自然・宇宙・地球・旅から人生を顧みる

自然や宇宙、旅が好きな私のブログです。色々な体験など、日々の出来事について日記風に綴ってみます。

「ナオコ☆アサガオ」プロジェクト

2011年04月28日 08時34分18秒 | インポート

 昨年、山崎直子宇宙飛行士がISSへ滞在したとき、記念品(OFK)として朝顔の種200粒を持参した。帰還とともに持ち帰り、日本宇宙少年団の活動として希望する分団に僅かずつ配布し栽培された。「宇宙から帰ってきた種」として大事に栽培され、交雑されていないと思われる種を回収し、2世代目の種として保管することになっている。そのため栽培された団体から栽培記録と共に種も回収されたが、交雑の有無を確認するためにYAC本部から栽培記録の精査を依頼され、栽培記録が送られてきた。記録を詳細に読み検討したが、厳密に評価すると栽培している現地の様子が確認できていないので、写真などからでは評価は難しかった。「おおよそ大丈夫」と思われるものは、そのように評価させていただいた。ただ、送られてきた栽培記録は素晴らしく、栽培にも記録にも物凄いエネルギーが使われていると思われ、頭が下がる思いであった。

 ISSから持ち帰られた種の交雑されていない2世代目を確保することも大事な活動だが、それよりも「命のつなぎ」を考えると「大事に心をこめて栽培し、記録する」ことにも大きな意義があるように思えた。「現在残されているアサガオの種には、間違いなく山崎さんが宇宙へ持って行ったアサガオのDNAが受け継がれている」ということは事実であることを踏まえて、「命をつなぐ営み」として、営々このアサガオの栽培を続けていけば良いと評価するところである。これらの活動は、いずれ「東日本大震災で大きな被害を被った地域で、このDNAを受け継ぐアサガオの花で勇気づけを期待する」という活動に繋げられるであろう。


要害桜

2011年04月25日 19時30分49秒 | インポート

 庄原市東城町小奴可地区に「広島県天然記念物第一号」と表示された「エドヒガン」という種類の桜、「要害桜」がある。昔、山城だった所に植えられた桜のようで、そのために「要害桜」と名付けられたのだろうか。樹齢はおおよそ550年位になるらしい。

 旧国道から少し入った高台に聳えているが、今年は天候が悪く例年より半月くらい開花が遅れているとか。昨年通った時にはすでに花は散っていたので、今年あらためて訪れてみたがまだ五分咲きとのことだった。

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 それでもカメラを抱えた見物客が数人いたが、デジカメの普及とともに俄かカメラマンが増えている。私もその仲間かもしれないが。

 近くによって見上げてみると、確かに蕾が多い。地域の方々の献身的な努力で現在の状態が保てているようだが、ライトアップの支度もできていたし、ベンチも設置されていた。山間の小奴可地区も僻地の例に違わず人口減少などの課題を抱えているようで、旧道沿いの町並みは寂れていた。が、静かな町並みで、わずかに流れのせせらぎが心地よく聞こえてきていた。

 本日は2台の車で8名が訪れたが、桜とは別に「つくし」を一生懸命探して採っていた。

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 帰路、国道を南下して同じ種類の桜を見に行ったが、こちらも同じように素晴らしい桜だったが、同地区に天然記念物は二つもいらないと言う理由なのか、指定されてはいなかった。「エドヒガン」は「ソメイヨシノ」の親である。確か「オオシマザクラ」と「エドヒガン」の交配で生まれたのが「ソメイヨシノ」と記憶しているが、確かだろうか。花弁の色は薄いので空に映えるような派手さはないが、ここまで大木になるとその存在感は十分である。

 家から要害桜までの往復の道のりには、道路沿いに多くの桜など今が旬の花々を愛でることができるが、それらを十分に楽しめたドライブであった。


孫が帰った

2011年04月24日 17時24分36秒 | インポート

 原発事故の関係で緊急避難させた孫が、母親の仕事の関係で帰って行った。9日に福山へ避難してきたが、新しい学校で受け入れてもらい、毎日喜んで登校していた。「慣れるかな?」「いじめられないかな」などが杞憂に終わり安心していたが、仕事を休ませてもらっていた母親が急に戻るように言われ、仕方なかった。「ぼく、帰らない。一人で福山の子になる」など不満を言っていたが、母親やジジ・ババの説得で帰る決心をしたようだ。わずか2週間の福山滞在だったが、母親や祖母の母校へ孫も通うことになろうとは、不思議な縁である。

 1ヶ月くらい避難させておくと「多少は原発も好転しないかなあ」との期待は見事に裏切られ、一向に好転の兆しが見られない。初期対応の誤りが、余計に悪くなる方向へ進んでいるように思えるが、政府や東電は何をどうしようとおもっているのだろうか。今後状況が悪くなれば、本格的に避難させなければなるまい。

 孫は帰るにあたって友達3人から手紙を貰ったようだ。友達ができていたようで、たどたどしい文字で返事を書いていた。校歌も覚えて歌っていたようで、母親と祖母が感心していた。入学と同時に転校し、環境の違いに耐えて頑張ったこの2週間の経験は、きっと今後に生きることと信じたい。我が家は静かになってしまい、空気も張りがなくなったようだ。レオもどこか寂しそうである。


「ミツバツツジ」咲く

2011年04月20日 22時21分39秒 | インポート

 一週間前、広瀬のG・G場へ行く途中の雑木林で、林床に咲き始めた「ミツバツツジ」を見た。淡い紫色の花だったが、今週の初めの日曜日に豊松近辺でも満開に近い「ミツバツツジ」を見た。

 数日前ころから蕾が膨らみ始めた我が家の「ミツバツツジ」が、やっと満開に近くなってきた。山で咲くツツジよりも庭のツツジの開花は、いつも遅くなっている。里である我が家の方が気温は高かろうが、それでも山の方が早く咲く。なぜだろうか?

 山から採ってきたこの「ミツバツツジ」は、なかなか大きく育たない。枝ぶりも一向に増えず、切り花にはできない。したがって咲いているのを愛でるだけである。

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宇宙少年団4月活動日

2011年04月17日 18時57分46秒 | インポート

 宇宙少年団の4月活動の日。蒼太が福山にいるので連れていくことにした。ババとママと4人で、豊松の夢想学舎へ行った。途中の桜が満開で、車窓からの景色は素晴らしかった。

 本日の活動は「仁吾渓谷の植物」と「黒点の観察」。余暇の時間には、私の化石標本を見てもらった。昨年夏にこの渓谷の植物観察をしたが、春はまた違った様子が観察できた。「魚切りの滝」は水量も多くて見応えがあったし、近くでは「葉わさび」が収穫できた。昼食用の山菜も結構採集でき、てんぷらやおひたしで味わえた。

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 「魚切りの滝」の滝壺は深くて入ることはできないが、子ども達は少々危険と思われるような場所を好んで移動し、引率者をハラハラさせた。

 12時までに研修所に戻り昼食の予定だったので往路とは違う道を帰ったが、途中で満開のしだれ桜や芝桜が見られ、満足していた。

 昼食は毎年同じ献立で、「手打ちそば」に「山菜のてんぷら」「山菜のおひたし」「混ぜご飯のむすび」などであった。参加者は全員、満足していた様子であった。

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 昼食後の休憩ののち、新築された「天体ドーム」のお披露目として、「太陽の黒点観察」を実施した。ドームは広くはなく、子どもで4~5人、大人だと4人が限度。したがって全員が観察し終わるには、かなりの時間がかかった。それでも、金尾リーダーの説明を良く聴いていた。

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 すべての内容が終了したのは14時半頃だったが、午前中に良く歩いたのでかなり疲れた様子も見受けられた。新たに1年生になって入団した子どもが3名、少し分団員が増えてきた。初めて参加した蒼太はジジがいるので自慢げな様子が見られたが、多くの仲間たちと過ごして「自分の思いのままにならないこと」を学んでくれただろうか。

 ともあれ、新年度のスタートである。YAC本部からは「新年度も続けて子ども部会長を」と連絡があったし、JAXA宇宙教育センターからも「指導者育成事業」担当としての委託があった。かなりハードな2年間になりそうだが、今の状況を考えるとどこかで線引きをしなければならないと考えている。YACにしてもJAXAにしても、指針が見えないからである。ボランティアにボチボチケジメをつける時期が来たように思う。