羽後町工業クラブ(佐藤和彦会長)の令和5年度総会が五輪坂温泉としとらんどで開かれ、会員企業の代表などが出席して懇親会も行われました。
(写真、としとらんどでは窓の外の桜をライトアップしており、遠くで花火も上がって幻想的な春爛漫でした。)
ここ3年間はコロナの影響などで十分な情報交換ができませんでしたが、ようやく以前のような状態に戻り、企業の現状などについて貴重な話が聞けました。
最大の悩みは、若い人の採用が思うように行かない事だと一様に述べられていました。
羽後町工業クラブ(佐藤和彦会長)の令和5年度総会が五輪坂温泉としとらんどで開かれ、会員企業の代表などが出席して懇親会も行われました。
(写真、としとらんどでは窓の外の桜をライトアップしており、遠くで花火も上がって幻想的な春爛漫でした。)
ここ3年間はコロナの影響などで十分な情報交換ができませんでしたが、ようやく以前のような状態に戻り、企業の現状などについて貴重な話が聞けました。
最大の悩みは、若い人の採用が思うように行かない事だと一様に述べられていました。
昨日は仙台で会議があり、久しぶりに「開盛庵」のうな重をいただいてきました。
以前、知り合いのすすめで一度訪れてうなぎを食べましたが、とても美味かったので再度の来訪でした。
焼きたてのふかふかうなぎに、店自慢のタレをかけたうな重は、これまで食べたうなぎの中でも最高級の味でした。
「開盛庵」は創業以来140年以上の歴史がある老舗鰻屋で、料理が出るのも早く、とても気持ちよく食事を堪能できました。
JAうご新成園芸組合の設立50周年記念式典が五輪坂温泉としとらんどで開かれ、関係者50人ほどが出席して賑やかにお祝いしました。
(写真、あいさつする高橋和幸組合長)
昭和48年に設立された園芸組合は、第二次構造改善事業で鉄骨ハウスを建て、冬季間も出稼ぎしないで農業で飯が食えるようにと野菜や花の栽培をはじめました。
当初組合に参加したのは7人の侍と言われたメンバーで、その後新たな会員も増え、現在17個人、1法人となり、中には親子3代でハウス栽培をしている方もいます。
GI(地理的表示)を取得した「ひばり野オクラ」や商標登録を取った「ひばり野ふくたち」、花のストックを組み合わせた周年栽培を展開しています。
産地としては規模が小さいですが、高い品質の野菜や花を出荷して市場や消費者に喜ばれており、仲間の強い絆が組合の運営を支えています。
園芸関係の組織が50年も続く事は稀有な事だと、市場関係者は絶賛していました。
先日、秋田市にある(株)ソルコンから町に対して企業版ふるさと納税の申し込みがあり、代表取締役会長の藤井英夫さんから100万円の寄付をいただきました。
藤井さんは、北都銀行合併前の秋田あけぼの銀行西馬音内支店長を務められ、お世話になったお礼にと寄付をいただきました。
大江前町長とは昵懇の間柄で、支店長当時の昔話をしながら、町の発展を願っておられました。
感謝状を贈りお礼の気持ちをお伝えしました。
3月から4月にかけて3件の企業版ふるさとの申し込みがありました。ありがたく活用させていただきます。
首都圏を中心に生協を展開している「パルシステム」と秋田県南部圏の食と農推進協議会が、横手市のシャイニーパレスで開かれました。
(写真、みどりの食料システムへの取り組みを説明するパルシステムの工藤産直副本部長)
パルシステムと県南部圏の市町村や農協などとの連携は20年以上にわたり、有機栽培のお米やりんごなどを提供し、首都圏からは組合員の「産地に行こう」などの企画で、生産者と消費者の交流が毎年行われています。
ここ3年間はコロナの影響で直接の人的交流は控えられてきましたが、コロナも下火になって交流も再開されることになりました。
秋田県議会議員選挙の投開票が行われ、41人の新たな県議が誕生しました。
湯沢雄勝選挙区では定数3に現新4人が立候補しましたが、現職の住谷達氏(46)と佐藤正一郎氏(70)、新人の高橋健氏(44)が当選しました。
(写真、4度目当選を果たし満面の笑みを浮かべる佐藤正一郎候補と万里子夫人)
12年ぶりの選挙戦で有権者の反応が注目されましたが、投票率は前回を下回り、湯沢市2議席、羽後町1議席は変わりませんでしたが、新旧交代が図られました。
全県的には若手の新人が当選する一方で、自民党のベテラン県議が落選するなど、新旧交代の選挙結果となりました。
新議員の今後のご活躍をお祈りいたします。
昨日、道の駅うごで来場者500万人突破のセレモニーが盛大に行われました。
500万人目の来場者になったのは千葉県から来た田久保さん親子。
お母さんの実家が横手市増田町にあり、以前食べたジェラートがとても美味しかったので、また食べに来て幸運に巡り会いました。
副賞に道の駅の農産物などをたくさんいただいて、とても嬉しそうでした。
前後賞は横手市からおいでの沓沢さん親子と宮城県大崎市からおいでの矢口さんでした。それぞれに手打ちの西馬音内そばセットが贈られました。
社是の「近者説び、遠者来る」を実践した、県外・町外からの記念来場者の方々でした。
開業7年目を前にして、500万人の大台を突破できてとても嬉しいですね❗️
昨日、町内の小中学校で一斉に入学式が行われました。
そのうち私は高瀬小学校と羽後中学校に出席しお祝いの言葉を述べてきました。
高瀬小学校には7人の1年生が入学し、元気で大きな声で返事をしてくれました。
今年4つの小学校には80名の子どもたちが入学しました。
午後からは羽後中学校の入学式に出席して、90人の新入生に「挑戦することの大切さ」をお話しました。
(写真、今年新たに赴任された高橋俊英校長の式辞)
町の「宝」である子どもたちが、心身共に健やかに成長するように応援していきます。
県立羽後高校の入学式が行われ、41人の新入生が晴れやかに入学しました。
(写真、式辞を述べる平川研校長)
羽後高校はここ2年間は20人台の入学者でしたが、今年度は倍近くに増え、学校存続にめどが立ちつつあります。
昨年から始めた給食の提供が好評で、入学者増に大きく貢献したものと思われます。
その他、「デジタル探求コース」の新設や地域に根差した総合的学習の「羽後学」、慶應義塾大学との連携による体験など、他の高校では見られないような取り組みを数多く行なっています。
県内でもこれほど高校に関わりを持つ自治体は他にないと自負しています。
道の駅うごを運営している(株)おも・しぇの社員研修会が、社員や来賓など50人ほどが参加して開かれました。
令和4年度の販売高が5億3900万円(前年比116%)を超え、農産物の販売も2億円を突破し、社員の頑張りに感謝する集いになりました。
準備室時代の2人からスタートした会社も7年で社員40人まで大きくなり、社員のモチベーションも高く、大いに盛り上がった研修会になりました。
道の駅うごは「総合交流拠点施設」が正式名称ですが、まさしくその名の通りの施設に発展しました。
嬉しい限りです。
秋田県議選が告示され、4月1日(土)から期日前投票も行われています。
以前は役場5階の会議室で行なっていましたが、今回から役場1階の町民ホールで行われています。
エレベータで5階まで上がる必要がなく、来場者には概ね好評のようです。
今回から町内3地区で投票所が集約されたので、期日前投票の利便性を確保するため、日にちを決めて希望者を役場まで送迎するサービスも行っています。
私も初日に家族で投票しましたが、とても気軽にできましたので、ぜひ期日前投票をご利用ください。
春の防火週間が始まりましたが、羽後町消防団の新年度最初の訓練は駆け付け訓練。
今年は第2分団(大戸、床舞、田沢地区)の担当で、旧明通小学校で火災が発生したとの想定で消火訓練が行われました。
羽後町消防団は4月1日から団長が佐藤良友さんから藤原宣一(のぶかず)さんに変わり、体制も一新されました。
団員不足など課題も抱えていますが、町民の安全、安心を実現するためには消防団の力が欠かせません。
4月3日(月)から令和5年度がスタートし、新規採用職員や異動で新しい部署に配置された職員に辞令を交付して、新年度の訓示を行いました。
今年度の新規採用職員は羽後病院を含めて9人(1名欠席)で、緊張した表情で採用辞令を受けてくれました。
訓示では、最近の話題となったWBCで見事優勝した「侍ジャパン」を取り上げ、勝利を勝ち取った要因に、事前の入念な準備があった事を話しました。
事前の準備はあらゆる取り組みの中で最も大切にすべき事です。
心身の万全な準備、仕事の実行前の準備など、常にしっかり取り組むようにお話しました。
4月2日(土)夜10時に放送されたNHKスペシャル「認知症バリアフリーサミット」で、羽後町の取り組みが全国に紹介されました。
取り組みの内容は、羽後町と地元の羽後自動車学校が協力して、「ハッピー運転教室」を開催し、運転免許証の更新や運転免許の返納など、高齢化社会の抱える問題への取り組みが紹介されました。
羽後町のような地方では生活に車は欠かせず、運転免許証の返納は切実な問題です。
返納は強制されるものではなく、本人が納得するようにサポートが必要ですね。
私も今年夏に免許証更新時期を迎えるので、他人事ではなく、高齢者講習の予約をしなければなりません。
高齢者の5人に1人が認知症になる時代にどう共生するのか、日本が抱える課題の解決に一石を投じる内容でした。
3月は別れの季節ですが、羽後町役場でも3月31日をもって退職される職員を送る会が開催されました。
今年度退職されるのは浦田副町長を含む5人の方で、私から一人ひとりの職歴や功績を紹介し、長年の御労苦に感謝を伝えました。
長い公務員生活では様々な苦労や経験もあったでしょうが、全てを糧として次のステージで頑張ってほしいものです。
長い間本当にお疲れ様でした❗️