自然・宇宙・地球・旅から人生を顧みる

自然や宇宙、旅が好きな私のブログです。色々な体験など、日々の出来事について日記風に綴ってみます。

今日は7月最終日:31日

2017年07月31日 19時46分42秒 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は7月31日。朝から曇り空だった。友人に誘われて、世羅町の「県営ゆめ公園」で開催された「グラウンド・ゴルフ;団体戦」に参加した。6時前に起床し、7時前には家を出た。いつものルートを通って、会場には8時頃に到着した。今回は参加者は多くなかったようで、開会式に並んでもそれは感じた。ゲーム開始頃は空は曇っていたが、昼前ころから太陽が出始めて、3ゲーム目を開始する頃には暑さに閉口するくらいだった。風が吹けば心地よかったが、3ゲームを通して余り風は吹かなかった。15時前に閉会行事も終了したので会場を後にしたが、帰路、会場を出たばかりの道路で嫌な光景に出くわした。2台前を走っていた車が、右側から飛び出した小動物を轢いて行った。動物は“たぬき”だったが、車を避けることは適わずに轢かれてしまった。後続車両も多かったので避けて通ったが、目の前に見えた“たぬき”は痙攣するように動いていた。かわいそうだが、どうすることもできなかった。轢いた車は、避けることは出来なかったのだろうか。小さな命が消えて行った…。

 

 昨日30日(日)は、「NPO法人日本宇宙少年団備後ローズスター分団=以下分団と表記する」の7月活動を実施した。大型観光バスを使っての一日活動で、分団員家族と指導者(総計32名)が参加した。コースは、「分団事務局~福山東IC~山陽道:岡山道:中国道経由で~岡山県勝田郡奈義町柿(ビカリヤミュージアム)~美作町(昼食)~津山市(津山まなびの鉄道館)~新見市(満奇洞)~分団事務局、であった。

 「指導者は6時20分集合」と案内されていたので間に合うように移動したが、集合場所には殆どの参加者が集まっていた。今年は「おのみちバス」を使用しての移動である。

  

 全員が集合したので、予定していた7時より少々早めに出発した。バスの定員よりは参加者は少なかったので、ゆとりをもって座席が活用できた。

 「本日の案内をして下さい」と言われたので、配布済みの資料に沿って解説や説明を続けていたら、時間の経過が早くて岡山道の高梁SAに到着した。トイレ等の小休止の後、中国道・R53を経由して、最初の目的地「ビカリヤミュージアム」(奈義町柿)に到着した。ここでは「化石についての説明と、実際に化石採集をする」のがメインで、最初に会議室でボランティアの方の説明とDVDを鑑賞して、外にある“化石採集場”で自分で化石を探した。

 このミュージアムは造成時に発見された地層などを展示するために造られたようで、館内の奥の部屋は化石の産出状態が分かるように、加工された崖が保存されていた。

          

 参加者は1時間余りの時間、自由に借用したハンマーで泥岩の塊から化石を探していた。巧く見つかる子もいれば、なかなか見つけられない子もいた。親子で頑張っている様子は微笑ましいが、時に親が真剣に探し始め、我が子そっちのけの状況も見受けられた。私は採集できない人のために、見つけた化石は全て与えることにして探し続けた。ここで見つけられる化石は写真のようなものである。

  

 一枚目は、ここで採集出来るメインの化石「ビカリヤ」である。この化石は、新生代第3紀中新世の「示準化石」である。現在の「ウミニナ」の仲間だが、当時は暖かい海に生息していたようだ。大きさは、大きい方(完全な個体)が70mmほどあった。2枚目は「ブサモトレタ」のようだが確証はない。現在の「ベニガイ」か「サクラガイ」の仲間のようでもある。こちらは大きなものでも15mm程度であった。採集していた母岩(泥岩or頁岩)には、植物の葉の破片も見つけられたが、現在の「クヌギの葉」に近いもののようだった。採集後、化石鑑定が行われた。

  各自が採集した化石の名前を調べたが、なかなか困難だった。簡単に分かるのは「ビカリヤ」位だったようだ。

 その後昼食のために「西の家美作店」へ移動して、約1時間の昼食時間を取った。4歳以下の子供たちは「お子様ランチ」で、残りの参加者は写真のご馳走に舌鼓を打った。

   昼食会場からの窓越しの景色、緑が綺麗だった。

 昼食を済ませたのち、二つ目の「学びの場所」である、「津山まなびの鉄道館」へ移動した。ここでは鉄道関係の色々な車両や、昔の用具などの展示があった。また、ミニチュア・箱庭風の模型を走らせて、転車台の使い方を見せていた。

          

 3枚目は、扇形機関車庫の説明を聞いている様子だが、炎天下、本気で聞いていた。興味・関心の高さを思った。4~6枚は扇形機関車庫と転車台である。この転車台は現在でも使用されているようで、最後の写真にある起動施設で動力で動かしてる。

   

 この2枚の写真はなあ~に。と言っても分かりにくいが、「DE50形」のディーゼル機関車である。2枚目がその説明板を写したものだが、次のように書いてある。

 DE50形は日本最大の2000馬力の機関を搭載した液体式ディーゼル機関車で1両のみ製造された。当機は当時の非電化幹線の次世代主力機として開発されたが、投入予定線区の急速な電化などにより、量産化されることはなかった。

と。従って、車両の記号は「DE501」と記されている。

 次の写真は「新幹線軌道を走る“ドクターイエロー”と同じように、JR狭軌線路で活躍する“イエロー”な車両」先頭と後尾である。3枚目は、現在の津山線・津山駅の遠景である。

    

 この施設での学習を終えて、院庄ICから中国道に入り、北房ICで下りた。目的地「満奇洞」は山の中にあった。前回(6月6日)訪れた時は、駐車場には車は1台しかなかったが、昨日は夏休みで、多くの観光客が訪れていた。若いカップルが多かったなあ…。今回は自前のヘルメットを持参した。それでも何回か、天井に頭をぶつけた。ガイドには遊歩道は全長約400mとあるが、子ども達の中には涼しいからか2往復している者もいた。この鍾乳洞は入り口付近に“休憩所”が設けられてあり、自由に休める。が、私が初めてここを訪れた時には、この休憩所では飲み物などを売っていた記憶があるのだが…。内部の写真を何枚か載せておくことにする。

  

            

 16時頃最後の学習地を出発、帰路に着いた。北房ICで中国道に入り、北房JCからは岡山道を走る。トイレ休憩の希望があったので“高梁SA”による。その後車内では「銀河鉄道の夜」というDVDを流したので、私は休憩していたところ寝てしまっていた。気が付いたら、山陽道“篠坂PA”が近付いていた。

 18時過ぎに無事事務局へ到着。皆さん楽しかったようで、笑顔いっぱいでバスから降りてきた。夏休みは未だ1ヶ月間あるが、「この学びの旅が何かの役に立てばいいなあ」と一人思った。今年度の最大行事を、無事終えることができた。私も「夏休み」をしよう……。

 

 

 

 

 


珍しい昆虫を見つける

2017年07月25日 19時38分33秒 | 日記・エッセイ・コラム

 福山市加茂町北山(通称:広瀬の芋原)にある“福山市グラウンド・ゴルフ場”のコース内に植えてある樹木、「ケヤキ」「クス」「サクラ」「コブシ」などがある。その中の一本、Aコースにある「ケヤキ」が枯れ始めていたが、昨日見ると樹木全体が枯れかけていた。幹の下部にはキノコ状の物が確認され、明らかに腐食が始まっている。一緒に回っていた仲間が、「大きなアリがいるよ」と言うので確認に行った。なるほど、体調が10mmを超えるような大型のアリのような昆虫が動き回っていた。その時は「変わったアリだなあ。これがケヤキが枯れる原因か?」と思った。帰宅して昆虫図鑑で検索すると、「アリ類」のところには見当たらない。近くのページに「…アリ」というような「ハチ類」が載っていたが、良く分からなかった。

 今日の昼前にまたグラウンド・ゴルフ場へ行き、事務所の職員に「一匹でいいから、殺虫剤で殺して捕まえて」とお願いしたところ、捕虫した一匹をナイロン袋に入れてくださった。「どうされるの?研究?」と問われたので、「帰って調べてみるつもり」と答えておいた。正午過ぎと1時半頃に物凄い降雨があり、これ以上遊べないので帰宅することにした。降雨が止まった間に駐車場へ急ぎ、慌てるように山を下りたが、下の加茂町は全くと言ってよいくらいに降ってなかった。

 帰宅後、昆虫図鑑との取っ組み合い。やっと「カミキリムシ」の項で見つけた。昆虫の名前は「クビアカトラカミキリ」で、学名を「Xylotrechus  rufilius  Bates」ということが分かった。特徴等を書くことは省くが、枯れ木に多く群がるようである。特に“広葉樹”を好むらしい。枯れかけたケヤキに群がり、結果的にケヤキが完全に枯れることになったのだろう。

  

 最初の写真は図鑑からの借用だが、2枚目は私が撮影したもの。接写レンズがないので広角レンズで近接撮影をしたが、この程度にしか撮れなかった。

 まだ中学生だった頃に「昆虫標本」を多く作ったが、その時「トラカミキリ」という昆虫を採集している。何となくそれに似ているように思えたので「トラカミキリ」の項を検索していて行きついた訳だ。昔の経験が生きていたなあ…、と記憶の正しさを認識した。次回、グラウンド・ゴルフ場へ行ったとき、職員に教えてあげよう。


初めて検索した植物

2017年07月24日 17時20分49秒 | 日記・エッセイ・コラム

 5月頃からか、広瀬の芋原にある「福山市グラウンド・ゴルフ場」への往路、道端で見た植物である。春先はロゼット状の葉が茂っていたが、やがて中心が伸び始め、段々高さが大きくなってきた。何という植物かが分からなく、適当に「マツヨイグサの仲間?」と思っていたら、植物の形状が全然違う。さてさて「何という植物だろうか?」と気にかけながら通り過ごしていたが、やがて花が咲き始めた。黄色の花で、マツヨイグサとは全然違う。

   

 草丈が1m位になって気になり始め、図鑑で検索する気になった。最初に調べた図鑑は「日本の野草(山と渓谷社)」だったが、どう検索しても対象の植物が見つからない。「掲載してないのか」と思い、次の図鑑「新版日本原色雑草図鑑(全国農村教育協会)」で検索。やっと見つけた。その後「原色牧野植物大図鑑」にも掲載されていた。「日本原色雑草図鑑」によると、次のような紹介である。

「ビロウドモウズイカ」、ローマ字記載では[Birodo-mozuika](roのoの上と、moのoの上にーが入る)。「ゴマノハグサ科モウズイカ属」で、学名は「Verbascum  thapsus  L.」である。

 越年草で、生育期間は11月~9月。ヨーロッパ原産の帰化植物で、鉄道沿線や路傍などに生育し、北海道西南部では耕地にも生えて害草となる。種子で繁殖する。

 幼苗の子葉は狭卵形ないし広卵形、基部は心臓形、短い腺毛がある。第1~3葉は卵形ないし広卵形、基部は円形。はじめ根際から大形の葉を放射状に広げた形(ロゼット状)で過ごし、成長すると太い茎を直立させる。葉は茎にもつく、厚くて白い毛が密生し、さわると柔らかい布の感じがする。

 夏に茎の先に穂状をなして黄色の花がたくさん咲く。花後、球形の果実がつく。

 まさに、検索した説明の通りであった。今年は10株近く確認しているが、来年はどの程度確認できるだろうか。今咲いている植物個体は、この秋口には枯れてくることだろう。落とした種子が発芽して、冬越しをする越年草なのである。新しい植物を一つ覚えた。


密集

2017年07月22日 11時45分30秒 | 日記・エッセイ・コラム

 「気象庁」からの“梅雨明け宣言”が出たとたん、真夏日どころか猛暑日が続く。窓から見える景色が、何となく暑苦しく感じられて仕方ない。エアコンの効いた車内や室内が恋しくなる。炎天下、短時間でも農作業をすると、頭の天辺から足のつま先まで汗でビッショリで、まるでサウナから出てきたようである。体内から“塩分や水分”が無くなり、干からびた“めざし”の如く…である。日中の畑の作物は、蒸発する水分のためか心なし干からびているように見えるが、植物も大変だろうなあ…日陰に避難できないから。

 写真を6枚撮影した。

          

 一枚目は「オニユリ」である。庭に一株だけ育っているが、肥料不足か一向に大きくならない。それでも今年も一輪だけ開花した。蒜山の山荘の庭には「ササユリ」が数株植えてあるが、どちらも色鮮やかな花が咲き、香りも良い。オニユリの球根は食用になるが、食べるわけにはいかない。来年こそは数輪の開花を期待したいのだが…。

 残りの5枚は、表題通りの「密集」した様子である。5枚の最初は「ヤマイモ」と「ゴーヤ(レイシ、ニガウリともいう)」が伸び放題の様子。これだけ密集すると、中には陽が入らないと思うが、植物はしっかりと日光を受けて“光合成”しているようである。次は「アオジソ(大葉)」の株を写したものだが、結構大きく育ち、一枚の葉も大きい。10枚くらいを束にしてスーパーでは売られているようだが、我が家では食べきれないくらいに育っている。3番目は「カボチャ」である。今年は平地栽培をすると面積を取られるのでネット栽培をしてみたが、出来たカボチャが大きくなって重くなり、ネットが切れて下がってしまった。白っぽくて大きくなる種類だが、収穫して1~2か月位寝かして食べなければ甘みが出ないようだ。さて、どれ位収穫できるだろうか。

 終わりの2枚は「宇宙芋」である。終わりから2枚目に写っている宇宙芋の葉(ハート形)の大きさが凄い。子どもの顔位ある。宇宙芋はヤマイモの“ムカゴ”のような出来方をする。ムカゴに当たる部分が肥大して大人の握りこぶしのように成長し、色は渋い銀色~鉄色でまるで隕石のように見えるから“宇宙芋”と呼ぶらしい。地下部分はまず育たず、物凄くひげ根ができている。特別な味はないのだが、今年も味わえることだろう。

 真夏(?)の暑さに負けずに植物は育ち、「暑い!暑い!」と愚痴らない。人間はそれと比べると、何と弱いことか。負けずに、この暑さを乗り切らねば…と、「密集」した様子を撮影して思った。


山荘の草刈り

2017年07月18日 23時08分47秒 | 日記・エッセイ・コラム

 先月、日南町のグラウンド・ゴルフ大会に参加するために山荘に宿泊した。その時、山荘周囲の庭などが草茫々になっていた。前日の夕方到着して、翌日の早朝に発ったので草刈りはできなかった。あらためて草刈りなどの用事を済ませるために、16日(日)の朝家を出た。朝から蒸し蒸ししていて、気温も高かった。いつものようにR182を北上し、新見市の西で左折し、一路日南町を通過した。その後根雨を過ぎて右折、伯備線の踏切りを渡って俣野川ダムサイトを通過。今は廃校となっている「旧俣野小学校」を左手に見ながら、農免道を通って真庭市蒜山へ入った。大山は雲の中に隠れていた。昼前に山荘へ到着したが、丘は来訪者が少なくて静かだった。小林さんと牧野さんがお出でになっていたようだが、会えずに過ぎた。

 昼食後に草刈りを始めたが、草刈り機の刃が切れなくなっていた。交換する刃がなかったので、仕方なくそのまま使用した。今度来るときには、新しい刃を持参しなければ…と思っている。凡そ2時間強の時間を費やして山荘周囲の草刈りを済ませたが、まるでサウナに入って頭からシャワーを浴びたくらいに汗で濡れた。濡れた体はシャワーで流し、さっぱりとした。山荘周囲はまるで散髪を済ませた坊主頭のように、スッキリ・サッパリとした。

 今の山荘の庭には、彩鮮やかに見える花や木の実がある。

 これは「ニワウメ」という木の実だが、熟すまでの様々な色合いが綺麗である。真っ赤に熟すと、多少酸味はあるが美味しく食べられる。

 この花は「ノウゼンカズラ」である。大人の腕の太さより太い樹を埋めて上らせていたが、時間の経過とともに腐食して倒れてしまった。この花は蔓性の植物で、自立しない。何か頼れるものがあれば、それを利用して上り、花を咲かせる。大柄で派手な花である。

 これは「ナシの実」だが、食用になった事がない。ピンポン玉より小さな実で、熟れるころに山荘に行けてないからだ。確か「二十世紀」と言われて購入した記憶はあるのだが、付いた実を落とさずに居るから、大きくならないのか?と。育て方が悪いのかも知れないなあ…。

 愛車「プリウス」と山荘全景である。大きな杉の木2本は、山荘を建てた時は1m位であったが、今は見ての通り。大きな杉の丸太が取れそうである。

 我が家から北を見た丘の様子。樹木もクマザサも生い茂り、正に雑木林の中の山荘群のように見えている。かなりの降雨があったようで、流れた雨水で道路も溝も綺麗に流されていた。

 2泊3日の予定で作業に行ったが、予定の作業が終了したので今日午前8時に山荘を出た。往路と同じ道を通って帰ったが、川沿いの溪谷(?)に覆いかぶさるように「マタタビ」の木が茂っていた。娘がまだ小学生の頃、マタタビの実を摘みにつれて歩いたことを思い出した。あの頃は「薬酒」として、摘んできたマタタビの実をホワイトリカーに漬けていたが、居間の戸棚の中に残っているだろうか。

 次回山荘に行く頃には、また庭の草が伸びていることだろう。行く度の草刈り、疲れるが仕方ないことだ。

 我が家から山荘への道のりは、凡そ片道140km位あるだろうか。齢を重ねつつある今、あとどれ位通えるだろうか。体調管理を心掛けて、できるだけ長く行けるように頑張るつもり(!)である…。