TVのニュースを見ていると「名取市閖上地区」とテロップが流れ「ユリアゲ」地区とコメントしていました。
ネットには数多くの情報がUPされています。
その1つが災害前と災害後の航空写真です。
なんとも言葉もありません。
「ゆりあげ」と云う「音」だけならば地名にそれ程関心も持たなかったのですが、「閖上」と云う漢字表記です。一般的にはネット上で紹介されている以下の内容と理解されているようです。
仙台市の南東に位置する名取市。そこで古くからの漁港として栄えた町「閖上」
「閖」という字は,辞書に載っていない珍字です。
古来この地は,「浜にいかだに乗った観音像が揺り上げられた」との伝説から,「ゆりあげ浜」と呼ばれていました。
後の仙台藩主 四代伊達綱宗公が,仙台市の大年寺に参拝の帰り,山門内からはるか東方に,海岸の波打つ浜をご覧になり,家臣のものに地名を尋ねたところ,「ゆりあげ浜」とはいうもののその漢字がないことを知りました。
そこで,「門の中から水が見えた故に,今後,門の中に水と書いて閖上(ゆりあげ)と呼ぶように」とのお言葉で,「閖」という珍字が誕生したとのことです。
急な思い付きなので手元にある蔵書と資料だけなので確かなことは言えませんが、以下にまとめてみました。
封内風土記
古くは「名取の浦」と呼ばれていた。名取川河口の南岸に位置する。
地名の由来は養老三年(七一九)海岸に十一面観音像がゆりあげられたので、ゆりあげ浜と称したという。
「封内風土記」吉田村の項によれば、この仏像はその後吉田村の高館山に移されて羽黒権現として祀られ、のち熊野那智権現と号するようになったといわれる。
閖上の「閖」の字は「奥羽観蹟聞老志」に「按ずるに閖字未だ字書に見えず俗間用い来る」とあるように,従来の漢字にはなく仙台地方だけの文字である(宮城県地名考)。
この文字の成立については,千代藩主綱村が大年寺に参拝したとき,山門内からゆりあげ浜を見て,門構えの中に水を書いて閖上とせよといってできたという(宮城県町村合併誌〉。
また,水門(ミナト)明神の神託により,神名を地名にしたともいう(閖上風土記〉。
伊達政宗が豊臣秀吉からもらい受けた門をそのまま船で運び,この港から水上げしたので閖上の地名が生まれたとの説もある(朝倉日本地名大辞典〉。
観音様が揺り上げられたので「ゆりあげ」と言うのは、地名説話で後世の付会は言うまでもありません。
今、手元にある資料には「養老三年」とありますが「貞観三年」とする説話もあるらしいのです。そうすると西暦869年の「貞観地震」による津波を反映したとも考えられます。
「ゆる・ゆり・ゆずり」などの付く地名は「崩壊地名」と言われるもので、強ち的外れでは無いかも知れません。
古くは「名取の浦」と呼ばれたこの地が何時の頃から「ゆりあげ浜」と呼ばれるようになったか分かりませんが、古くは「淘(ユリ)上浜」「淘揚浜」と表記されていたようで、この「淘」も「淘汰」などの様に「振るい分ける」動作を表します。
淘綾郡(ゆるぎぐん)は相模国にかつて存在した郡名で、今日はここまでに止めておきます。
地名は「音」の持つ意味が大切で、それを表記する外国語である「漢字」に惑わされてはなりません。
閖 国字一覧に「閖」と出ているので一応国字としておきます。
現在、「閖」の使用例は「閖上」のほか「閖前」「閖谷地」の地名に使用されている以外ないようです。そして、いずれも宮城県だけであるから「仙台藩」だけで使用された、と考えられているそうです。
ただ、「澇」の異体字で、日本独自の用法として「しなたり」と言う説があるそうです。
急に思いついて調べたので、資料集めもできず杜撰なモノになりました。
葛の葉さんにご教授お願いしてみようか・・。
ネットには数多くの情報がUPされています。
その1つが災害前と災害後の航空写真です。
なんとも言葉もありません。
「ゆりあげ」と云う「音」だけならば地名にそれ程関心も持たなかったのですが、「閖上」と云う漢字表記です。一般的にはネット上で紹介されている以下の内容と理解されているようです。
仙台市の南東に位置する名取市。そこで古くからの漁港として栄えた町「閖上」
「閖」という字は,辞書に載っていない珍字です。
古来この地は,「浜にいかだに乗った観音像が揺り上げられた」との伝説から,「ゆりあげ浜」と呼ばれていました。
後の仙台藩主 四代伊達綱宗公が,仙台市の大年寺に参拝の帰り,山門内からはるか東方に,海岸の波打つ浜をご覧になり,家臣のものに地名を尋ねたところ,「ゆりあげ浜」とはいうもののその漢字がないことを知りました。
そこで,「門の中から水が見えた故に,今後,門の中に水と書いて閖上(ゆりあげ)と呼ぶように」とのお言葉で,「閖」という珍字が誕生したとのことです。
急な思い付きなので手元にある蔵書と資料だけなので確かなことは言えませんが、以下にまとめてみました。
封内風土記
古くは「名取の浦」と呼ばれていた。名取川河口の南岸に位置する。
地名の由来は養老三年(七一九)海岸に十一面観音像がゆりあげられたので、ゆりあげ浜と称したという。
「封内風土記」吉田村の項によれば、この仏像はその後吉田村の高館山に移されて羽黒権現として祀られ、のち熊野那智権現と号するようになったといわれる。
閖上の「閖」の字は「奥羽観蹟聞老志」に「按ずるに閖字未だ字書に見えず俗間用い来る」とあるように,従来の漢字にはなく仙台地方だけの文字である(宮城県地名考)。
この文字の成立については,千代藩主綱村が大年寺に参拝したとき,山門内からゆりあげ浜を見て,門構えの中に水を書いて閖上とせよといってできたという(宮城県町村合併誌〉。
また,水門(ミナト)明神の神託により,神名を地名にしたともいう(閖上風土記〉。
伊達政宗が豊臣秀吉からもらい受けた門をそのまま船で運び,この港から水上げしたので閖上の地名が生まれたとの説もある(朝倉日本地名大辞典〉。
観音様が揺り上げられたので「ゆりあげ」と言うのは、地名説話で後世の付会は言うまでもありません。
今、手元にある資料には「養老三年」とありますが「貞観三年」とする説話もあるらしいのです。そうすると西暦869年の「貞観地震」による津波を反映したとも考えられます。
「ゆる・ゆり・ゆずり」などの付く地名は「崩壊地名」と言われるもので、強ち的外れでは無いかも知れません。
古くは「名取の浦」と呼ばれたこの地が何時の頃から「ゆりあげ浜」と呼ばれるようになったか分かりませんが、古くは「淘(ユリ)上浜」「淘揚浜」と表記されていたようで、この「淘」も「淘汰」などの様に「振るい分ける」動作を表します。
淘綾郡(ゆるぎぐん)は相模国にかつて存在した郡名で、今日はここまでに止めておきます。
地名は「音」の持つ意味が大切で、それを表記する外国語である「漢字」に惑わされてはなりません。
閖 国字一覧に「閖」と出ているので一応国字としておきます。
現在、「閖」の使用例は「閖上」のほか「閖前」「閖谷地」の地名に使用されている以外ないようです。そして、いずれも宮城県だけであるから「仙台藩」だけで使用された、と考えられているそうです。
ただ、「澇」の異体字で、日本独自の用法として「しなたり」と言う説があるそうです。
急に思いついて調べたので、資料集めもできず杜撰なモノになりました。
葛の葉さんにご教授お願いしてみようか・・。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます