自然・宇宙・地球・旅から人生を顧みる

自然や宇宙、旅が好きな私のブログです。色々な体験など、日々の出来事について日記風に綴ってみます。

遅い紅葉狩りと文化財探訪

2019年11月25日 18時30分07秒 | 日記・エッセイ・コラム

 11月最終の日曜日、グラウンド・ゴルフ仲間を誘って遅い紅葉狩りに出かけた。天候が心配されたが、幸いに雨天は免れた。

 朝の9時に車で迎えに行き、R182を北進した。途中、“三和道の駅”がリニューアル・オープンしていたので、早速立ち寄った。これまでの店舗より床面積は増えたようだが、店内は閑散として見え、商品を探すにも苦労しそうだった。それでも新しくなったからか、客足は伸びているように見えた。道の駅を発ち、R182を北上して油木町から広域農道を行こうと思いハンドルを切ったが、先に看板が見えた。「先の豪雨で道路が崩れ、通行止め」とのこと。見事な景色が見られると思っていたのに、残念だった。再度国道に戻り北上。新免辺りで谷道を…と思ったが、ここも通行止め。仕方なく東城町まで北進し、西向きに左折して帝釈峡方面へ進む。途中で「蕎麦屋を探そう」と県道から外れて一般道へ。山の中を走ること数分で目的地を見つけたが、「準備中」の看板。周囲には新しい別荘風の建物が数軒見えたが、店の前を通過、帝釈国民休暇村へ向かった。休暇村本館前には、グラウンド・ゴルフのコースが一つ常設されていた。下車することなく車窓から紅葉を楽しんだが、紅葉の色は既に色褪せていた。

 相渡にある「コスモドーム」でトイレ休憩をしたが、グラウンドには1コース設置されていた。一緒に行った方二人と家内は、「アカツメクサ」の四葉を見つけて摘み取っていた。そこから上帝釈へ移動、駐車場は観光シーズンでか有料となっていた(乗用車は400円)。駐車場へ車を置いて「雄橋」までを散策。距離的には、片道が1km程度とのことだった。帝釈川を流れる水は澄み、川底の様子が手に取るように見えた。このあたりの地質は「阿哲台石灰岩台地」で、帝釈川の浸食が進み、特徴ある地形が見られる。と同時に、石灰岩台地特有の植生も見られる。天候は曇りで気温も高くなかったが、それでも他府県Noの車が多く、散策する観光客も結構見えた。

  

 この2枚の写真は、河川浸食でできた「ノッチ」と呼ばれる石灰岩の様子である。また次の写真は、樹木の根の張り方が分かるような記録写真(?)である。

 自然状態での植物の生育は、環境に逆らいながら自らの体を保持するために、縦横に根を張る様子が手に取るように理解できる。植物の生命力の強さ、なのかもしれない。

 河川浸食は大きな岩体をも穿ち、まるで意図的に作られたような景観を見せる。「雄橋」とは、自然が作り上げた造形で、恰も「橋梁」のように見えるからその名が付いた。次の2枚はその写真である。人の大きさと比較すれば、「雄橋」の大きさが推測できる。

  

 上帝釈「雄橋」までの散策を済ませて、次の目的地「山楽荘(国登録有形文化財)」へ移動した。途中の県道沿いの景色も紅葉は終わりを告げているようで、どことなく寂しさを感じた。

 山楽荘は「旧保澤家住宅」で個人所有の建物だったようで、後年は宿屋として使用されていたようである。パンフレットには、次のような説明書きがある。

「山楽荘(旧保澤家住宅)は、城下町の面影を残す東城市街地の南北に延びる街路のほぼ中央に位置する大規模な町屋です。建築年代の近い本館、離れ、土蔵、土壁・門が揃って現存する点や、現在では入手が難しい材の使用、欄間などの特徴的な細工が高く評価され、平成23年1月26日に国登録有形文化財に登録されました」と。

 見学するに時間はそれほどかからないが、1階も2階も十分に見学できるようにしてあり、驚きと感嘆が入り混じるような感想であった。「所々に目を見張るような設えもあり、見学するには十分な価値がある。」、そう思えた。

 その後道の駅に移動して遅い昼食を摂り、買い物を済ませて帰路についた。

 楽しい時間が過ごせたと、同行者は喜んでいた。


今年も咲きました「皇帝ダリア」

2019年11月22日 19時25分27秒 | 日記

 11月も押し迫ってから、畑の「皇帝ダリア」が咲き始めました。頂上付近に蕾ができ始めてから結構時間が経ち最初は一輪だけの開花でしたが、今は空高くに咲き誇っています。

  

 丁度亡くなったレオ(愛猫)の墓の後ろでここ数年間咲いていますが、レオも墓の中で見上げてくれているでしょうか。

 「皇帝ダリア」は「木立ダリア」とも言うようですが、外国から入ってきた種類のようです。派手な花で、色合いも良く目立ちますから、全国あちらこちらで育てられているようです。私も友人から分けてもらった苗を大切に育てていますが、育てるのが下手なのか、株を増やすことができていません。今ある株がなくならないことを祈るばかりです。

 毎年この時期にブログに書き、花を愛でますが、なぜか見ると安心しています。

 皇帝ダリアについては、Wikipediaには次のような説明がありました。

 キダチダリア(木立ダリア、学名 Dahlia imperialis)は、高さ8~10mになるダリア属の種で、メキシコ、中米、コロンビアの原産。日本では学名を訳した「皇帝ダリア」等の別名で呼ばれる。

 


山荘の補修と冬支度

2019年11月05日 10時01分15秒 | 日記・エッセイ・コラム

 11月2日(土)、塗り残していた山荘の北壁と西壁のペンキ塗りと冬支度のために、友人夫妻を誘って蒜山へ行った。幸いに好天気に恵まれ、正午過ぎに到着し昼食の後直ぐに作業に取り掛かった。ペンキ塗りをするための足場なんて組めないから、伸縮性の梯子を使った。梯子を置く地面の環境が良くないので、作業をするには梯子を押さえてもらわなくてはならないので、一人作業は出来ない。私が梯子を上ってペンキ塗り作業をする間、下の者は梯子を押さえているわけだ。上も大変だが、下はもっと大変だっただろう。北の壁はペンキも延びたが、西壁は乾燥状態でペンキは壁板が直ぐに吸い込む。おかげで、ペンキは延びない。3時間弱ですべての作業が完了した。

 作業中に浄化槽の点検のために業者が来られたが、「最近はこの丘も殆ど人が来られませんね」と。そういえば、どの山荘も周囲が草茫々にみえる。

  山荘周囲も、このようにススキ(尾花)が伸び放題、育ち放題である。

私の山荘も築後20年を超えるが、浄化槽は異常なく動いている。途中で2度、エアポンプは交換したが、本体は異常なく働いてくれている。

 16時過ぎに入浴のため「快湯館」へ行ったが、連休初日ではあったが入浴客が多かった。途中にある“オートキャンプ場”は満席状態だったので、その客筋かもしれない(子供連れが多かった)。隣接するレストランで夕食を摂り、山荘へ帰った。

 翌日の朝は素晴らしい天気で、日の出もきれいに見えた。

  

 二日目の3日(日)は“紅葉狩り”に出かけた。山荘から鏡ヶ成を経て奥大山へ、そして桝水ヶ原から大山寺へ。そこから大山スキー場の中の原を通って船上山まで行き、小休憩。

 山麓を通る道路は完成したころはすべて有料道路だったが、今は無料の地方道。快適に走れる。紅葉はまばらにみられるが、ブナなどの葉は茶色く色づいていた。3連休であるからか人も車も多く、大山道路の紅葉スポット“鍵掛峠”は満車状態で、周辺の道路に駐車車両が多く、通過するにも気を使った。奥大山スキー場近くには素晴らしい沢(渓谷)があるので、見学することにした。駐車場に止めると、ゲレンデ傍の桜の樹に「ヤドリギ」が見えたので、一枚記録に残した。桜に付くヤドリギを見たのは初めてである。

 沢(渓谷)には古樹が多く、根回りも大きかった。友人に記念に一枚撮ってもらったが、残念なことにピンボケ。「写真を撮るのは難しい」と言っていたが、慣れない作業だったに違いない。後ろの樹は「カツラ」の大木である。

 桝水の「ミルクランド」で家内は買い物。「土産に買っておく」と言いつつ、かなり購入していた。その後、大山寺から酪農家の多い“香川集落”(戦後、香川県からの入植者が殆どで、この地名が残る)を通過して“船上山”へ。歴史的に有名な場所で、「後醍醐天皇が隠岐へ流された時、このあたりで天皇の奪い合いがあった」と言われる場所。彼らが通過し、合戦した辺りを下方から見上げると、当時を偲んでもなおその状況の厳しさが思われた。中国山地には「後醍醐天皇にかかる史跡や遺跡(想像・創造部分もあるのだろうが)」が多い。

 山荘への帰路、関金温泉へ入った。こちらは昨夜と違って入浴客が少なく、ゆっくりとゆったりと浸かることができた。

 夜半頃から降り出した雨は一晩中続き、夜中には風も強まったが、翌4日には上がり、昼前に帰路につくころには晴れてきた。「風の家(道の駅)」は相変わらずの混雑で、「大根を買って帰るから」と言われて駐車場へ入ったが、車の多さと人の多さに辟易とした。

 今冬への準備もしっかりと済ませた。まだ丘へ来れるかもしれないし、今回が最後かもしれないので冬支度だけは済ませておいた。「今年の冬は、雪は少ないかもしれません」と浄化槽の点検に来られた方は言われたが、この年齢、スキーは無理だろうなあ…。

 楽しく、有意義に過ごせた三日間は、“あっと言う間”に過ぎ行った。