昨日16日(日)、友人の結婚披露宴に招待された。2003年に「備後地方に“宇宙少年団”を作ろう」という機運が盛り上がったらしく、丁度広島大学から帰ったばかりの私に話が舞い込んだ経緯がある。その時に、結団事務のメンバーの中に彼もいた。分団結団は2003年11月16日だったが、あれから15年の歳月が過ぎている。
2週間ほど前に我が家へ来られ、「結婚披露宴へ出てください」との依頼。「披露宴ではもう一人K先生に祝辞をお願いしているが、先生にもお願いしたい。」と言われた。「話の中身が被らないように…」とも言われた。彼のことは分かるが、相手の女性については全く分からないのに…とその時は思った。一週間後に再度招待状持参でお出でになったが、招待状には「乾杯の発声をお願いします」とのメモが入っていた。それで「あっ、乾杯の発声か」と了解できた。私の肩書は「公益財団法人日本宇宙少年団 活動委員会委員」としてもらっていた。他の肩書よりはシンプルで分かりやすいと思ったが、聞いた人は「??」と思うに違いない。まず、そのことを説明して、次に主題を話して乾杯の発声をすればよかろうと考えた。「時間は短く、簡潔に」と。
披露宴の受付開始時刻は15時半となっていたので、10分くらい前に着くように家内に送ってもらった。待機場所で待っていると知り合いのWさんがお出でになり、「私の塾の講師に先生の経験を話していただけないか」と言われたので、席を移して話を始めたが「間もなく披露宴が始まる」とのことでお開きとなった。
披露宴ではまず初めにK先生が祝辞を述べられた。私の知らない内容が沢山披歴された。彼は広大附属福山中・高校を卒業し、慶應義塾大学で物理を学んだとか。卒業後今の塾に籍を置き、現在は「気象予報士」の資格も取られたとか。素晴らしい学歴と、身につけられた知識や技能、感服した。
次に私の出番、「乾杯の発声」である。はじめに招待いただいたお礼を述べて、肩書の説明をしておいた。みんなが頑張って結団した「宇宙少年団・備後ローズスター分団」のこと。2003年11月13日を迎える前にその説明会を開き、当時の事務局長や猪俣女史に宇宙少年団についてのお話をしていただいた。結団式当日は、古川 聡宇宙飛行士に「宇宙について」語ってもらった。そんなことが走馬灯のように脳裏を過ったが、1986年筑波科学万博に時に「YAC」は結団されて、その後全国各地で分団が結成されたことなどを紹介し、現在の私の肩書について簡単に触れた。
次に、人間は目標を持ち、その目標に向かって邁進する。その歩みは「有機的でなければならず、お二人は本日より協力しながら歩を進めて欲しい」こと。そして「歩」という漢字は「止まって少し考える」という意味合いが読める。歩を進める時、地面に着いた足の裏から地面から受ける変化を感じ、一歩一歩目標に向かって有機的な歩を進めること。「本日より、お二人が協力しながら仕事の目標、家庭の目標に向かって、協力しながら前進されることを祈念して、“乾杯!”」と発声し、唱和を頂いた。
その後は安心して宴を楽しんだが、彼の表情は生き生きとしていたのが印象に残った。
今日、「お礼に来ました」と訪ねてこられた。その時、「先生がノー原稿であれだけ話されたこと、多くの参加者が感心されていた」と言われた。お褒めの言葉に違いないが、「話すことが私の仕事でしたから」と返しておいた。「乾杯の発声」前の挨拶で原稿を見ながら話をすることは興ざめだし、5分~10分程度なら何とか原稿なしでもOKである。思い起こせば、「最後の卒業式の式辞」をノー原稿で話したことを思い起こした。私が関わった式での「式辞」はきちんと原稿があり、それは今でも記録として保存してある。が、最後の卒業式での式辞の原稿はない。幸いにPTAの役員の方がビデオで撮影してくださっていたので、映像として残っている。「原稿を読むと目線が原稿へいき、対象の卒業生の顔を直視できない」との理由で最後だけノー原稿で通したが、さて、聴かれた方々の感想は分からない。そんなこともあったなあ…、と昔々の思い出である。