友人が来たので、韮山反射炉に行くことにしました。
今日も観光客の方でいっぱいです。前回行ってからまだ1か月ほどですから、隣接する物産館に設置されているビデオでいろいろ「学習」して待つことにしました。韮山反射炉建設に尽力した江川坦庵という人は、なかなかの傑物であったことがわかりました。
韮山役所を兼ねた江川邸が公開されているというので足を延ばすことになりました。と言っても車で10分足らず。武家屋敷らしい豪壮な玄関ですでにびっくり。
玄関わきの見学者用通路を通って行きますが、楓と樫の木が宿った桜の木が目に入りました。すっかり葉を落としたサクラの幹から見事な紅葉が青空に映えていてちょっと目を疑いました。
入り口でまたもびっくり。
室町時代に建てられたこの建物は、高さが約12メートルもある小屋組みの見事さで有名なのだそうですが、江戸時代に修築されたもののめずらしいことに火災にあってない!
古文書もたくさん残されていて、国の重要文化財に指定されているというのもうなずけます。
江川家は江戸時代を通じて代官を世襲して勤めたこと(これは珍しい)またその領地は伊豆、甲斐から駿河、武蔵、相模にも及んだと知りました。
江川坦庵は幕末の人で、渡辺崋山や高野長英等から海外情勢などの情報を得、憂国の思いは深かったようです。沿岸防備(台場の建設)銃砲建設のための反射炉建設、農兵制度、西洋造船技術導入、江川塾での教育などなど活躍の場は多岐にわたります。
日本で初めてパンを焼いて、パン祖と言われているそうです。また文人としての作品も多数展示されていました。
家臣の娘の嫁入りに際して持たせた書状。2行目「プリプリしてはいけません」ですって。
大代官らしく米蔵もなかなか見ごたえがあります(中は資料館)
文化人ですから、お蔵でまたもやびっくりするものに出会いました。利休の花生(のレプリカ)。
有名な銘「園城寺」の花生は江川邸に生えている割れ目の入った韮山竹を使って作られたことを知りました。
秀吉の小田原攻めの時には、韮山城は北条方家臣だったとか、利休が、江川邸の竹を切って作った花生けを使って小田原一夜城内での茶会に使ったとか、歴史が急に身近に迫ってきました。
この古文書には面白いことが書いてありました。
1862年。養老手当の支給です。80歳以上になると支給されたそうですが18人中15人が女性。
志んさんと里んさんはなんと97歳。男性は治郎吉さんの87歳が最高齢でした。
12月7日は小春日和のいい天気でしたから、もう少し遊ぼうということになって、伊豆長岡まで足を延ばしてランチを楽しみました。
ホテルは、もちろんクリスマスムードいっぱい。食事も楽しいのですが、きれいなものやかわいいものに出会うととっても得をした気分になります。
オーナメントが外国製らしく珍しいものでした。
いかにも外国製でしょ。
レストランの入り口