kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

どうする家康 第24回築山へ集え!

2023-06-30 23:51:27 | どうする家康

 

戦、戦、戦が続き、皆の心がすさんでいったのは

いつ頃からだろう

 

あの、

今川家の人質でありながら、氏真と兄弟のように育った当時の元康

当主義元が亡くなり、今川の力も弱まった

家臣の考えもあり織田信長と協力体制を取った

この辺りで、ぐっとクローズアップされた戦が

「桶狭間の戦い」

泣き虫だの白兎だの言われながら何度も戦を続けてきた

怖い怖い信長の目が光ってます

 

 

 

心穏やかでないのは、家康ばかりか家臣の皆々様も

心の優しい嫡男の信康も、心を病んでしまった

 

そんな、皆を冷静に見守っていた瀬名(築山殿)

いったい、どんなことを考えているのか

 

 

瀬名の様子に違和感があると家臣より聞き

家康は服部半蔵にも瀬名の近辺を探らせていた

 

 

今回、唯一癒された場面

半蔵さん、大鼠さんにプロポーズ中

「殺すぞ」なんて返されてましたが、捜査活動を一緒にしてました

まんざらでもないかな💕

 

 

瀬名と信康と今川氏真と糸と穴山信君と千代が揃った

氏真と糸さん今までどこでどうしておられたんですか

このタイミングでお目にかかれるなんて

 

 

「瀬名は途方もないことを考える」

と家康を驚かせた

 

瀬名の

「私なのか…あなた様の中にもあったものと思います

今までのドラマの築山殿は悪女系でしたが

どうする家康の瀬名は優しいけれど芯のしっかりした人で

家族をしっかり支えてきた

側室を仕切るのも、上手い!

命尽きるその時まで優しく強い女性です、きっと

 

 

一時は、武田方の穴山、千代を介し

德川と武田勝頼は戦をしているふりをして、信長の目をくらます

その間に瀬名の夢を成し遂げる

そんな策略を立てていた

(そのために布陣の鉄砲隊は空撃ちをし、

それを見届けた後、どちらも兵を引く

そんな戦法があるのですか)

 

空撃ちと本気撃ちとでも言いますか、音が違う気がしますが

 

でも、信長に知られてしまいました

 

五徳姫は、父信長から徳川の動向から目を離すなと言われていたので

ことごとく伝えていたはず

それと

武田勝頼は父信玄の成し得なかったことを成すという大願のため

わざと信長の耳入るように仕向けた

 

勝頼は、れっきとした裏切りですね

五徳はどうでしょう

小さい頃から、怖い父に制圧されていたのでしょうから

途方もない恐怖を五徳は父に持っていたでしょうね

 

このふたりがそれぞれに秘密を明かしたかたちです

 

瀬名の夢、立派な夢と思いますが、そんなうまいこと行くかなあ~

詰めが甘い、なんて私にはいう資格はありません

詰めの甘い私がね、はあ~~

 

この時、1579年(天正7)家康38歳

この一連の出来事「信康・築山殿事件」と名がついてるようです

 

それからも紆余曲折がありまして

戦国時代を終えさせて江戸時代へと

 

それはまだ先のことですが

2023年の大河ドラマ「どうする家康」

折り返し点ですね

 

瀬名の夢「途方もないものを成し遂げる」を目指し

 

年末までの半年、どうする家康

 

 

 

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梅漬・らっきょ漬

2023-06-26 23:21:01 | 食・レシピ

 

 

 

瓶を2つ捨てたのは失敗でした

やっぱり置いておけばよかった

仕方がないので小さな瓶に500gずつ分けました

6月8日  梅1㎏

6月14日  らっきょ1㎏

6月20日  梅の第2回目1㎏

漬け終えました

8日に漬けたのが、梅酢上がって来てます

 

らっきょは以前漬け上がりがぐちゃ~とした年から

漬けるのをやめていてずい分久しぶりです

でもやっぱりちょっとおかしいような

漬け汁が濁って来ました

明日、取り敢えず小さい瓶にして冷蔵庫に入れようと思います

 

梅は一日一粒食べると心掛けているので、足りるかなあ~

紫蘇なしが好きなので、手順はシンプルです♪

上手いこと出来るといいのですが

 

 

 

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どうする家康 第23回瀬名の覚醒

2023-06-25 11:57:28 | どうする家康

 

 

瀬名が覚醒ですか

 

瀬名(築山殿)は今までの大河ドラマにも

登場していますね

またまた「おんな城主直虎」を引き合いに出して

申し訳ありませんが瀬名役は

女優でモデルの「菜々緒さん」見るからに悪女というか

「きつーう」

こんなこと言うてすみません

 

正直「どうする家康」での「有村架純さん」の瀬名は

あれ、今までとはずいぶん違う瀬名やなあ~と思いました

 

瀬名は

父 関口氏純   母 巴

両親共に今川方ですが、瀬名との関係諸々、諸説ありとのこと

この先、確信ある説が表れる日も来るかもしれません

 

 

今川義元の考えで、家康に嫁いだのですね

 

そうそう、今川方には人質の家康と今川義元の嫡男氏真は

兄弟のように育ちました

女性陣がキャーキャー言ってたのは、氏真でしたね~

瀬名の視線だけは、家康に向いていたような気がしますが

 

殿である義元が

氏真 VS 家康の一本勝負を命じた

これは、男子ふたりの瀬名争奪戦だったはず

今川義元のジャッジメントで、家康に嫁いだのですね

 

 

そんなこんなを経て、家康夫婦は仲は良いと思うのですが

内心どうだったのでしょうか

 

瀬名がどう覚醒して、どう動くのか、まだ分かりません

 

謎1:武田方の歩き巫女の千代と連絡が密になってきている

が、しかし千代と瀬名が意気投合したとは思えないなあ~

 

謎2:家康が今川を滅ぼしたことに恨みはまだあるか

德川(松平)が危なくなってきて今川を捨て織田に就いたんでしたね

 

謎3:息子信康を夫家康より重視しだしたのか

德川を思うゆえの道なのか

 

 

 

 

有村架純さん演ずる瀬名は

 

本日覚醒

 

 

 

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色いろ

2023-06-21 17:41:34 | 花・木・草

 

 

夕焼け

比叡山と工事現場のクレーンと

プールを建築中ですが、いつ頃完成かな

 

 

飛行機雲

この角度でやって来るのは少ないような

 

 

白百合

 

 

同じ白百合

夕焼けをたっぷり浴びています

 

 

くちなし

香りが強いのと花びらがビロードみたいですね

ここ数年は、花のあと実が成らないのです

 

 

桔梗

背丈の高くならない品種です

今年は大きな花!

 

このあと昨年の朝顔の種が落ちていてツルが伸びて来て

咲くまでもう少し時間がかかりそうです

 

 

 

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吟行で石山寺に行って来ました

2023-06-20 19:32:26 | 俳句・和歌

 

滋賀県大津市にある石山寺、その山門です

 

先日行って来ました

 

 

向かい側に「瀬田川」

瀬田蜆が名物

 

この川だけが琵琶湖から流れ出ています

そのあと京都へ、そして大阪湾へと流れていきます

 

琵琶湖は湖でなく川に分類されるのだそうです

湖に繋がる川は、瀬田川以外は琵琶湖に注いでいます

 

 

石山寺は松尾芭蕉や紫式部ゆかりの寺です

 

 

本殿の隅にある「源氏の間」

紫式部がここで「源氏物語」構想を練ったとか

 

 

石山寺縁起絵巻の一部

 

 

来年の大河ドラマは紫式部が主人公の「光る君へ」

石山寺では「紫式部展」開催中でした(於・豊浄殿)

伽藍山が境内でして、その上の方

本殿より更に上に有りました

 

展示物は複製が多かったと思うのですが

絵巻物や屛風絵などが沢山ありました

 

繊細な絵図で、朝ドラの「らんまん」の

万太郎の描く草花の絵のあの細い線よりまだ細く、

障子の桟でしょうか、真っ直ぐ数ミリ間隔で何本も描かれていて驚き!

 

 

多宝塔(国宝)

 

ここ伽藍山は硅灰岩で出来ていて寺の名前の由来でもあります

上まで石段が続きます

 

どの岩もでっかい

 

名前…

メンバーが教えてくれたけど忘れました、メモしないと!

 

 

 

多宝塔

いつ見ても美しい屋根のライン

 

 

 

 

芭蕉庵は、茶室です

芭蕉は、義仲寺内の幻住庵に滞在していた頃

度々ここを訪れたそうです

 

その横に月見亭があります

月見亭

 

紫式部の供養塔(鎌倉時代)

 

 

芭蕉の句碑 (嘉永二年・1849年)

 

曙はまだむらさきにほととぎす

 

 

俳句を始めたばかりの時吟行に来たのが石山寺でした

その時、この句碑を見ながら先生と我々で

「曙」はどうたらこうたら

「ほととぎす」が季語で…とか

 

石に刻まれた文字が私は読めなかった、今も読めません

「変体仮名」だと教えてもらったり

あれこれ思い出します

 

句碑も雨風にあったんだなあ~風化が進んでる様でした

こちらも、老化が進んで止みません

 

 

 

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どうする家康 第22回設楽原の戦い

2023-06-17 15:09:14 | どうする家康

 

 

前回すねえもんの、はりつけの刑は強く印象に残っています

その犠牲があって、長篠城の奥平の軍は危機一髪、救われそうですね

 

奥平信昌

 

 

織田軍と武田軍、どちらも睨み合い動きがないまま

二日が過ぎた

皆じりじりいらいら

すべては信長が握っているからには、

家康は勝手に動けない、息子の信康も苛立ちだした

 

德川家臣団は合議の上、

家康、信康、酒井忠次の三人で織田の本陣に話に行く

陣では羽柴秀吉、佐久間信盛ら織田の家臣と碁を打っている

信長は進軍するつもりがない

したければ、徳川軍だけでせよとのこと

 

夜中に、長篠城の裏手の鳶ヶ巣城から武田軍に奇襲をかけ

そうなれば武田は止む無く前進する

そんな策を家康は提示した

誰がやる

 

結局徳川の家臣、酒井忠次がその役目を負う事となった

 

夜中の雨の中、

酒井忠次(えびすくいダンサー)の兵達によりかろうじて攻略

 

武田勝頼には敵のこの動きの意味が分かっている

父信玄ならどうする、勝ち目のない戦は引くだろう

だが今は、それに背くと言う

 

「だから父は天下を取れなかった」

 

「目の前には信長と家康、この様な舞台は二度とない

命永らえたいものは逃げるが良い

戦場に死して名を残したい者は今日より相応しきは、ない」

 

虹が見え、勝頼は吉兆の印ととらえた

 

 

 

武田軍は雄叫びをあげ、風の如く進軍

 

 

片や、信長は得意げに言う

「よう見ておれ、これからの戦を」

 

それは、鉄砲隊を大勢配備する戦法でした

 

何重にも組まれた馬防柵に沿って立ち

柵越しに、千人ほどの鉄砲隊が

一気に撃つ

 

撃った兵は後列に下がり、弾を込めたりして次の射撃の順番を待つ

同じように二~三列目の兵も動く

 

三千人ほどの鉄砲隊というから

多分千人ずつ程が撃っては下がり、撃っては下がりを繰り返す

 

弾を込め火縄の準備もと、鉄砲隊は忙しかったでしょうね

 

一体どのくらいこれを繰り返したのだろう

その頃の鉄砲は火縄銃、信長はどれ位の銃を手に入れたんでしょうか

やはり、恐るべし信長です

 

 

武田軍は馬防柵に達する前に、ばたばたと倒れた

 

馬上の山県昌景、討ち死

率いていた赤備えの軍も殆どが鉄砲に倒れた

 

 

「武田勝頼、見事なり」

信長はそう言い残し茶臼山の陣を去った

 

信長のつぶやいた言葉が深い、なぜ見事なのか

 

「天下布武」をスローガンに戦国の世を生きた知将がゆえに

 

 

 

德川信康は、父家康に似て優しい男の子でした

そんな子に

「これが戦でございますか  これは、なぶり殺しじゃ」

と言わしめるほどの戦禍

信康は、心をずたずたに切られたようでしたが…

 

 

もう德川は織田の家臣となるしか方法はない

そう決断した家康

早速信長の命に従い、二俣城、武節城への攻撃に成功する

これで戦が終わる訳はない

越後の上杉、相模の北条、仙台の伊達

信長の野望は膨らむばかり

 

 

心のやまいが心配な信康ですが、自ら武勲を自慢している

 

あの設楽原での体験以来  トランス状態になったのか

 

五徳に癒されることはまずない、 と思う

 

優しい子は優しいままに、そうでない子も優しさを持っていたい

 

 

 

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どうする家康 第20~21回 岡崎クーデター~長篠を救え!

2023-06-11 17:38:46 | どうする家康

 

天正三年(1575) 岡崎クーデター

 

日本で初めて起きたクーデターは645年の「乙巳(いっし)の変」

”むしころされたそが…” 

などと語呂合わせで年号を覚えました

 

どうする家康の中の「岡崎クーデター」は「大岡弥四郎事件」であり

目指すは三河岡崎城

狙うは徳川信康、そして瀬名

そんな計画を弥四郎や家臣たちが立てていた

 

と「どうする家康」では描かれたが、実のところ

もっと複雑な駆け引きというか、関わった人物も存在し

襲われた張本人の瀬名や信康もクーデターの陰にいたとか

 

沢山の古記録や古文書に出てくるらしいですが、私の力量では何ともし難く

 

…らしい?  のレベルで「どうする家康」のあらすじとちょっとの感想文

まるで夏休みの絵日記的なものにて、お目汚しの時間を

 

 

弥四郎は武田方と通じていたのだが、徳川方にクーデター情報が洩れ

本多忠勝、榊原康政、石川数正、井伊虎松らが間一髪で信康、瀬名を救った

 

なぜ、大岡弥四郎たちはクーデターを起こしたか

 

弥四郎 「あちらの船とこちらの船を見比べ武田の船がよいと思った

家康が信長にしっぽを振る限り、戦は終わらない

我らを死にに行かせるまやかしだけ

どうせ死ぬのならいい夢見てから死にたい

これが皆の本当の心じゃ!」

この人達、極刑に処されたようです

実在の人物のようです

ドラマに登場するのは見たこと無かったですが

名もなき人が大きな使命をもって生きて

どれだけこうして命を散らしたか

こうして知ったのですから、せめて

その勇気を称えると共に安らかに眠っておられることを願います

 

 

この弥四郎とは見方の違う者がひとりいた

井伊虎松

家康は不思議だった

自分を憎んでいた虎松がなぜ、徳川に仕官してきたのか

弱い当主と自他共に認め、民らは笑っているというのに何故

 

本人に聞いてみた

虎松「だからこそでございます

武田みたいに民を恐れさせる殿様より

民を笑顔にする殿様の方がずっといい

家康様にこの国を守ってもらいたいと皆願っている

 

(へえ~そういうことで家康の家臣になっていたのかと

直虎の時にそこのところははっきり分からなかったもので

 

あまり勉強しなかった私は、こんな風に好きなテレビで

辛うじて、歴史に首を突っ込んでおります

 

あのドラマ、このドラマ、こんなドラマも受け入れる

脚本家の目を通すと、人物の色も七変化ではありますが

シャッフルして好きなように鑑賞しています♪)

 

そして虎松、自分自身を売り込む

 

「由緒ある家臣が居た方がいいでしょ

井伊家のおいらとか(^^♪」

井伊谷の城主井伊直親の息子ですしね

直虎の養子ですしね

 

 

家康の胸を打ったんでしょうね

一刀を渡し、そばにつくように言った

そして武田を迎え撃つため吉田城へとおともする

どうやらこの子、口八丁手八丁ですね

数年前の大河「おんな城主直虎」の時は登場の機会が少なかった

(菅田将暉さん演ずる)

どうする…では、是非とも沢山登場して下さいね

 

あら、戦いのさ中、武田は突如奥三河の方へ動いた、どうするの

 

德川家臣は気付いた

「生けにえを狙いに行ったんじゃ」

危うし 長篠城!

 

 

*第21回 長篠を救え!*

 

家康の娘 亀姫

 

 

武田軍がすでに長篠城を取り囲んでいだ

德川方の戦の手口はもう、武田勝頼に知られてるんでしょうね

歩き巫女もいるし、

家臣の中には武田と徳川の間を

揺れ動いて、裏切って

勝頼の代になっても、あの金の粒が誘ってるんでしょうね

 

ここには奥平信昌が籠城している、兵は五百あるか無しか

この方、元は武田の家臣なのだ

離反したリスクを背負い極限の状態で家康の援軍を待っている

水はない兵糧もない、傷つく者は増える一方

 

家康が動いた

酒井忠次、鳥居元忠、井伊虎松を連れて

ただ、長篠ではなく岡崎に

 

長篠から信昌の援軍頼むの書状を持って

岡崎に来た毛むくじゃらの男がいるという

どうやら武田の目を欺くため川に潜って渡り長篠を抜け出たのだ

 

(強右衛門自ら強右衛門のうたを歌ってましたね、正に

シンガーソングライター♪)

 

 

奥平を助けるには信長に援軍を頼むほかはない、と結論を出した家康

 

援軍のこと

亀姫を奥平へ嫁がせること

清須以来の条約を破棄とのこと

岡崎を引き払うとか五徳を連れ帰るとか

難題が山積みです、どうなんだい家康さん

 

岡崎にやって来た信長は怒り心頭

 

その時、亀姫が前に出た

 

「お怒りをお静め下さいませ

亀はもうわがままは申しませぬゆえ

仲直りしてくださいませ

亀は奥平殿のもとへ喜んで参ります

 

瀬名も、言葉を添えた

「わが夫は信長様の臣下を拒むものではございません

ひとまずこの事は脇に置いて長篠を救うことを先になさるのは

いかがでしょうか」

 

横で聞いていれば、ひやりとするような物言いと思ったのですが

こんなもんでしょうかね~下手に出ませんね、瀬名さん

 

信長は、余興だと亀にやさしく声をかけた

「無論、長篠は助ける」

言いましたよね~信長さん

信じられないのですこの流れで、この対応はびっくりです

ひょっとして信長さん、女性に弱いの、優しいの?

 

でも、ひとまず助かった

 

亀姫は、奥平信昌の手紙を持って長篠から来た家臣に言った

「鳥居強右衛門どの、ようございましたな

奥平殿にお伝えください

どうか持ちこたえて下さいませと

亀は奥平殿の元へ参るのを楽しみにしております

毛むくじゃらでも構いませぬと」

 

長篠へ一刻も早く良い知らせを届けようと

すねえもんは

川に潜り泳ぎ抜き、武田の陣を突破したが

陸に上がったところで武田の兵に捕らえられた

 

武田勝頼の策は、こう言わすことにした

 

「德川の助けは来ん!

わしらは見捨てられた!」

 

後方で勝頼が睨んでいるからどうしようもない

でも、強右衛門は亀姫のあの温かい顔立ちが目に浮かび

思い直した

 

「うそじゃ、助けは来る

それまで持ちこたえろ!」

 

 

捕らえられ、磔の刑になる

 

最期の言葉となったのが

「殿~徳川の姫君様はなあ~

麗しい姫君様じゃ、ようごぜえましたなあ~

大事にしなされや~」

 

ええ人やったんやなあ~すねえもん

 

記念館には、この様に磔の時のすね衛門の姿が掛けられている

 

地元では、今は「鳥居強右衛門戦国街道ラン」

と称し、65kmランが行われると言う

川は渡らない、ですよね

もうじき進化系のマラソンで水泳も組み込むかな?

潜水ですよ

 

岡崎クーデターの「大岡弥四郎」も

長篠を救おうとした「鳥居強右衛門」も

実在人物なんですね

 

上に立つ人の采配、今も変わらないですね

 

 

 

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大垣まで行って来ました

2023-06-09 13:00:17 | 滋賀

 

 

JR大垣駅にて

6月4日(日) 法事で岐阜県大垣市に行って来ました

朝、今回は「特急ひだ」に乗っていくぞ~と張り切っていたのですが

乗り遅れてしまいました

結局、新快速~米原乗り換えであとは普通列車

大垣駅から更に養老鉄道で

たっぷり時間をかけて行きました

列車はゴトンゴトン、心の内はあか~んあか~ん

 

初めて訪ねる所なので、道にも迷って迷って迷いぬいて

大幅に遅刻してしまいした

 

 

帰りは乗りたかった「特急ひだ」に

ホームに入って来た列車の写真を撮るのはワンチャンス

なのにスマホのシャッター位置を間違えて

特急ひだ号は撮れませんでした

何から何まで、失敗だらけの一日

 

沿線は田植えも終ったところが多かった

所どころ麦が実って黄金色に、刈ってもらうの待ち、状態

滋賀は、お米も優秀なようですが、麦もなかなかのもんだとか

 

鏡のように景色が映って

でも、何だか抹茶色に写ったのはカメラのせい?

列車の窓ガラスのせい?

 

 

 

 

 

唯一↑近江八幡市安土町辺りで写真を撮りました

 

*滋賀県立安土城考古博物館 向かって左

*安土城天主信長の館 真ん中

*文芸セミナリオ 真ん中

*レストラン

らしいですが

以前JRと徒歩でひとりで2回行ってるのですが

記憶が定かではありません

館内の様子は、まあまあ覚えているのですが

その建物がどれだったかが…

 

信長に興味のある方にはいい所だと思います

ちょっと離れていますが、安土城跡も山の上ですが

JRの駅前でレンタル自転車を借りるのがおすすめです

近辺、整備もされて見ごたえがありそうです

少し山登りを覚悟して、また行きたいなあと思います

 

 

 

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