ある日のこと、お月様は腹が減ったと地上に降り立ちた。お月様のことが大好きな村一番のパン屋の主人がお月様に声をかけた。「これはこれはお月様。私はこの世で1番のパン職人です。どうかうちのパンを召し上ってください」これに対しお月様は「いまはそんな気分ではない」とパン屋の主人を一瞥(いちべつ)しその場から離れていった。これに傷ついたパン屋の主人はもうお仕舞いだと店をたたんでしまった。次に肉屋の旦那が彼の息 . . . 本文を読む
山に虹のかかる
その姿みたひとの影なし
赤い目の兎だけがじっとそれをみて首をかしげた
懐かしき故郷はどこにあったかと
月のうえ
島のそと
海のそこ
鳥となり獣となり魚となりて
どこを探しても見つからなかった我が里の音(ね)は
桜の木の下に眠っていると
狐は兎をたぶらかし
山の蛇はそんなふたりを丸ごと呑みこんだ
陽当たりの良すぎる山辺から
のびた虹は野山をかけてすうっと消えた
その姿みたひとの影な . . . 本文を読む
掛け合わせることでねばねばになった心持ちのそのねばねばがたいそう気持ち悪くて水で洗い流そうとしたじゃぶじゃぶと水で洗い流せるようなしろものではないと知りながらそれでも水にすがろうとするのはわたしが瑞穂の国の産まれだからなのかもしれないもっとからりとした土地に生まれ出づればわたしの性質(たち)もそれに似通っていたものであったろうとまるで水には似付いていないいまの自分を棚に上げてのたまえばその棚の上か . . . 本文を読む
ぐるぐると腹がへった身体はぐるりと反転し空とつながった不器用なからだ空腹は満たされることなく青空と重なりどこまでいっても果てのない空にわたしは戸惑い空(す)いた腹に両手をあてて温めた穴のあいた空も腹を空かせているのかとなにも食べたことのない空を見上げた先に真っ白な太陽は輝いている . . . 本文を読む
熱は水となり流れ落ちていったその清らかな雨にさらされて静かな波間にまた熱をもつおだやかな海のそこにあるものは産まれて消えてなお行き場なきものぐつぐつとゆらゆらとやがてまるでちがう景色は現れた空のある場所にその熱はまた巡りて誰かを見つける誰の目にも届かない場所からわき上がるもの沸いて、湧いて、わき上がれからだの内側に眠る熱は心臓と同じ音がした . . . 本文を読む
シャーペンの上についていた消しゴムをずいぶんと前に失くしたが、それが見つかる夢をみた。夢のなかでみつけても、現実のシャーペンの消しゴムはないままだけども。夢のなかでわたしは「あ、あった」と思った。黒くて小さな、円柱型のその消しゴムは夢のなかでも小さいままだった。夢のなかのわたしは、それをわたしが失くしたことを知っていた。現実のわたしももちろんそのことを知っている。もし現実のわたしがそれを見つけたら . . . 本文を読む
なくなっていったものたちの欠片を追い求めるなくした悲しみすら失われていく記憶のなかでみずうみは水を飲みこむその水はもうその在処(ありか)もなくどこにもいなくなったどこにでもいる自分に戸惑いやがてその惑いすら忘れ去られてみずうみとなるどうでも良くなってしまったもののなかにはなにかとても大切なものがあった筈なのにぐるりはどうでも良くなったガラクタばかりでこのなかのどれがそれにあたるのかなにひとつ分から . . . 本文を読む
ブラインドカーテンが開かれて視界は明るくなったくらくら、暗暗曇り空の都会の山々は窓の外ここからは白い頂(いただき)の稜線には届かずに反対方向に向けられた視界は世界を一巡りしてその真白き山頂をみるまぶしい曇り空の反射に目は眩(くら)むくらくら、眩眩目くるめくひかりの在処とは全く異なるところから放たれる熱にわたしは眉をひそめて汗をぬぐった冷たい風が頬をよぎる頃わたしの居場所は開け放たれて迷子になった灰 . . . 本文を読む
あなたの未来はどちらにありますか
わたしの未来は向かって右手にございます
過去は向かって左手にあたります
あなたのかつてはどこにありますか
右側ですか それとも左手?
いま目の前にあるのがそれだというのは
流石にないでありましょう
未来の居場所はどこですか
前方方向にあるのでしょうか
それとも背中で受けとめますか
あなたの立ち位置はどこですか
目の前にあるものは果たしてどちらでしょうか
いまこの瞬 . . . 本文を読む
雨と月の降る夜に泥泥とした感情は水に洗い流されて感情はひかりに照らされたきれいなものを大切にしていた過去と歓びに満ちあふれていた身体を置き去りにしてそれでも笑いながら生きていく毎日にたとえ褒めたたえる者が誰もいなくても夜空に抱かれてわたしは眠る雨と月の降る夜にわたしの一部はかすかに輝きを取り戻しかつて置いてけぼりにしたとてもきれいなものを思い出すそうやって見つめ返されたその先に洗い流された記憶は再 . . . 本文を読む
大切な物語は取り残されて大切な物語は置き去りにされた忘れ去られた大切な物語をいくつも沈めてきたみずうみは光る光の在処は所在なく行き先を求めないままたゆたったたわむ身体から笑い声はこだましてそっちじゃないよと呼ぶ声はみずうみの外側に留まっている彩りを放棄した水の溜まりにいくつもの歌声は掛け合わされて海となった淀んだ膿みは海底に沈んでそこにある穴から地上の住処に注(そそ)がれる光るみずうみに雨は降る澄 . . . 本文を読む
いくつもの穴が空いているそらに青色の穴は重なり真昼のそらを包みこむ誰が空けた穴かいつ空いた穴かあまりにもぽっかりと空いた穴は広々として誰もそらに穴が空いているのだとは気付かずにみんな知らずに享受している未来からの落とし物と過去からの贈り物穴の空いたそらに夜は黒色に空けられた穴に包まれて人々はこぼれ落ちた記憶と思い出話に浸(ひた)される誰かの悲しみに重なりて誰かの喜びを抱きしめるそこから現れた涙と歓 . . . 本文を読む
まだ春遠く
冷たい空気はどこまでもわたしを包み込む
耳の感覚がわたしからかけ離れていった
全力で駆けていったあとの呼吸を忘れたからだのように
息苦しくて溺れたみたいな
凍てついた耳たぶに触れたあなたの指先は
やわらかな春の気配によく似ていた
芽吹く感情に急いでフタをした大地に
あたたかな陽射しはふりそそぐ
感情は土のなか
にも関わらず胎動は止まずにむずむずと
いつかはきっとあらわになるものを
い . . . 本文を読む