かなり前からこの映画の宣伝紙を読み、公開されたら観に行こう、とようこ姫さんと言っていた。なかなか日がとれず、観たのは11日。その後も行事続きでアップも遅れに遅れた。もう皆さん、観ておられるだろうから感想だけ書くことにします。
高倉健が、前作「単騎、千里を走る」(中国を舞台にした映画、これもようこ姫さんと観に行った)以来、7年ぶりに出演した映画が、「あなたへ」である。たぶん健さんのために書き下ろした脚本であろう。高倉健、81歳だそうだ。NHKTVの「プロフェッショナル」で、2夜にわたり、彼の生い立ち、映画俳優になったきっかけ、俳優としての生きざま、映画に対する情熱、日常生活など、密着取材した番組を、インタビューも交えて放映した。映画はその後見たので、いっそう感ずるものがあった。
私の世代にとっては、高倉健は江利チエミの旦那さんだった。映画は、「幸福の黄色いハンカチ」、「鉄道員(ぽっぽや)」、「ホタル」 など、最近の作品しか見ていない。前作同様、この映画もセリフや説明が少なく、見る者の想像力で違う解釈が生まれるかもしれない。私流に書きますのであしからず。
富山の刑務所の指導技官・倉島英二(高倉健)の元へ、ある日、亡き妻洋子(田中裕子)が遺した絵手紙が届く。二人が結婚したきっかけは、洋子が刑務所へ慰問に来たことが始りだった。洋子は受刑者たちの前で童謡を歌う。その歌が「星めぐりの歌」。宮沢賢治作詞作曲だ。賢治の故郷花巻へ旅行した時、記念館で聞き耳にこびりついた。きれいな、物悲しい曲だ。
洋子はこの歌を悲愴な面持ちで歌う。じっと聞き入る英二。追いかけてお礼を言う英二に、洋子は、受刑者の中の一人のために来ていた、その人が亡くなり今日が最後と告げる。
そんな二人だから、きっと過去のこともお互いに聞かず結婚し、つつましく睦まじい生活を送る。↓の場面を見るだけで想像できます。阪神の優勝で沸く居酒屋で楽しそうに語り合う二人。この表情、ポーズに、涙が出ます。
妻の病死後、元気になったら旅行しようと改造していたキャンピングカーに乗り、富山から妻の故郷の長崎・平戸へ9,000kmの旅をする。絵手紙に、「故郷の海を訪れ、散骨してほしい」との想いが記されていたのだ。
長い道のりは、ロードムービーとして描かれる。ビートたけし、佐藤浩市、草剛と出会い、言葉を交わしながら、妻との何気ない日々を思い出す。
そして、洋子の故郷平戸に着き、見知らぬ町を歩きながら、彼女の少女時代の古い写真を町の写真館で見つけ、じっと見入る英二(トップ写真)。海への散骨を頼むために出会う人々、余貴美子、綾瀬はるか、三浦貴大、大滝秀治にも物語がある。
大滝秀治(87歳)は、散骨を引き受ける船の持ち主。散骨を終え船を岸につなぎ、お礼を言う英二に、「久しぶりにきれいな海を見た」と呟く。撮影時、このセリフの後健さんは横を向き涙をぬぐう(TVの映像で)。だが、映画にその場面はない。大先輩の名優の短いセリフに感極まった、のだそうだ。「作品のテーマとも言うべき重さと深さを持った言葉」と健さんのブログに書かれている。
長くなりました。読んでくださった方はありがとうございました。もう一つついでに、散骨についての私の体験を書かせてください。
夫が、過労で突然死したのは23年前だが、その数年前に白州次郎(たぶん)が死去、 「葬式無用 戒名不用」との遺言書に共感し、同じ言葉を紙に書き、「骨は海に撒くように」と付け加え、日頃から無造作に壁に貼っていた。だが、実際には、当時そんなことはできず心残りだった。せめてお骨だけはと、納骨の時に少し取り分けておいた。翌年夏の新盆に、例年のように親類皆で氷見へ行き、これも例年のように義弟たちや若者たち皆で虻ヶ島へ泳いだが、その時、息子に託し氷見の海に散骨してもらった。花束も読経もないけど、大好きだった海に父親の1部が残っていると、娘も息子も思っているだろう。当時、散骨についてそう煩くはなかった。
↓は、日経電子版の高倉健さんのブログのコピーです。興味のある方はどうぞ。