国心とは何の事なのだろう。愛するとはどう言う事?そして国とは何の事?

この美しい緑の国、美しい青い海に囲まれた日本に生まれて、生まれた時から日本語を話す日本人として、意識的にしろ、無意識的にしろ日本を日本人を嫌っている人達が、そんない多くいるという事なのだろうか。どうして、そう感じるのだろう。

国民に愛国心を強要しようといている、政治家や高級官僚や大企業のトップ達や大金持ちの方々、あなた達はこの国を愛していますか?

戦後60年、私達は沢山の反省をしました。一億総懺悔と言われ反省を強要されました。けれどこの60年、その国民のトップに立つ政治家や官僚達の数え切れない程の贈収賄事件の数々。税金の無駄遣いという国民への裏切り。大企業の数々の消費者への裏切り。使い切れない財産を持ちながら、1円でも税金を払いたくないと、脱税に血道を上げて底辺で苦しんでいる人達に手を差し伸べようとしない品位のない人達。

政治家や高級官僚や財界人に人間を愛する心があったなら、水俣病もエイズ問題もアスベストもハンセン病も森永・雪印も原爆症認定問題もJR事故もマンション偽装問題等々・その他その他・エトセトラ・・・で、苦しんだ人々はいなかっただろうに。

為政者に国民の未来を愛する心があれば、こんな破滅的な国と地方の借金を作り続ける事など出来なかっただろう。国民を愛していないから、失敗しても弁償などしないで責任を国民に回し、簡単に消費税や税金を上げて頬かむり出来るのだろう。

TVで愛国心が必要と声高に叫んでいる政治家の人達、あなたは国民を愛していますか?私達が本当に助けを求めている時、救いの手を差し伸べてくれるのですか。愛は強要しても教え込んでも得られるものでは無いと思う。

愛する心は、愛される環境から生まれるのではないかしら。一滴の集まりがいつかは大河になり海に注がれるように、愛する心を育むのは家庭であり地域であり沢山の経験だと思う。そして、この国に生まれて良かったと思う心が愛国心ではないだろうか。だからこそ、国民に愛国心を求めるのであるなら、未来への不安を除いて安定した社会を作る責任が政治家にはあると思う。

国のトップにいる政界財界の方々、私達を、そして国を愛して下さい。





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