Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

晩秋の二上山へ~今年最後のハイキング

2011-10-30 | 高岡

 10/28(金)、今年最後のハイキングだった。4月から10月まで、月に一度、(頼成の森)、増山城跡牛嶽白木峰、(伊吹山)、ハゲ山二上山と言う活動状況である。頼成の森は私の都合で不参加、伊吹山は道路が不通になり中止となり、私は5回の参加で今までで最高だと思う。

 二上山は、夫が好きだった山で、子ども達が小さい頃よく連れて登っていた。秋の夜虫の声を聴きにドライブしたこともあった。勤めていた頃は、”カントリー・ウオーキング”で何度か歩いた。最近は、「高岡市民歩こう会」で年に1度は行く。ほとんど万葉ラインを歩くのだが。

 さて、この日も秋晴れだった。9時、「平和の鐘」駐車場に集合。「大師ヶ岳山頂」(253m)、「二上山山頂」(274m)、守山城跡の3つの山を征服するのが目的である。万葉ライン道路は車で(4台に分乗して)移動し、登り口から登る方法だ。
 まず、大師ヶ岳を目指す。道は落ち葉でふかふかして歩きやすい。こんな大きな竹林が続くとは知らなかった。(トップ写真、↓も。)
         

 かなり急な登りもあったが、いつものように花の名前、木の名前、木の実の名前が次々と話題にあがり、飽きることなく疲れも感ぜず歩けた。もちろん息切れはするし、私はもっぱら聞き役だ。↓は、つりふね草。
    

 ↓は、アキノキリンソウ。もっと群生していたのだが上手く撮れなかった。
        

 ↓は、マムシ草の実。あの花から想像もできないきれいな赤い実だ。(大して見てください)
              

 ↓は、アリドオシ(一両とも)。赤い実に目が二つあるのが特徴(はっきり写っていないが)。
    

 ↓は、山頂から見える海。目の弱い私が、「あの橋は?」と聞くと、「突堤やよ、雨晴かな?」とまめさん。空と海の色の区別がつかない。
    

 山頂の櫓付近に、3等三角点があった。
     

 同じ山道を下り、大伴家持像付近から二上山を目指す。↓は、お馴染みの「家持像」。29歳で越中に赴任し、5年間国守として務めた若々しい姿だ。(少し傾いているのはカメラのせいです)
         

 二上山頂には日吉社の祠がある。木の種類をたくさん教えてもらったがサッパリ。小さな赤い実がいっぱいついている木がアズキナシ。
        

    

 ここで記念撮影をして、昼食だ。

 最後が守山城跡。「城山」だ。守山城の本丸のあった所。春は桜の名所。平和観音像が建っている。
        

 ここからは、小矢部川の蛇行がよく見える。小矢部川は石川県と富山県境の大門山が水源、急流の多い県内河川では珍しく、蛇行しながら流れる緩流河川だそうだ。
    

 富山湾に注ぐ河口も見渡せる。能町~伏木の赤い橋。
    

 ↓は、伏木万葉大橋(青い橋)。
    

 立山連峰が見え、剱岳もはっきりわかる。山好きのメンバーは、山の名前を一つ一つ上げていた。
    

 山の名前だけでなく、椚(くぬぎ)の実、アベマキの実など、山道に落ちているいがを剥いて調べている人もいる。栗の実しか知らない私にはこれもサッパリわからない。

 ↓は、万葉ラインの傍に咲く、野路菊。
    

 その後、「万葉植物園」を散策し、鐘つき堂に戻り、「万葉荘」で反省会だった。


映画「ツレがうつになりまして」

2011-10-28 | 映画・テレビ・演劇・芸能

 10/27(木)、耳鼻科医院に行きそびれ、そのまま帰るのも残念とイオンに行った。ハロゥインもそろそろ終わるので、イオンはもうクリスマス飾り、大きな雪の結晶がぶら下がっていだ。いくつかの店がリニューアルの準備中。ダイソーも28日に開店だそうで、商品の入れ替え中だった。
      

 映画館では、11/19日に富山県先行上映の”RAILWAYS"の大きな広告が出ている。しばらく映画を見ていないな~。覗くと、ようこ姫さんと約束していた「ツレがうつになりまして」が1:10から始るところ。以前NHKのTVドラマにもなったが、映画もぜひ見たいと思っていた。原作は、細川貂々(てんてん)の漫画エッセー(幻冬舎文庫)で彼女と夫との実話に基づく夫婦物語。マイペースな妻「ハルさん」に宮崎あおい、超マジメな夫「ツレ」に堺雅人、「篤姫」以来の夫婦コンビである。

 <あらすじ> 夫婦の姓「崎」のが”くちだか”ではなく、”はしごだか”とこだわるほど、生真面目な夫が会社の激務に耐えかね、うつ病だと診断される。結婚する時、「ハルさんが自由に漫画が描けるように、僕が生活を支える」と言ったツレに、「会社を辞めなければ、離婚する」と妻が迫り、ツレは会社を辞め主夫業に、ハルさんは積極的に漫画で生計を立てられるように、それぞれが変身し、二人で助け合いながら病気と向き合って行く。(写真はネットから)
     

 そう簡単に事が進むわけはないが、妻が夫と一緒に通勤電車に乗ったり、床屋の両親(大杉蓮、余貴美子)に相談したり、うつ病の本を買い勉強したり、努力を重ねながら夫を理解しようと努める。でも、夫は、自分は役に立たない人間、迷惑をかけて申し訳ない、と泣き自殺を図ったりする。それを夫婦で乗り越えて行く闘病記であり、ラブストーリーでもある。↓の写真にあるように、ペットのイグアナが二人の癒しになっている。
     

 ツレの病気のことを描いた「ツレがうつになりまして」が本になり、喜ぶ二人。ツレに講演の依頼が来て、二人で出かけ体験談を話す。
      

 うつ病は「心のカゼ」と言われるように、誰もがなる病気。自分がそうである場合も、家族がそうである場合も、参考になる言葉、心に響く言葉がいくつもあったので、紹介します。 

 近所のなじみの骨董屋が、古いガラスの花瓶を見せ、「ただのガラスだけど、割れなかったことに価値がある」と言う。

 主治医が、ツレに「日記を書いてみたらどうでしょう」と勧める。

 ハルさんが、「”うつは人生の夏休み”と考えればいいよ。」と励ます。

 ツレが講演の最後に言う言葉。「大事なのは、『あ・と・で』と言う言葉です。これを忘れないでください。」
 「あ」は、焦らない、焦らせない。
 「と」は、特別扱いをしない。
 「で」は、できることと、できないことを区別する。

 これらの言葉は、今の私にとって肝に銘じ実行したい言葉だが、言うは易し行うは難し、である。


JR高岡駅・古城公園口~バス乗り場

2011-10-27 | 高岡

 10/27(木)、朝は冷え込むが日中は晴れあがった。太鼓が休みの木曜日だ。娘が10日間ほど不在で、急に暇になった。病院や仕事の送り迎えなどでここ1週間はあまり自由に動けなかった。楽なようで、家がガランとして寂しくもある。最近調子の悪い耳の診察に行こう、と家を出た。
 耳鼻科なんて、何十年間も行ったことがない。会う人ごとにどこの耳鼻科がいい?と尋ね、結局は一番近い医院に決めて行ったら、第4木曜は休診日だった。

 次の予定は、演劇鑑賞会の会費の納入。旧氷見線ホームの傍の道路に観賞会事務局がある。11月分・8名分を納め、ちょっとお喋り。手作り小物のケースから「草履型小銭入れ」を買う。1,500円。ちょっと高いが手の込んだ布製。カンパも含むから…。薬入れ、口紅やコンパクト入れ、などに使えそう。↓は、左が表、右が裏。鼻緒がついていて、もちろんファスナーも。カセットテープの大きさだ。
                 

 事務所の目の前、今まで氷見線の線路やホームのあった所にシャベルカーが入り工事中である。駐輪場が移動して来ている。右端は”α1ホテル”、向こうに見えるのは、JR高岡駅の新橋上駅舎、真ん中が”万葉ロード”だ。
     

 ↓の、白い側溝のような部分に水道管が見える。上水道の管だ。万葉ロードの仮店舗に、お土産屋(銘菓、蒲鉾など)がオープンしたのが10日ほど前だ。水道がひけないから飲食店はない。駅地下にあった飲食店がここへ移るようだ。そして広いバスターミナルができるらしい。これらはすべて仮のもの。2年後には駅前に新しいステーションビルやバスターミナルがお目見えするようだ。
     

 ↓は、東側にある、南北をつなぐ高架道路。
     

 トップ写真は、「市民と市政」に載った、”高岡駅周辺の予想図”だ。図の中の(代替駅前広場)の部分がここである。工事は着々と進められているが…。


豊謡会’11

2011-10-26 | 能楽

 昨日、10/25(木)はかねて計画していた日帰り京都行きの日だった。雨模様が心配だったが、曇り空ながら1日雨は落ちず街歩きには最高だった。まだ紅葉は楽しめなかったがそれは仕方がない。

 一転して今日、26日朝、寒さがドッとやって来た。今年の冬はどうでしょうね、と月忌参りに来られたお寺さんと語り合う。

 さて、話は古いが、10/9(日)に青年の家で、「豊謡会」のお浚い会があった。「豊謡会」は江幡豊先生の謡の会だ。去年初めて、連調連管(笛と太鼓のアンサンブル)に出ませんか、と声がかかった。去年は、万葉朗唱のコーラスと重なり出られなかった。だが、今年は出たいと思っていた。
 私は、10年前から平米公民館の「能楽お囃子の会」で、謡と太鼓を習っている。今ちょうど、
娘が以前習っていた笛のお稽古を再開し一緒に通っているので、連調連管で一緒に舞台に上がれるかも、と思ったからだ。

 そして、念願どおり連調連管の「中の舞」を一緒に演奏できることになった。もちろん、ようこ姫さんも、である。たまたま、なはさんが大門からはるばる聴きに来てくださることになり、写真をお願いした。(トップ写真…3人とも顔が見えるように、なはさんが苦労して撮ってくださったもの)

 親子で共演できるのも、今だけ、大事な写真だ。ついでに、もう一つの密かな親子共演写真を紹介します。9月の婚約披露宴で、義弟が詩吟で石川丈山の「富士山」を詠ってくれ、息子がピアノでドビュッシー「月の光」を弾いてくれた。お礼にと、娘が笛で「舞働き」を吹いた。横で私が張り盤(Aさんからのいただき物)で拍子をとった時のものです。

           


同窓会(その4)~無言館・松代象山(ぞうざん)地下壕

2011-10-24 | 旅行

 10/15.16日の別所温泉の同窓会の見学地に、頼んだわけでもないのに、最近行きたいと思っていた見学地が3つも入っていた。一つは初日に訪ねた「安曇野いわさきちひろ美術館」、後の2つは、二日目に訪ねた「無言館」と「松代大本営」だ。↓は、「無言館」。
      

 ここは、窪島誠一郎さんが上田市に開館された戦没画学生の絵を展示した美術館だ。窪島さんは、水上勉さんの息子さん、互いの消息がわかり再会を果たされた時のセンセーショナルなニュースが記憶に新しい。無名の作家の絵?と言うのが、最初の私の正直な気持ちだった。だが、見てきた友人から感想を聞くにつけ、一度は訪ねたいとかねがね思っていた。

 正式には、「戦没画学生慰霊美術館」、山の上に建っており中腹には「傷ついた画布のドーム」と言う建物がある。最初にそこに入ったのが間違いだったかも。ワイワイと入り、まず喧しいと注意を受けた。それでも喋る同級生。もちろん他のお客もおられたが団体はやはり煩い。

 その後、更に上り「無言館に着く。”口をつぐめ、眸(め)をあけよ 見えぬものを見、きこえぬ声をきくために”と窪島誠一郎のことばがある。絵に見入り、それぞれの画学生の説明を読むうちに自然と館内は静かになる。妻を、恋人を、家族を、故郷の風景を描いたまま、戦地に散った画学生たち。昭和20年戦死、と言う人も多い。レイテ島、ルソン島クラークなどとフィリピンへ慰霊祭に行った時見たり聞いたりした地名が出てくる度に立ち止まり、また絵に見入りしているうち最後になってしまった。近くに中○さんがいる、と思って安心していたが彼も見終わって出たようだ。

 こりゃ大変、と山を下りる。年配者を運んだ大型バスがバックで下の駐車場に降りて行く。その後を駆け足で下りた。ところが下の道路に出ると駐車場がないのだ。あれ~。迷子になったみたい、とケータイを探す。そのうちにケータイに電話がかかった。「○ちゃん、どこにおるが?今迎えに行くから」「迎えにって私がどこにいるかわかるがけ。ここは?」とトンチンカンナ会話をしていると、山の中腹で「○ちゃ~ん」と声が聞こえた。添乗員さんとYuちゃんが駆け下りて来るところ。実は、下の道路に来る途中に駐車場への近道の階段があったのを見過ごしたのだ。皆さん、待たせてごめん。これは、5年間ほど言われ続きそう…。

 次の見学地が、「松代象山地下壕」。太平洋戦争の末期、軍部が本土決戦に備え、極秘のうちに大本営、政府各省などを松代に移す計画で造った地下壕だ。昭和19年11月から約9カ月かけ、延べ300万人の住民や朝鮮の人々が強制的に動員され、1日3交替徹夜で工事が進められた。多くの犠牲者を出したが、舞鶴山、皆神山、象山の3か所に碁盤の目のように地下壕が掘られた。舞鶴山には天皇の御座所も造られているそうだ。

 ボランティアガイドは、家に小学生の子が待っていると言う若いママさん。まず、中に入る前に山の紹介から始まる。
      

 次に、管理する長野市の説明表示板と鳥瞰図。
      
        

 入り口近くには、「不戦の誓い」と「朝鮮人犠牲者追悼平和祈念碑」 
      

 ヘルメットをかぶり、地下壕に入る。横幅も高さも数人の人が歩ける十分な広さがあり、交差する地点に投光器が置かれていた。
         

 戦後忘れ去られようとしていたが、見学できるようになったのは平成元年だそうだ。高校中退生徒の受け入れで有名だった篠ノ井旭高校の先生や生徒が署名運動に取り組んだと、ガイドさん。
 こんな所にこもって世界を相手に戦おうとしていた日本の軍部に腹が立つ。愚行としか言いようがない。

 壕を出ると、外は秋晴れ。ツアー客の他に、家族連れもたくさん見学に来ておられた。さて、この若い名ガイドさん、実は酒屋の回し者(?)、バス駐車場の前に酒屋さん。皆、しっかりと清酒、焼酎、ワインを買っていた。↓は、私が買ったワイン「安曇野物語」、”おひさま”マークと、NHKのレッテルつき。1,300円也。
            
 以上で、同窓会旅行はオシマイ。元気でいて、また会いましょう。


NPO法人「ナット(NAT…ネットワーク・アシスト・たかおか)」

2011-10-23 | その他

 NATの存在はかなり前から知っていた。「市民と市政」によく”パソコン無料相談会”の案内が出たからだ。音訳ボランティア「グループあかね」のミサさんからも話を聞いていた。当時は、月1度、「高岡市青年の家」で”パソコン無料相談会”が開かれており、何度か参加した。何と言っても無料である。しかも個別指導だ。私たち初心者にとっては、とても有難い会だった。(現在は、月に2度、利用料1回200円になっています。 ↓ お問合せ・ご質問など miyakoshi@e-nat.org へお気軽にどうぞ。)

 そのうち合唱団MiTUに入ると、団員のYaさんもNATで視覚障害者向けの講座などに参加すると言われる。トップ写真のパンフにもあるように、「ITをベースに人と人とのつながりを大切にする団体です」。
 
”ロボット作り”、”ITフェスタ”、”地域プロジェクト(初心者のためのパソコン相談会”、”愛EYEプロジェクト(視覚障害者のための音声パソコンのサポート)”などと活動の幅は広い。
        

        

 娘が、「市民と市政」の募集で「視覚障害者向けパソコン指導者講習」に応募したのは7月だった。その後、「聴覚障害者向け指導者講座」も受け、10月からNATで仕事をすることになった。事務所は京田にある。
     

 いつも、私のブログやようこ姫さんのブログにコメントを下さるなはさんは、ハンドルネームのようにもうすぐ78歳。でも、新たに始められたパソコンに興味津津、何にでも挑戦される。ブログは公開されるが、メールは個人の通信だから、もっと個人的な出来事や思いも書けるよ、とメールを勧めたいところだが、これは家族の許可、協力が必要。
 しばらく無理だね、と言っていたら、娘が「hotmailや、 g‐mailならすぐ開けるよ」と言う。そう言えば、ALT(外国語のアシスタント教員)達がホットメールで職員室のパソコンを使っていた。実は、娘もホットメールを使っている。なるほど、それはいい考え。まったく気付かなかった。

 さっそくお誘いしたら、翌日の19日(水)にNAT事務所に来てくださった。パソコンは持参できなかったので、NATのパソコンを使い、g-mailの開設、写真のメモリーカードの読み込みを1時間でマスターされた。後は、家で同じことができるかどうか、だ。
        

 その後、娘は用事で市役所へ、なはさんと私は市役所向かいの「ブリック」に久しぶりに入り、プレートの週替わりランチ。
                  

 夜、なはさんのアドレスにひとまず、テストメールを入れた。返事がなかなか来ない。そのうち、Googleがなかなか出て来ない、と電話がかかった。予想外の展開だ。e(インターネットエクスプローラー)をクリックして最初に出る画面も、私達の予想と違うようだ。上にGoogleは出ていないそうだ。

 そのうち、私のテストメールも開けたし、自分のメールも送信できた、と連絡が入った。成功である。おめでとうございます、なはさん。
 ようこ姫さん、案山子さん、茶々姫さんとメール交換ができる日も近いことでしょう。

 ↓は、10/22(土)と28(金)に行われる「元気ボランティア・NPO」フェスティバルのポスターです。どんなイベントかまた紹介します。

            


同窓会(その3)~信州の鎌倉…北向観音・安楽寺・前山寺

2011-10-22 | 旅行

 上田市別所温泉が「信州の鎌倉」と呼ばれるのは、古代から歴史的に重要な場所で、特に鎌倉時代から室町時代の文化財がたくさん残っているからだそうだ。

 私たちが泊まった「中松屋」は、創業300年前と言う純和風の旅館で、全館畳敷き、廊下もエレベーターの中も畳でスリッパが要らない。
 道祖神と打ち水で迎えられて玄関を入ると、↓の人形たちと手毬がお出迎えだ。
    

 次の畳の間には、大きな火鉢があり、その中には炭火の代わりに赤ちゃん人形や「見ざる聞かざる言わざる」の人形が入っている。棚の上にも布製の人形たち、家族の写真も飾られている。写真は小さいが、右端の若おかみが気さくで可愛らしい方で、男性軍の人気の的だった。(トップ写真)
            

 外湯巡りもできたのだが、翌朝は宿周辺の観光地を巡った。
 まず、「北向観音(きたむきかんのん)」。厄除観音として人気がある。善光寺の南向きと向き合っているそうだ。境内には、たくさんの歌碑や「愛染かつら」の大木がある。↓は、左が北原白秋の歌碑と「北向観音・瑠璃殿」。右は、川口松太郎がヒントにしたと言う「愛染かつら」の木。
                       

 次に、曹洞宗のお寺、「安楽寺」。まず、左が、境内の「高野槙」。高さ23m、これは毎年三角錐に剪定されるのだそうだ。右は、「御船の松」。なぜか、茅葺の本堂は写していなかった。 
                 

 国宝の「八角三重塔」は修理中で、もうすぐ公開とのこと。無料で近くまで行けますよ、と言われ、木々の間に見える三重塔を写した。近くから見たらさぞ立派な塔であろう。
            

 寺巡りの最後は、「前山寺(ぜんざんじ)」。ここは真言宗のお寺だ。ここにも三重塔がある。逆光ではっきりしないが、これは重要文化財。
         

 ここは、名物の「くるみおはぎ」を食べるのが目的みたい。「おはぎ」と「ぼたもち」の違いを喋る友がいれば、同じだと言う友もいる。何と言っても城端の老舗の菓子屋の主人(彼はこの旅行の朝、全員に栗おこわを配ってくれた)もいて、半ごろしやら何やらとひとしきり餅談義。何でも、秋食べるのは「おはぎ(萩)」で、春食べるのが「ぼたもち(牡丹)」で同じものだそうだ。
       

 おはぎにしろ、ぼたもちにしろ、回りにあんこがついていると信じている私。「あんこ ついとらんね~」と呟き笑われた。下にとろりとあるのが「くるみ餡」、香り高い鬼ぐるみで作ったタレだ。向付は、「梅のしそ巻き」と香の物。庫裏の座敷でワイワイ言いながらいただく。予約が必要で700円。
 お寺巡りが続き(30段、60段と段の数を数えながら、励まし合って登った。その上にまだ段ある~?などと声をかけながら、だ)、ホッと一息だったが、ここまで来られずバスで待機して、くるみおはぎを逃した友が約1名。
 


同窓会(その2)~安曇野ちひろ美術館

2011-10-20 | 旅行

 10/15(土)の同窓会の旅行では、安曇野に点在する美術館のうち「ちひろ美術館」だけ訪ねた。言わずと知れた、いわさきちひろの美術館である。ちひろは、子どもをテーマに描き続けた、誰にも愛される画家だ。横分けにしたおかっぱの髪型のにこやかな笑顔はみなさんよくご存知だろう。私も、今まで本や絵葉書やカレンダーを買ったりして、いつも彼女の絵に触れていた気がする。↓は、美術館前で、女性5人の記念撮影。
      

 かなり前に、娘と、東京練馬区下石神井にある「ちひろ美術館」を訪ねたことがある。電車を乗り継ぎ、東京の田舎にある美術館にたどり着いた。そこは、ちひろが最後の22年間を過ごし、多くの作品を生み出した自宅兼アトリエの跡である。「生活の場」という印象が強かった。

 「安曇野ちひろ美術館」は、1997年、ちひろ美術館・東京の開館20周年を記念して開館したそうだ。信州は、ちひろの両親の出身地。ちひろにとって、幼い頃から親しんだ、心のふるさとだった。なかでも、美術館のある松川村は、ちひろの両親が第二次世界大戦後に開拓農民として暮らした村とのこと。以前は、息子さんの松本猛さんが館長だったが、今は、両館とも黒柳徹子さんが館長を務めておられるそうだ。

 建物の裏にブルーサルビアの花壇があり、青色一面の景色を作っていた。
      

      

 いくつもの展示室の他に、カフェ、絵本の部屋、子どもの部屋、テラスがある。もちろん、ミュージアムショップも。
 私は、絵葉書を買ったが、クリアファイルを買った友人、お孫さんに絵本を買った友人がおられた。男性軍は何を買ったかな?絵葉書きは、「秋の風景の中の子どもたち」を中心に、今までに買ったことのない絵を選んでみた。 
      

                    

              


同窓会(その1)~生島足島神社・別所温泉

2011-10-19 | 旅行

 今年も同窓会が多かった。春以来4つ目の同窓会で、10/15,16日(土日)に別所温泉に出かけた。城端小学校(一部中学校も交え)の同級生が東京勢も含め25名集まった。いつもよりは少人数だが、秋は行事が多いから仕方がない。その代わり参加者は健脚ぞろいで、なかなか多彩な見学地をつつがなくこなし、大満足だった。

 15日(日)朝、7:30に高岡、小杉、小矢部勢が砺波駅に集合、新富観光のバスに乗り、城端で地元や金沢勢が乗り、宿で東京勢と合流するプランだ
 1日目は、安曇野ちひろ美術館~生島足島(いくしまたるしま)神社~別所温泉(泊)と言うコースだ。

 まず、高山ICで小休憩。 トイレ休憩なのに「飛騨高山板蔵ラーメン」売り場を覗く。試食コーナーの横に大きな岐阜提灯。
         

 時間がないのに友人に誘われラーメン試食を。あっと言う間に食べきれる小ドンブリだった。右は、お店。
               

 次は、「レスト&スパ アルプス街道 平湯」で小休憩。ここは、3階がお風呂になっているらしい。
     
 

 「安曇野ふくらい屋笑福」で昼食をとり(念願の岩魚の塩焼きをここで食べました)、「ちひろ美術館」へ(ここは後で紹介します)。
 その後、「生島足島(いくしまたるしま)神社」へ。名前も聞いたことのない神社だが、「人と大地に生命力を与える生島大神と、人の願いに満足を与える足島大神の二神を祀る信濃屈指の古社」だそうだ。(トップ写真、↓も)
     

 長野県諏訪地方で行われる「御柱(おんばしら)祭」が、この神社でも7年に一度行われるようで、境内にその柱が建っている。(高さ17m、幹回り2m、約3トン、樹齢150年の赤松、との表示があった)
            

 もう一つ、面白かったのは、「歌舞伎舞台」という建物。昔、歌舞伎が演じられたのだろうか。今、ここには、「(上杉謙信に味方せず)武田信玄に忠誠を誓う起請文」などの古文書が展示されており、皆、真剣にに読んでいた。「風林火山」の話は、誰もが大好きだ。

       

          

 わいわいがやがやと見物して、その日の宿「別所温泉・中松屋」に到着した。玄関で「道祖神」が迎えてくれる宿だ。
      


上高地ウオーキング~木の実など

2011-10-18 | 自然・海山草花

 10/12(水)の上高地行き。何と言ってもウオーキングが目的で、朝6時出発にまでしたのだけど、やはりあちこちで休憩やら道草やら。
 「神岡宙(スカイ)ドーム」(トップ写真)では、「高冷地野菜直売所」に寄った。民家のような小さな直売所だ。朝採れの野菜や花がいっぱい。大きな赤と黄色のパブリカが3個で150円。友達と分け合って買う。
      

      

 大きなドームの中には何があるのだろう?
      

 上高地に入り、大正池から河童橋まで45分歩く。河童橋で小休憩をして、河童橋から明神池まで梓川右岸を歩く。カラマツが黄色く色づくのは10月中旬から下旬だそうでその時はまだ早かった。川沿いの黄色の葉、これは何の木だろうか?
      

 5人の中で植物に詳しいのがHoさん。「あ、コレ、真弓の木やね。可愛い実がなっている。」 ↓は、その真弓の木と実。
      

 実が、パカッと割れて種がのぞいている。Kiさんの手袋の上で、ピンクと赤がきれい。
          

 明神橋を渡った山小屋の前に大きな木があり、やはり赤い実をつけていた。これは、名前がわからない。
      

      

 山小屋の前には、信州リンゴが冷たい水に浸してある。ここでは買わなかったが、数日後の信州旅行ではお土産に買った。
      

 明神池の帰りに見つけたイワナの塩焼きのお店。嘉門次小屋の岩魚の店。有名な店なのだそうだ。中には行ってみたが行列をついておられ、諦める。
      

 皆さん、歩きなれた人ばかりでペースが速い。私は写真を撮るせいもあるが、いつも後ろからついて行き待ってもらった。帰りも皆は大正池まで歩けそうだったが、私に合わせ河童橋からタクシーで戻った。平地を歩くのも、長距離、長時間はやはり膝に堪えることがわかった。
 しばらくして治ればまた行きたくなることだろう。


上高地ウオーキング

2011-10-17 | 旅行

 10月初め、「歩こう会」で氷見へ行った日、急に「上高地へ行かない?」と言う話が持ち上がった。Kiさんが運転してくださると言う。その場で日を決め、次のMiTUの練習日に参加者を募り5名で行くことに決定。「歩こう会」にはMiTUのメンバーが4名いるので話は早い。但し、お天気を見て最終決定することになった。

 10/12(水)朝、6時に家を出て、済生会病院前で拾ってもらう。次々に一人、二人と乗り込み総勢5名でまず神岡へ。「宙(スカイ)ドーム」で休憩し平湯から安房トンネルへ。車内では、「安房トンネル」や「釜トンネル」の昔の話が次々と出た。私以外は、皆、昔の「山ガール」らしい。
 上高地へはマイカー規制で入れないので、バスかタクシーに乗るのだが、5人だとタクシーの方が安い。平湯からでなく、沢渡(さわんど)からタクシーに乗った。大正池まで3,200円。そこから歩く。
 ↓は、大正池から見た「焼岳(やけだけ)」。頂上右からかすかに水蒸気が上がっている。
     
 ↓は、大正池から見た「穂高連峰」。右手前が「明神岳」、左へ「前穂高」、「岳沢(だけさわ)」、「奥穂高」、「西穂高」と続く。
     

 ↓の左端は、「西穂高の独標」(たぶん)。ここは昔登ったことのある懐かしい尾根だ。
     

 「河童橋」でおにぎりやおやきなどを買い、小休憩をして、明神池まで足を伸ばす。↓は、奥穂高をバックに、一息入れたところ。
     

 きれいに整備された木道を歩く。ゴミを拾うボランティア(?)の方と何人も会った。
           

 横を梓川が流れている。木道の傍の藪の中で猿が2匹戯れていた(姿は見えないが、草が大きく揺れ、鳴き声も)。
     

 所々で山が顔を出す。キャンバスを立て絵を描く人も何人か。飛行機雲がきれい。「上高地の生い立ち」を書いた標識もある。
           

 ところが、歩いても歩いても「明神池」に着かない。明神橋も過ぎたのに…。いつの間にか歩いているのは私たちだけになり、奥から来る人達は大きなリュックの登山姿。聞けば、「徳沢から」とか「涸沢から」とか。これは通り過ぎたにちがいない、と戻る。明神橋まで戻り、そこで昼食にした。1時を過ぎている。ひたすら歩きお腹はぺこぺこだ。
 ↓は、明神橋。吊り橋がゆらゆら揺れるほどたくさんの人だった。
       

 昼食を食べた大きな山小屋前。リンゴやイワナの塩焼きを売っているが、皆、無料のベンチに座って休んでいる。私達も、さっき買ったおにぎりや持参の漬物、果物で昼食(私はいただくばかり)。
     

 さて、どこで明神池を見落としたか?池が無くなるはずもなし、でも確か道沿いにあったのに…。と以前来た人は不思議がっている。ともかく逆戻りだ。ありました!標識がわかりにくかったのだ。それと新しい道がちょっとずれていたようだ。↓は、明神池と池に遊ぶ鴨。水際まで近寄ってくる鴨。
     

      

      

 ↓は、明神岳。
     

 池の近くに穂高神社があり、日本アルプスで遭難した方達の慰霊塔が建てられている。
     

 実は、この日のドライバーのKiさんの弟さんが金大生の時遭難死され、以前お母さんと慰霊祭に来られたようだ。

 他の人は元気だったが、私はかなり足が疲れたので大正池まで歩かず、河童橋からタクシーに乗ることにした。
 ↓は、河童橋の河原で珍しい石を探す友人たち。Hoさん、Miさん、Kiさんなど重い石をリュックに入れておられた。へェ~こんな重いリュックを持って帰るの?
     

 薄暗くなった平湯を通り、お風呂に入りたいね~などと言いながら、高岡へ帰って来た。日帰りで上高地なんて、川越の友人に話したら「いいわね~」と羨ましがられた。


「なんとのママ展」

2011-10-14 | イベント

 先日、福野の友人Kaさんから絵手紙が届いた。曰く、「…私はチンタラチンタラとまだ描いていますが、挑戦する気力も根気もなく、ミニミニ作品で楽しんでいます。…」 そんな謙虚な言葉を添えて、「なんとのママ展」の案内が書かれていた。
 高岡市白金町「中村印房ギャラリー」で、明日15日(土)まで(もっと早く紹介すればよかったのだが)です。私自身、今日14日に寄りました。

 ↓の、芳名帳の表紙の挨拶を、まずお読みください。きっと講師のI先生の筆でしょう。
     

 花や果物が柔らかく、優しく、生き生きと描かれています。まず、↓は、Kaさんの「冬があたたかく」。すべて、額にはガラスが入っており、どうしても蛍光灯が映るのです。
        

 ↓は、「春が来た」。蕗の薹とパンジーです。
        

 ↓は、「春の盛りを告げる」。水仙ですね。台紙の○や□も面白い。
        

 ↓は、「かわいいスイートピー」。ほんとに可愛い。
        

 ↓は、「ぶどうあま~い」。
     

 他に、こんな小品もあります。
    

    

 まだまだいくつも果物や花が…。
    

    

    

 明日が最終日です。もし高岡市内に来られる方、はんこや年賀状を注文される方はお寄りください。全員、女性です。心和むひとときが味わえますよ。


ココスのメニューと駅地下

2011-10-13 | 高岡

 最近「ココス」へよく行く。先日はついでがあり、小矢部の「ココス」にまで入ってみた。周りの景色もよく、落ち着いた雰囲気の店。店員さんの対応もとても礼儀正しく親切だった。

 とは言うものの、1番よく行くのはやはり「駅南ココス」だ。ここはいつも混んでいる。先日、旅の打ち合わせに茶々姫教室の7人が集まったら、知り合いの3人組が来ておられた。
 いつもは、何気なく眺めているメニューだが、先月マークと来た時に気付いたことがある。マークには、広くて、メニューが多いからいろいろチョイスできるレストランだよ、と、ココスを紹介した。

 大きなメニュー表を見て、彼が嬉しそうだったのは、写真つきだと言うことと、英語の説明が書いてあること。こんな具合である。
 ↓は、”Caesar Salad
".
       

 ↓は、”Hamburger Steak with Tomato Sauce". 
          

 ↓は、"Caesarsalad with Herbed Chicken".
           
 

 ↓は、”Hamburger Steak with Mushroom & Pilaf".
           

 ↓は、"Seafood Fried Rice".
      

 彼は、チキンシーザーサラダを選んだ後、隣のテーブルの人のメニューを見て、「あれはどのメニュー?」と聞いていた。私たちが写真を見て探し、「これ」と指すと、それを追加注文した。私達も個人で海外旅行をする時、よく、地元の人の食べている品を注文したりしたものだ。

 さて、10日は、旅行プランが決まった後、ココスの向かいのJTBで切符を買い、その後、万葉ロードからJR駅公園口に出て、画廊「七本杉」へ絵画展を見に行った。
 途中、駅公園口を探検しようと、エレベーターに乗ってみたり駅地下へもぐってみたり。そしてわかったこと:

 * 改札口横に、「ますずし」売り場がある。
 * 改札口正面に、コンビニ”CHAO”がある。テレホンカードを売っているが公衆電話はない。置く予定もないらしい。
 * エレベーターはあるが氷見線寄りのわかりにくい場所。
 * 駅公園口には、土産売り場はもうない。
 * 公衆電話は、ステーションデパートの階段付近に2個ある。
 * ステーションデパートは、10/15(土)から、万葉ロードの仮店舗に移動し(新ステーションデパートが建つ2年後まで)、その後壊すらしい。
 * 駅地下で、残っているのは「うめかま」さんだけ(トップ写真)。後はがらんどうで、火曜、金曜は夕市が開かれている。
      

 2階には、まだいくつかの店が残っており、売りつくしセールをしていた。ここも15日から、万葉ロードに移るそうだ。万葉ロードは賑やかになるだろう。
      


「色野(しきの)の会」絵画展

2011-10-12 | イベント

 高岡駅前の画廊「七本杉」で、「色野の会」の絵画展が開かれている。10/8(土)~15(土)10時~17時までである。
 10日(月)旅行の打ち合わせが終わった後、Anさん、案山子さんと3人で出かけた。途中、駅地下などを見物していて遅くなり、「七本杉」の前へ行くと、オーナーの戸○さんが入り口のシャッターを降ろしておられるのが見えた。「待って~」と駆けより、開けてもらう。5時寸前だった。

 この会は、高岡工芸高校の太田広信さんを講師に油絵を勉強しておられる会だ。友人のSaさんが所属しておられる。講師も含め14名が出品しておられる。今年はフェルメールの模写を試みられたそうで、「真珠の耳飾りの少女」、「レースを編む女」、「青いターバンの少女」が何点か飾られていた。↓は、先生の「レースを編む少女」。
        

 いくつか作品を紹介します。
    

    

    

 ↓の3点は、友人のSaさんの作品。まず、「やまぼうし」。日本の花だが、洋花に見える。横に「手」が描かれているからか。
      

 次に「憩」。それぞれのポーズでくつろいでいる女性。座像と立像の組み合わせが面白い、と思った。
      

 もう一つ、「花」。原色でないが鮮やかな色合い。しかも落ち着いた配色で好きな絵だ。
       

 ↓は、戸○さんによると、人気のあった絵だそうだ。皆さん、「かわいい~」と。どうしても光が反射するので、斜め撮りで見にくいかもしれない。
       

       

 あと4日間ありますのでぜひお立ち寄りください。


もう一つのボランティア

2011-10-11 | ボランティア

 10/8(土)午後2時過ぎ、カメラ片手に公園を一回りして「受付」に戻ると、「受付」テーブル前に一人の男性が…。家に帰る道が分からなくなった、と言っておられる。町の名前が思い出せない。「ホリ…?」としかわからない。道もわからないそうだ。
 「大きい交差点の近く」と言われるので、広小路のこと?と聞いても定かではない。テーブルの上に指先で「ここに交差点があって…」と地図らしきものを描かれるが、途中で止まってしまう。自分でももどかしそうだ。そのうち若い職員が市内地図を持って来た。「ここが駅。ここが広小路…。」地図がわかるくらいなら道もわかる、と思っていると、「駅まで行くとわかるかもしれない」と言われた。
   

 そこまで後方から黙っていきさつを見ていたが、幸い、私は4時までフリー。他の人たちは皆仕事がある。「じゃ、私の車で駅まで行ってみましょう。思い出せたらそのまま行けばいいし、わからなかったら駅の交番で聞けばいいから…。」と言うわけで、ひとまず私がお連れすることにした。上手い具合に裁判所横に駐車していたので、公園入り口まで一緒に歩き、そこで待っていてもらうことにした。
   

 小柄な方で、杖をついておられるが足元はちょっと不確かだ。目が見えにくいのかもしれない。言葉は関西弁だ。高岡の親戚に遊びに来られたのかと、聞くと、大阪生まれで高岡へは5年前に来た。奥さんの里だそうだ。じゃ、高岡にまだ詳しくなくても仕方がないな~。
 車の中で話しながら、名前と奥さんの名前、電話番号を聞いた。町名だけが思い出せないらしく、はがゆそうだ。
桜馬場から駅まで行くと、「ああ、駅はわかる」と仰るが、この日は歩行者天国で、末広通は封鎖されている。「やっぱり交番に行きましょう」とウイングウイング隣の交番に入った。「すんまへんな~、すんまへんな~」と何度も仰る。

 さすが、高岡駅前交番だ。署員3,4人がかりで、電話帳、住宅地図を見て電話もかけ、あっと言う間に解決した。
 「家の人に迎えに来てもらいましょう(きっと定番なのだろう)」と言われる。でも、奥さんはお耳が遠いらしい(ご本人もそう言っておられたが)のだ。町名は「本丸町」。住宅地図を見ると、私もよく知っている場所だ。「今日ずっとボランティアです。どうせ公園に帰るからお連れします。」と私。
   

 ほっと安心された○○さんとドライブした。「おいくつですか?」と聞くと「いつつ」と言う冗談も出た。「神戸で車にはねられてこうなった…」と言われる。足のことか、忘れっぽくなったことか?家に帰れなくなったのは初めてだそうだ。いつも公園に散歩に行かれるのだろう。今日は、あまりの人出や看板や模擬店などで公園の様子が変わり、勝手が違うので帰り道が分からなくなったに違いない。
 「住所と名前や電話番号を書いた紙かなんか、持ち歩かれるといいですね」と言うと、頷いておられた。広小路に近づくと、「ああ、そこそこ」と思い出された。玄関前でお別れする。   

 ほんとにスムーズに見つかってよかった。無事に家まで帰れてよかった。公園に戻ると、皆さんが「遅かったので心配した」と言われた。交番でも、ゆっくり急かさず話を聞いてあげたのがよかったのだろう、と思う。時間のゆとり、心のゆとりって大事なものだ。家ではこうは行かない、と反省している。私にとっても初めての経験だった。