kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

とれとれです

2023-05-31 12:45:57 | 食・レシピ

 

今日のブログは、私としては大変珍しいです

 

お魚を三枚におろしました

 

食べたいと言う気持ちがめんどくさいに勝ちました

 

 

先日、生協さんに頼んだ「鮮魚パック」です

 

つばす(40cm位)x2尾

鯛(30cm)位x1尾

小あじⅩ10尾

 

が入っていました

 

まず、包丁研ぎ

そして、手を切る

 

血が止まったところで始めました、入刀

 

 

がたがたです⤵

 

鯵はぜいごとはらわたを取るだけ

つばすと鯛のあらは立派なものですよ骨に身がいっぱい付いていて

すぐに食べないものは冷凍庫へ

 

あと片付けも入れて4時間台所にいました

晩御飯を食べる気も起きないほど、くたくたになりました

当分やめとこと思います

 

 

 

コメント (2)

どうする家康 第十九回お手付きしてどうする!

2023-05-28 17:54:09 | どうする家康

 

 

 

桜の花の下、幹にもたれた信玄は

 

「こ こ ま で か

そ な た の 世 を つ く れ

そ な  た の 器 量 は  は る か に 我  を こ え る

黄 泉 に て  見 守 る」

 

と、勝頼にそう言い残した

 

 

甲斐の虎信玄も、いいお父さんですね

 

「阿部寛さん」の武田信玄は、私はもっとたくさん見たかったのに

脚本家小沢良太さんはあっけなく信玄を死に追いやった

 

信玄は、「戦は勝ってからするもの」と言っていた

どういうこと

 

信玄は戦の前に、戦術を練って練って練りあげる

知略家だったとか

信玄の父は「武田信虎」 息子としては許せない父だったのか

甲斐から追放している

そして「上杉謙信」と何度も戦ったことで戦術のA~Zを学んだようだ

戦に勝ってから戦をするというのは、勝てる戦略を仕上げてから

戦う

ということでしょうか

 

「岡崎の小わっぱ」に「甲斐の虎」は

どうにもならない壁となって立ちはだかった

 

そんな信玄が、突然死んだ

 

「弱き主君は害悪だ、滅ぶが民のため」

 

信玄の言った言葉を家康は思い出していた

戦モードも頂点に達していたところに突然の知らせ

気が抜けたでしょうね

 

やっぱり、気が抜けてました

石川数正さん、家康に何かあったなと勘づき問い詰めたら

「…」

「信長が敵を蹴散らしている時に何をしておられたのか!」

鬼の形相で一喝

 

白兎、岡崎のこわっぱ、あほたあけーと言われ続けている家康

 

張本人、お万は一枚も二枚も上だった

城内の同僚侍女に頼み、自分を柱に結わえさせた

瀬名がやって来た

ここから、お万の被告答弁、みたいな

 

「お方様には申し訳なく思っています」

どうぞ懲らしめて下さいませ」

としおらしく始まったが、

 

「私がこの子を産めばお家が乱れ

城を出て私が育てるとしても、殿のご落胤とあれば

世には恥ずかしくない躾も施さねばなりませぬ

 

我が家は戦で焼け、父は死に母は動けず

とてもそのような…」

 

瀬名がさえぎった

「もうよい、私はそなたを見くびっていたようじゃ

おっとりしたつつましい女ごじゃと

なんのなんの、才ある子じゃ

これではうちの殿などひとたまりもあるまい、見事じゃ

 

殿から金すをふんだんに頂くが良い

それでこの子を立派に育てよ

焼けた社も再建するが良い

恥ずかしいことではない、それも女ごの生きる術じゃ」

 

お万、反論

「恥じてはおりません

多くのご家臣を亡くされて、心が疲れ切っていた殿を

お慰め申し上げたまで

 

男共は欲しいものを手に入れるため

戦をし人を殺し奪います

おなごは、

人につくし癒しと安らぎを与えて手に入れるのです

 

男共に戦のない世など創れるはずなど無いと

政も女ごがやればいいのです

男共に出来ぬことが出来る、お方様のような方なら

 

この子は立派に育てます、いずれ殿のお役に立つ子に…」

 

怖い

 

映画「猿の惑星」で、途絶えさせたはずの惑星の猿の子が

ちらっと映像にあらわれる

この場面の暗示していることと同じ予感が…

 

 

知恵者、石川数正は

「信玄がみまかったとはいえ武田は強大

我ら半死半生、奪われた所領を取り返すのも

困難を極めましょう」

 

巷では、家康の評判は悪い

SNSはなくとも、悪評判は伝わりやすい

 

武田勝頼は三河を取り、信康と瀬名を狙うという

千代が、信玄亡き後も勝頼の駒となっていた

千代はどう仕掛けてくるのか

 

疾如風

徐如林

侵掠如火

不動如山

 

人は城、人は石垣、人は堀、

情けは味方、仇は敵なり

 

兵は詭道なり

 

孫子に倣い知略の戦で世の中を手の内に入れる直前の

信玄の死、残念

 

 

 

 

コメント

どうする家康17~18回真偽有り三方ヶ原合戦

2023-05-21 13:09:39 | どうする家康

 

 

 

 

 

第17回 三方ヶ原合戦

第18回 真・三方ヶ原合戦

 

 

すでに同盟を結んでいる武田と徳川

人質に家康の義弟である松平源三郎勝俊を差し出しもしている

 

源三郎は甲斐でひどい目にあっていると聞き

服部半蔵を甲斐に忍び込ませ連れ帰ることを命じた

 

困った時の半蔵さん

 

なんとか源三郎を浜松城に連れ帰れてよかった

竹千代が今川義元の館で人質生活をしていたが

ずい分待遇が違います、源三郎くん可哀そ過ぎます

 

 

信玄はもう、北の遠江に侵略を始めている

奥三河の長篠などは信玄側に寝返ってしまった

あの金をばら撒いているらしい

 

家康は家臣からどうするどうすると問い詰められ

戦をするのか、しないのか

 

もう、戦は避けられそうにない

信長は ”信玄だけは怒らすな”と言っている

家康の家臣は戦えば十に九は負けると言っている

 

残念ながら、元亀三年(1572)の秋、武田との戦が始まった

これが、世に言う「三方ヶ原の合戦」

ドラマ17回と18回、一昨日ようやく見れました

 

三方ヶ原でどのような戦が繰り広げられたのだろう

 

 

三方ヶ原での布陣

 

武田軍 魚鱗の陣形 (うろこのように並ぶ) 黒い駒

徳川軍 鶴翼の陣形 (鶴が羽を広げたように) 白い駒

 

武田の進軍のしかた

 

三方向から攻める

*信玄本隊、甲府を出発 二万五千

 

*山県昌景の軍 五千

信濃国を出発し

武節(ぶせつ)城(豊田市)と長篠城(新城市) 

攻略し遠江へ向かう

 

*秋山虎繁の軍 二千五百

居城の高遠城(伊那市)を出発し

岩村城(恵那市) 攻略

 

どんどん攻略されて、家康危うしですねえ

更に信玄も動く

 

*信玄 信濃国通過⇒青崩峠(遠江との境界)攻め込む~

 

*馬場信春、只来(ただらい)城(浜松市天竜区)を落とす

 

*信玄軍と馬場軍が合流、二俣城を目指す

 

二俣城は、浜松城、懸川城、高天神城の中間地点にあり

ここを落とされたら、もうそれは致命傷なんですって

なので、本多忠勝らを出陣させたものの敗北(一言坂の戦い)

血気盛んな本多君もそれはひと言もなかったでしょう⤵

 

二俣城代の中根正照

武田からの降伏勧告を聞き入れず頑張った粘った

兵の数が違い過ぎた

降伏し開城せざるを得ず

 

この様に三方向から多勢にて攻め込み

武田信玄は遠江北部を制圧した

 

 

十二月も後半、武田の軍が西へと進む

とにかく京へ向かいたい、時がない、そんなことを言っていた

以前も、胸の痛みを堪えるような仕草をしたが

何か起きているのかもしれない、信玄の身に

 

信玄は徳川の陣には向かってこない

そこで、酒井忠次の提案

諸葛孔明の兵法三十六計のひとつ「空城の計」を実行

門を開け、かがり火をたいてじっと待つ

敵は、罠か?と惑う

 

ま、武田勝頼は攻撃命令を取り下げ陣へと引き換えした

かく乱させることは、出来たようだがだからどうなん

 

やはり西へと進路を取る武田軍を

家康や織田の援軍と共に追う

 

何と言っても多勢に無勢

僅かな時間で勝負は決した

 

德川方の戦死者 約二千

武田方の戦死者 約二百

 

大敗、大打撃を受け敗走

 

この三方ヶ原の合戦で重臣の「夏目広次」「本多忠真」も壮絶な討ち死にを

 

夏目広次は、家康の金荼美具足を身に着け身代わりとなって

戦場の真っただ中へ

 

本多忠真は、ぼろぼろの幟を立て

まるで弁慶のように仁王立ちになり敵を阻んだ

 

命を賭して殿を守った

本望だったんだろう

 

家康の涙は止まらなかった

良き家臣が家康には集まってきてるのですねえ

そういうものが家康には備わっているということ

なかなかそんな人物は~

 

さて、西へ西へと進んでいた信玄の軍だが

 

元亀四年(1573)四月

突然、Uターン

どうするの信玄さん!

 

 

 

コメント

松山千春コンサートに行って来ました

2023-05-11 19:51:14 | 松山千春

 

5月10日

「松山千春コンサートツアー2023春」

 

 

 

なら100年会館

ここへは初めて来ました

 

からくり時計

毎正時に鳴るそうですが聞けませんでした

 

 

JR奈良駅

 

JR奈良駅から会館へ、高架道路で直結です

駅中にはお店がいっぱいで、

3時ごろお蕎麦で小腹を満たし、おみやげを買っておきました

帰りは遅い時間になりますので

 

コンサートに来たのは4~5年ぶりです

コロナもあった、あれこれあった

 

松山千春さんも、大変でした

昨年はお母さん、弟さんが続けて亡くなられました

お母さんはあと2ヵ月で百歳になられる時だったのに

コロナによるコンサートの制限もまだ残っていたでしょうし

 

 

1階、2階、3階、座席は埋まっている様です

ほう~相変わらず勢いがあるなあ~とか思いながら

幕が上がるのを待ちました

 

18:30開演

ベルがなり拍手が起こる中、幕が上がって向かって左から登場

ちょっと、前屈み気味なのはどうした、謙虚さ、ということに

 

始まったなあ~と感慨深くなりました

今日は弔事以外では一番の遠出かもしれません

ここ数年の事が走馬灯のように私の空っぽの頭の中を

 

今回は、デパートのパート時代の友達と一緒に来ました

友達は松山千春さんのは初めてなので私は

先輩面して、前情報を伝達済み

ふたを開ければ想像通り、私よりノリノリです

今まで一緒に行った友達は皆そうでした

はい♪ 誘ってこんなに喜んでくれてと嬉しく思っているんです

 

松山千春さん、体調はどうだろうと

とても元気でした

歌声も一曲経るごとに力強くなって行く

高い音は、お歳のせいもあるのか、出にくいところもありました

一部、恋の歌

二部、

フォークソング歌手としては社会派のメッセージソング

ということで、た~っぷりトークを聞かせて頂きました

 

そしてアンコール

まず「長い夜」

会場の皆も歌うことになっている「大空と大地の中で」

この曲は友達に歌えるように、しときや~と言うておきました

ちゃんと歌ってました

ただ、皆マスク着用が義務なので口元は見えません

 

マイクを置かれてこれで終わりと思ったのにもう一回

舞台に戻ってこられて

アンコール PartⅡ

曲は何だったか…

マイクを高く放り上げて、これでほんとにおしまい

こんなに高く放り投げたのを見たのは初めて

壊れたやろうなあ~マイクは

 

会場が明るくなりました

 

一斉に皆が会場を出るので、ぎゅうぎゅう

こんな混雑の中に身を投じたのも、久しぶりでした

 

みやこ路快速で、JR奈良駅から京都駅まで

JR琵琶湖線で京都駅から草津まで

23時頃、家に着きました遅くなりました

 

コンサートのセットリストが何故か今日は会場に張り出してなかった

何を歌われたか覚えていなくて残念なのですが

特に印象に残っているのが

♪我家

♪生命(いのち)

♪良生ちゃんとポプラ並木

 

夕やけのような穏やかなものが伝わって来ました

 

                     2023.5.11 日の入

 

 

蛇足ですが、三男にコンサート行ってくると告げた時

「それはめでたい!」

こんなメールが帰って来たと友達に告げると、

「きっとこんな風に出かける元気が私に

出てきたんやからよかったという意味ちがう?」

と言ってくれました

 

あちこちに迷惑をかけています

 

 

 

コメント (2)

どうする家康 第16回 信玄を怒らせるな

2023-05-04 18:27:00 | どうする家康

 

 

 

歓迎の舞を披露するなんて真っ赤な嘘

舞姫一団は敵でした

 

千代が企てたに違いない

その後ろ盾は武田、いやむしろ金塊

 

そして少女と思った舞姫は、美しい少年

 

榊原小平太が捕らえたのだが、ずいぶん反抗的だ

誰に頼まれたか、なぜ家康を襲ったか

そう問えば、主はいなくて一存でやったという

 

寝っころばって足をばたばた、まるで駄々っ子

暴れながら怒りをぶつけるぶつける

 

「家康は疫病神じゃ、うら切り者じゃ

ここの国主は武田さまが相応しい」

 

家康が少年を放免にすると言ったものだから家臣達は驚いた

 

「あの少年は遠江の民そのもの

次に会った時、敵か味方かは我ら次第」

と、家康さん良いこと言いますね

 

「どうする家康」の作者は

意気地なしの家康のすき間にスッと主君らしい家康を挟み込んできます

見ていて「おっ」と何度か思いました

あまり家康贔屓でない視聴者も変わって行きそうで

 

 

 

「井伊虎松、我が名じゃ」

少年はこう名乗り、去って行きました

跳ねっかえりでしたが、なかなか気骨のある少年じゃありませんか

 

虎松だとすると井伊直虎の養子で初代彦根城主の井伊直政ですよね

父直親は今川氏真に暗殺されているが、恨みはそのためなのか

この先虎松がどう描かれるのか楽しみです

大河ドラマはドラマごとに人物像が変わりますから

 

作者さんも、史実を違えないようしつつ可能なところでは

自分の生み出した形の登場人物に仕立てる

夢の広がる職業ですね

 

井伊虎松役は「板垣李光人」さん、「青天を衝け」では

「德川昭武」の役でパリ万博に渋沢と行った人物

「民部公子」と呼ばれてました

 

背筋はピーンと伸びてしなやかに気高く歩く姿に

この先楽しみな俳優さんやなあと思いました

 

 

 

甲斐には黒川金山や他にも金山があったそうです

信玄が千代の手にばらばらばらっと乗せた

丸くて平たいけど厚みがあって刻印もある

これを「甲州金」というのかもしれません

 

 

なんかこんな形のお団子テレビで見たような、

丸くて真ん中がへこんでるお団子

お餅よりお団子が好きなんです、私は

噛むとあのぼそぼそ感♪

 

 

甲州金が出来た当初は甲斐国内で流通

武田信玄は武力以外にも統制手段を金に委ねていたのかな

何てったって世の中お金~と志村けんさんと柄本明さんが言ったような

千代にも計画遂行に当たり、じゃらじゃらじゃら~と

こぼれ落ちるほど掌にのせてやっていましたね

これが褒賞金となり引間(浜松)の民を取り込んだのですね

 

 

石川数正も、戦えば(十に九)は負けると言うし

信玄だけは怒らせるなと言う

 

 

風 林 火 山

 

 

其疾如風  そのはやきことかぜのごとく

  其徐如林 そのしずかなることはやしのごとく

侵掠如火 しんりゃくすることひのごとく

不動如山 うごかざることやまのごとく

 

孫子の言葉を旗印に、武田信玄は家康を落とそうとしている

 

大河ドラマ「風林火山」をご覧になってましたでしょうか

あの勇壮なテーマ曲、大好きであの頃はガラケーでしたが

長く着メロにしていました

武田晴信(信玄)を市川亀治郎(猿之助)さんが

主人公の山本勘助 を 内野聖陽さんが

 

切なさあふれるストーリーが心に残っています

 

 

 

どうする家康の信玄に戻ります

何だか信玄さん胸の辺りをよく押さえてましたが体調が優れないのか

となると家康を倒すのを急ぐでしょうね

そして、次に信長を攻める

信玄の気持ちは逸る

 

信玄は容赦なく迫ってきます

奥三河が信玄の調略により寝返ってしまった

このままではどんどん領土を奪われる

 

服部半蔵からの情報には於代の息子、家康の義弟の

松平源三郎が甲斐でひどく痛めつけられているという

以前、同盟のため武田に人質として差し出したのだ

一刻も早く助け出さねば

半蔵は女の忍びの大鼠と共に甲斐へ行く

 

焦る家康と家臣たちはあれこれ戦略を話し合った

 

「十に九は負ける」

この言葉が呪縛のように家康の心を縛り付けている

 

本多忠勝が言った

「十に一つは勝てる」

そのひとつを信長は桶狭間でやってのけたではないか

 

 

夏目広次、なかなか殿に名前を覚えてもらえないけれど

「殿には我ら家臣一同がおります」

 

家康には腹心の家来がいる、これが家康の強み

石川数正

酒井忠次

本多平八郎(忠勝)

榊原小平太(康政)

夏目広次

鳥居元忠

大久保忠世

平岩七之助(親吉)

本多忠真(お酒好き)

服部半蔵

 

家康が奮い立った

 

「この地を守り武田に勝つ、この時こそ我らが桶狭間を!」

 

あ~「一か八か」 の上を行く

「十にひとつ」だし~

 

さて駿河、遠江、三河が、徳川の領国となるのは

 

家康さん、戦知らずのようなお顔に見えてますが

たくさんの戦をしておられるんですね~知りませんでした

 

 

 

 

 

コメント

俳誌5月号きました

2023-05-03 10:14:25 | 俳句・和歌

 

 

夕焼けではこの色合いが一番多いような

そこに雲がかかり、その雲の様々な色と形のおかげで

いろんな夕焼けを見ることがとても楽しい♪

一夜明ければ晴れ~~

 

 

 

5月3日 憲法記念日

数十年前のこの日は、Tシャツ1枚でいいくらい暑かった

子供会の行事で少し離れた元自衛隊の滑走路?

とかいう所にお弁当持ってハイキング

子供達は、広い広い原っぱに大喜びで

大人は元自衛隊の活動した所というのに興味津々、私だけかもははは♪

 

 

俳誌が届きました

 

春と土いっぱい入れた植木鉢

梅が香やゆれる舞妓の花かんざし

 

 

砂塵舞う菫勝負の菫色

うちなびく黒髪の子の十三まいり

天神の燃ゆる霧島つつじかな

 

1日はメーデーといったけど

カレンダーにはその文字はない、いつからかな

2日は八十八夜

3日は憲法記念日

4日はみどりの日

5日はこどもの日

6日は、もう立夏

 

すぐ忘れるのが「みどりの日」

昭和天皇の誕生日4月29日を御崩御によりみどりの日に変え

更に、ゴールデンウイークの隙間を埋める形で5月4日をみどりの日に

ややこしや~

 

≪我が国は緑ゆたかな自然を持った国であることにかんがみ

この自然に親しむとともに

その恩恵に感謝し豊かな心をはぐくむことを願い

国民の祝日とする≫

これが「みどりの日」

 

了解です♪

 

 

 

コメント (4)