近いとなかなか空いた日がない。祝日で混んでいないか心配した
が、そこそこだった。
山崎豊子の原作は1995~1999年に「週刊新潮」に連載したそうで、
当時日航が反発、連載中は機内にその雑誌を置かなかったそうだ。
映画化にあたっても角川映画や東宝へ何度も警告文を送ったらしい。
私は、山崎作品は、昔、「白い巨塔」、「女系家族」、「ぼんち」を
読んだり映画やテレビドラマを見た記憶がある。が、最近の作は
トンと縁がない。今回も「渡辺謙主演」というので見たようなものだ。
しかし、見終えて「久しぶりに映画を見たな~」と言う満足感を味わ
った。渡辺謙が、ぜひやりたいと言った「恩地元」にぐいぐいと引き
込まれていったのだ。
恩地元は、国民航空(NAL)の社員で労組委員長。空の安全、
社員の待遇改善を求めて団交に臨み、大幅な成果を勝ち取るが、
その後、カラチ、テヘラン、ナイロビと10年にわたる懲罰人事を
食らう。
詫び状を1枚書けば戻す、と言われるが、「皆のためにやった。誰に
詫び状を書くのか。僕の矜持が許さない」と突き返す。その間、会社
が行う組合分裂工作、不当配転、昇格差別、いじめがすさまじい。
そして第二組合が作られる。
帰国後、航空史上最大のジャンボ機墜落事故の遺族係として、
1人1人の遺族に誠意を持って接しながら、遺族の怒り、痛ましさ
に直面し苦悩する。事故現場、遺体の検視、事故原因の究明、
補償交渉の様子など、まだ記憶に新しい事故だけに切なさがこみ
あげる。
NALの再建を図るため、新会長に迎えられたのが国見正之
(石坂浩二)。恩地は新設された会長室の室長に抜擢される。
ドル先物予約の疑惑やNYのホテルの放漫経営など不正と乱脈が
次々と明るみに出始めるが、政・官・財が癒着する腐敗構造の中
で、国見会長は力を発揮できずしだいに追いつめられ辞任する。
恩地は再びナイロビへ。
彼を理解し支え続ける妻(鈴木京香)、いじめに合いながらも、
父のため我慢し素直に育つ息子と娘。こんな家族が本当にあるだ
ろうか、と思うほどだ。
さて、原作は、「アフリカ篇」「御巣鷹山篇」「会長室篇」の3部に
分かれ、文庫本では5冊本になっているそうだ。アフリカ篇の
恩地には実在のモデルがおられ、山崎豊子は千数百時間も取材
した。御巣鷹山、会長室の恩地はその人物ではなくフィクションだ。
60年代は労使紛争が絶えず、組合の切り崩しも激しかった時代。
自分の生きてきた時代だけに、当時の首相は誰?国見会長って?
と興味が湧く。「親方日の丸」の日航の建て直しに呼ばれたのは
鐘紡の伊藤会長、三顧の礼をもって迎えたのは中曽根首相、頼み
に行ったのは瀬島龍三氏だそうだ。瀬島氏は「不毛地帯」の壱岐
正のモデルと言われ、小矢部市出身の軍人でシベリアに11年間
抑留された。戦後は伊藤忠商事の会長。
恩地の生き方に感動を覚えつつも、日航を取り巻く政・財・官の
動きに興味が移る。折しも、11・23付け朝日新聞のGLOBE版に
「JAL 再び翔べるか」の特集が組まれた。1951年日航創立以来
の歴史も書かれている。映画で出てきた「闇資金捻出のための
ダンボール入りCF券」も事実のようだ。
余話をいくつか。
映画で、遺族の方とトラブる遺族係りを演じられ山田辰夫さんは
射水出身で滝田監督の同級生。「おくりびと」にも出演されたが
今年夏亡くなられ、この映画が遺作となった。
10分間の休憩時の音楽は、ダイアナ湯川さんのヴァイオリン
演奏による「祈り」「永遠の記憶」。彼女は、父親を御巣鷹山で
亡くした遺児で、事故後9月に生まれ、父の顔を知らない。
途中トイレに行ったので半分しか聴けなかったが。