Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

富岩水上ライン

2016-05-31 | 富山

 1年がかりで計画した金沢での同窓会が無事に終わり、久留米のMUさん、川越のTOさんと金沢に2泊した。3日目、TOさんと「富岩水上ライン」に乗って岩瀬へ行き、岩瀬の町を散策した。5/26(木)のことである。
 朝、ホテルを出て金沢駅でMUさんと別れた。彼女は、小松へ行き飛行機に乗る。TOさんと私は富山へ行き富岩水上ラインで岩瀬まで行く予定。名残惜しいが「また、東京でお会いしましょう」と別れる。が、この年齢では、これが最後かも、との心の声がいつも聞こえるのだ。「あいの風」の電車は、金沢始発で、通勤通学時間帯とずれていることもありとても静か。ゆっくり話しながら、景色を楽しみながら乗れた。
 午後の「水上ライン」を予約していたが午後は雨の予報、午前に変更できるか電話をし、タクシーでスタート地点の環水公園へ駆けつけた。息を切らしながら水辺へ降りる。FUGAN号(トップ写真)は満席、SORA号は14,5名、すでにガイドさんの説明が始っていた。駅でスーツケースを預ける暇もなく、引っ張ったままで乗船した。すぐに救命着を渡され、暑いけど上に着込む。千保川クルーズでお馴染み。

 環水公園を出ると両岸は美しい木々の緑、時にはサギやカワウ、鴨が見られる。ガイドさんは、どの辺にどんな木があり、どんな鳥と出会えるかよくご存知で、上手く見つけては教えてくださった。

 

  淡々とした話しぶりだが、わかりやすく可愛らしくすぐ質問したくなってしまう。まず、運河の歴史から…。リタイア直後の頃、県政バスなどでよく呉東地区を回り、その時にもこの歴史は聞いた記憶がある。

 江戸時代から富山湾には多くの船舶が停泊し、岩瀬地区は商業が盛んだった。が、岩瀬から富山城のある中心部まで遠くて不便、水運が不可欠だった。一方、神通川は富山市内で大きく蛇行しており洪水が絶えず、川の流れを変える工事が行われた(当時の川は今の松川)。昭和の初め、運河を造りその土砂で廃川地を埋めたそうだ。流域には多くの工場が建設されて、富山の工業は発達したのだ。
 しかし戦後、流域の工業は衰退し、木材置き場になりつつあり、運河の埋め立ても検討されたが、1984年に、むしろこれをいかして運河を中心とした街づくりを目指すため残すことを県が発表し、現在に至っているとのこと。
 ↓は、「中島閘門(こうもん)」の説明をするガイドさん。

 ↓の図のように、水位を高くするしくみ。流れの低い所から高い所へ船を運行します。

 ↓ 奥に見えるのが「中島閘門」。係の方が、右の建物に待機して門を操作します。

 ↓ 少しずつ、水位が下がります。

 ↓ 開門する両側の柱部分は木材です。

 

  ↓ 少しずつ開いて来ます。橋の上の人たちは見物人?

 

 ↓ 向こうの景色が見えて来ます。

 ↓ 「富岩号」は、ここでUターンして戻ります。

 

 ↓ 富山港へ近づくと、車の山。ウン?ナンバーがない!これは輸出品NO.1の中古車。

 ↓ 永ちゃんのツアートラックも輸出品?

  ↓ 輸出NO.2の金属くず。

 1時間の楽しいクルーズだった。岩瀬の町を歩き、白エビラーメンを食べ、ライトレール(チケット付き)で帰った。Toさんは、富山湾クルーズだと思っていたそうだが、十分満足されたようだ。富山駅でお別れした。


岩瀬まち歩き

2016-05-29 | 富山

 2月か3月頃から、今年も近所の木々へ(どこのお庭かはわからないのだが)鶯が来て囀るようになった。清水町は緑の多い町だったが、それも最近は伐採される家が多い。でも、朝早く、あるいは9時頃に、別の日は夕方に、どこからともなく鶯がやって来て囀り始める。その声に初夏を感じるこの頃である。3日間、留守にして帰宅したら一層懐かしく感じた。

 1年がかりで計画した金沢での同窓会が無事に終わり、久留米のMUさん、川越のTOさんと金沢に2泊した。3日目、TOさんと「富岩水上ライン」に乗って岩瀬へ行き、岩瀬の町を散策した。5/26(木)のことである。
 パンフによると:江戸初期から日本海を行き来する北前航路が生まれ、江戸期から明治期にかけ日本海沿岸に廻船問屋がたくさん営まれた。岩瀬では江戸前期(約320年前)に港町としての形ができたそうだ。加賀藩の領地で御蔵があり、北前船で米や木材を大阪や江戸へ運んでいた。明治6年の大火で半数以上が焼失したが、当時廻船問屋業は全盛期であり再建された。

 岩瀬カナル会館前で船を降り、スーツケースをゴロゴロ引っ張りながら大町新川町通り(旧北国街道)を歩いた。帰りは東岩瀬駅からライトレールに乗るためである。ちょうど昼頃のせいか通りはとても静か。地図を持って歩いている旅行客にたまに会う程度だ。歩行者天国のようでどこからでも写真が撮れる。↓ まず目に止まった家。        

 ↓ 料理旅館「松月」。

 ↓ 民家? 左の白っぽい格子戸が珍しい。後で聞くと「簀虫籠(すむしこ)」と言い岩瀬独特のものだそうだ。外から中は見えないが、中から外が見える竹製のもの。はるか彼方、黒のスーツケースを引っ張る女性はTOさん。 

 暑い日でもあり、歩き疲れて一休み。↓は、岩瀬大町公園。何人かが一服しておられた。

 ↓ 北前船廻船問屋「森家」(国指定重要文化財)前の「錨」。 

 ↓ 中を見学させてもらう。まず船の模型。

 ↓ 水の流れを表す畳の敷き方。

 ↓ 家紋入り提灯入れ。

 ↓ 大門レストランにもあった「筬欄間」。

 ↓ 左は柱を使わぬ硝子戸。今でも戸に狂いはない。右は、天井板。何の木だったか、龍に見えませんかと言うことだった。

      

 壁に大原総一郎氏の写真が掛けてあり、オヤ?と思っていると説明があった。蓮町に倉レの富山工場があった頃、森家がこの家を手放そうとしたら、大原氏が買い取り社員寮として大切に保存されたと言う。そして富山工場閉鎖の時に富山市に寄贈されたのだそうだ。

↓ 土蔵には、竹内源蔵さんのお父さん作の鏝絵。

 ↓ トイレの戸が屋久杉とのこと。

 ↓ 海岸の船着き場まで通り抜けられる通り庭と土蔵。

  ↓ 釣り具店の簀虫籠(すむしこ)。

  ↓ 造り酒屋。

 ↓ なんと「北陸銀行」。出て来られた女性に、「この銀行、営業しているのですか?」と思わず尋ねた。「そうですよ。この通りの建物は全部リフォームしたのです。富信さんもありますよ。」とこともなげに答えられる。

 ↓ ナルホド、富信は簀虫籠だ。 

 ↓は、北日本新聞。

 そうこうするうちに「東岩瀬」駅に着き、近くで昼食。ライトレールに乗り富山駅北口に到着した。この館、TOさんは常に私のずっと先を歩き、しばらく行っては待っていてくださった。私としては前日に続き、ずいぶん長い距離を歩いたものだ。


マーク セフトン展・余話

2016-05-23 | 日記・つぶやき

 5/20(金)、21(土)の2日間、高岡 白金町ナカムラ印房・ミニギャラリー「スペース」にて、マーク セフトン展 ニースの風景 Ⅳ」を開いた。準備期間が少なく、何もかもあり合わせで、ポスターは以前、ようこ姫さんに書いてもらったものを再利用。↓は、ボケ写真だが、玄関前のマークと娘。 

  近くの自宅に住んでおられる、中村印房・北陸製版の会長さんが、朝と午後2度も立ち寄って絵を観てくださった。亡くなられた奥さんが始められたギャラリーである。感慨もひとしおだろう。
 私も、以前新湊の会社を見学に行き、障害を持つ方も働きやすい作業所の様子を説明してもらった思い出などを話した。↓は、会長さんと長女のSHo子さん。後ろ姿は、なはさん、風子さん、MIkiさん、福野から来てくださったKAwさん。

  たった二日間。しかも、案内はがきも作らなかったので、PRは新聞社だのみ。
 KI紙は、木曜日の週間予定に載せてくれた。が、せっかく取材に来られた時にちょうど3人とも不在だったせいもあり、ロビー展の小さな記事で、写真こそあれ中味は昨年とほぼ同じ。
 ところが、北陸中日紙は、英語の話せる記者さんで時間をかけてマークが説明した内容を記事にしてくださった。21日、朝、山○さんから「良い記事が載っていたよ。コピーして持って行くね。記事を読んだらもう一度観たくなったから今日も行くよ」との電話があった。

 ↓は、その記事。

  その記事を読んで来られた方が数人おられた。↓は、射水市の方。何度も行ったり来たりしながら丁寧に観ておられた。そのうち、英語で質問され、マークが熱心に答えている。富山の美術館で解説ボランティアをしておられるとか、ニースを訪ねたことがあり懐かしいなど話され、次週富山近代美術館を訪ねる約束をしていた。

 夕方、やはり新聞を見て来られたご夫婦がおられ、「古城公園のイメージはコレ、氷見のはアレ、伏木のはどれですか」と尋ねられる。そう言えば、伏木の浜辺や女岩の絵が以前はあったのだけど、売れてしまったのだ。

 毎年来て下さる方の感想は、色は原色なのに柔らかい線で優しい絵が多い、人の姿が描かれるている絵が多くなった、など。なるほど、よく見ていてくださる。マーク自身、紙質や筆、ペンなど、常に新しい試みをしているようだ。
 「アラビアの姉妹」について質問が出た。アラブの国々、アラビア半島と北アフリカの女性たちの服装、ヨーロッパでの生活、移民、難民などについてマークの話はつきることがない。

 夜、息子が来て夕食を共にし、一泊。翌日、搬出を手伝ってくれ、気に入った絵を何点か求めてくれた。どの絵をどこに飾るか考えるのが楽しみだそうだ。


マークの屋根修理

2016-05-22 | 日記・つぶやき

 5/13(金)(娘夫婦が高岡に到着する前日)、後ろの家に足場を組んでもらった。昨秋、娘たちが来た時、屋根の修理が話題になり、マークが自分で修理すると言い出した。応急処置の部分修理にするか、屋根全体を塗り替えるか、息子や知り合いの建築業者を交え、いろいろ相談の結果、ひとまず足場を組むことにした。 

 翌、14日(土)、午後新高岡駅に到着。翌15日朝、足場をチェック。建築屋さんのKAさんも交え、修理の仕方を検討し、大屋根の穴が予想以上に大きく、多く、全部を塗り替えることになり、マークが全力投球で直すことになったのだ。KAさんに教えてもらったように、塗料や道具を「ムサシ」で買い求め、つなぎや帽子、靴、娘も、パンツやスモッグ(作業着)、日よけ、などを買って来た。午後、能「俊寛」を見て、夜は伏木のけんか山。大忙しだった

 ↓は、マークの靴。中に「大とうりょう」と書いてある。「大統領」ではなく、「大棟梁」らしい。          

 ↓は、娘。

          

 ↓は、マーク。 屋根の穴をふさいでいるところ。手に持っているのは、コークガン。                  

 展覧会の準備の傍ら、当日までも短時間でも屋根に上り、作業を進めていた。背中は真っ赤に焼けている。↓ 下塗りが終わったところ。

21日(土)夜息子が来て一泊し、月曜日の釜石出張のため日曜午後3時頃の便で帰って行ったが、朝早くマークと二人で屋根に上っていた。


「マーク セフトン展・ニースの風景 Ⅳ」(ナカムラ印房・ミニギャラリー ”スペース”にて)

2016-05-20 | イベント

 5/20(金)、21(土)の2日間だけ、開くことにしたマークの展覧会。わが家の屋根の修理が長引くことになり、展覧会が開けるのか、と私は傍にいてとても心配していた。が、昨日、20日(木)夕方搬入、飾り付けが終わり、今日21日(金)10時よりオープンした。2紙の新聞社からも取材に来てくださった。今回は、ブログでの紹介以外には、ハガキも配らなかったので、何人見に来て下さるか心配したが、午後からポチポチと見に来て下さる方があり嬉しかった。

 作品は、以前のものも入れて25点、小さなギャラリーなのでいい雰囲気の展覧会になった。ナカムラ印房さんは元々ハンコ屋さん、新湊と新潟に北陸製版と言う会社を経営しておられる。白金町のお店では、ハンコを彫っておられるそうだ。
 ↓ 右奥から。写真「ニース三景」とピエロの置物は、以前と同じ。      

 ↓ 新作。左から「港の一日」、「アラビアの姉妹」、「月の町」。       

 ↓ 新作。左が「プロヴァンス 国立公園」、右は「鸚鵡」。

 ↓ 「祭・イタリア」       

 ↓ 正面には、「漁 荒海」。      

 ↓ 人気があった新作 「Crossing」。橋を渡っているのは誰?     

 ↓ 新作「プロヴァンスの丘」。         

 ↓ 以前から私が好きな「アイルランドの入り江」(左)と、新作「冬の樹」。      

 ↓ 新作「ロマンス」(左)と、「月夜会」(右)。

 ↓ 東京に住む私の同級生の作品、和紙のフランス人形。 

 ↓ 後ろ姿。

 明日、21日も10時から5時まで開いています。場所は、国道156号線「鴨島」交差点の数メートル北、「ナカムラ印房」の大きな看板があがっています。

 この日、マークは屋根の仕事も朝早くと午後にこなし、二人で瑞龍寺の燭光能をも観て来ており、「井筒」の序の舞にいたく感激して来た。娘など、舞の美しさに涙が出たと言っていた。


「マーク・セフトン展」~ナカムラ印房・ミニギャラリー”スペース”にて  

2016-05-17 | イベント

  5/14(土)夕方、娘夫婦が新高岡駅に到着、すぐに米島モーターズへレンタカーを借りに。ついでに新築したばかりのショウ・ルームを見せてもらった。建築に興味のあるマークはしきりに感心して眺めていた。
 15日(日)は、青年の家・高岡能楽堂で能「俊寛」を鑑賞し、夜は伏木祭りの”カッチャ”を桟敷席で見物、と大忙しだった。展覧会の準備が遅れがちでちょっと心配。忙しい中、小品ながらたくさんの作品を携えて来たので、こじんまりとした展覧会を開けるだろう。時間のある方、近くへ来られる方はぜひお立ち寄りください。

 

マークセフトン展 Mark Sefton

“フランス ニースの風景 Ⅳ

              日  時:  平成28年5月20日(金)・21日(土) AM 10:00~PM 5:00 

場  所:  ナカムラ印房 ミニギャラリー “スペース”

    高岡市白金町5-35  ☎ 0766-25-5151

後  援:  北日本新聞社 

 "A Romance"

 高岡の皆さん、こんにちは。

 私、マーク・セフトンは、5年前に高岡市を訪れて以来、末広町の画廊「七本杉」や、北陸銀行各支店にて個展、ロビー展を開催し、多くの人に鑑賞していただきました。

 今回、初めて、ナカムラ印房・ミニギャラリー「スペース」にて新しい作品を展示する機会が持てたことをたいへん嬉しく思っています。作品は、引き続き、フランスのニース、コートダジュールのアトリエで描いたもので油彩、水彩、ペン画などです。 ご来場の皆様に楽しんでいただければと願っております。               2016年5月


 個展が終わると、わが家の古い家屋の屋根修理に取り掛かる予定で、数日前に業者さんに足場を組んでもらいました。     


一河会謡曲大会

2016-05-16 | 能楽

 2月、高岡能楽会総会(発熱のため欠席。野○さんの初舞台だけ見学)が今年の謡の会の幕開け、3月に「蒼山会」、4月に「芙蓉会」と謡曲の会が続き、5月は2回の予定。

 5/8(日)が「一河会謡曲大会」だった。「生田敦盛」の地謡、「花筐」のワキ、連調連管「鞍馬天狗」の太鼓と出番があった。舞囃子がなく、少しは気楽。その代わり謡を頑張ろうと、特に「花筐」は何度も練習を重ねた。

 遠くから見に来てくださったなはさんの撮ってくださった写真も含め、「蒼山会」のメンバーの舞台を中心に紹介します。
 ↓ まず、素謡 「生田敦盛」。コレはKI新聞に掲載されました。 

 ↓ 素謡 「花筐(はながたみ)」。 

 ↓ 連調連管「鞍馬天狗」。 

 次に、仕舞。↓ 「小袖曽我」。

 ↓ 「小督(こごう)」。

 ↓ 「八島」。

 ↓ 「熊坂」

 ↓ 「善知鳥(うとう)」。

 ↓ 番外仕舞 山崎先生の 「鶴亀」。

 この会で、また久しぶりの古くて新しいお仲間に会えたことが嬉しかった。


TEさんと切り絵

2016-05-15 | 日記・つぶやき

 年に数回、「雨晴ヴィラ」へTEさんを訪ねる。TEさんは私よりちょうこ10歳上の元の職場での大先輩。リタイア後は同じ合唱団に入りミサ曲などを歌って楽しんだものだ。パーキンソン病を患われリハビリに励んでおられたが、骨折などで入退院を繰り返し、体は治ったが自宅での一人暮らしは無理だと、息子さんと一緒に市内のケアハウスをいくつか見て回り、海の近くの「雨晴ヴィラ」に決めた、と最初に伺った。

 5/9(月)、いつものようにSAさんと一緒に出かけた。まず、氷見海浜植物園の屋上レストラン「ヴォルカノ」で食事。見晴らしがよく、静かで落ちつける店だ。「雨晴ヴィラ」に着くと、TEさんはリハビリの時間。その間、最上階のお風呂に入る。高岡市の銭湯と同じ料金で入れる。曇り空だが、やはり遠くまで海と砂浜が見える。ここでもゆっくり入浴をし、TEさんのお部屋を訪ねる。ちょうど色鉛筆画を描いておられた。色の重ね方を工夫しておられるようだ。

         

 横へ片づけて、最近の出来事など語り合う。リハビリと言っても運動だけでなく、手を動かしたり、声を出したり、物を作ったりで楽しそう。移動図書館も楽しみの一つ。驚いたことに、秋以降は切り絵に取り組んでおられる。
 以前は、日本の童謡に絵と歌詞をつけ大きく画用紙に描いたものを綴じて本にしておられた。根気のいる仕事、でもそれを見て懐かしい童謡を歌って楽しんだものだ。今度は、カッターを使い、切り絵とは!こんな細かい作業ができるようになり、パーキンソン病で手が震えていた方とは思えない。次々と見せてくださった。

            

           

 出て来るわ、出て来るわ、あまりの多さにビックリ。なんと段ボール箱にいっぱい。    

 「だって、することがないから…」と仰る。↓は、エコバッグ。教えにこられるそうだ。       

 今回もずいぶん長く喋って帰った。今回もまた、二人とも元気づけられて帰路に着く。


城端曳山祭 ’16 ③~提灯山

2016-05-13 | 富山

 5/5日、久しぶりに「城端曳山祭」を見に行った。「蔵回廊」でお弁当を食べた後、見どころポイントの宗林寺町から小路を抜け、大工町へ出る場所で見物。城端別院へ寄ったら、特別法話が始り、出丸町のUターンは見られなかった。最後の曳き山、西上町の恵比寿さんが向きを変え終わったところ。他の山車はもう提灯も付け終え、夕食の時間になっている。
 ここで、やはり紋付き袴姿の中○さんに会い、またまたお喋り。同級生の話も…。 ↓は、6基勢揃いしたところ。曳き山の前に庵屋台が入るから12基並ぶ。提灯にまだ灯は入っていない。       

 ↓ 山に向かい、後ろ向き。      

 ↓ 最後の西上町の屋台に、2人ペアで、一つ一つ提灯をとりつけているところ。夕日の山がきれい。    

 ↓ 各町内の車を撮ってみました。ゆるい出丸坂なので屋台の脚にも、曳き山の車にも、車止めが挟んであります。  

 7時。皆さん、夕食の時刻で町ががらんとした感じ。曳山会館横で庵唄を聴くのが8時。私たちもどこかで夕食を、と「松屋」に入った。行列ができて名前を書く紙が出ている。こんなことは初めて。しばらく待ち、相席でラーメンを注文。隣のご夫婦が富山の方。毎回、「じょうはな座」の「シネマ歌舞伎」を見に来られるそうだ。今日は提灯山が見たくて遅く出かけて来た、とのこと。ひとしきりシネマ歌舞伎の話を聞く。

 8時。招待席の後の3列目に座った。フラッシュを焚いても焚かなくても、夜の曳き山を撮るのは難しい。↓は、雰囲気だけ。まず、若連中の代表が口上を述べます。庵唄が終わるまで提灯を持ち、傍に立ちます。招待客も、人足の人も、近所の人も聞きいっています。

         

 ↓は、提灯。     

 ↓は、大黒天と布袋(今年の1番山と2番山なので、コレばっかり)。

        

 夜風がだんだん冷たくなったので、4番山まで聞いて席を立った。この後、10時に新町で提灯山のUターンがあり、各町内へ解散になるはず。夜の運転も心配だし、充分に満足したし、と高岡へ戻った。久しぶりの提灯山だった。         


城端曳山祭 ’16 ②~昼の部と別院のお説教

2016-05-11 | 富山

 5/5日、久しぶりに「城端曳山祭」を見に行った。「蔵回廊」でお弁当を食べた後、見どころポイントの宗林寺町から大工町へ出る小路へ行く。ちょうど一番山 東下町の大黒様、二番山 出丸町の布袋さん(↑と↓の写真)が通ったところだ。

 この小路の右角にある大きな家がHO家、見れば格子戸を外してご夫婦揃って曳き山を見物しておられる。若い頃お二人ともにお世話になった私は、挨拶かたがたしばらくお喋りをした。千葉のasaちゃんのお姉さん一家がそろそろ見物に来られることなど伝える。

 ↓は、四番山 東上町の寿老さま。二重の屋根を畳んで狭い小路を通りぬける。                

 屋根を畳む他に、この山車は、台に千鳥が留っていて小路を抜ける時、横に触らないように外し手に抱っこして運びます。↓は、鳥をつけているところです。 

 

 ↓は、五番山 大工町の関羽と周倉。一重だが四方唐破風の大きな屋根です。左右前後に4人の大工さんが乗っておられる。

 ↓ 小路を抜けたところ。

 ↓ 慎重に片方ずつ屋根を降ろします。「指を挟まんように~」と声がかかる。

 ↓ 一人が前に回り完了。

 さて、ここで大工町の同級生 橋○さんと会った。彼も紋付き袴姿。先日の伊豆の温泉の話をして、地元の卯辰会の発足時から今までの話を聞く。フン、フン 納得。コートを取りに車へ戻る途中、桂湯に寄った。これもいつものパターン。↓ 左 お風呂屋さんだった頃のままのたたずまい。 右 奥さんのお名前が山本富士子さん。ご主人は私の同級生だが亡くなられた。その後、浴槽から脱衣場までそのまま利用し、小物づくりを続け展示しておられる。

 短冊に、「女湯に のぞき窓ある 元銭湯。ちょっとのぞいて見ませんか」と書いてある。   

           

 ↓ 水のいらない盆栽。 

 ↓ つまみのブローチ。2個買いました。

 この後、中安美代志堂に寄り「おこわ」を買う。お店は奥さんのお友達や近所の人でいっぱいだった。別院で一休み、と山門をくぐる。ずっと修復工事をしていたはずだ。完成したのだろう(ボケ写真だが)。

 本堂へ入ると椅子が並べてあり、白板にいっぱい何か書いてある。説法されるお坊さんの席もそのままでストーブまで置いてあった(火はついていないが)。次々訪れる参拝者(観光客)の皆さんは、お賽銭を入れ、お参りして帰られる。私たちももちろんそのつもり。そこへ丁度奥からお坊さんが出て来られた。輪番さんだな、と思った。思わず、「ご法話があったのですか」と聞いた。毎日、朝と昼にお説教があり、町の人(私の友人も)や町外からもたくさん聴きに集まると聞いていたからだ。

 「はい、今終わったところです。」 たぶん片づけに来られたのだろう。が、すぐに「ちょっとサービスで、お話しましょうか」と言われ、「人間とは、生きるとは…」(だったかな?)で話が始まった(ように思う)。とても難しく、ボーっとして見えたらしく「反応が鈍いですね」と何度も言われる。そのうち後ろの方で笑い声も出るようになり、ふり返るととてもたくさんの方が座って聞いておられる。おそらく皆、観光客だろう。仏心のある、いつもの信者の方と違い、緊張して聴いているから反応が少ないのかも。顔を見ながら話の内容も変えていかれたのだろう、私にも少しはわかる話になった。なんと3,40分もの法話でした。お礼を言い、お賽銭を入れてお暇したが、きっと名輪番さんにちがいない。↓ 終わった後、白板の文字を消しておられる。こんな話を毎日聞いておれば、心が穏やかになり、愚痴も悩みもなくなるかも。

 お墓参りをして、出丸町で6基の曳き山と庵屋台がUターンするのを見物するつもりだったのに、、ありゃ~、出丸へ行くとすでに全部Uターンを終え、こちらを向いて並んでいた。


城端曳山祭 ’16 ①

2016-05-09 | 富山

 4月初めに「犬山祭」を見てきたら、久しぶりに故郷 城端の曳山祭りが見たくなった。急に思い立ち、提灯山の桟敷席とお弁当を注文した。2,3日前のKi新聞に、一番山「大黒天」の写真と時刻や通り道を詳細に書いた全面広告が掲載されたのがきっかけである。雨晴のTEさん訪問をいつにする?とSAさんと相談しているうちに、「私も久しぶりに城端の祭を見たいわ」と言われ、私の気ままなプランに乗ってくださった。

 5/5(木)、11時半近くに出発し、友人宅の前の図書館に駐車させてもらう。すぐ「曳山会館」へ行き、予約のお弁当をもらった。別院の御堂で食べる予定でいたが曳山会館奥の「蔵回廊」に食事スペースをとってあるからそこでどうぞ、と言われた。ここは、同級生のNOさん家(豪商だった)の蔵を町の資料館としていろいろ展示してある場所。↓のなまこ壁の中が蔵(資料館)。

  今日は閉館だが、蔵の前のスペースに彫刻が3点飾ってある。↓は、岩城信嘉氏の「童神像」。私の実家の向かいの石屋さんの息子さんだった。「おら」と言うシリーズの作品を作られた。

 ↓は、村井辰夫氏の「闘魂」と「猫と童子」。この方は、城端町に疎開しておられ、県内美術界に大きな影響を及ぼした方。娘さんが私と同級生だった。

         

 ↓ 「なんと里山からのおくりもの」。南砺のみょうが寿司、利賀そばそうめん、丸山と蕗の煮もの、ゆべし、五箇山豆腐、五箇山産赤蕪の漬物、砺波野ポークの生姜焼、牛乳ヨーグルトの城端シルクパウダーがけ、などなど、他にます寿司、ホタルイカ、白エビ、ぶりなど海の物も…。

  ↓ 「曳山会館」入り口。今日は無料。子どもの絵、むぎや祭やNORIN10のポスターも。中の広い展示場には、常時3基の曳山と庵屋台が展示されている。小原治五右衛門、荒木和助のプロフィールも説明されている。

 ↓ 天井から吊られている獅子頭。

 食事を終え外へ出ると、ちょうど一番山、東下町の「大黒さま」が宗林寺町から狭い小路を抜け、大工町へ出て来たところ。

 ↓ 前には、東下町の庵屋台が所望に応え、庵唄「雪巴」を唄っている。屋台の中から下駄ばきの若連中の三味線、笛、太鼓の音が聞こえそう…

 この後、この見どころポイントでじっくりと曳山と屋台を見物することにしよう。


「瑞龍寺」春のライトアップ

2016-05-05 | 高岡

 4/30(土)、お茶のお稽古の後「瑞龍寺・春のライトアップ」に誘われた。昨年はようこ姫さんに一脚を借りじっくり撮影したので、今年は自分の眼だけで見ようと軽く出かけた。が、回廊の壁の「プロジェクションマッピング」や、「美濃和紙のあかりアート」など新しい趣向が加わり、けっこう楽しめた。
 いつものように明るいうちに駐車場へ。この時間は境内も満員。参道と見物席をロープで仕切り、動きやすくなっていた。↓は、法堂。        

        

 ↓ 夏に修復作業をしていた仁王さまは大きな目をむいて立っておられる。

        

 混雑が収まるまで夕食をとることにする。八丁道沿いのお店で、氷見うどんとぜんざいを注文してねばった。その間、途中で雨が降ったようで、雨宿りにもなりラッキーだった。

     

 8時半過ぎに、再び総門をくぐる。回廊に美濃和紙のあかりアートの展示があった。和紙で作った提灯だが、灯りをつけることでより幻想的な雰囲気を作っている。左右の回廊にびっしりと並んでいた。

                  

       

       

 

       

 ↓ 最後に回廊の外壁に映し出された「プロジェクションマッピング」。かなりのスピードで動くので上手く写真は撮れない。山口道明さん作曲の電子音楽と素晴らしくマッチして、心地よい雰囲気に包まれた。最後の上映でもあり、見物客も少なくなり、いっそう厳かな世界を醸し出した。          

   

 

   


つれづれな日々41~「吟と舞の集い」・高岡市展・「くらしの歳時記」~七本杉」

2016-05-03 | イベント

 日々の生活の中でのちょっと気にかかる小さな出来事。みsそんな記事を”つれづれな日々”として書いています。今日は41回目です。

 《吟と舞の集い》
 長い間、詩吟を習っている親類の方から「ビクター吟友会ジョイントリサイタル」の券をいただいた。5/1日、高岡文化ホールである。リタイア前しばらく習っていたので、プログラムには、当時の先生方を始め知っている名前がたくさんあった。ずっと続けておられるのだな~。そして若手もずいぶん増えたみたい。
 吟もだが、詩舞、剣詩舞がとても上手で見応えがあった。↓は、構成吟「駆け抜けた嵐の漢」より、後半の舞台をいくつか紹介します。タイトルにあるように、日本の歴史の中でその時々の時代を動かした人物を、菅原道真~井伊直弼まで詩吟と剣舞で構成する舞台でした。

 ↓ 「桶狭間を過ぐ」、「富士山」…織田信長が桶狭間の戦で今川義元を破り、富士山を仰ぎ見る。

 ↓ 「本能寺」…頼山陽の作。            

 ↓ 「身はたとへ」 「辞世」…吉田松陰作。            

 

  今回のテーマが「歴史を変えた男」と言うから当然だが、戦いの詩がなんと多いことか、と改めて思う。
 文化ホールを後にして、市美術館の「市展」を見た。

 《高岡市民美術展》
 ようこ姫さんの写真を始め、たくちゃんの洋画、その他知っている方たちの作品、中学生の頃を知っている人たちが立派な後継者として精進しておられる作品。一つ、ひとつ丁寧に鑑賞した。先輩や同年輩の方たちもよく頑張っておられ、元気づけられた。今年は写真を一切撮らなかった。

            

 《「くらしの歳時記」~画廊・七本杉》
 5/2(月)朝、YAさんから電話があり、高岡駅前の画廊「七本杉」が今回のキルト・パステル画展で最終だとのこと。5月いっぱいと聞いていたのに、早まったのかしら、と思いながら出かけた。暑いほどの良いお天気の日、画廊の中は出品者の友人たちで賑わっていた。画廊がオープンして10年目だそうだ。高岡駅前、末広通りに面して広々とした画廊。ここが閉鎖するなんてもったいないな~。このまま、後を継ぐ人がいるといいのに…。


「藤よし」伊豆店のお料理

2016-05-01 | 旅行

  48℃の温泉が毎分250リットル以上湧出すると言う、伊豆対島(たじま)温泉「藤よし」。お料理がまた格別でした。↓は、お食事処の玄関。「源泉湯を守る会」の登録証の横に、SEさんの手作り和紙人形が飾ってあります。

  ↓ 部屋の入り口に、4/21日号の「週刊文春」が数冊置いてあります。「源泉かけ流しの宿 ベスト11」に選ばれたそうです。

                   

 ↓ 上から2番目が「藤よし」でした。 

  ↓ 夕食の舟盛り付き殿さまご膳。相模湾の魚、金目鯛、マグロ…と説明しながら取り分けてくださいました。その他いろいろ。

  ↓ 朝食の七輪焼き。ホタテ、サザエ、鮎の干物です。

  ↓ まず、サザエを焼いて。

 ↓ 鮎を下のようにして焼きます。

 ↓ 筍ごはん。

 ↓ 刺し身です。

  朝食の後、またお風呂に入った人がいて、5回入った人が最高だったかな?バスに乗る前に記念撮影。

   左は、見送ってくださる若女将と3代目女将のナタリーちゃん(パパがポーランドの男性?)。食事の場でお運びをしてくれました。右は、帰宅後文苑堂で買った本。この本にも、「73の源泉宿のベスト10」に選ばれています。こんなありがたいお風呂とはよく知らず、1度しか入らなかったのが悔まれます。   

                 

 途中、干物店や「道の駅」でお土産を買いながら、横浜市へ。横浜「藤よし」で昼食でしたが、さすがに食べきれませんでした。横浜駅で別れ、私は東京駅へ戻る4名と一緒に電車に乗りました。ところが電車の中でお喋りに夢中、サッと空いた品川駅で座れまたお喋り。次に止まった駅で「さあ、東京」とばかりに降りたら、どうも勝手が違う…。そこはなんと新橋でした。何線の電車に乗っていたのでしょう?ともあれOさんに新幹線改札まで送ってもらい、4時半の「はくたか」指定席で帰りました。帰りもやはりガラガラ。メールをしたり、トロトロしているうちに新高岡。程よい命の洗濯でした。皆さん、ありがとう。