本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

『本能寺の変 431年目の真実』著者の公式ブログです。
通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。

NHK・BS歴史館「本能寺の変の謎」10月20日放送

2011年11月27日 | 427年目からの挑戦
【2011年11月27日追記】総括(追記)
 総括(後編)で「三人のコメンテーターによる討議は本能寺の変研究の迷走ぶりをよく現していたと思います。まさに日本全国どこでも行われているような典型的な本能寺の変討議だったのではないでしょうか」と書き、二人のコメンテーター(磯田氏、黒鉄氏)については具体的な記述を行いました。
 三人目のコメンテーター藤田達生氏について触れなかったのには理由があります。藤田氏は足利義昭黒幕説を唱えているのですが、著書を読む限りでは軍記物に依存していない唯一の研究者と思えたのです。藤田氏の説には「なぜ肝心の毛利氏は事前に何も知らなかったのか」などの疑問が残り、蓋然性(確かさの度合い)不足、つまり証拠と論理性が不足しているのですが、軍記物依存とは別次元の話なので触れませんでした。
 ところが、最近藤田氏の『信長革命 「安土幕府」の衝撃』を読んで驚きました。この本は昨年の12月に出版された本ですが、その中で『太閤記』の記述が数ヶ所使われているのです。「お前もか、ブルータス!」です。自説に都合のよいところは軍記物を利用するという本能寺の変研究界の悪しき常識の底の深さを感じました。正に「衝撃」です。
 軍記物、つまり江戸時代に書かれた「小説」を論拠に一切使用しない本能寺の変研究者は、この世にどうやら私ひとりのようです。恐ろしいことです。

【2011年10月29日追記】総括(後編)
 三人のコメンテーターによる討議は本能寺の変研究の迷走ぶりをよく現していたと思います。まさに日本全国どこでも行われているような典型的な本能寺の変討議だったのではないでしょうか。
 拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』をお読みになった方は私が本能寺の変研究界に失望した理由のひとつが「軍記物依存」であることをご存知ですが、この番組でその現実を目の当たりにして驚かれた方も多いように思います。
 まず口火を切ったのは茨城大学人文学部准教授の磯田道史氏この方は著書『武士の家計簿』が映画化されて話題の歴史学者ですが、WIKIPEDIAによれば「粛軍演説」を行って帝国議会を追われた斎藤隆夫の色紙をみて「自分がきちんと歴史を書かねば正しいことをして不遇に終わった人物は犬死にになる、と思った」と語っており、「歴史をきちんと書く」という姿勢の方のようです。私もこの方の朝日新聞連載記事を読んでいましたので、そのように思っていました。
 ところが、『川角太閤記』の記述を証拠として「光秀は天下を取りたかった」という野望説を支持しました。磯田氏は自ら「この書は2級史料だが」と断りをつけながらも、そこに書かれている一文を証拠採用してしまっているのです。
 番組では漫画家黒鉄ヒロシから「あれは2級どころか3級史料」「光秀と重臣だけの会話を一体誰が聞くことができたのか」と至極まともな反論を受けていました。
 「学者が文献自体の信憑性を疑問視しながらも、その文献に書かれていることは信憑性ありと認める」ことも「学者が専門外の素人から専門文献の信憑性について指摘を受ける」ことも歴史学界だけの特殊な状態であり、他分野の学界ではありえないことではないでしょうか。
 ところが、こんどは黒鉄ヒロシ氏が「光秀は丹波・近江の領地を信長に取り上げられて中国出陣を命じられた」ことを史実として推論を述べました。この話は『明智軍記』に書かれたもので、『明智軍記』は『川角太閤記』と同様の「3級史料」です。これはいったいどうしたことでしょうか。
 黒鉄氏は出典を確かめないで「史実」と思い込んでいたのでしょう。出典を明示しないで軍記物の記述を史実のごとくに書いたりしゃべったりしている研究者は山ほどいます。皆様も本能寺の変や明智光秀についてご存知の知識をすべて疑ってみてください。いずれも軍記物が書いた話のはずです。
 お互いが軍記物の記述を都合よくつまみ食いして自説を論じ合う姿。まさにこれが世の中の本能寺の変議論の縮図なのです!
 このような状況の中で成立している本能寺の変の定説がいかに根拠のないものであるかを以下のページに書いておきましたので是非ご覧ください。私が本能寺の変研究界に失望して、「本能寺の変の謎解きは自分でやらねばならない」と決意した理由をご理解いただけるものと思います。 
 ★ 本能寺の変:定説の根拠を斬る!シリーズ紹介

 拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』出版から既にに2年7ヶ月たちましたが、今回の放送によってまだまだ従来の本能寺の変研究の分厚い壁が私の前に立ちはだかっていることを思い知らされました。それでも拙著が番組で紹介されたということは一筋の光明。読者からの励ましのお言葉を心の支えとして、あきらめずに挑戦を続けます。
 ★ 本能寺の変 四二七年目の真実』読者書評

【2011年10月26日追記】総括(前編)
 再放送も終わりましたので感想をひとこと。
 まず、拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』を取り上げてくださったことに深く感謝しています。出版以来2年7ヶ月にして初のテレビ取材がNHK。よくぞたどり着いてくださいました。
 番組の内容としては「本能寺の変の謎はいまだ混沌」という印象に終わってしまって誠に残念です。「いまだ混沌」の研究界に私が絶望を感じて自分で捜査すると決断したのが7年前。その捜査成果を出版したのが2年7ヶ月前のこと。本能寺の変の全貌はその時に公開されて、すでに謎は残っていないのですが・・・・・・。

【2011年10月21日追記】昨日放送
 昨日放送のNHKプレミアムのBS歴史館「織田信長・本能寺の変の謎~常識を揺さぶるミステリー~」で短時間ですが最新研究として拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』を取り上げていただきました。誠にありがたいことです。23日(日)12時から再放送がありますのでお見逃しの方は是非ご覧ください。よりご理解を深めていただくために下記のページもお読みいただけると幸いです。
 ★ 本能寺の変 四二七年目の真実』出版のお知らせ
 ★ 本能寺の変 四二七年目の真実』読者書評


【2011年10月19日追記】明日放送
 いよいよ明日、10月20日(木)20時NHKプレミアムのBS歴史館で「織田信長・本能寺の変の謎~常識を揺さぶるミステリー~」が放送されます。その中で拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』が取り上げられるようです。どのような料理のされ方をされるかわかりませんので、私の「真相解明・本の出版」にいたった真意を以下のページでご紹介しておきます。拙著出版にあたって書いた一文です。ご一読いただければ幸いです。
 ★ 本能寺の変 四二七年目の真実』出版のお知らせ

【2011年10月18日追記】
 拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』の出版元「プレジデント社」がtwitterとホームページで10月20日放送BS歴史館の宣伝をしてくださいました。
 ★ プレジデント社のtwitter
 ★ プレジデント社のホームページ

 これで当日の放送が滑ってしまうとプレジデント社に会わす顔がありません。NHKプレミアムBS歴史館の番組スタッフ皆様に祈るような気持ちです。

【2011年10月16日追記】
 NHK・BSオンラインやエンタ魂ニュース・トピックス2011年10月13日のサイトを見ると、今回の番組の売りは「信長の肖像画を秀吉が地味に書き直させたという事実が2011年に発見された!」ということのようです。
 早速調べてみると中日新聞のサイトにその記事がありました。さすが地元です。Dailymotionにはこの件について動画で説明が行われています。
 私の歴史捜査の結果を補強する「発見」なのでうれしいのですが、愛宕百韻の光秀発句「ときは今 あめが下しる 五月かな」が秀吉によって改ざんされていたという決定的に重要な私の「発見」は果たして放送されるのでしょうか?
(取材内容は事前に言わないようにと番組スタッフから釘を刺されていますので、これ以上は言及しないようにいたします)
 ★ 通説の創作者は秀吉
 ★ みんな秀吉にだまされた

【2011年10月15日追記】
 NHK・BSオンラインのサイトにも番組の紹介が掲載されました。番組タイトルは「織田信長・本能寺の変の謎~常識を揺さぶるミステリー~」です。

【2011年10月13日追記】
 来週のBS歴史館の放送内容がようやく公開されましたので、ご紹介いたします。
 エンタ魂ニュース・トピックス2011年10月13日に「本能寺の変、明智光秀”動機”最新研究」と題して記事が書かれています。
 それによると光秀謀反の動機に焦点を絞って「最新研究で、はたしてどこまで真相に迫れるのか。諸説の最新情報を織り交ぜながら、戦国ミステリーを堪能する」とのことです。私の歴史捜査の成果が最新研究として放送されるのではないかと期待できます。放送日時は下記の通りです。

  放送 10月20日(木)20:00
 再放送 10月23日(日)12:00、26日(水)0:00(25日深夜) 

【2011年10月2日記事】
 先日、BS歴史館のスタッフが自宅に来てビデオ撮りを行いました。
 BS歴史館はNHKのサイトを見ると次のような番組と書いてありますので、私の歴史捜査結果を真面目に取り上げてくれるものと期待できます。
 「いま」につながる歴史上の大事件、事象に光を当て徹底検証。新しい視点で歴史の新事実を浮かび上がらせる。各分野の歴史好きが集まり、歴史上の出来事や歴史上の人物を現代の目線で読み解いていく。「過去」を「現在」につなげる新しい歴史エンタテイメント。 
 ★ NHKオンデマンドBS歴史館

 放送日は2011年10月20日(木)20:00とのことです。
 内容については事前に公表しないようにと釘を刺されておりますし、収録したものがそのまま放送されるわけでもないので今は何も申し上げられません。数年前、あるテレビ局で1時間ビデオ撮りしたときに放送されたのはたった一言だけだったことがありました。今回は2時間以上撮影しましたので、もう少し長いと期待していますがどうなりますか。編集でバッサリ切り落とされなければ、2009年3月の拙著『本能寺の変 四二七年目の真実出版以来の記念すべき初テレビ出演となります。
 是非、ご覧になって感想をお寄せください。

 なお、BS歴史館は10月から放送時間が次のように変わるとのことです。
   NHK BSプレミアム
   毎週木曜日 20:00~20:57
   (再)毎週日曜日 12:00~13:00
   (再)翌週水曜日 0:00~1:00(火曜日深夜)

 ★ TBSラジオ「安住紳一郎の日曜天国」出演
 ★ 横浜田園都市線エリアFM-Salus出演
 ★ NHKラジオ第1「ラジオ井戸端会議」出演


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本能寺の変 四二七年目の真実
明智 憲三郎
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んっむ~! (近江商人門坂子孫)
2011-10-03 12:53:33
BS契約してないから、自宅では拝見できませんわ!なんらかの方法で兄とかなら契約してるから、頼み込んでみますわ!
 楽しみですね!
返信する
加来耕造氏のインチキさ (福島県在住)
2011-10-03 18:20:03
加来耕造がTBSの今夜はヒストリーでは、「明智軍記」そのままにしゃべっていました。
しかし日テレのみのもんたの歴史番組(歴史は後から作られるというコンセンス)では

「敵は本能寺にありという有名な言は、100年以上後の明智軍記による創作なのでウソなんです」と得意のニヤケ笑いで語っていました。
まさに曲学阿世。時と場合によって持論を変えると言うことは、
真実を知りながらもバラエティー番組系列では明智軍記の方が面白いから、史実を捻じ曲げるということです。

むろん加来耕造のような、マスコミ歴史御用学者は山のようにいますでしょう。

それらの自称歴史学者と時代劇により、過去の歴史上のできごとが人々脳裏にインプットされてしまうのです。
ちなみに我が家はBSもCSも見れるので、明智さんの顔を初めて拝見できますね

きっと市村正親さんに似ているんでしょうね。
返信する
曲学阿世 (明智憲三郎)
2011-10-14 22:00:24
 「曲学阿世」は吉田茂首相の言葉として子供のころの記憶に残っています。その時の意味とは違いますが、この数年、歴史捜査に邁進した私にはこの言葉に感じるものがあります。もちろん無原則に広げるつもりはありませんが、本能寺の変歴史研究の「曲学阿世」の壁の厚さ・高さの前に呆然としているのが実感です。
 吉田首相が思わずこの言葉を叫んだ気持ちと若干でも共有する部分があるのかもしれません。

返信する
あ~あ (近江商人門坂子孫)
2011-10-20 14:29:35
放送の事忘れてましたわ!
どにもならんかな?今日何時からですか?
新聞取ってないから後で買いますわ!

 昨日の水曜日、安土城へ行ってきました。
特製明智光秀帽子を被り、水色桔梗のトートバックにカメラ3台入れて、撮影しまくりました!
平日にもかかわらず、江~姫達の戦国の影響か30人ぐらいの人たちと出会いました。
 お話した方は東京から来られてました。
僕が、明智様の格好をしてるので、なんでやねん!みたいな感じで見られてしまいました。

 12の水曜日は、本能寺跡と現在の本能寺に行きました。このときも明智様の格好で・・・。
返信する
なかなかの好々爺(美男子) (福島県在住)
2011-10-21 09:33:23
学者肌、ちょっと気難しそうな見た目、明智の血統を受け継ぐ人間

織田信成君とは違う独特な貫禄があってお美しいオーラを見れました。

まだまだ現役ですね。
返信する
恐縮です (明智憲三郎)
2011-10-21 21:08:02
 好々爺も、ましてや美男子も人生64年この方言われたことがないので恐縮です。「学者肌、ちょっと気難しそう」は私のテレビ向けの演技だったかもしれません。
返信する
BS歴史観の感想 (マーシーズ)
2011-10-23 15:10:27
初回放送の冒頭を見逃し、今日ようやく全部を見ることができました。

義昭黒幕説の藤田さんが出てきた時点で結局藤田説にもっていく構成かなと危惧しましたが、磯田さんが義昭説を否定するなど、ゲスト三人のあいだにも緊張感はありましたね。

しかし、明智さんの説も谷口さんの説も核心は紹介されず、掘り起こした事実だけでしたね。一つ一つの星は示すものの、そこからどういう星座を描くのかは視聴者に委ねるという、いかにもNHKらしい構成だったと思います。

私としては家康の関与を磯部さんなどが頭ごなしに否定するのはなぜかが知りたいですね。義昭黒幕説の場合、毛利輝元が知らなかったわけですから、ありえないというのは明らかだと思いますが。

ともあれ明智さんの素顔をTVで見られたのが最大の収穫でした。いびきの話から、失礼ながらもっと太った方かと想像してました(笑)。
返信する
私ももう少し太った方かと勘違い ((福島県在住))
2011-10-23 15:25:00
伊集院光さんとか、草野仁さんのイメージでしたが、実際は緒方拳、長門裕之似だと思いました。

無理を言えば片岡鶴太郎や北大路欣也さんにも似ている気がします。
返信する
明智先生は政治にも関心がおありでしたね ((福島県在住))
2011-10-23 15:38:17
日本共産党と創価学会との合意についての協定出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(創共協定から転送)
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日本共産党と創価学会との合意についての協定(にほんきょうさんとうとそうかがっかいとのごういについてのきょうてい)とは日本共産党と創価学会との間で1974年に調印され1975年に発表された協定。略称は創共協定、または共創協定。

概要 [編集]1970年代、日本共産党と創価学会とは互いに支持層が重なることもあり、20年に渡り、選挙活動の中で激しいビラ合戦、非難合戦を行うなど対立が続いて来た[1]。

1974年7月、第10回参議院議員通常選挙の直後、創価学会文芸部部長が、日本共産党の支持者であり池田大作創価学会会長と対談をしたこともある作家松本清張の自宅を訪問。その際、松本がトップ会談を提案する。

同年10月28日に創価学会総務野崎勲と日本共産党常任幹部会委員上田耕一郎が予備会談を行う[1]。相互理解や敵視政策の撤廃などを骨子とする旨の協定が調印された。協定の期間は10年とされ、協議によって更新されるとした。その後、宮本顕治日本共産党委員長と池田大作創価学会会長が2度トップ対談を行った。

協定は公明党と共産党の政党間で結ばれたのではなく、創価学会が公明党の頭越しに、選挙戦で直接対峙する共産党との間に結んだものである。

1975年7月27日に協定は公表された。しかし、共産党との協定が今後の政党間の枠組みに影響を与えると考えた公明党が反発。公安や警察が警戒して動き出し、自民党の中からも巻き返しの動きが出た[1]。創価学会も態度を変え、協定は公表と同時にほぼ死文化した。

1980年、創価学会の顧問弁護士山崎正友を中心とした宮本顕治宅盗聴事件が発覚して両者の対立は決定的となり、協定の更新は行われなかった。

脚注 [編集][ヘルプ]
^ a b c 朝日新聞アエラ編集部 『創価学会解剖』(朝日新聞社 2000年1月1日) ISBN 978-4022612861
関連項目 [編集]日本共産党
公明党
創価学会
<平成の松本清張になってはもらえませんか?>
返信する
拝見できそうです! (近江商人門坂子孫)
2011-10-24 20:28:13
仕事場はテレビ映らないようになってた電鉄会社のビルなんですが、明日観れるように兄が手配してくれはったんで、3回目の再々再放送が26日に有るらしいので、録画で拝見出来そうです!
 楽しみですわ!
返信する

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