(1980/ロバート・レッドフォード監督/ドナルド・サザーランド、メアリー・タイラー・ムーア、ティモシー・ハットン、ジャド・ハーシュ、エリザベス・マクガヴァン、ダイナ・マノフ/124分)
「明日に向って撃て! (1969)」や「スティング (1973)」で溌剌とした演技を見せていたレッドフォードが、40代半ばにして初めて監督に挑戦した映画であります。
『レッドフォードはアメリカの矛盾の象徴だ。華やかに見えるが、実は複雑で暗さもある』
かつてシドニー・ポラックが語ったのが、なるほどと納得できる意外なテーマの作品でした。
ジュディス・ゲストが書いた原作小説のタイトルは映画と同じ【Ordinary People】。しかし日本で出版される際には「アメリカのありふれた朝」という邦題が付けられました。アメリカ中北部、イリノイ州の州都シカゴの近郊に住むある弁護士一家の話です。
パッヘルベルの「♪カノン」が静かに流れる中、秋の装いを始めた風景ショットが連続するオープニングは、まるでベルイマンかシリアスなウディ・アレンの映画の様。やがて、校舎の中で合唱をしている高校生達のショットに切り替わり、徐々にある男子学生(この映画の主人公の一人、弁護士の息子であるコンラッド)にフォーカスされていく。と突然、今度は彼がうなされた後のように汗をかいてベッドで飛び起きるシーンになる。合唱している時もどことなく神経質そうにみえていたが、まだ夜中だというのに・・。
その頃、コンラッドの父カルビン・ジャレットと母親のベスは知人と共に艶笑喜劇の舞台を楽しんでいた。いや、カルビンだけは疲れているのか、欠伸を繰り返していた。
帰ってきた夫婦は、2階のベッドルームに上がっていく。先に上がるのはベス。そしてカルビンが続く。
階段を上がりながらカルビンは息子の部屋のドアから明かりが漏れているのに気付く。ベスはと見ると、彼女は何事もなかったかのようにさっさと部屋に入っていった。
父親は息子の部屋のドアをノックし、ベッドの息子はあわてて本を開いて勉強をしていた振りをする。
『眠れないのか?』
『いや』
『例の医者に行ってみたらどうだ?』
『大丈夫だよ』
『無理するなよ』
翌朝のコンラッドは明らかに寝不足の顔をしていた。まだ、自分の部屋だ。
階下ではカルビンが朝食を摂っており、ベスはコンラッドの分のフレンチトーストを焼いている。ベスに促されてカルビンがコンラッドを呼ぶ。何度目かの呼びかけにようやく降りてきた息子は、母親が差し出したお皿に目を通すも、今朝は食欲が無いんだとつぶやいて手を付けない。それを聞いていたベスは、夫の「後で食べる気になるかもしれない」との制止を無視し、息子の目の前のフレンチトーストの皿を取り上げてシンクの中に捨ててしまう。
『だって、腐ってしまうもの』
ここまでの序盤で、この一家の様子がなんとなく分かってきますね。
高校生の息子は心に悩みを抱えていて、父親はそんな彼を心配しているが、母親は妙に息子に冷たい態度をとっている。
いったい何故?
ネタバレになりますが、少しだけ背景を語っていきましょう。
実はコンラッドにはバックという兄がいて、半年ほど前のこと、この兄弟がヨット遊びをしていて嵐に遭遇し、バックだけが溺死してしまったのです。兄の死に責任を感じたコンラッドは、その後リストカットによる自殺を図り、たまたまその夜早く帰って来ていたカルビンが発見し大事には至らなかった。4ヶ月の療養期間を過ごしたコンラッドが退院したのが、およそひと月半前。そんな状況の一家の物語なのです。
ウディ・アレンの「インテリア」に、自分の趣向には完全主義を貫くのに、自分以外の人には身近な家族の心情にさえも無神経な母親が出てきますが、ベスにもその傾向がありますね。自分の感性を絶対とは思っていないけれど、生き方も価値観も変える気はない女性。
ベスはバックを溺愛していて、そりが合わないコンラッドとは事故の前から意思疎通が上手くいってなかった。そこに悲惨な事故が発生し、加えてコンラッドの自殺騒ぎ、入院とベスにとっては彼女の人生にあってはならない事件が続いた。それ故のコンラッドへの冷たい態度なのでした。
はたしてこの後、この家族にはどんな未来が待っているのか・・・。
『初監督作品には、人間の行動や感情を描いたものがイイと思った』
アクターズスタジオでのインタビュー番組で、当時を振り返ってそう語ったレッドフォードは、この作品で1980年度のアカデミー賞で監督賞を獲り、併せて作品賞も受賞しました。
『演技には妨げになると、撮影用語等を覚えないようにしてきたが、監督をするとなるとコレが一苦労だった。撮影監督はレンズの種類やら、ズームの方法などを聞いてくるが、自分は用語を知らない。それで、終いには全てのシーンの絵コンテを描いて指示をすることになった』(アクターズスタジオ・インタビューより)
キャメラは「恋愛小説家 (1997)」などのジョン・ベイリー。
1973年の「ペーパー・ムーン」でオスカー初ノミネートされたアルヴィン・サージェントは、フレッド・ジンネマンの「ジュリア (1977)」で初受賞、この「普通の人々」で二度目の脚色賞を獲得しました。フラッシュバックを多用して、徐々に事故の様子や家族の背景を明らかにしていく脚本は緊張感に溢れ、登場人物への関心を高める効果もありました。
音楽は、「追憶 (1973)」、「スティング」でオスカー受賞のマーヴィン・ハムリッシュ。
何事にもネガティブだったコンラッドが少しずつ自己と家族に向き合い、精神的に自立していく姿を演じた弱冠二十歳のティモシー・ハットンは見事アカデミー助演男優賞を獲得。
コンラッドの自己解放を手助けする精神科医に扮したジャド・ハーシュも助演男優賞にノミネート。
そして、既にコメディエンヌとして名を成していたメアリー・タイラー・ムーアはシリアスドラマに新境地を開拓。彼女もアカデミー主演女優賞にノミネートされ、ゴールデン・グローブで初めて女優賞を受賞しました。
心理ドラマなので、いくつか掴みきれていない心情や意図の不明なシーンもあり、原作を読んで確認したいと思っています。
▼(ネタバレ注意)
原作本について書かれているブログ(「日々のこと2」)を発見。中にこんな文章があり、それはかなり映画での疑問点を補えるもののように感じましたので、転載させていただきます。
<結局、母親は「しばらく旅行に行く」ということで家を出てしまうのだけど、結末が暗くないのは、ラスト近くで、母が自分の母親にあてた手紙(エーゲ海を「子どもたちの描いた絵のよう」という)や、あとで母親の荷物を整理したときに見つかる、子どもたちの宿題や工作、次男がプレゼントした手作りのカードなどの描写、そして「自分にとって何の意味もないものなら、あんながらくたを大切にとっておくだろうか?」という作者からの問いかけ、によるものなのだろう。
次男はその後、結局自分を罰するとともに、母親のことも罰していたのだと思い至る。
ラストで、自殺未遂以来勝手に遠ざけていた幼馴染の家を訪ね、憎まれ口を叩きあいながら母のことを思うシーンでまた涙、涙。>
昔観た時には否定的に見ていたラストシーンも、今回の再見ではひょっとしたら彼女が戻ってくるという展開も有りなのかなと感じたのが間違いではなかったと思える原作のようでした。
▲(解除)
※ 追加記事、ネタバレ雑感はコチラ。
「明日に向って撃て! (1969)」や「スティング (1973)」で溌剌とした演技を見せていたレッドフォードが、40代半ばにして初めて監督に挑戦した映画であります。
『レッドフォードはアメリカの矛盾の象徴だ。華やかに見えるが、実は複雑で暗さもある』
かつてシドニー・ポラックが語ったのが、なるほどと納得できる意外なテーマの作品でした。
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ジュディス・ゲストが書いた原作小説のタイトルは映画と同じ【Ordinary People】。しかし日本で出版される際には「アメリカのありふれた朝」という邦題が付けられました。アメリカ中北部、イリノイ州の州都シカゴの近郊に住むある弁護士一家の話です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/55/af0180069c72e485236b608b44212368.jpg)
その頃、コンラッドの父カルビン・ジャレットと母親のベスは知人と共に艶笑喜劇の舞台を楽しんでいた。いや、カルビンだけは疲れているのか、欠伸を繰り返していた。
帰ってきた夫婦は、2階のベッドルームに上がっていく。先に上がるのはベス。そしてカルビンが続く。
階段を上がりながらカルビンは息子の部屋のドアから明かりが漏れているのに気付く。ベスはと見ると、彼女は何事もなかったかのようにさっさと部屋に入っていった。
父親は息子の部屋のドアをノックし、ベッドの息子はあわてて本を開いて勉強をしていた振りをする。
『眠れないのか?』
『いや』
『例の医者に行ってみたらどうだ?』
『大丈夫だよ』
『無理するなよ』
翌朝のコンラッドは明らかに寝不足の顔をしていた。まだ、自分の部屋だ。
階下ではカルビンが朝食を摂っており、ベスはコンラッドの分のフレンチトーストを焼いている。ベスに促されてカルビンがコンラッドを呼ぶ。何度目かの呼びかけにようやく降りてきた息子は、母親が差し出したお皿に目を通すも、今朝は食欲が無いんだとつぶやいて手を付けない。それを聞いていたベスは、夫の「後で食べる気になるかもしれない」との制止を無視し、息子の目の前のフレンチトーストの皿を取り上げてシンクの中に捨ててしまう。
『だって、腐ってしまうもの』
ここまでの序盤で、この一家の様子がなんとなく分かってきますね。
高校生の息子は心に悩みを抱えていて、父親はそんな彼を心配しているが、母親は妙に息子に冷たい態度をとっている。
いったい何故?
ネタバレになりますが、少しだけ背景を語っていきましょう。
実はコンラッドにはバックという兄がいて、半年ほど前のこと、この兄弟がヨット遊びをしていて嵐に遭遇し、バックだけが溺死してしまったのです。兄の死に責任を感じたコンラッドは、その後リストカットによる自殺を図り、たまたまその夜早く帰って来ていたカルビンが発見し大事には至らなかった。4ヶ月の療養期間を過ごしたコンラッドが退院したのが、およそひと月半前。そんな状況の一家の物語なのです。
ウディ・アレンの「インテリア」に、自分の趣向には完全主義を貫くのに、自分以外の人には身近な家族の心情にさえも無神経な母親が出てきますが、ベスにもその傾向がありますね。自分の感性を絶対とは思っていないけれど、生き方も価値観も変える気はない女性。
ベスはバックを溺愛していて、そりが合わないコンラッドとは事故の前から意思疎通が上手くいってなかった。そこに悲惨な事故が発生し、加えてコンラッドの自殺騒ぎ、入院とベスにとっては彼女の人生にあってはならない事件が続いた。それ故のコンラッドへの冷たい態度なのでした。
はたしてこの後、この家族にはどんな未来が待っているのか・・・。
*
『初監督作品には、人間の行動や感情を描いたものがイイと思った』
アクターズスタジオでのインタビュー番組で、当時を振り返ってそう語ったレッドフォードは、この作品で1980年度のアカデミー賞で監督賞を獲り、併せて作品賞も受賞しました。
『演技には妨げになると、撮影用語等を覚えないようにしてきたが、監督をするとなるとコレが一苦労だった。撮影監督はレンズの種類やら、ズームの方法などを聞いてくるが、自分は用語を知らない。それで、終いには全てのシーンの絵コンテを描いて指示をすることになった』(アクターズスタジオ・インタビューより)
キャメラは「恋愛小説家 (1997)」などのジョン・ベイリー。
1973年の「ペーパー・ムーン」でオスカー初ノミネートされたアルヴィン・サージェントは、フレッド・ジンネマンの「ジュリア (1977)」で初受賞、この「普通の人々」で二度目の脚色賞を獲得しました。フラッシュバックを多用して、徐々に事故の様子や家族の背景を明らかにしていく脚本は緊張感に溢れ、登場人物への関心を高める効果もありました。
音楽は、「追憶 (1973)」、「スティング」でオスカー受賞のマーヴィン・ハムリッシュ。
何事にもネガティブだったコンラッドが少しずつ自己と家族に向き合い、精神的に自立していく姿を演じた弱冠二十歳のティモシー・ハットンは見事アカデミー助演男優賞を獲得。
コンラッドの自己解放を手助けする精神科医に扮したジャド・ハーシュも助演男優賞にノミネート。
そして、既にコメディエンヌとして名を成していたメアリー・タイラー・ムーアはシリアスドラマに新境地を開拓。彼女もアカデミー主演女優賞にノミネートされ、ゴールデン・グローブで初めて女優賞を受賞しました。
心理ドラマなので、いくつか掴みきれていない心情や意図の不明なシーンもあり、原作を読んで確認したいと思っています。
▼(ネタバレ注意)
原作本について書かれているブログ(「日々のこと2」)を発見。中にこんな文章があり、それはかなり映画での疑問点を補えるもののように感じましたので、転載させていただきます。
<結局、母親は「しばらく旅行に行く」ということで家を出てしまうのだけど、結末が暗くないのは、ラスト近くで、母が自分の母親にあてた手紙(エーゲ海を「子どもたちの描いた絵のよう」という)や、あとで母親の荷物を整理したときに見つかる、子どもたちの宿題や工作、次男がプレゼントした手作りのカードなどの描写、そして「自分にとって何の意味もないものなら、あんながらくたを大切にとっておくだろうか?」という作者からの問いかけ、によるものなのだろう。
次男はその後、結局自分を罰するとともに、母親のことも罰していたのだと思い至る。
ラストで、自殺未遂以来勝手に遠ざけていた幼馴染の家を訪ね、憎まれ口を叩きあいながら母のことを思うシーンでまた涙、涙。>
昔観た時には否定的に見ていたラストシーンも、今回の再見ではひょっとしたら彼女が戻ってくるという展開も有りなのかなと感じたのが間違いではなかったと思える原作のようでした。
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※ 追加記事、ネタバレ雑感はコチラ。
・お薦め度【★★★★=友達にも薦めて】 ![テアトル十瑠](http://8seasons.life.coocan.jp/img/TJ-1.jpg)
![テアトル十瑠](http://8seasons.life.coocan.jp/img/TJ-1.jpg)
とにかく満身創痍で、病院に駆けずり回っていまして、本当に棺桶が見えてきた感じです。
そんなこんなで多忙でして、どうも失礼しました。
>絵コンテ
当方も記事で何気なく撮影監督に触れましたが、こんな風にして作られていたとは。却って本格的だあ^^
レッドフォードは絵心があるようで、うまく行ったのでしょうね。
>彼女が戻ってくるという展開
僕もそう思いました。あのまま戻らないのは却って変だよ、というぼやけた印象が根拠という甚だ心許ないものですが。
>原作小説
図書館に置いてあるのを確認しました。
ご存知のように、僕にはもっと古くて読みたい本がたくさんあるので、読めるかどうかは別にして、気になったので。
僕も若い頃は色々と病院にお世話になることもあったのですが、最近は睡眠導入剤もほとんど使わなくていい感じです。Take it easy、ケセラセラ です。
>絵心があるよう
レッドフォードは役者になる前は画家を目指していたくらいですから、絵コンテも本にして欲しいですよ。