銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

理想の住まいとは? + 人の命って儚いなあ? この章20時間後に結論を真っ反対にもっていきます

2024-04-27 22:05:52 | 政治

 前報の総タイトルにあげておいた、人生って儚いなあの説明がまだ済んでいません。

人の命って儚いなあ!・・・・・横浜都筑区のララ横浜(=傾きマンション)の再建費用はどこが出したの?

2024-04-25 22:40:57 | 政治

副題1、『京急池田分譲地について、立派なウィキペディアが立っていた。15年ぐらい前だったか?』

 今は。そのホーム頁は、もう無いのです。だが、京急池田分譲地が京急にとって、相当入れ込んだプロジェクトであったことは確かです。そして、それを見事に瀬島龍三と、彼の親友だと言う益山重夫元海軍参謀は利用し、15戸の建売住宅を建てたのでした。ただ、正確に言うと、我が家と北隣は区画を二つ買っているので建売住居は、12戸でした。ここらあたりは、益山氏が、見かけより、強大な勢力を持って居た(元海軍のお偉いさんとしてですが)可能性を私に示唆しているところです。

 ともかく、実質的には大詐欺事件なのですが、横須賀市、法務局、財務局が、全部公的書類(=地積変更届)の上で、協力しているので、事件として訴追することはできません。ただ、小説として書けば、これ以上ないほど、面白い事案です。特に神戸の土師淳君殺しも、この北久里浜の大・実質的詐欺事件を完ツイさせるために起こされたのだったと、見ていますので、奥が深い事件です。

 ところで、この京急池田分譲地は,40坪から60坪まで(程度)の区画で、最初期には、京急勤務の人が大勢、住んでいました。今は、建設された1960年代から、見ると、60年は経っているので、代替わりが起きて、分割されて、美しい建築物に代わっている部分もあります。そして、私が住んでいた時期、1974~84は、京急池田分譲地全体が、池田町五丁目だった筈ですが、今は、例の実質的詐欺事件で、私人に渡った、1200坪(元水道局の山)のただの土地に立って居る美麗なマンションに五丁目を譲ったのか? 正しい情報は、まだ、わかりませんが、

 池田分譲地全体が、6丁目に変化しています。そして、70年前の昔は、京急が造成しなかった部分が、小規模業者によって、開発されており、駅に近い部分程、美麗なデザイナーズ、住宅に代わっており、かつ、駐車場に、外車(BMVとか、アウディの事)が、ずらっと並ぶ、景色が見られます。

 昔、日吉の奥の、八幡製鉄研究所だったところが、研究所が撤去し、跡地が、敷地50坪、の余裕ある住宅街となり、(実質的な住所は、川崎市の筈ですが)、アイザック日吉となづけられ、駐車場にずらっと外車が並ぶ住宅街になったのと、少し似ています。

 ただ、名前がいいけれど、アイザック日吉の方は、東横線元住吉駅に出るにしても、日吉駅に出るにしても、絶対に徒歩は、無理な地域です。40分から50分はかかります。バスが、三路線出て居ます。比較して、京急池田分譲地の方ですが、北久里浜駅に徒歩で出るとしたら、6分から、15分で、降りられる(ただし、石段を、300段近く歩くが)ので、実質的に、高級です。しかし、京急と、東急の違い、及び、横浜市(実際の地番は川崎市だと思うが)、と、横須賀市の違いで、アイザック日吉の方が、2000万円位高いでしょう。これもブランドの違いですが、人々は、それを超えられないらしいです。

 この章で、私は理想の住まいと言う事について、いささか触れたいのですが、この鎌倉雪の下二丁目鶯が谷の中古の物件を買って、移り住んだ人たちは、賢いと思っています。中古の家を、いずれ、新築化すればよいのですから。サラリーマンだと、定年退職金が出るでしょう。その時を目当てに建て直せばいいのです。タワマン(特に湾岸の、元オリンピック村)を、数億で買うなんて言うのは、、理想の住まいではないと思っています。

 絶対に、再び、一戸建てへの回帰があるでしょう。しかし、最近の一戸建ては、土地が狭すぎます。

 この写真は、私の実家ですが、これが、今では、三戸に、分割されています。

 日吉駅まで、徒歩15分、バス停が、丘の下に在る、という条件で、1戸が7800万円で売りだされたそうです。非常に高級みたいに感じるが、

 (車が入ってこられないと言う悪条件があるものの)、我が家のご近所の、自然の豊富さに比べると、「こんなに庭のない家を買ったって、だめざんしょ」と、言いたくなります。

 上が、現在の姿です。弟は、「この大谷石の崖を取り壊さないと、新築が出来ない」と、林文子市長時代に、横浜市から厳命をされたので、売ったらしいのですが、この建売住宅は、大谷石の崖を、そのまま使っています。そして、旧神奈川県立美術館(一時期、本館と呼ばれていた)も、坂口準三の設計で、大谷石で、外壁が出来ていたのに、新建材で、覆ってしまわれました。こちらの鶴岡八幡宮文華館のケースは、日吉の実家の弟いじめと連動をしています。で、私が揺籃の地を失ったと言う事で、結局は私の被害とも、なります。

 横浜市長は、松尾崇・鎌倉市長の言うなりで、松尾崇・鎌倉市長は、かまくら春秋社社長、伊藤玄二郎の言うなりです。したがって、山中竹春新市長になってからも対私いじめは続いています。

 今度は、港北区の、日吉ではなくて、神奈川区の反町です。私が、持って居る、小さなアパートの一階に住んでいる、豊里もりやす氏は、契約者(女性)本人ではなくて、契約者との、実質婚のあいてとしての男性らしいのですが、最初の契約書では、そういう人は認めて居ません。

 ところが、・・・・・私だけを貧乏にして、周辺の人を裕福にしていこう。で、私を悲しませてやろう・・・・・で、早くうつ病にさせて、病院へ入院させ、その結果として、このブログを閉鎖させよう・・・・・とする、CIAエージェント、特に井上ひさし等の発案らしくて、(井上ひさしは、公的には、自分を死んだことにしていますが、実際には、まだ生きていますよ)・・・・・その結果、彼は、2023年から、ひと月の生活費、50万円で暮らすことになったのです。

 2013年から、10年間、ここに住んでいてずっと無事だったのにもかかわらず、(無事という事は、経済的にと言う意味でです)急に2022年に生活保護が下りることになりました。夫婦は、入籍していないと思いますので、二人は別々の厚生年金をもらっています。豊里氏は、【沖縄家】と言う料理屋を経営しているそうですが、他に不動産業とか、いろいろ手を広げて、今、鎌倉市で、周辺をブイブイ言わせて、新興有力ビジネスマンとして、威勢の良い、腸詰屋程度の、有名人だったそうです。横浜市・神奈川区とか、横浜市・港北区では。

 で、無論頭はいい人だから、厚生年金制度利用もちゃんとやっていて、社長の給料に似合う年金をもらっていて、もし、実質婚の相手が、同じ料理屋で、働いていた女性だったら、彼女にも当然、厚生年金が下りる様な手配をしている筈なのです。だから、生活保護費が、降りる前でも、二人で、ひと月、25万円~30万円の暮らしをしていたと思うのですが、そこに生活保護費が下りるので、月に50万円程度で、今は、暮らしています。贅沢な事、ぜいたくな事、着ているもの、外出に必ず、タクシーを呼ぶこと。他で、どれほど、豪勢な生活を送っているかが判ります。

 しかも、こういう話を持ってきたのが、警察関係者かもしれません。警察って、CIAエージェントの手下であると言う事が、ここでも、証明されますね。で、豊里氏は、虎の威を借りる事、虎の威を借りる事、すさまじくて、大家である私に対して、どなるのですよ。対面していても怒鳴るし、電話でも怒鳴るのです。それがね、2022年の二月にも一回あって、私は、びっくりして、生活保護費をもらう人に対して、大家が、請け合う書類を出していないし、

・・・・・厚生年金をもらっている筈なのに、生活保護費が出て居るのはおかしいのではないですか?・・・・・・と言う内容証明を、横浜市長、神奈川区長、他、5名連記で、送っていますが、なしのつぶてです。

 そして、この三月末に、もう一回怒鳴られました。もう、本当に出て行ってもらいたいと思っています。

 しかも、リロケーションジャパン、リフォーム部門に二階をリフォームしてもらっていたら、こっそりと、私に一言も声をかけずに、網戸の、取り換え22500円を、頼んでいたのです。無論支払いは、私です。

 私ってね、結構。おかねには、恬淡だったのです。小さいころ、親から、なんでも出してもらっていたのでね。で、何も確かめずに、二階の、網戸の補修箇所の数が、漏れていて、追加請求されるのだろうと思っていたら、「注文書と言うのを、新しく、また、改めて出してください」と、言われたのです。

 リロケーションジャパンって、ものすごくしっかりしている会社で、実際の工事に入る前に、合計四回ほど、書類の交換が必要です。

 ここで、この注文書が、我が家の、鎌倉の家の二階から、盗まれたのです。こんなものを盗む人間がいるなんて、夢にも思いません。だから、何も用心して居なかったら、盗まれたのです。こういうことは、私が、だらしがない人間だと、リロケーションジャパンに、思わせる為でしょう。で、盗まれたことをお断りをしようと、会社に電話を掛けると、驚いたことに警察の人間らしい、相沢と言う人間が出たのです。

 ここから先は、隈研吾氏に入っていくのですが、本日は、そこには踏み込まず、ただ、ただ、横浜市長が、CIAエージェントに突き動かされていて、私に直接の被害を与えていると、言う事を語るにとどめます。隈研吾氏の問題は、別の章で、書きます。

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副題2、『理想の住まいと言う事から、結構離れてしまったが、洋服でも、ブランド品に、凝る人がいる様に、住まいでも、ブランド品に凝る人が居るのだと、気が付いてきている。

 私の北久里浜の家の新しい、賃貸契約が、あすなので、本日掃除に行こうとして、びっくり仰天。もう、荷物を運びこんでいました。だが、それだけではないのです。50年かけて育てた【貴陽】と言う高級なプラムの植木が、根こそぎ無くなっていて、梅も? そして、何より驚いたのは、山茶花の生垣でした。葉っぱが一枚もない形で、剪定されていたのです。今日、働いていた人たちは、21歳、23歳、25歳ぐらいの人で、その三人の中に、植木職の経験がある人が居たら、山茶花は、復活するだろうが、もし、植木職の経験がない人が、剪定したのだったら、50年かけて、育てた、生け垣が、無くなったも同然でした。是には、驚いたねえ。

 まあ、家の中は、どう補修してもいいです。と、前から話して置いたのです。建設会社勤務ですが、どうも、大工見習と言うか大工さんである可能性が高いと、不動産会社が言っていたので、どういう風に変えられるかわからないが、住まいとして住みやすいように変えるだろうから、「かまわないです」と言っていたけれど、庭木が、こういうことになっているとは、本当に驚きました。貴陽は、華がとても美しい樹木です。ただし、実りを迎えるのは、難しい果物です。

 だけど、お顔を見ると、はつらつとして、美形な三人であり、非常に健康そうであり、是でいいのだろうと、納得して帰って来たところです。

 今、若い人たちの結婚観が、二極化しています。有名大学を出て、35過ぎて独身である、お嬢様とか、お坊ちゃまを大勢知っています。その後、気の毒で、どうなったかは、聞くのもはばかられています。特にお嬢様の場合、実は、年齢問題が、厳しいのです。

 それに反して、今回のケースは、契約者ご本人(女性)は、本日は来ていなかったが、サラリーマンであるこれから結婚をするらしい男性ご本人と、その兄弟が助けに来ていたのです。

・・・・・・そちらもひどく若くて、美形同士のカップルで、ちょっと、「結婚をしているのですか?」と、聞くのがためらわれました。同居しているそうでした。合計三人の、ぴちぴちした若い人が、樹木の伐採と掃除と、荷物の運び込みを、一日で、やっていたのです。契約書の交換前だったので、あっけにとられました。と同時に、光にあてられたという趣もありました。

 私の過去の知人たちと、そのお子様方には、絶対にいないタイプの若者たちでした。

 そう、親が有名大学を出て居るせいで、子供も当然、四年制大学に進学するものと、家庭全体で、考えられており、慶応早稲田と言う(または、東大などと言う)有名大学を出たのち、独身である、お嬢様、お坊ちゃまのケースを多数見て来ました。

 しかし、本日であったのは、21歳とか、22歳で、敷地60坪(=207.8平米)の中古建物(27.5坪=90.75平米)を、支配し、たぶんこれから、入籍とか、披露宴を行って、結婚をして、子供も育てる、そういうカップルです。彼らのお顔を見る前までは、・・・・・そんな若い人って、離婚に至るのではないの? 大丈夫?・・・・・・などと、主人に言っていたのですが、非常にかわいいお顔をしているのに、その働きぶりの、大胆さに、圧倒されて、まあ、離婚はないだろうと、考えました。

 私は、こういう若い人たちに初めて出会ったのです。

 なんとなく、横須賀だから、生まれて、成人した、人達と言う感じがしました。日吉の住宅街だと、横並び気質から、必ず、小学校時代から、塾に行きましょうとなって、こういうはつらつとした青年や若い女性は、育たない様な気がします。

 東京駅からの通勤時間を言えば、

 逗子市、藤沢市、海老名市、相模原市なども同等な通勤時間・距離にあります。が、そういう街で、こういうカップルを、二組も同時に、見ることはできない様な気がします。山が険しくて、その集落、集落で、独立した気配のある、横須賀市では、ご近所の、視線を気にしないご家庭があり、そういう家で、こういうお子様が育つのだろうと、感じました。

 私は、今まで、中学や、高校時代の同級生と、結び合う、若くして、美形のカップルを、虐待事件が起きるたびに、論じて来ましたが、

 そんな気配のみじんもない、若くして、はつらつとして、エネルギッシュな、美形のカップルを本日二組見たのでした。

 借り手のお嫁さん候補だけ来ていなかったが、お婿さんと、その、姉夫婦(入籍は、どうか、知らないが)が来ていました。契約者も、姉カップルも、二組とも、ぴかぴかの車を持って居て(と言う事は、収入ががっちりとあると言う事)、そして、体の動かし方において、まあ、元気な事。元気な事。

 この家は、築、五十年で古いです。しかし、父が「あの棟梁は、宮大工級だったね」と言うほど、立派な工務店に建ててもらったので、構造的には、何の、がたも来ていないです。

 これから、彼の特技を生かして、押し入れを洋服ダンス化したりすれば、非常に住みやすい家になる。理想の借り手でした。

 だけど、私達が、もし、足が悪くなったらあそこに住めばいいと言う話は、消えました。もう返してもらえないでしょう。こんなに強い意気込みをもって、働いているのでは。あ、は、は。

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副題3、『今日、出会った21歳の建築会社勤務の青年は、彼の理想の住まいを見つけたと言っていいだろう。ところで、私は、これから、別の家の話をしたい。持ち主の顔さえ知らないのだが、理想の住まいづくりに邁進していた人を知っている。それも、また、横須賀、特に、北久里浜ならではの、ケースだった』

 北久里浜の、京急が開発した住宅地ではない、後発の小規模開発住宅街の、家がそばに、あると、上の方で言っています。その種の、小規模開発の土地で、南北に、5軒ほど、並んで立って居る狭い土地があります。その五軒の内、娘と同級生だった家もありますので、築50年程度の、家が、五軒並んでいるのです。しかし、現住者が居るのは、一軒だけで、他の四軒は、ひと気がありません。無住です。

 これらの五軒は、京急の線路沿いに在る、広い道と、京急池田分譲地から、階段で駅まで降りる細い石段で出来た近道との間の、狭い狭い、宅地に、建っているのです。ただ、擁壁だけは、ものすごく頑丈です。京急池田分譲地の開発計画の中に在る道路だからでしょう。

 その五軒の家の、一番北側は、一番駅に近くて、敷地も広い模様です。がけ下に駐車場もあります。この家は、南北に細長い敷地で、北側に、幅、3間ぐらいの、細い未利用の敷地があり、中央部分が、幅四軒ぐらいで、28坪程度の住宅が建って居ました。

 持ち主は、2013年ごろ、2560万円で買ったといううわさでした。京急池田分譲地の人が通る道なので、みんなが、関心を寄せる家ですが、単に値段が、安いか、高いかで、関心を呼んでいたわけではなくて、持ち主が、働き者だから、みんなびっくりしていたのです。

 まず、彼は、ウッドデッキを作りました。でもね。大工さんではないと思います。大工さんだったら、情報が十分に入るので、中古でも、もっと、条件のいい家を買うと思います。素人の、DIYですが、立派なウッドデッキ、四畳半、プラス三畳を作りました。そして、さらに勉強部屋兼、作業小屋(または、アトリエ)みたいな小屋も作りました。

 さらに驚いた事には、庭石を、30個以上運び込んで、道路から、玄関までの、通路を、コンクリートと庭石で、見事に、美しい道へと、変更していたのです。石だけは、クレーンで釣り上げたと思いますが、それから先、計画通りの場所へ、動かして、備えつけたのは、その男性でしょう。重いのに手で運んだのですよ。

 しかし、その後、私達夫婦は、マンションのエレベーターがひと月1500円で、一般、一戸建て住宅の人も使えるパスがある事を知り、それを申し込むので、この道を通らなくなったのです。しかし、主人が二か月前かな、パスを返上したと言うので、急にこの道を、10年ぶりで、通る事となりました。で、10年ぶりにあの、元気いっぱいの主人が、手を入れていた住宅のそばを通る事となったのです。すると、コンクリートの割れ目から、ど根性雑草が、一メートル近い高さで、生えているし、雨戸が閉まっているのです。

 どうしたんだろうと思いました。あれほど、大切にしていた家です。引っ越したとしても、週に一回は、見に来ている筈です。

 主人は、週に一回か二回は、この北久里浜の家に遊びに行っています。他人に貸している限り遊びには行きませんが、貸していない時期は、週に一回は、遊びに行っていたのです。花や果物を持って帰るのが、日課でした。

 こちら、ウッドデッキを作った家も。持ち主は、あれほど、愛していたのですし、誰にも貸していないのですから、雑草を抜くなどの、手入れに来てもいいはずです。しかし、来ていない。と言う事は、病気か、悪くすると、死が訪れたと、私は、感じました。

 それを家で、主人に話したのです。その上で、五軒の内、たった一軒残っている家に行って、質問をすると、邪険な感じで『あ、我が家への。夫婦の会話の盗聴の結果、・・・・・この家に、質問に来るはずだという、知らせが入っているので、こういう風に邪険なのだ』と感じました。で、その主婦の答えは、「引っ越していった」だけでした。「どこの街へ引っ越して行ったか?」も教えてもらえませんでした。

 だから、ひとの命は儚いと、言う総タイトルは、使えなくなりました。

 むしろ、私の命は、儚いと、言いなおさないといけません。本当に死にそうに疲れています。

ここですが、私の最初の想像通り、この家の持ち主は、病気、または、死亡という形だと思います。そういう想像を知らない人でも、当てるのは、失礼です。もし健康で、一軒だけ住民が住んでいる家の、奥さんの言う通りだったら、大変失礼です。でも、あの奥さんの、意地悪そうな、そして、疑い深そうな表情とは、全く、あれと同じだからです。あれとは、私の悪口を先に聞いていて、私を、悪い人間だと、規定していやな表情ばかり見せる鎌倉雪の下での、ご近所住人、渡辺賢司夫妻のそれと、全く同じだからです。でね。たった24時間のうちに、我が家の、夫婦間の会話を盗聴して、この奥さんに、「こういう風に嘘を言いなさい」と、命令を下のだと思います。誰が、実際に動いたのか?と、言えば、ここの住所は、根岸町2丁目の筈で、そこはそれで、活発な町内会活動があるのです。そちらでの目上の人からの電話連絡か、お子様が居るのだったら、その時のクラスが同じ、ママからの連絡で、そういう措置が可能でしょう。

 本日、2024年4月29日(月)には、NHKが、下山事件について、二番組を再放送しました。二重スパイ、李・某の存在とか、キャノン機関の存在とか、マツダと言う二世の存在とかが出て来て、いろいろ、微妙な事を言っていました。アサッシン(他殺)だと、CIC(駐留軍の、諜報部隊)の、元隊員がはっきり言っています。そういう微妙さは、毎日、24時間、ご近所人間を使って、攻撃(微妙極まりないもの)を、受けている私には、ピーンと来るのです。

 では、何が目的で、あの奥さんに嘘をつかせたかですが、私の文章が、面白くならない様にするためにです。絵、あんなに自分の家を愛して、手をかけていた人も、病気になったか亡くなったかで、石の裂け目とか、コンクリートの割れ目から、ど根性雑草が、一メートルぐらいの高さに、育ち、そして、枯れている。ああ。「無常とは、このことですね」と、私が、気が付いたと言う事が、ベテランの、読み手に言わせると、素敵な発想となるのです。で、それを一般の人が気が付いてはだめだと、言う事になって、あれほど、自分の家を愛していた人が、既に、自分の家にいない理由は、病気か亡くなったという発想を持って居る、私をやっつけるために、そうではないと、たった一軒残った家の住民に言わせているのでした。

 で、これから先に書く予定だったことも別の日に書きましょう。お待ちくださいませ。ともかく、生きて、まだ、いろいろなことを書かないと、いけないので、やる事をセーブしないといけないのです。

@@@@@@ここが書きかけ中の最先端であり、以下はメモです。

すこぶる上がるビル 羽田空港第二ターミナル 松田平田設計事務所

突撃隣のすごい家、

 

24-4-22 石井夫妻宿泊、23日朝、石井梓女史剣吞、そこで、リロケーションジャパンに隈研吾氏が、関わっていることを確信する。

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