私は2008年にオムニバス映画『TOKYO』を見たときに、その第二話にこめられている悪意にぞっとしたと申し上げました。
フランス、特にパリには、地下・下水道溝が昔から設置されていることは知っています。だから、その下水道は汚いし古いわけです。壁がこの映画に描かれている通り、茶色でしょう。ところが、日本の下水道設備はほとんど、戦後できたものだから、コンクリートの色で灰色のはずです。だから、この部分はほとんど、レオンカラックス監督の、思念だけで、作られた映像であり、真実ではありません。
そこに、66年も前の、大日本帝国海軍、または、陸軍時代の、戦車がおいてあり、・・・・云々という設定は、日本人が好戦的な民族だと言う、断定を、世界中に向けて発信をするものです。これは、例のリメンバー・パールハーバーと同じで、大本の根源は、石油資源争奪のやむをえない戦争であっても、その敗戦の結果、責任をすべて、負わせられている日本人を、さらにいじめる措置なのです。しかも監獄の場面が、それに追い討ちをかけます。荒唐無稽な設定の監獄で、それも、また、見ていて悲しい限りの、映像です。
最近フランス映画『メスリーヌ』、前・後篇を見ました。その前篇で、カナダの刑務所の中で、懲罰房へ、入れられたメスリーヌは、真っ裸にされた上に、高水圧の水を放射されて、痛さと屈辱と、寒さをあわせたすさまじい苦しみを、味わいます。しかし観客に向けては、テロップで、「この刑務所の、こういうシステムは、後に人権の見地から、廃止された」と出ますので、観客は一応ですが、ほっといたします。そして、『メスリーヌが、脱獄を繰り返す理由が、伏線としてここで語られたわけね』と、趣旨を正しく取って、納得をします。
ところが、この『TOKYO』の方は、リアリティもないし、しかもコメディでもありません。息を抜くところが無いのです。しかも怒りをぶつけようにも、主人公は『ポンヌフの恋人』の中で、発達障害を持っている青年を演じた役者で、今回も不思議な、わけのわからぬ人、コミュニケーションが通じない人という設定です。
言葉が、意味不明の、言語を使うという、人を食った設定なので、怒りのもって行きようがありません。批判を食らうことを、最初から想定していて、しかも、それを、やり過ごす、措置が最初から準備されているのです。まったく、馬鹿にされきっている日本と日本人です。悲しさも余りあるという映像です。
しかし、ニ年ごの今日、グーグルの検索で、タイトル頁が『売り切れました(多分DVDがということなのでしょうが)』という説明以外、一切が、削除されているということを発見いたしました。ということは、この映画を作ったサイドは、最初から確信犯として、この映画を作っていたことを明瞭に示しています。
何を確信していたかというと、日本人が好戦的で野蛮な民族だということを世界中の若い人へ示すことが目的で、それをやろうとしていたというポイントをです。
今、日本の漫画や、アニメが人気があります。で、それらを好む世界中の若い人々へ、「日本人はあなた方が思っているほど、きれいな心の民族でもないし、安心して付き合える民族でもないのですよ」と知らせることが目的であるわけでしょう。そして、それが、見え見えなのです。
そして、私のような小さな存在であれ、それを、すぐさま見破って、「ひどい」と声をあげることを知って、『あ、いけないかも知れない。これは、右翼に限らず、日本人すべての反発を食うかもしれない』と思って、その存在を引っ込めたのでしょう。
でも、こういうフィルムこそ、文化庁は保存をしておくべきですね。文化庁は、800万円だかを支援しているとプログラムか新聞にでていましたから、作品を保存をしておく義務はあります。
そして、きちんと把握をしなければいけないことは、こういう文化面の支配と、経済面(お金)の支配は連動しているということです。為替差損とか、金融商品で、大損失を味わわされる日本人の苦しみをあざ笑っている、海外の富裕層の本音が、この映画『TOKYO(第二話)』には、ものの見事に、現れているのですから。
事前にこの計画の本当の筋や趣旨を知っていて、800万円の支援金を出したかどうかも、知りたいところです。もし、日本の俳優にも文化庁の担当者にも、それを知らせないで、強行したのなら、レオン・カラックスという人物は相当な悪人です。
それから、プログラムを買いましたが、そこに寄稿をしている人たちは、『本心では、どういうつもりで、この映画を褒めているのだろう』と疑います。日本の知識人の、哲学的な素養をも、疑います。
売文業という言葉があるが、極論すれば、『このプログラムは、その好例を初めて、目のあたりにした機会だ』と感じたことでした。『収入や、名誉に、つながれば、どういう文章でも書くのだ』という彼らの、汚い心が、みえて来ます。結構有名なエッセイスト(翻訳家)も寄稿していたので、恐れ入りました。純粋な日本人なのに、この映画を褒め称えている行動は、私などからしたら、恥ずかしくて恥ずかしくてたまらないものでした。
そのプログラムは捨てちゃったかもしれません。が、映画が、今では情報だけでも、非公開となり、この世の闇に葬られていくのなら、そのプログラムは大切なものとなっていきます。捨てたのは残念でした。が、うすっぺらで、おべんちゃらな文章を書いた寄稿者は覚えています。これから、先、その人の文章は信用できなくなります。おしゃれなことで売っている人で、それこそ、朝日新聞の書評欄にも文章を寄稿している人ですが・・・・・
一応ですが、試写を見て、文章を書いたのでしょうから、その罪は重いです。
そのうち、この第二部だけ抜かして「いい映画でしょう」などといいながら、新たに、公開をされるといけないので、はっきり、ここで、言っておきます。三部作の第二話が、危険で汚いものだったのです。ゴジラの音楽が使われている部分です。
私はこの映画の存在を永遠に語り継ぐだけでも、『日本人としての、必要な任務を果たして死ねるなあ』と思うぐらい、日本と日本人が、低くみなされ、さげすまれていました。被・植民地として、やりたい放題の措置を、諸外国の富裕層から受けているかを、知りましたから、それを人々に伝えないといけません。一種の目撃者ですね。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
さて、2008年には、あまりにも、びっくりしたので、レオン・カラックス監督の背景を、グーグル他でネット検索をしてみました。すると、レオン・カラックスという名前は、ペンネームであり、本当は、フランスの大企業、デュポンの一族の出らしいのです。創業者から数えれば、4代目、または、5代目、またはそれ以降の子孫であるらしい。これが今もネット上で、公開されている情報かどうかは、不明です。だけど、パリへ渡って調べればすぐわかることでしょう。
高校を中退していても、映画を撮ることができる背景はそういう、生まれによって、支えられていたわけです。しかも、『ポンヌフの恋人』には、その制作に9年間を費やしたという話ですが、それも可能なほど、バックに財力があるご家庭の出身だと思われます。
となると、あの映画の筋は、別に教唆をされて思いついた話ではなくて、彼のスケルトン(骨格的な真情)かもしれないのです。恐ろしいことです。小さいときから、「日本人は残酷な民族だ」とおじさんやおばさんや、そのほか、お屋敷のサロンに出入りしている大人たちから叩き込まれていて、信じ込んでいるのかもしれません。
でもね、そういう偏見を持っている人にこそ、実際に来日してもらって、日本の都会の機能性やら、ホスピタリティ(心のやさしさ等)を目にしてもらって、考えを変えてもらえば、それは、私のような国際関係に興味のある人間にとっては、うれしい事なのです。その結果、改めて正しく日本や、日本人を理解してもらうことができるのなら、それは、文化庁が800万円出した価値があるというものです。レオン・カラックス監督を許してあげてもよいです。
ところが、カラックス監督は、ほぼ、ニ週間(毎日、4,5時間撮影しても、総計50時間のフィルムは撮れる)を嵐のような速度で取り上げた後で、さっと、帰仏してしまった模様です。そのフィルムを、十分の一4,50分に縮めるのは、簡単でしょう。で、日本人と触れ合うことも、京都や広島などの地方を学ぶことも無く、さっと帰ってしまったのです。
比較すると、同じくらい世界を、巻き込んで熱くしている監督でありながら、ムーア監督の日本滞在の日々は、日本人にとって、どれほど、ありがたい様式だったでしょうか?
映画『ポンヌフの恋人』と、映画『キャピタリズム』を比較して、どっちが上だなどというつもりはありません。だけど、映画『TOKYO(第二話)』と、映画『キャピタリズム』を比較すれば、マイケル・ムーア監督のほうが圧倒的に、心優しい素敵な人物だとなります。海外からお客様が来てくれる、・・・・・主目的は映画の宣伝のためでしょうが、・・・・・広島を訪れて、丁寧に、資料館を見てくれて、映像も丁寧に見てくれたということは、本当にありがたいことなのです。
では、2010年2月10日 雨宮 舜
フランス、特にパリには、地下・下水道溝が昔から設置されていることは知っています。だから、その下水道は汚いし古いわけです。壁がこの映画に描かれている通り、茶色でしょう。ところが、日本の下水道設備はほとんど、戦後できたものだから、コンクリートの色で灰色のはずです。だから、この部分はほとんど、レオンカラックス監督の、思念だけで、作られた映像であり、真実ではありません。
そこに、66年も前の、大日本帝国海軍、または、陸軍時代の、戦車がおいてあり、・・・・云々という設定は、日本人が好戦的な民族だと言う、断定を、世界中に向けて発信をするものです。これは、例のリメンバー・パールハーバーと同じで、大本の根源は、石油資源争奪のやむをえない戦争であっても、その敗戦の結果、責任をすべて、負わせられている日本人を、さらにいじめる措置なのです。しかも監獄の場面が、それに追い討ちをかけます。荒唐無稽な設定の監獄で、それも、また、見ていて悲しい限りの、映像です。
最近フランス映画『メスリーヌ』、前・後篇を見ました。その前篇で、カナダの刑務所の中で、懲罰房へ、入れられたメスリーヌは、真っ裸にされた上に、高水圧の水を放射されて、痛さと屈辱と、寒さをあわせたすさまじい苦しみを、味わいます。しかし観客に向けては、テロップで、「この刑務所の、こういうシステムは、後に人権の見地から、廃止された」と出ますので、観客は一応ですが、ほっといたします。そして、『メスリーヌが、脱獄を繰り返す理由が、伏線としてここで語られたわけね』と、趣旨を正しく取って、納得をします。
ところが、この『TOKYO』の方は、リアリティもないし、しかもコメディでもありません。息を抜くところが無いのです。しかも怒りをぶつけようにも、主人公は『ポンヌフの恋人』の中で、発達障害を持っている青年を演じた役者で、今回も不思議な、わけのわからぬ人、コミュニケーションが通じない人という設定です。
言葉が、意味不明の、言語を使うという、人を食った設定なので、怒りのもって行きようがありません。批判を食らうことを、最初から想定していて、しかも、それを、やり過ごす、措置が最初から準備されているのです。まったく、馬鹿にされきっている日本と日本人です。悲しさも余りあるという映像です。
しかし、ニ年ごの今日、グーグルの検索で、タイトル頁が『売り切れました(多分DVDがということなのでしょうが)』という説明以外、一切が、削除されているということを発見いたしました。ということは、この映画を作ったサイドは、最初から確信犯として、この映画を作っていたことを明瞭に示しています。
何を確信していたかというと、日本人が好戦的で野蛮な民族だということを世界中の若い人へ示すことが目的で、それをやろうとしていたというポイントをです。
今、日本の漫画や、アニメが人気があります。で、それらを好む世界中の若い人々へ、「日本人はあなた方が思っているほど、きれいな心の民族でもないし、安心して付き合える民族でもないのですよ」と知らせることが目的であるわけでしょう。そして、それが、見え見えなのです。
そして、私のような小さな存在であれ、それを、すぐさま見破って、「ひどい」と声をあげることを知って、『あ、いけないかも知れない。これは、右翼に限らず、日本人すべての反発を食うかもしれない』と思って、その存在を引っ込めたのでしょう。
でも、こういうフィルムこそ、文化庁は保存をしておくべきですね。文化庁は、800万円だかを支援しているとプログラムか新聞にでていましたから、作品を保存をしておく義務はあります。
そして、きちんと把握をしなければいけないことは、こういう文化面の支配と、経済面(お金)の支配は連動しているということです。為替差損とか、金融商品で、大損失を味わわされる日本人の苦しみをあざ笑っている、海外の富裕層の本音が、この映画『TOKYO(第二話)』には、ものの見事に、現れているのですから。
事前にこの計画の本当の筋や趣旨を知っていて、800万円の支援金を出したかどうかも、知りたいところです。もし、日本の俳優にも文化庁の担当者にも、それを知らせないで、強行したのなら、レオン・カラックスという人物は相当な悪人です。
それから、プログラムを買いましたが、そこに寄稿をしている人たちは、『本心では、どういうつもりで、この映画を褒めているのだろう』と疑います。日本の知識人の、哲学的な素養をも、疑います。
売文業という言葉があるが、極論すれば、『このプログラムは、その好例を初めて、目のあたりにした機会だ』と感じたことでした。『収入や、名誉に、つながれば、どういう文章でも書くのだ』という彼らの、汚い心が、みえて来ます。結構有名なエッセイスト(翻訳家)も寄稿していたので、恐れ入りました。純粋な日本人なのに、この映画を褒め称えている行動は、私などからしたら、恥ずかしくて恥ずかしくてたまらないものでした。
そのプログラムは捨てちゃったかもしれません。が、映画が、今では情報だけでも、非公開となり、この世の闇に葬られていくのなら、そのプログラムは大切なものとなっていきます。捨てたのは残念でした。が、うすっぺらで、おべんちゃらな文章を書いた寄稿者は覚えています。これから、先、その人の文章は信用できなくなります。おしゃれなことで売っている人で、それこそ、朝日新聞の書評欄にも文章を寄稿している人ですが・・・・・
一応ですが、試写を見て、文章を書いたのでしょうから、その罪は重いです。
そのうち、この第二部だけ抜かして「いい映画でしょう」などといいながら、新たに、公開をされるといけないので、はっきり、ここで、言っておきます。三部作の第二話が、危険で汚いものだったのです。ゴジラの音楽が使われている部分です。
私はこの映画の存在を永遠に語り継ぐだけでも、『日本人としての、必要な任務を果たして死ねるなあ』と思うぐらい、日本と日本人が、低くみなされ、さげすまれていました。被・植民地として、やりたい放題の措置を、諸外国の富裕層から受けているかを、知りましたから、それを人々に伝えないといけません。一種の目撃者ですね。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
さて、2008年には、あまりにも、びっくりしたので、レオン・カラックス監督の背景を、グーグル他でネット検索をしてみました。すると、レオン・カラックスという名前は、ペンネームであり、本当は、フランスの大企業、デュポンの一族の出らしいのです。創業者から数えれば、4代目、または、5代目、またはそれ以降の子孫であるらしい。これが今もネット上で、公開されている情報かどうかは、不明です。だけど、パリへ渡って調べればすぐわかることでしょう。
高校を中退していても、映画を撮ることができる背景はそういう、生まれによって、支えられていたわけです。しかも、『ポンヌフの恋人』には、その制作に9年間を費やしたという話ですが、それも可能なほど、バックに財力があるご家庭の出身だと思われます。
となると、あの映画の筋は、別に教唆をされて思いついた話ではなくて、彼のスケルトン(骨格的な真情)かもしれないのです。恐ろしいことです。小さいときから、「日本人は残酷な民族だ」とおじさんやおばさんや、そのほか、お屋敷のサロンに出入りしている大人たちから叩き込まれていて、信じ込んでいるのかもしれません。
でもね、そういう偏見を持っている人にこそ、実際に来日してもらって、日本の都会の機能性やら、ホスピタリティ(心のやさしさ等)を目にしてもらって、考えを変えてもらえば、それは、私のような国際関係に興味のある人間にとっては、うれしい事なのです。その結果、改めて正しく日本や、日本人を理解してもらうことができるのなら、それは、文化庁が800万円出した価値があるというものです。レオン・カラックス監督を許してあげてもよいです。
ところが、カラックス監督は、ほぼ、ニ週間(毎日、4,5時間撮影しても、総計50時間のフィルムは撮れる)を嵐のような速度で取り上げた後で、さっと、帰仏してしまった模様です。そのフィルムを、十分の一4,50分に縮めるのは、簡単でしょう。で、日本人と触れ合うことも、京都や広島などの地方を学ぶことも無く、さっと帰ってしまったのです。
比較すると、同じくらい世界を、巻き込んで熱くしている監督でありながら、ムーア監督の日本滞在の日々は、日本人にとって、どれほど、ありがたい様式だったでしょうか?
映画『ポンヌフの恋人』と、映画『キャピタリズム』を比較して、どっちが上だなどというつもりはありません。だけど、映画『TOKYO(第二話)』と、映画『キャピタリズム』を比較すれば、マイケル・ムーア監督のほうが圧倒的に、心優しい素敵な人物だとなります。海外からお客様が来てくれる、・・・・・主目的は映画の宣伝のためでしょうが、・・・・・広島を訪れて、丁寧に、資料館を見てくれて、映像も丁寧に見てくれたということは、本当にありがたいことなのです。
では、2010年2月10日 雨宮 舜









