自然・宇宙・地球・旅から人生を顧みる

自然や宇宙、旅が好きな私のブログです。色々な体験など、日々の出来事について日記風に綴ってみます。

芦田川河川敷の「クサフジ」

2020年05月10日 18時02分29秒 | 日記

 新型コロナウイルス禍で、福山市の施設“グラウンドゴルフ場”が今月末まで閉鎖になっている。4月下旬から殆どグラウンド・ゴルフに興じていないため、ほほ運動不足気味。昨日からウオーキングで芦田川河川敷を歩き始めたが、車で移動しなければならない。河川敷駐車場へ車を止めて、片道約1.6kmを往復している。往復約3.2kmで、所要時間は45分程度。それでも運動をしないよりはよかろうと、今日が二日目だった。数名の方が歩いておいでで、時にジョギングの方もおられる。が、私は、ウオーキングのみ。

 河川敷には、今は「クサフジ」が満開で、大型の「マルハナバチ」が蜜を吸うためか、飛び回っている。

  

 「クサフジ」はマメ科ソラマメ属で、学名は Vicia  cracca  である。葉はカラスノエンドウに似る。

「日当たりのよい草地や山麓の林のふちなどに生えるつる状の多年草。長さ1.5㍍にもなる。葉は互生し、8~13対の羽状複葉で、先端は長くのびて分枝する巻きひげとなる。小葉は狭卵形で1.5~3㌢。茎の上部の葉のわきから長さ3~10㌢の総状花序をだし、青紫色で蝶形の花を多数つける。和名は「草藤(くさふじ)」で、花と全体の姿がフジに似ていることによる。」

 この説明は野草図鑑に記載されている内容であるが、密集して生育する様子は壮観である。

 ウオーキング・コースの脇には、まだ多くの野草が生育しているので歩いていても楽しい。そういえば、「チガヤ」の白穂が伸びている様子も見られる。「チガヤ」は子ども時代に山野を駆け巡っていた時、「ズボナ」と呼んでいて、穂が伸びる前に取り出して食べていたのを思い出した。教職についていた時代子ども達を野に連れて出て、「この植物は食べられるよ。食べてごらん」と言っていたが、子ども達の反応は「先生は草を何でも食べられる、と言うね」だった。どれくらい覚えてくれているだろうか。

 明日も、雨が降らなければウオーキングに行くだろう。

 


「新型コロナウイルス禍」で考えること

2020年05月03日 18時31分44秒 | 日記

 TVのニュースや新聞記事の中で、「新型コロナウイルス」についての報道や記事に目が行く。そんな時に、「Toriino」という冊子に出会った。読んでいくと、なかなか蘊蓄ある文章に出会ったので、ブログに記録してみる。

「一心不生 萬法無咎」

 三祖僧殩(さんそ そうさん)(?~606)の『信心銘』に、「一心生ぜざれば、万法に咎なし」の言葉がある。

 これについて、元の中峰明本(1263~1323)は、『信心銘闢』において、次のように説く。

  心、生ずれば、種々の法、生ず。

  心、滅すれば、種々の法、滅す。

  諸法、自ら生ぜず。

  諸法、自ら滅せず。

  皆、一心より変ずる所なり。

  一心、生ぜざれば、諸法常住なり。

 ここで言う「心」とは、物事に執着する心。「法」とは、外なる世界である。

 人は、見るもの、聞くもの、味わうものなど、何につけ体験することに心をかける。この体験や経験の積み重ねを通して、好悪、是非、善悪など、その人なりの価値観が形成される。その価値観が形成され、一旦根付いてしまうと、自分の価値観に適うものには、心が開き関心が向かうが、そうでないものには心が閉じて無関心になってしまう。殊に自らの価値観への執着が強固なものになると、他の価値観を認めることができず、敵対して排除するまでになってしまう。

 こうして、本来曇りのない清浄だった心が執着する心へと変わる。

 人の世界は、様々な民族、人種、文化によって全体が構成されている。同じように生物の世界も、様々な生物種、生態系、遺伝子によって全体が構成されている。これをある限られた価値観だけを優先する立場から観てしまうと、偏ったものとなり全体を見失うことになってしまう。

 一つの家の中で家族が各々自己本位に争えば、家は破綻する。同じように、人類にとってかけがえのない家であるこの地球上で人間同士が争えば、自然や文化の多様性は失われ破綻へと向かう。

 執着する心を捨て、広く自然を始め他なる者へ心を開くことができれば、生物の多様性や自然の恵み、生命の尊厳も見えてくる。

 あるがままの自然を愛でる視点は、忘れてはならない。 (弘 幻)

 

 忘れかけていた生き方を、改めて思い起こすことが出来たような気がした。