kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

麒麟来たりなば…㉖

2021-02-08 18:17:39 | 麒麟がくる




光秀の前に現れた影は…麒…




麒麟がくる

最終回 本能寺の変



麒麟がくる、終わってしまいました

何ともびっくりな終わり方でした

丹波の福知山市には、私も6年ほど暮らしたことがありますが

光秀が山崎の合戦を生き延びて、

麒麟を呼び寄せることを願いながら

丹波で暮らしていたとは、聞いたことがありません


ほんとに市川海老蔵さんのナレーションがとんとん進み

光秀の終焉をいとも簡単に縮めてしまいました

そして、現れた字幕が

本能寺の変から三年後


戦さのまだ続くなかの束の間の平穏と見ていいのか


駒ちゃんが活気ある市の中で十兵衛様の姿を見、

声をかけ、追いかけました

辻を曲がった所は人も市の賑わいもなく

十兵衛の姿もなかった


実はですね、私の通った高校は元の本能寺とほぼ背中合わせ

学校の北側の道には

よく紹介される「本能寺跡」の石碑もありました

細い四角柱に本能寺跡の文字

決して立派な石碑とは言えません

ドラマの中の白壁に似てるような、多分現代の建造物を背にして

ぽつんと立っていた

建物の壁か空き地を囲った塀か分かりません

調べようとも思っていなかった

歴史にさほど興味のない高校生でした


今は少し東南の方向に行った所に

解説文も刻まれた立派な石碑があります



話が逸れましたが、


織田信長は明智十兵衛光秀が死ぬ間際まで

大好きだったのだと思う

何度も十兵衛は手討ちにされるのではとハラハラすることがあった

それでも信長は殺しはしなかった

かなり虐待していたけど

「僕の考えを分かってよ」

と信長は訴えていたような

十兵衛は、賢くて優しくて実直な人柄

今の信長の野望には同意できなかった

信長が自分が変わったのは十兵衛のせいだと言った時

十兵衛は心にグサッと来たのでしょうね



その頃もう、家康も分っていたのですね、十兵衛の心を


家康の使いで来た菊丸は十兵衛に着くと願い出たが


「この戦は所詮、己ひとりのものと思うておる」

と十兵衛は、一人で担おうとする姿勢を見せた


信長と十兵衛の連帯責任、運命共同体?








麒麟がくるの中の本能寺の変

丁寧に描かれていましたね

謀反人が十兵衛と分かった時



”十兵衛 そなたが…

そうか…

十兵衛か…

であれば 是非もなし”


矢が刺さったままの傷からにじみ出た血をなめる

鬼気迫った信長でした


そして矢を放ち、或いは槍を持ち敵に向かって行った

塀の外から、幾本もの矢が飛んでくる

鉄砲の音が耳をつんざく

だけじゃない

弾が吸い込まれるように自分に飛んでくる

塀の内にはもう大勢の兵が槍や刀を振り回し

どう見ても多勢に無勢

見事な槍さばきの信長

その槍が相手の兜を叩きつけた時

折れた

刀に持ち替え敵に向かうも傷だらけの体

最期を悟ったのだろう

蘭丸を呼び奥の書院へと入っていった



”わしはここで死ぬ

蘭丸、ここに火をつけよ

わしの首はだれにも渡さぬ

火をつけよ わしを焼き尽くせ”






現代もなお、信長の遺体に係るものは見つかっていない

完璧ですね

麒麟がくるで、光秀の本当とされるところを知れたと思う


ところが麒麟がくるで、結局

信長がかっこいい!

あの場で討たれるなら、信長に討たれて果てたいと思った

信長はどう脚本しても、かっこよくなる

そんな思いが残ってしまいました



”ときは今あめが下しる五月哉”

光秀の詠んだ連歌の発句とか

決起して信長を討ったものの、

残念ながら13日後には秀吉に追い詰められてしまう

三日天下

そうだとしても、立派な戦国武将でした



とにかく最終回を無事迎えることが出来て

視聴者としてうれしいです

作られる方々も大変だったと思います

こうしてみれば、大河ドラマに出演するということは

演技力だけではない、体力や精神力などなどを

兼ね備えた人でないと

ほんと、お疲れさまでしたと言いたいです



私は結婚後、何度かの転居がありましたが

京都から亀岡~福知山~京都~滋賀

知らぬ間に、光秀ゆかりの地を辿ってました

更に主人は美濃(岐阜県大垣市)の出身です

何なんでしょうか 不思議です

昨年は色々な理由で、

ゆかりの地を周ることは出来ませんでしたが

今年、世の中が平穏になることを、首を長~くして

待ちたいと思います

そして、叶えられたらひとつひとつ丁寧に

訪れてみたいと思います

どこかで麒麟に会えるかも…












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麒麟来たりなば…㉕

2021-02-01 19:00:04 | 麒麟がくる

麒麟がくる

第四十三回 闇に光る樹


はあ~なるほど

脚本家の池端俊策さんのインスピレーション



今回の副題 「闇に光る樹」

光秀が

”この頃毎日夢を見るという

闇の中で木を切ろうとしている

が、誰かがその木を登ってゆく…信長様なのだ

月にのぼった者が生きて帰ってきたことはない

だからやめさせようと木を切るのだが…

木を切れば信長様は落ちてしまう

この夢に悩まされている”


第四十一回で正親町天皇が「桂男」 という昔話をしていた

光秀はそのせいで、こんな夢をみたんだろう


脚本の池端俊策さんは「本能寺の変」を目前に

光秀の心情のエッセンスを月の桂に注いだのかもしれない

なぜ本能寺の変なのか

今までのドラマでは、その厄介な部分を飛び越えて

信長の光秀への態度が変わって来た

そして、本能寺

みたいな感じでした、と思うのですがそんなことない?

ドラマは、あの人この人との付き合いの密度、裏表などを

描いていたようで


光秀は沢山の人から信長への思いを聞かされた

聞きたくもない人もあり、教えてほしい人もあっただろう


そして光秀の答えは

宿命

と思ったのではないかな

信長様を討つのは自分の宿命

別に天下取りをしたいからではない

もう戦はこれ以上してはならない

この世から戦を無くすにはこれしかない


と思ったのかも…


ふと思い出したのが「おんな城主直虎」

あの張り付けにされた小野政次

刑の番人が槍を構えいよいよという時

直虎はその槍をもぎ取り政次を

突いた

血の流れ出る政次と血の付いた槍を握ったままの直虎

交わす言葉には裏があった

どうしても仲が悪い二人のように見せなければならない故に

お互い罵倒し続けた

幼い頃からずっといっしょだった二人は

最後にこれが宿命なのだと思ったのだろう

あれ、辛かったですよね



道三から信長と共に大きな国を造れと言われ

松永久秀から平蜘蛛を託され

足利義昭から

そなたひとりの京であれば考えもしようと信頼を示され

正親町天皇からも信頼を

家康も、細川藤孝も然り



光秀は追い詰められてしまった

そして事に至る前の光秀の心の内を

あの一瞬の夢のシーンで表現された池端俊策さん

スマートですね、脚本家さん



夢と分かっていてその木を切り続ける

夢を見続ければ わしは信長様を…

嫌な夢をみた…



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麒麟来たりなば…㉔

2021-01-25 23:13:49 | 麒麟がくる

麒麟がくる

第四十二回  離れゆく心
 

鞆の浦で光秀が公方様と仲良く釣りをしている

鯛が釣れると言ってました

明石の鯛が有名ですけど、

瀬戸内海には鯛が沢山泳いでるのでしょうか

鯛はともあれ



”そなたひとりの京であれば、考えもしよう”

光秀の京への誘いにそんなことを言っていましたし、

駒ちゃんは、公方様から届いた手紙に

”昔、話をした誰も見たことのないという生き物、麒麟

十兵衛なら、それを呼んでくれるやもしれん

海辺で暮らしていると、そういうらちもないことを考える”


光秀は公方様からこんなにも信頼されていたのですね


光秀は、なぜ本能寺の変に至ったのか

よくこの事が論じられて、将軍足利義昭がけしかけた

というかんじの説を何度も聞いたことがありますが

深いところまでは聞いたことがなく、

ほんまかなあ~

と思う程度でした

麒麟がくるもあと2回を残すのみとなって

光秀の周囲の人たちの行動を見るにつけ

そういうことなら、そうやったかも

と思うようになりました



最近、今までの説をひっくり返すような新説を

歴史番組で言ってますね

これは、発掘技術の進歩とか、

新たに古文書の発見が相次いでるとか

最近テレビ番組で知ったのですが

外国が、日本の古文書をたくさん所蔵している


ルイスフロイスやシーボルト、他にも

ポルトガルなどから宣教師として

或いは、開国を求めてやって来て、

日本のありとあらゆることを記録して持ち帰っている

また、絵画や器などの道具、花を調べて押し花などにして

持ち帰った人もあった

日本人が日本の良さに気付かずに、

ぞんざいにしていた様々なものに、価値を見つけていた

その資料から、日本人が日本を再発見している


きっと、まだまだ知らない事が出てきますね

フィクションがノンフィクションだったりして

楽しみは尽きません



それから光秀の長女のお岸さん

荒木村重の息子の村次に嫁いでいたけれど、

離縁させられて光秀のもとに帰されました

辛いことだったけど、おきしの命は助かった

というのも、信長の態度にもう付いていけなくなった

荒木村重の有岡城籠城に対する

信長の残虐な仕打ちにあわずに済んだのですもの

信長を心から仕える武将は今どれだけ残っているのか



そのお岸さんを、左馬之助はじっと見つめていましたね

山崎の合戦の跡、湖水渡りをした左馬之助さん

美濃からずっと、光秀に仕えてきた人ですね

ええ人や

左馬之助さんに幸あれ💛




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麒麟がいました

2021-01-22 13:15:54 | 麒麟がくる


確か、太宰府天満宮で麒麟を見たはずと、思ってました

今、何年か前に遡ってパソコン内のフォトフォルダーを

見ていました

2015年6月24日にありました♪



麒麟と鴬(うそ)



鹿


太宰府天満宮の境内には、神獣というのでしょうか

麒麟の他にも天神さんを守る動物の像がありました

天神さんといえば



京都北野の天神さん同様、複数の牛さんが守護についていましたよ

今年は丑年ですね

最近、テレビで菅原道真を取り上げた、番組もありました

飛梅




飛梅伝説は泣けます

さだまさしさんの歌「飛梅」もいいです♪



懐かしい写真

あと「梅が枝餅」

参道のお店で焼きたてを受け取って

その場で食べたのが忘れられません



最近生協の宅配で、冷凍されているのですが

お土産用の箱入りの梅が枝餅を注文しました

ゆっくり解凍してトースターでちょっと炙って

おいしかった

来週、5個?6個入り?また来るんです♪

”梅が枝がくる”

そうそう、”麒麟がくる”



今の地球を救いに来てくれませんか




(P.S 以前にも、麒麟と梅が枝餅のこと書いてましたね(^-^; )





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麒麟来たりなば…㉓

2021-01-18 17:31:55 | 麒麟がくる


麒麟がくる 

第四十一回 月にのぼる者




”桂男”

ある男が月にある不可思議な花を取りに行った

その花を水に溶かして飲むと不老不死を得られる

木からふるい落としひとり占めにしようとしたら

神の怒りで月にとじ込められたという話だそうだ



”朕は先帝に教えられた

月は遠くから見るもの

力のあるものは、近付き見ようとする

朕はあまたの武士が月へ昇るのを見た

そして、下界に帰って来る者はなかった

信長はどうか

この道を間違えぬ様

しかと見届けよ”


満月を愛でながら、正親町天皇は十兵衛に託した



松永久秀から十兵衛のところへ渡った、平蜘蛛という銘の釜

これほどの名物を持つならば、

その覚悟を持つこと

と松永から聞いていた十兵衛の取った行動は


平蜘蛛を欲してやまない信長のもとへ持参した

十兵衛は真っ直ぐな人だから、

危ないなあ~この状況は



まず、前日平蜘蛛のことを聞かれて知らないと言ったことを

謝った

信長様に対して、一点の曇りも持ちたくないからと

そして、


十兵衛は信長に言った

名物は持つ者に覚悟がいる

如何なる時も

志、高く

志、美しく

城を飾るだけでは人はついて来ません


信長を相当怒らせてしまいました




「麒麟がくる」の中ではただ今、安土城建築中なのですね

 10年位前に、安土城の跡と、信長の館、安土城考古博物館、

セミナリヨなどを見てきました

安土城址には2回行ってるのですが、

本丸への大手道は石の階段で、長い!

安土山の山麓の受付でUターンしてしまいました(>_<)


受付の人しか、その辺に人はいなかったので…はい

その後、駐車場が出来たとか、何かが整ったとか聞くので

良くなってるのかもしれません


大手道の両側には、羽柴秀吉や前田利家の館があったことを想像して

さぞ、見事だったんだろうなと思います

でも、ほとんど何も残っていない

やっぱり、信長はよく思われていなかったのかなあ



パンフレットを大事に今も持ってます

写真はすべてパンフレットからです<m(__)m>


安土城天主 信長の館


天主の外観

信長の館の中にすっぽり入ってます



天主の室内

仏教の世界観による理想郷を象徴するものとか

ポルトガル人イエズス会宣教師のルイス・フロイスの著書『日本史 』

なども参考に信長の館は造られたようです

来客は私だけだったせいもあってか、案内係さんは

館内を色々説明して下さり、楽しかったのを覚えています

駅から四方が田んぼの中の一本道を30分ほど歩いて行ったのですが

ほんと、よかったです


信長が天下人だった頃から400年後の1992年

スペイン・セビリアでの万国博覧会でこの天主の5、6階部分が

日本館のメイン展示となったのだそうです

万博終了後、安土町が譲り受け、改修をや増築を施して

この文芸の森の一角の信長の館の内部に復元したそうです


信長の館に再現された安土城天主の豪華絢爛なこと

理想郷を表す天主に、天守ではない天主に治まる自分が

天上人であると、神であると

信長は思いこんでいたかもしれない

もう、光秀は今までのように信頼する心はなくなったのではないか


帝、将軍、数多くの戦国武将

信長を堕とそうと企て始めている

かもしれないし、違うかもしれない

周りの者の考えが分からなくなってきたであろう光秀

この思考回路はどのように、延びていったのか

麒麟がくるもあと何回かに



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麒麟来たりなば…㉒

2021-01-11 17:22:57 | 麒麟がくる



麒麟がくる 第40回 松永久秀の平蜘蛛


久しぶりにちゃんと見ました

知らない事ばかり

当然お話も進んでいて、煕子さんが亡くなっていたとは

十兵衛、今も十兵衛と呼んでいいのですね

十兵衛も変わった

顔つきが怖い、感情が激しい

あの温和だった十兵衛さんが、やっぱり信長のせいでしょうか

よく叱る上司って、辛い

十兵衛は本来、内に秘めるタイプとお見受けいたします



今回は、松永久秀にスポットが当たってました

信長を離れ、大坂本願寺や上杉謙信に着くのですね

自分の城である信貴山城で、自刃し城と共に火の中に果ててしまった

すごいですね、本能寺での信長の最期を彷彿とさせる場面でした

もちろん、今までに見た他のドラマ上のですが

ところで、信長の城は今、安土城ですか

帰蝶さんが、階段が多くて疲れる

と言ってましたね

それやったら、安土城やないですか

あの大広間、セットとは思えないのですが

どこかの大広間みたい

ドラマの初めに、タイトルバックのテロップが出ますが

そこに撮影協力、岐阜県、滋賀県、京都府と共に

真宗大谷派(東本願寺)

と出ます

ひょっとして、あの信長の居城の大広間みたいなのは

東本願寺のいくつかあるお堂で撮影されたのでしょうか

とにかくとても広くて豪華絢爛

襖絵も、その他の部屋の造りもすごいなあ~

と、ストーリーそっちのけで、見入っていました(^-^;

確か、東本願寺は数年前に修復が完成したはずで、

今、それはそれは立派です

金箔は輝いていますし、細工された部分の色も鮮やかでした

とにかく、京都駅があって、京都タワーがあって、

そして、東本願寺があって、とても大きい

目立ちます



お城といえば、坂本城も出ましたね


琵琶湖の西岸、今は城址を示すものだけですが

この天守閣は、安土城の天守とよく似ている

ぐっと飛び出した天守は、この頃の最新型だったとか

この辺り、家からさほど遠くない所にあるのですが、

行けずじまいです

何かと落ち着かない日々でしたから…

でも、いつか行きたいな





麒麟がくるの本題から外れました

長く見ないでいたもので、理解が出来てないのですが

戦国武将、皆さん荒んできてるなと

一触即発やなと思いました

朝廷、幕府、戦国武将、寺社

絡み合って、寝返り然り、隠密増殖

戦ばかりの死と隣り合わせの時代


現代も決して穏やかな時代ではないし、

敵はなかなか姿が見えないし

ステイホーム、籠城みたいなものですね



2021年、穏やかな年になりますように






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麒麟来たりなば…㉑

2020-09-06 17:44:12 | 麒麟がくる

麒麟がくる 第22回 京よりの使者

ようやく、再スタートしましたね

俳優さんの中に、頬がちょっとふっくらしたような方も…
ステイホーム遵守の結果かな


桶狭間の戦から、4年が経ったのですね
十兵衛は?もう光秀と呼ぶのかな

越前の朝倉で、ご近所の子供に学問を教えて
生計を立てているようですね

二人目の女の子が生まれてました♪
天城越えのおばあ様もご健在でよかった♪

光秀はこの身の上を忸怩たる思いでいるに違いないです

そんなところへ、以前京で知り合いになった
細川藤孝がやって来て、京へおいで、とお誘いが!

目的は、三好長慶を討ってほしいとのこと
この頃、京は三好氏とその家臣松永久秀が力を持っていて
将軍足利義輝は、お飾り状態で、もう、投げやりになっているという

三好を討ち、将軍の力を取り戻すしかないと


美濃が道三、尾張が信長、三河が家康のように
京にも大名というか、戦国武将が勢力を伸ばしていたんですね

今まで、京に戦国武将がいるなんて思いもしませんでした
天皇が全勢力を握ってると思ってました



ところで、光秀と義輝は、性格が似てるような…
役者さんの雰囲気も似てますけど
おふたりとも爽やかな青年で、いいんじゃないですか♪


自分の力になってくれる大名はもういないと、諦めている義輝に、
光秀は、信長なら強い力になってくれると、
上洛してくれると!
さあ、叶うかな?叶うんでしょうね♪


十兵衛は、今の義輝と、昔の義輝を思い、
麒麟がくる世をつくりたいと、義輝は考えていると
以前のままの、将軍だと
ほっとしたようですね


さあ、何が何でも信長が上洛してくれるよう
働きかけないと!

大きな目標が出来ました



ところで、伊呂波太夫さんの持ってる人脈、すごいですね!
関白の近衛前久とは、
姉弟のように近衛家の中で育ったんですって

(近衛前久は近衛家の嫡男、且つ、足利義輝の義弟にあたる。
お姉さんが義輝の正室。
ということは、天皇家と将軍家のパイプ役になれる人物)


ますます正体が知れない???



「麒麟がくる」 やっと再出発したのに、
9月6日 第23回「義輝、夏の終わりに」
が中止だそうですね
台風10号の影響ですか…

仕方ないですね
何といっても公共放送NHKですから


ところで、「二条御所」
これは今の二条城とはちょっと違う所にあったそうですね

今の京都御苑の南西角にあり、少しだけ今の御苑と重なるそうです
足利義輝の居館だったとか

確かにこの辺りには、「室町通」という道が南北に通っています
二条城の側で育ったのに、その変遷は知らないなあ~(>_<)


時間が出来たら調べてみたいです


ドラマを中止させた、台風
被害がないように願います


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麒麟来たりなば…⑳

2020-06-07 13:53:31 | 麒麟がくる


麒麟がくる

第二十回 家康への文



このドラマ、コロナ感染防止の3密対策で収録がストップし、

6月14日から、放送がお休みに入るそうですね

残念ですが、致し方ないです




ドラマの展開は、いよいよ桶狭間の戦が近づいて来ました


越前で、家族の暮らしのため、学び舎を開いている十兵衛です

ここで学んだ子供達は、勉強も進み、お行儀もいいと、

上々の評判の先生になりました

そういえば、十兵衛さんは、いつも背筋がピ~ン

刀さばきや、銃の構えもキリリッ

所作というんですか、立ち居振る舞いがサラ~リ

とてもきれいですね~💛

胡坐から、立つ時、

手で、どこかを支えて、よいこらしょっと

なんてことはしませんね

足の力だけで、スッ

見事です、折り畳み椅子を閉じるみたい(^^♪

時代劇に出る男優さんは、これが出来てなんぼ

 と、勝手に思っています

これ大変ですよ、私は無理です

足を痛めていない時でも出来ませんでした

俳優さんは、色んな能力を求められますね、大変



そんな十兵衛、女の子が生まれましたが

美濃や尾張や、京のことがやはり気がかりの様で

ことあるごとに、いとこの明智左馬助に、方々に、

様子を見に行かせたり、手紙を届けさせたり、

まるで、道三に仕えていた当時の、十兵衛みたい

左馬助もたまには、くたびれて、こき使われて、もう!

ぼやきたいこと、ないのかな

この左馬助さん、本能寺の変の時も光秀に仕え、

立派に、重臣としてやり遂げた方みたいですね

以前、句会のメンバーで吟行に行った時、

明智秀満(左馬助)の 「駒止めの松」 

見てきました



松は代が替わっています







2019.4.29のブログに載せた写真です

案内板には、

”この松は、明智秀満が、湖水渡りの馬を繋いだと言われている
天正十年(1582)「本能寺の変」のあと安土城を守っていたが
光秀敗死の報に接し、急ぎ、坂本城へ向かった
その途中、打出が浜から馬に乗ったまま、湖中に浮き沈みしながら
柳が崎に上陸し、この松に馬を繋ぎとめたという”

琵琶湖には、こんな話も残っていました

光秀は、謀反人という扱いから「明智」は、
声高に言うことは出来ないということも、あってか、
駐車場の隅にひっそりと立っていました

ここがなぜ駐車場になったか?
元、駐馬場だったから、なんちゃって(^-^;


横道にそれました<m(__)m>


とうとう、限界突破サバイバーは、吠えましたッ

「左馬助! かような国に身をゆだねようとは思わぬ!

尾張への抜け道を案内せよ!」


何が十兵衛をこうさせたか

朝倉義景の家臣に鉄砲の腕前を褒められ

仕官をすすめられた十兵衛が、

義景に話を聞いてもらおうとしたら、

蹴鞠中だから明日また来るようにと!

「なにが、蹴鞠じゃ」

その、生っちょろいことに、堪忍袋の緒も切れた十兵衛さんでした


さあ、竹千代も元服し、元康と名乗り、

立派に成長しました

やはり、参戦せざるを得ないのでしょう

信長、いよいよ今川と決戦です

駿府、三河、尾張

何やらそれぞれ画策がありそうですね



”犯罪の陰に女あり” 

なんて、聞き捨てならない言葉もありますが、

”武功の陰に女あり”

でもあると思いますよ

帰蝶さん、またもや信長をちょいと、操りましたか

でも、これには十兵衛の提言があったような…


家康への文

元康への母のとこしえの愛


この辺から

”…鳴くまで待とう時鳥” が

もう出来上がっていた?


あ、駒ちゃんにもらった真っ黒で丸いお薬も持っていったしね💛

桶狭間、どうなるのでしょうか

決戦は、今夜


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麒麟来たりなば…⑲

2020-05-31 15:23:44 | 麒麟がくる

第十九回 信長を暗殺せよ









今回、能の場面が出てきました

「箙・えびら」
という演目だったそうで、足利義輝の気持ちを考え
演出されたとか
また、可能な限り、その当時の能の形に沿ったものだそうです
が、悲しいかな私、詳しくないので
今風なのか、戦国時代風なのか、全然分かりませんが、
何となく、ソーシャル・ディスタンス(^^ゞ


でも、緊迫感のある見ごたえある、ワンシーンでした

能の場面て、敵と味方の張りつめた空気が伝わりますね





信長に、毒入りの湧き水を差し出した、信勝

見破った信長に、信勝はもう許してもらえなかった

「お前が飲め!」

鬼の形相で言い放った信長

母である土田御前は、どこまでも信長には冷たかった

幼い頃に、母の大切なものをことごとく壊したと、攻める?

子供が「物」を壊しても、そこまで憎む?

確かに、子供と母親の相性はあるとは思いますが、そこまでは


信長は、寂しい子供時代だったんだな…


そして、その信長に、うそかまことか、

暗殺計画があるという

やはり、憎まれやすいところがあったのかなあ…

出る杭は打たれる

傾奇者

言うことに紗を掛けないから、キツイ



このうわさ、斎藤義龍(高政)だった

妹の旦那様ですよね

戦国時代、そんなの関係ない、のですよね

父道三が亡くなり、いやいや自ら討ち、

その後、美濃の国を守らなければならない

京での能を鑑賞の席が、好機と考えたのですね




この京での、足利義輝プロデュースの能の会

義輝が、落ち延びていた近江の朽木から戻って来たお祝いの席

なのですね

三好長慶と和睦が成り、京へ戻って来た

三好さんは、たくさんの献上の品を並べ、

深々とお辞儀されてますが、なかなかどうして、

京を牛耳っているのは三好長慶(*)

将軍義輝には、そんな力は復活していなかった

それが証拠に、諸大名に上洛するように命じても、

全然来ません

十兵衛の今いる越前の朝倉義景でも、

”わざわざ火中の栗を拾うことはない
面倒なことはご免じゃ
鷹を献上して、様子を見る”

と言って、十兵衛を代役に立てて、京に行かせましたもんね

それで、赴任早々の十兵衛、越前から京へ出張です

煕子さん、ややこが出来たとおっしゃってたけど、

ま、しゃあないか…

私かて、出産の日でも、主人は接待麻雀

そんなこと、ここに挙げたら晩までパソコン打ってんならんわ

たまには、愚痴のひとつも言いたい

そんな今日この頃です…



こうして、京へ来た十兵衛は、懐かしい方々に会えました

三淵藤英、細川藤孝兄弟

松永久秀

そして、足利将軍、善輝さま

十年ぶりにもかかわらず、お声までかけて頂いて、

二条館の能にまで誘ってくださった



信長も義輝に謁見しました

今川が尾張を攻めることを挙げ、これ以上の戦は叶わぬと

訴えた

それで義輝は、

「左京の大夫」それで引き下がらねば、「相伴衆・しょうばんしゅう」

これなら手は出せぬぞと、高い役職を与えた、太っ腹

信長は、それくらいで今川が尾張から手を引くとは思えない

そう、十兵衛に言った



こうしてみると、義輝は、十兵衛が一番好きかなと思います

十兵衛は、目立ちたがらないけど、

周りの人間に、好かれてますね♪



国の要の京を抑える者も居ない

あちこちで、暗殺計画、他人と言わず家族と言わず

ぶった斬ってますね

十兵衛も、先が見えない様子



現代も、先が見えない

敵の姿も見えない




(*)三好政権について

天文18年(1549年)から永禄11年(1568年)まで存在した
日本の武家政権である。
同時代における他の戦国大名の地方政権とは大きく異なる
中央政権であったと言われる
そのため、
織田政権に先立つ統一政権の先駆的な存在であると
評価されることもある


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麒麟来たりなば…⑱

2020-05-24 13:30:52 | 麒麟がくる

第十八回 越前へ



十兵衛の叔父の光安さんは、

ちょっと軟弱で、風見鶏的なところもあった

でも、道三につき、もう敗戦は免れない、と分かった時、

お城の最後を見届けるから、他のものは逃げよと命じましたね


「逃げて逃げて、生き延びよ

そして、明智家の主として

再び城を持つ身になってもらいたい」

光安おじさんから十兵衛への、遺言となりました



息子の明智左馬助には、城を出て十兵衛の元へ行くようにと

最期は叔父上、びしっと決まりました


山上の稲葉山城が燃え上がるのを見た十兵衛

明智荘にも敵は迫って来た

いよいよ十兵衛一行は逃げなければ命がない

尾張へ向かおうとしていたところ

駒ちゃんや菊丸、それに決定的なのが

帰蝶さんに頼まれて来た伊呂波太夫の言葉

もっと北へ、越前へ逃げることとなりました

伊呂波太夫という人は、なかなか謎の多い女性です

どうやら越前の朝倉氏とも、深い因縁がありそう


さて、美濃から越前へ
どんな道をたどったのだろうか


美濃街道というのがあるらしい、
越前街道というのも、朝倉街道も

他に、耳にしたことがあるのが、北國街道や北陸道

万葉集にも出て来るのですから、越前や越中へ行く道は
おそらく、発達していた

ただ、過酷な道行だったのは確かと思います



今なら、例えば、【大垣から福井・一乗谷】

乗り換えアンナ~~イ♪

大垣 JR東海道本線 特急しらさぎ9号 金沢行 14:22発
福井乗り換え JR越美北線 九頭竜湖行 16:50発
一乗谷 17:10着

2時間48分間  ¥4500

ヒューッ🚆

乗り換えなしの方法もあったりして

ああ、大いなる人類
でも、自然を壊すことは…





今日から明智光秀の、越前時代が始まりますね

十兵衛が、越前にいたなんて、全然、知らなかった

戦国時代の越前は朝倉氏が治めていて

ドラマでは朝倉義景の時代


「朝倉」というお名前、気にかかることが、ひとつありまして

よく読ませていただくブロガーさんが

何度か「朝倉市」を紹介されてました

美しい「秋月」という城下町の写真を拝見しています

はて、越前の朝倉氏との関係は?

領地替えなどがあったのかな❓



2016年7月とそれより数年前に、
一乗谷朝倉氏遺跡に行ったことがあります

その時の写真です



                       
 2016.7.2

唐門ですがこれは戦国時代のものではなく、
朝倉義景の菩提を弔うために建てられた松雲院の寺門で、
江戸時代中期頃に再建されたもの

唐門をくぐると、広い敷地に朝倉館や、4つの庭園がありました

山中には一乗谷城があり、千畳敷(一の丸)、二の丸、三の丸、
宿直(物見台)などの遺構があります
(標高400m強)


その周りには、曲輪、空堀、堀切、竪堀、土塁や伏兵穴跡などの遺構が
尾根や谷筋に沿って残っています


でも、織田信長によって、焼き尽くされ滅んだんですね~


その城下町が丸ごと、発掘によって現れたとのこと
考古学者さんもビックリしそうな大発見!
ちょっと、ポンペイを思い出しました

今まで、礎石など手付かずで、変わることなく

時空を超えてきた様に、地中から出たなんて
なんか、ロマン💛





この谷全体が城下町として繁栄していた

主要道路が川沿いに設けられ、

山側に、朝倉氏の館

川向うには、商人や町人の町、武家屋敷、寺院などがあった

発掘によって、

あ、この家は紺屋、ここは刀研ぎ師、鋳物師、数珠屋などと

たくさんの道具の発掘で、判明したのです

今は、復元町並みが出来ていて、見学が可能です

印象深かったのは、紺屋さん

大きなカメが、家の中に並べられていました
働く様子が、リアルに感じられました



        
 一乗谷川です
鯉は、人の気配に集まって来ますね(^^♪

地域のサークルの仲間です
私は昨年度いっぱいで、やめたのですが、
サークルもこの状況下、活動はどうなっているのか…



ほぼ南北に流れる一乗谷川に沿って、城下町がありまして、
領地が長~いです



庭園の跡


庭園跡



池泉式の庭園跡
庭園は、4つもありました



広い屋敷跡、朝倉氏のお偉い方の住まいかな?


川向こうに見える、町人、商人の住まい(復元)

他に、お医者さん、武家屋敷、寺院、墓所の跡も




復元の町並

細い道を辿り、各家を覗いていきました

発掘により、この家は染物屋さんとか、
それぞれの職種が分かるものがいっぱい出たそうです




こんな風に道の両側に、町屋が建っていました


近畿から離れ、戦もなく?少なく?
豊かな暮らしがあったのですね

そんな城下町もいずれ、とある人物によって全滅の時を迎える


十兵衛も信長も、まだまだ若い時代のストーリー「麒麟がくる」

大きなターニングポイントに来て

十兵衛の立ち位置はどういう風に?

家族の暮らしはどうなっていくのでしょうか?


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