テアトル十瑠

1920年代のサイレント映画から21世紀の最新映像まで、僕の映画備忘録。そして日々の雑感も。

2006-03-31 | ドラマ
(1971/ジョセフ・ロージー監督/ジュリー・クリスティ、アラン・ベイツ、ドミニク・ガード、マイケル・レッドグレーヴ、マーガレット・レイトン、エドワード・フォックス/116分)


 先日、村上春樹が受賞した“フランツ・カフカ賞”(チェコ)を、前年、2005年に受けたのがこの映画の脚本を書いたハロルド・ピンターであり、同じ年に、彼にはノーベル文学賞も授与された。
 「恋」は、原題が【The Go-Between】。L・P・ハートレイ原作の「恋を覗く少年」を映画化したもので、NHK-BSで放映されたので30数年ぶりに観た。当時は、映画の雰囲気が好きだったので原作本も読んだが、割と厚めの文庫本だった。

 監督はジョセフ・ロージー。「召使(1963)」、「唇からナイフ(1966)」、「できごと(1967)」、「暗殺者のメロディ(1972)」等のタイトルが浮かんでくる人で、イギリス人かと思いきや、実は“赤狩り”でハリウッドを追われ、英国に亡命したアメリカ人だった。
 ロージー作品で最初に観たのはTVの吹き替え版「エヴァの匂い(1962)」。ジャンヌ・モローの艶っぽい悪女がでてくる映画で、子供の時だったので、見てはいけないものを見てしまったという思いがした。タイトルの印象とは違って優れた官能ロマンらしいのだが・・・。

*

 さて、「恋」は19世紀末か20世紀初頭の緑豊かな英国イングランドが舞台の話で、裕福な友人の家に招かれた母子家庭の12歳の少年が主人公である。
 夏休み、友人マーカスの大豪邸に招かれたレオ(ガード)。マーカスの家には躾の厳しそうな母親や父親、兄、姉の他、執事や料理人など沢山の使用人が居た。そして、マーカスの長姉マリアン(クリスティ)は見とれるほど美しい女性だった。
 夏服を持ってこなかった(実は、持って無い?)レオに、もうすぐやって来る誕生日祝いだとマリアンが夏服をプレゼントするという。マリアンと二人で町に出かけたレオは、彼女が知らない男性と話をしているところを見たが、マリアンの様子から、それはマーカスにも話せない事柄のようだった。

 それからしばらくして、マーカスが麻疹にかかり、レオは日中は一人で過ごすことが多くなった。ちょっと足を伸ばして近所の農場に行った時、怪我をして農場主に手当をしてもらう。彼の名前はテッド・バージェス(ベイツ)。
 レオがマーカスの屋敷の客人だと知ると、『手当のお礼に何か出来ることは?』というレオに対して、テッドはマリアンに手紙を渡してもらえるかと聞く。それは、マーカスにも秘密だと念を押される。

 テッドの手紙を渡すと、今度はマリアンからテッドへの手紙を頼まれる。マリアンと秘密を共有できる嬉しさから、レオは手紙の渡し役について深く考えることはしなかったが、ある日気になって手紙を盗み読みすると、その手紙は子供の目にも“恋文”であることが分かった。

 お屋敷にはレオ以外にも沢山のお客が来る。その中に居た、ヒュー・トリミンガム子爵(フォックス)ともクリケットを通じて知り合いになるレオ。やがて、ヒューとマリアンが婚約したことをマーカスに聞く。
 『テッドがいるのに、どうしてヒューと・・?』と聞くレオに、涙を見せて『仕方ないのよ』と答えるマリアン。ヒューと婚約した後にもテッドとの連絡を頼まれたレオは、『これ以上は、出来ない』と二人に言う。マーカスの麻疹が治り、一人での行動が出来なくなった事もその理由だが、手紙の橋渡しがヒューや、マリアンの両親などを裏切る行為に思えてきたからだった・・・。

 映画では、このレオが年をとって数十年ぶりにマリアンを訪ねるシークエンスが、本筋の過去の話の合間に少しずつ挿入される。それは、突然に何の脈絡もなく挿入されるので、最初は何のシーンだろうと思わせる。これは、手法として良かったのか。ちょっと疑問の残る所ではありました。ただ、過去の話のクライマックスと、レオが再訪した理由が平行して語られる終盤は、ある種の効果を生んだような気はします。
 老人となったレオを演じていたのは、マイケル・レッドグレーヴ。「バルカン超特急」の33年後ですな。

▼(ネタバレ注意)
 大人の世界に知らないうちに連れ込まれて、心に深い傷を負ってしまったレオは、ずっと独身を通してきたらしい。

 久しぶりのマリアン再訪は、マリアンからの依頼であった。マリアンの孫、実はそれはテッドの血を受け継ぐ子供なのだが、その青年がマリアンを拒絶し、人を愛することにも臆病なのを心配して、レオに過去の真実をその孫に話して欲しいというのだ。『あの子は自分が呪われていると思っている。人を愛せない心こそ呪われるべきものよ。あなたは知っているでしょう、テッドとの愛がいかに美しいものであったか。それをあの子に教えて欲しい。』
 そして、最後にこう付け加える。『これが、最後の(橋渡しの)お願いよ。』

 “孫”ということは、子供も居たわけだが、この本では出てこない。なぜ、息子ではなく、孫だったのか?この疑問も残りましたな。
▲(解除)

 「眺めのいい部屋」や、(未見ですが)「プライドと偏見」と同じような美しい風景が出てくる英国の香り豊かな作品ですが、大人のラブ・ロマンスではなく、少年の視点で大人の禁じられた愛を覗いた話というのが異色で、心理サスペンス的な要素もあるドラマです。

 カンヌ映画祭では、ジョセフ・ロージーがパルム・ドールを獲り、英国アカデミー賞でも作品賞他多数にノミネート、脚本賞等4部門を受賞したとのことです。

 音楽はミシェル・ルグラン。冒頭から、ピアノを使った不安げな旋律が“らしい”効果を出しています。

 トリミンガムを演じたエドワード・フォックスは、2年後の「ジャッカルの日(1973)」が有名ですな。これも再見したい映画であります。

・お薦め度【★★★=一度は見ましょう】 テアトル十瑠

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4 コメント

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Unknown (TARO)
2006-04-01 13:42:46
なかなか苦い結末なので、好きかと問われれば、決して好きな映画じゃないんですが、いつまでも心に残る作品でしたね。

ピンターの脚本はいろいろ伏線がはりめぐらされていそうで、ちゃんと読んだら相当面白いかもしれませんね。ザ・ゴービトゥイーンというのは日本語には訳しようがないと思いますが、「恋」はいくらなんでも大雑把過ぎるような。
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シンプルなタイトルに・・・ (十瑠)
2006-04-01 20:47:39
甘いイメージを持った人は騙されたと感じるでしょうね。

大人達にとっては命がけの“恋”であり、少年にも淡い恋心があったでしょう。深読みすると「恋」でもいいようですが、やはりTAROさんの<大雑把>という感じが強いですね。

主人公はレオなんだから、他になんかあったでしょうにねぇ。
返信する
Unknown (風早真希)
2023-01-29 10:15:19
映画備忘録のリストの中に、私の大好きな監督ジョセフ・ロージー監督の「恋」があったので、コメント致します。

ジョセフ・ロージー監督と言えば、例の"赤狩り"で、ハリウッドを追われ、ヨーロッパで数々の秀作を撮った監督ですが、この「恋」の他には、イギリスの大好きな俳優トム・コートネイとダーク・ボガードが出演していた「銃殺」、アラン・ドロンと組んだ「暗殺者のメロディ」と「パリの灯は遠く」、そして「召使」、「できごと」が特に好きですね。

そこで、この「恋」について、感想を述べてみたいと思います。

この映画「恋」は、1971年にカンヌ国際映画祭でグランプリ(現在のパルムドール賞)を受賞した秀作ですね。
原題は「The Go-Between」と言って、「とりもち」という意味らしい。

監督は赤狩りでハリウッドを追われ、ヨーロッパでしか映画を撮れなくなったジョセフ・ロージー。

そして、「ドクトル・ジバゴ」「ダーリング」のジュリー・クリスティと「まぼろしの市街戦」「フィクサー」のアラン・ベイツという二人の演技派俳優が、恋人たちを演じている。

「恋」は、ロバート・マリガン監督の名作「おもいでの夏」と同じように、中年男の回想から始まる。
だが、それはとても苦い思い出だ。

彼は12歳の時、寄宿学校で一緒の友人の家でひと夏を過ごさないかと誘われる。
彼には母親しかおらず、貧しく夏服の着替えさえままならないが、友人の招きに応じるんですね。

友人の家は大きな屋敷で、広大な土地を持つ大金持ち。
彼は友人と二人で少年らしく遊び回る。
しかし、次第に上流階級の人々の欺瞞にも気付いていくのだった。

貧しくて夏服を持っていない彼を人々はからかい、彼は深く傷つく。
そんな彼を救ってくれたのが、友人の姉(ジュリー・クリスティ)であった。

彼女は主人公の少年を連れて、夏服を買いにいくのだった。
その時からずっと年上の美しい彼女に、彼は強い憧れを抱く。
だから、彼女に頼まれたことを忠実に守ろうとするんですね。

彼女が「絶対に秘密よ」と言えば、誰にも喋らない。
だが、そのことが次第に彼を苦しめ、追い詰めていく------。

彼はある日、友人の家族たちと一緒に、一家が所有する土地にある川に泳ぎに行き、ひとりの小作人(アラン・ベイツ)と出会う。
男臭さを発散する小作人を、友人の姉はことさら無視し、上流社会の貴婦人らしく、身分の違いを思い知らせようとする態度にさえ見える。

だが、主人公の少年は知っているのだ。
彼は友人の姉から小作人への手紙を頼まれ、何度もとりもちをする。
彼は小作人のところで話をし、納屋で遊んでいる時の方が、上流階級の人々といるより気楽で好きだったのだが、次第に二人の秘密の重さに耐えられなくなり「もう手紙は預からない」と宣言するのだった。

やがて、悲劇が訪れる。友人の母親に追求され、小作人の納屋に母親を案内した彼は、そこで大人の恋が現実にどのようなことを行なうのかを目撃するのだった。

身分違いの恋に落ちた男が、その当時の社会でどんな決着をつけなければならないか、彼は12歳で思い知らされるのだ--------。

その夏、彼は人生の苦さを知り、社会の欺瞞を学び、男と女の抑えようのない情熱が生む悲劇を目撃する。
そして、別れの悲しみを味わい、悔恨が疼かせる痛みを覚えるのだ。

だから、夏が過ぎ、秋の服を身に着ける時、少年はもう数か月前のような牧歌的で無邪気な世界には戻れなくなっている。

誰にも、そんな夏があったのではないだろうか--------。
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この映画は (十瑠)
2023-01-30 12:00:44
高校生の頃に封切りを映画館で観たのが最初だと思います。
ロージー作品というのもありましたが、ジュリー・クリスティが見たいという気持ちもありましたね。
ラストに向かって過去と現在が交差していく感じに感心したのを覚えています。
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